第五十八話 家出娘
領主館。
屋敷の一室では、一人の女性が苛立ちを隠そうともせず机を叩いていた。
領主夫人。
その怒りは、もはや頂点へ達しようとしていた。
「何故ですの……」
暗殺ギルドへ依頼を出してから、それなりの日数が経過している。
にもかかわらず。
何の報告も来ない。
成功したのか。
失敗したのか。
それすら分からない。
「あり得ませんわ」
夫人は唇を噛む。
暗殺ギルドは依頼を受ければ、成功であれ失敗であれ、必ず何らかの連絡を寄越す組織だった。
それが一切ない。
流石に異常だった。
痺れを切らした夫人は、自身が抱える私兵の一人へ命令を下す。
「あの女のいる村へ行き、状況を確認してまいりなさい」
「はっ」
数日後。
戻ってきた私兵の顔色は真っ青だった。
「申し上げます」
「どうでしたの?」
「暗殺者たちは確かに標的の排除へ向かっておりました」
「ほら、ご覧なさい」
そこまでは予想通りだった。
ミサ程度の相手なら、いずれ始末される。
そう思っていた。
しかし。
私兵は震える声で続ける。
「ですが……送り込まれた暗殺者は全員返り討ちに遭っております」
「それも予想通りですわ」
夫人は鼻で笑う。
ミサが並の相手ではないことくらい、決闘で嫌というほど思い知らされている。
暗殺者が数人返り討ちに遭う程度なら、想定の範囲内だった。
「問題はその後です」
「その後?」
「村では一晩中激しい戦闘があったそうです。標的の家は大きく損壊し、庭には多数の遺体が転がっていたと村人たちは証言しております。その遺体は冒険者ギルドが回収し、処理したそうですが……」
私兵は少し言葉を選ぶ。
「それ以降、新たな暗殺者が現れたという話は確認できませんでした」
夫人は眉をひそめる。
「追加の人員は?」
「確認できません」
「暗殺ギルドからの連絡も依然としてありません」
部屋が静まり返る。
夫人には理解できなかった。
暗殺者が返り討ちに遭う。
そこまでは想定していた。
しかし。
失敗なら失敗。
継続なら継続。
どちらにしても連絡くらい寄越すはずだった。
「一体……何をしていますの」
苛立ちはさらに募るばかりだった。
その時だった。
勢いよく扉が開かれる。
「お母様!!」
飛び込んできたのは、一人娘。
エリナだった。
その表情には怒りが浮かんでいる。
「どういうことですか!!」
「何のことですの?」
「ミサさんへ暗殺者を送り込んだそうですね!!」
夫人は僅かに目を細める。
「誰から聞きましたの?」
「そんなことはどうでもいいです!!」
エリナは机を叩く。
「何故そんなことをしたんですか!!」
「平民風情が私に恥をかかせたのです。当然の報いでしょう」
「当然じゃありません!!」
エリナも怒鳴り返す。
「ミサさんは私の依頼を受けてくださっただけです!!」
「あなたが騙されているだけですわ」
「違います!!」
言い争いは激しさを増していく。
やがて。
夫人が杖を振った。
「少し頭を冷やしなさい!!」
火球が放たれる。
エリナも反射的に魔法を展開する。
轟音。
二つの魔法が正面から衝突し、大爆発を巻き起こした。
窓ガラスが砕け。
壁が吹き飛ぶ。
続けざまに。
雷。
風。
炎。
氷。
親子喧嘩とは思えないほど激しい魔法戦が繰り広げられ、ついには屋敷の一角が派手に吹き飛んでしまった。
駆け付けた使用人たちは悲鳴を上げ。
領主は頭を抱えるしかなかった。
◇◇◇
その翌日。
冒険者ギルド。
ミサが借りている部屋の扉が叩かれる。
「はい?」
扉を開けたミサは固まった。
そこには。
大きな旅行鞄を抱えたエリナが立っていた。
着替え。
日用品。
最低限の荷物だけを持った姿だった。
「……エリナ様?」
エリナはにこりと笑う。
「家出してきました」
「……はい?」
「しばらくここへ住ませてください」
あまりにも自然な一言だった。
ミサは数秒固まったまま動かない。
「…………」
「…………」
「え?」
それが、ようやく出た言葉だった。
ミサはエリナを部屋へ招き入れた。
現在。
ミサは冒険者ギルド二階の一室を借りて生活している。
自宅は二階部分を取り壊し、建て直し工事の真っ最中。
そのため、完成するまではギルド暮らしだった。
部屋へ入ったエリナは荷物を置く。
ミサは困ったように頭を掻いた。
「……まずは事情を聞かせていただけますか?」
「もちろんです」
エリナは素直に頷いた。
部屋へ用意されていた椅子へ腰掛ける。
ミサも向かいへ座った。
病み上がりとはいえ、今は仕事中である。
もっとも。
今のミサは以前とは違った。
連続して起きた事件。
無理な魔力操作。
身体への負担。
その全てが積み重なり、現在は病弱モードと言っていい状態だった。
ガルドの判断で勤務時間は通常の半分。
半日だけ受付へ立ち、残りは休養。
それが今のミサの日課になっていた。
「それで……家出とは?」
ミサが尋ねる。
エリナは少し申し訳なさそうな顔をした。
「原因は、お母様です」
「やはり……」
ミサは何となく察していた。
「ミサさんへ暗殺者を送り込んだことを知りまして、問い詰めた結果……」
エリナは遠い目をする。
「大喧嘩になりました」
「でしょうねぇ……」
ミサは苦笑した。
「あの後、お母様が魔法を撃ってきまして」
「はい」
「私も反射的に撃ち返しました」
「はい」
「屋敷の一部が吹き飛びました」
「……はい?」
ミサは思わず聞き返す。
「壁がなくなりました」
「…………」
「お父様が頭を抱えていました」
「でしょうねぇ……」
容易に想像できた。
領主館を親子喧嘩で半壊。
笑えない。
「それで……」
エリナは真っ直ぐミサを見る。
「家を出ました」
「しばらく帰るつもりはありません」
その声には迷いがなかった。
勢いだけで飛び出した訳ではない。
自分の意思で家を出た。
その覚悟だけは伝わってきた。
ミサは困ったように笑う。
「領主様は何と?」
「『好きにしなさい』と」
「止めなかったんですか?」
「止めようとはしてくださいました」
エリナは苦笑する。
「ですが、お母様を止めるだけで精一杯だったそうです」
「なるほど……」
ミサは額へ手を当てた。
問題が一つ増えた。
いや。
家出娘を保護すること自体は構わない。
だが。
相手は領主令嬢である。
色々と胃が痛い。
そんな二人の会話を。
部屋の片隅で聞いている者がいた。
いや。
正確には。
ベッドの下
暗がりの中。
一対の赤い瞳が、ギラリ、と光る。
その視線は、旅行鞄、エリナ、そして……ミサへと向けられていた。
少し前、誰にも気付かれることなく戻ってきたシスター。
リリア・エル・セラフィナ。
彼女はベッドの下へ潜り込み、じっと様子を窺っていた。
(……増えました)
心の中で静かに呟く。
(同居人のお部屋に、女性が一人増えました)
リリアの瞳が細くなる。
ギラリ。
もう一度、鋭く光った。
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