第六話 昇級試験
「昇級試験?」
ある日の昼。
受付カウンターで書類整理をしていたレナは、聞き慣れない単語に首を傾げた。
ギルドマスター室から聞こえてきた話である。
「ああ」
ガルドが頷く。
「久しぶりに申請が来た」
「誰ですか?」
「トーマスだ」
レナは納得した。
トーマス。
二十五歳。
F級から地道に依頼をこなし続けている冒険者だ。
薬草採取。
スライム討伐。
ゴブリン退治。
グレーウルフ討伐。
堅実に実績を積み上げてきた男である。
「ああ、確かにそろそろですね」
「そうだ」
冒険者には階級がある。
最低ランクのF級。
そこから、
E級
D級
C級
B級
A級
そして最高位のS級。
上へ行くほど依頼の危険度も上がる。
当然、受けられる依頼も増える。
今回の昇級試験はD級への昇格だった。
「でも試験官どうするんです?」
レナが首を傾げる。
昇級試験には二つのサインが必要だ。
ギルドマスターの承認。
そして試験官の承認。
両方揃って初めて合格になる。
だが問題があった。
「いねぇ」
ガルドが即答した。
「えぇ……」
「そもそも昇級試験なんて数年に一回だ」
それもそうだ。
ラウルは田舎町。
冒険者の数も少ない。
昇級試験なんて滅多にない。
本来の試験官役もいるにはいる。
いるのだが。
「今年で八十だぞ」
「ですよねぇ……」
試験官役の老人はほぼ隠居状態だった。
現在は畑仕事の方が忙しい。
わざわざ呼び出すのも申し訳ない。
ガルドは腕を組む。
レナも考える。
そして。
二人の視線が同時に向いた。
「……」
「……」
美咲は嫌な予感しかしなかった。
「なんです?」
「試験官やれ」
「嫌です」
即答だった。
「却下」
「却下の却下です」
「却下の却下の却下だ」
「横暴です」
「諦めろ」
十分後。
美咲は訓練場へ向かっていた。
もちろん不機嫌だった。
非常に不機嫌だった。
◇
町外れの訓練場。
昇級試験の噂を聞きつけた冒険者たちが集まっていた。
昼間から酒を飲んでいた連中までいる。
「おいおい」
一人の冒険者が言った。
「試験官がミサちゃんか?」
「大丈夫なのか?」
「怪我するぞ?」
別の冒険者も言う。
「トーマス強いぞ?」
「最近グレーウルフ三匹まとめて倒したらしいぞ」
「負けたらどうするんだ?」
皆、本気で心配していた。
美咲は苦笑する。
「問題ありませんよ」
「本当か?」
「はい」
問題しかない気がした。
ただし逆方向に。
◇
訓練場中央。
トーマスが木剣を肩に担いでいた。
自信満々だった。
対する美咲。
手ぶら。
完全に手ぶら。
「武器は?」
誰かが聞く。
美咲は周囲を見回した。
そして。
美咲は地面に落ちていた木の枝を拾った。
ただの木の枝。
どこにでもある。
薪にもならないような代物だ。
観客席から笑い声が漏れる。
「おいおい」
「本当にそれでやるのか?」
「舐められたなトーマス」
誰も緊張していない。
当然だった。
だが。
美咲だけは違った。
木の枝を見つめる。
まるで長年の相棒を見るように。
そして。
小さく呟いた。
「今日から君は聖剣です」
全員が固まった。
「……は?」
トーマスが聞き返す。
美咲は真面目な顔だった。
「そう、命名します」
嫌な予感しかしなかった。
ガルドが顔を覆う。
もう手遅れだ。
「その名は―――」
美咲は木の枝を天へ掲げる。
同時に。
世界が震えた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
空気が軋む。
地面が震える。
訓練場全体へ圧力が広がる。
観客席の冒険者たちから悲鳴が上がった。
木の枝へ魔力が集まっていく。
ありえない量だった。
本来なら聖剣クラスの武器でなければ耐えられない。
だが。
美咲は構わない。
いつもこうだった。
勇者時代から。
無茶をするのはいつものことだった。
「―――聖剣…エクスカリバー」
その瞬間。
木の枝が黄金に染まる。
誰の目にも。
一瞬だけ。
伝説の聖剣に見えた。
トーマスの顔色が変わる。
本能が叫んでいた。
逃げろ、と。
だがもう遅い。
美咲はゆっくりと構える。
上段。
両手。
全力。
そして。
勇者だった頃と同じ笑みを浮かべた。
「では―――」
一歩踏み込む。
大地が砕ける。
魔力が咆哮する。
光が収束する。
訓練場の全員が息を呑む。
そして。
美咲は振り下ろした。
「エクス……カリバーァァァァァァァァァァッ!!」
轟音。
世界が白く染まる。
太陽が地上へ落ちたかのような閃光。
巨大な黄金の奔流が一直線に走る。
トーマスの横を通過。
そのまま森を貫き。
山肌を削り。
遥か彼方の雲を真っ二つに裂いた。
数秒遅れて衝撃波が襲う。
観客席の冒険者たちが吹き飛ばされる。
レナは地面にしがみつく。
ガルドは頭痛を覚えた。
静寂。
そして。
パキッ。
小さな音。
エクスカリバーと命名された木の枝が灰となって崩れ落ちる。
その役目を終えたのだ。
美咲は残骸を見ながら頷いた。
「短い付き合いでしたね」
訓練場には風の音だけが響いていた。
そして。
ドサリ。
トーマスがその場に倒れた。
綺麗な白目だった。
完全に失神している。
美咲は満足そうに頷く。
「よし」
「よしじゃねぇ!!」
冒険者たちの総ツッコミが炸裂した。
「なんだ今の!?」
「木の枝だろ!?」
「なんで山の向こうまで吹っ飛んでんだよ!?」
「受付嬢じゃないだろお前!!」
次々と飛んでくる怒号。
美咲は耳を塞いだ。
うるさい。
非常にうるさい。
「だから受付嬢ですって」
「嘘つけぇぇぇ!!」
全員一致だった。
レナも頷いている。
味方がいない。
すると。
今まで黙っていたガルドが大きなため息を吐いた。
「仕方ねぇな」
全員の視線が集まる。
ガルドは酒瓶を片手に言った。
「ミサは元A級冒険者だ」
その場が静まり返る。
レナが固まる。
トーマスを介抱していた冒険者も固まる。
「……は?」
誰かが呟いた。
A級。
それは王国全体でも数えるほどしかいない上位冒険者だ。
地方ギルドではまずお目にかかれない。
ラウルのような辺境ならなおさらである。
「A級?」
「マジで?」
「こんな田舎に?」
「なんで受付嬢やってんだ?」
次々に疑問が飛び出す。
美咲は視線を逸らした。
聞かれたくない質問だった。
ガルドもそこは説明しない。
「事情がある」
その一言で終わらせた。
冒険者たちも察したらしい。
深くは聞かなかった。
だが。
それでも納得できないことがある。
「あの技は何なんだ?」
「そうだ!」
「木の枝だったぞ!?」
「なんで聖剣みたいになった!?」
美咲は少し考えた。
隠しても仕方ない。
勇者だとバレるわけでもない。
だから説明することにした。
「あれは、まあ…魔術です」
「魔術?」
「正式名称は知りませんが、私は命名と呼んでいます」
聞き慣れない単語だった。
冒険者たちは首を傾げる。
「名前には意味があります」
美咲は続ける。
「伝承」
「歴史」
「概念」
「逸話」
「そういうものを一時的に再現する魔術です」
「つまり?」
レナが聞く。
美咲は答えた。
「木の枝に聖剣の名前を与えたんです」
全員が理解した。
そして理解したくなかった。
「待て」
「はい?」
「つまりあの木の枝」
「はい」
「エクスカリバーになったのか?」
「一時的には」
沈黙。
誰も言葉が出ない。
美咲は平然と続ける。
「正確には再現ですね」
「再現?」
「初代勇者が使ったとされる聖剣エクスカリバー」
冒険者たちがざわつく。
それは誰でも知っている伝説だった。
魔王を討った初代勇者。
その象徴。
伝説の聖剣。
「その名前を借りただけです」
「借りただけって……」
借りるの意味がおかしい。
誰もが思った。
ガルドは酒を飲みながら鼻で笑う。
「こいつの得意技だ」
「いやいやいや!」
「得意技で済ませるな!」
冒険者たちの悲鳴が響く。
レナも頭を抱えていた。
「ミサさん」
「なんです?」
「A級ってみんなこうなんですか?」
美咲は少し考える。
そして首を横に振った。
「私もよく知りません」
「なんでですか!?」
「他のA級と会ったことないので」
それも事実だった。
冒険者たちが呆れ果てる。
その中で。
ようやく目を覚ましたトーマスが呟いた。
「俺……合格ですか……?」
ガルドは頷いた。
「ああ」
「本当に?」
「お前、あれ見ても逃げなかっただろ」
「逃げられませんでした……」
「同じことだ」
それで合格になった。
理不尽だった。
だがラウルの冒険者たちは全員納得していた。
あれを正面で受けて立っていたのだ。
それだけで十分だった。
こうして。
数年ぶりの昇級試験は無事終了した。
ただし。
その日以降。
ラウルの冒険者たちの間では、
**『受付嬢を怒らせるな』**
という新たな共通認識が生まれたのだった。




