第六十四話 選択
冒険者たちは総出でギルド内の大掃除を始めていた。
床にこびり付いた大量の血痕。
家具に飛び散った血飛沫。
壁や天井にまで残る赤黒い染み。
鉄臭さは窓を開け放っても中々消えず、ギルド内は異様な空気に包まれていた。
その頃。
ガルドとフィリアは応接間で向かい合っていた。
重苦しい沈黙が部屋を支配する。
互いに話すべきことは山ほどある。
だが。
どこから話し始めればいいのか分からなかった。
やがて。
ガルドは椅子へ深く腰掛け、大きく息を吐く。
「まさか、こんな形でお前にミサの正体がバレるとはな」
フィリアは苦笑した。
「私も予想外でした」
今回ここへ来た目的は極めて単純だった。
ガルドが何故リリアの居場所を知っていたのか。
その事情を聞くためだけだった。
まさか。
その先で。
行方不明となっていた勇者。
神代美咲本人を発見するなど。
夢にも思っていなかった。
しかも。
その勇者は。
小さな村で受付嬢として静かに暮らしていたのである。
フィリアは静かに目を閉じる。
(この事実を……どうするべきなのでしょう)
王都へ報告するか。
聖国へ伝えるか。
それとも。
何も報告しないか。
判断がつかなかった。
幸いにも。
昨夜、領主館で勇者の顔を見た者はいない。
深く被ったフード。
激しい雨。
夜闇。
視界は最悪だった。
フィリアだけが。
勇者専用武装――フェンリルを見て。
神代美咲だと気付いたのである。
ガルドは静かに話し始めた。
「今回の件は全部繋がっている。勇者はミサと名を変え、この村で受付嬢として静かに暮らしていた。そこへ、あの領主夫人が自分から喧嘩を売って、そして一方的に叩きのめされ、それが許せず暗殺者を送り込んだ」
フィリアは黙って耳を傾ける。
「その暗殺者を皆殺しにしたのがリリアだ。そのまま依頼主を吐かせ、暗殺ギルドを丸ごと殲滅。最後は依頼主だった夫人を殺すため、領主館まで襲撃した」
ガルドは深くため息を吐いた。
「……本当に、とんでもない女だ」
フィリアも苦笑するしかなかった。
「否定はできません」
勇者パーティー時代。
リリアは確かに勇者へ好意を抱いていた。
だが。
ここまでではなかった。
「あの頃も勇者様への想いは人一倍強い方でした。しかし、ここまで依存してはいませんでした」
フィリアは静かに窓の外を見る。
「勇者パーティー解散後なのでしょう。勇者様が突然姿を消され、生きているのかも分からないまま、何年も一人で探し続けた……その年月が、あそこまで彼女を変えてしまったのだと思います」
応接間に静寂が流れる。
ガルドは腕を組み。
ゆっくりと口を開いた。
「頼みがある」
「何でしょう」
「ミサとリリアのことは伏せてほしい」
フィリアは答えず。
静かにガルドを見つめる。
ガルドは続けた。
「ミサの身体は、もう限界だ。お前も診たから分かるだろ。あんな身体で、また勇者として戦わせたら……今度こそ死ぬ」
その言葉に。
フィリアはゆっくりと目を閉じた。
回復魔法を通して見た。
神代美咲の身体。
生命力を削られ。
内臓は損傷し。
本来なら生きていることすら不思議な状態だった。
もし。
再び王国や聖国が勇者を見つけたと知れば。
必ず戦場へ立たせようとする。
だが。
今の神代美咲には。
もうそんな力は残されていない。
長い沈黙の末。
フィリアは静かに頷いた。
「……分かりました。私は何も見ていません。勇者様は見つかりませんでした。リリアも、依然として消息不明です」
ガルドは安堵したように息を吐く。
窓の外では。
子供たちが笑いながら走り回り。
村人たちがいつも通りの生活を送っていた。
勇者が命を削ってまで守った。
当たり前の日常。
フィリアはその光景を静かに眺めながら、小さく微笑む。
「……今だけは、勇者ではなく、一人の受付嬢として生きさせてあげたいですね」
その言葉に。
ガルドは静かに頷いた。
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