第五十四話 耐性
リリアが聖王国サンクトゥス・セレスティアへ戻ってから数日が過ぎた。
その間も村は変わらぬ平和な日々を送っており、冒険者ギルドもいつも通り賑わっていた。朝から依頼を受ける冒険者、討伐報告を持ち込む冒険者、酒場で騒ぐ者たち。その全てを、受付に立つミサが淡々と、そして正確に捌いていく。
「次の方どうぞ」
「討伐報告ですね。確認いたします」
「はい、報酬はこちらになります。本日もお疲れ様でした」
半月も休んでいたとは思えないほど仕事は早く、山積みだった書類も次々と片付いていく。その姿を見ていた冒険者たちは、改めてミサの優秀さを実感していた。
しかし、その途中だった。
「……ゴホッ」
突然、ミサが口元を押さえて咳き込む。
手を離すと、その掌には赤い血が滲んでいた。
「ミサさん!」
近くにいた冒険者が慌てて駆け寄る。
「血を吐いてるじゃねぇか!」
「大丈夫です。少し無理をしただけですから」
そう言って笑顔を作るものの、その顔色は決して良いとは言えない。
冒険者は慌てて腰のポーチから一本の回復ポーションを取り出した。
「ほら! これを飲め! すぐ治る!」
ミサは差し出された瓶を見つめ、小さく微笑む。
「ありがとうございます。お気持ちだけ受け取っておきます」
「いやいや、遠慮してる場合じゃねぇだろ!」
「いえ……飲んでも効かないんです」
その一言に周囲の冒険者たちが首を傾げる。
「効かない?」
「回復ポーションが?」
そこへ奥の部屋からガルドが姿を現した。
「本当だ」
腕を組みながら受付へ歩いて来る。
「ミサだけじゃねぇ。上位冒険者のほとんどがそうなる」
「どういうことです?」
若い冒険者が尋ねる。
ガルドは一本の回復ポーションを手に取り、静かに語り始めた。
「回復ポーションは便利だ。怪我をすれば飲む。骨が折れれば飲む。命が危なくなれば飲む。そうやって何年も飲み続ければ、身体は薬に慣れる」
誰も口を挟まない。
「薬にも耐性ってもんがある。飲めば飲むほど効き目は落ちる。そして最後には、身体が受け付けなくなる」
ギルド内がどよめく。
「そんなことが……」
「だから高ランク冒険者になる頃には、回復ポーションじゃ怪我は治らねぇ。治療できるのは神官や僧侶の回復魔法だけだ」
全員の視線がミサへ向く。
ミサは苦笑しながら頷いた。
「私も、もう回復ポーションはほとんど効きません。それも冒険者を引退した理由の一つです」
「怪我をしても薬では治らない。自己回復に頼るしかなくなり、身体への負担がどんどん蓄積していきました」
そう言い終えた直後。
「……ゴホッ」
再び咳き込み、僅かに血を吐く。
自己加速によって損傷した内臓は、未だ完全には治っていない。
それでも受付へ立ち続けるミサの姿に、冒険者たちは言葉を失っていた。
一人の若い冒険者が恐る恐る尋ねる。
「じゃあ、回復魔法を受ければ治るんですよね?」
その問いに答えたのはガルドだった。
「治療だけを考えるならな。本格的に治すなら、聖王国サンクトゥス・セレスティアへ行くしかねぇ」
「聖国ですか?」
「ああ。世界最高峰の神官や聖女が揃ってる。ミサの内臓を治せるとしたら、あそこくらいだろう」
再び視線がミサへ集まる。
だが、ミサは静かに首を横へ振った。
「私は行きません」
迷いのない返答だった。
「どうしてです?」
「……あまり、良い思い出がありませんので」
その笑みは、どこか寂しさを含んでいた。
ガルドは事情を知っているため、それ以上は何も言わない。
ミサは窓の外へ視線を向け、小さく続けた。
「それに、あそこへ行けば私の身分が知られてしまう可能性があります」
その言葉の意味を理解できたのは、この場ではガルドだけだった。
異世界より召喚された勇者。
神代美咲。
聖王国サンクトゥス・セレスティアが今なお捜し続けている存在。
もし正体が知られれば、今の穏やかな生活は終わりを告げるだろう。
だからこそ、ミサは多少身体を壊そうとも、この村を離れるつもりはなかった。
ガルドは冒険者たちを見渡し、最後に静かに口を開く。
「お前らも覚えとけ。回復ポーションは万能じゃねぇ。便利だからって頼り過ぎるな」
その言葉には長年最前線を生き抜いてきた者だけが持つ重みがあった。
「最後にお前らの命を守るのは、薬じゃねぇ。自分自身の身体だ」
その忠告は、ギルドに集う若い冒険者たちの胸へ深く刻み込まれていた。
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