第五十三話 帰還
ミサの村を出たリリアは、一切足を止めることなく聖王国サンクトゥス・セレスティアへ向かっていた。
街道を駆け抜け。
森を駆け抜け。
山を越え。
常人なら数日を要する距離を、僅かな時間で踏破していく。
やがて巨大な白亜の城壁が視界へ映る。
聖王国サンクトゥス・セレスティア
世界最大の宗教国家。
女神への信仰を絶対とし、教会が国政を司る神聖国家。
その中心に建つ大聖堂へ、リリアは何事もないような足取りで入っていった。
「リ、リリア様!?」
「帰って来られた!」
「本当にご無事だったのですね!」
勇者を捜しに行くと言い残したまま消息を絶ち、誰一人として居場所を把握できなかったリリア・エル・セラフィナが、突然帰還したのだ。
しかし、その姿を見たシスターたちは別の意味で言葉を失った。
純白だったシスター服は所々が裂け、乾いた血痕が無数に残っている。
そこまではまだいい。
問題は、その首元と両手両足だった。
奴隷の首輪。
さらに教会でも重犯罪者の拘束にしか使われない魔封じの枷。
誰もが目を疑う。
(……え?)
(誰が……?)
(リリア様に奴隷の首輪を?)
(しかも魔封じの枷まで……?)
(誰ですか……リリア様を拘束できる化け物は……)
教会最強の切り札。
悪魔殺しの最高傑作。
そのリリアを拘束できる人物など、この世界に存在するとは思えなかった。
当の本人は、そんな視線など気にも留めない。
「リリア様、その制服もですが……すぐにお着替えください。そのままではセレスティア様にお会いできません」
「承知しました」
首輪や枷について何一つ説明することなく、リリアは当然のように更衣室へ向かう。
その背中を見送りながら、シスターたちは心の中だけで同じ言葉を繰り返していた。
(……問題しかありません)
◇◇◇
真新しい純白のシスター服へ袖を通し、身支度を整えたリリアは、そのまま大聖堂最奥へ足を運ぶ。
重厚な扉がゆっくりと開かれる。
礼拝堂最奥。
白き玉座へ腰掛ける一人の女性。
聖王国サンクトゥス・セレスティアを統べる聖女。
セレスティア・ルクス・セラフィナ。
「戻りましたか、リリア」
「はい、セレスティア様」
リリアは跪き、深く頭を垂れる。
セレスティアは穏やかな微笑みを浮かべながらも、その瞳は真っ直ぐリリアを見据えていた。
彼女には神より授かった加護がある。
相手の言葉に偽りがあるかどうかを見抜く力。
だからこそ、最初に問うことは決まっていた。
「では、聞きます。勇者様は見つかりましたか?」
リリアは一瞬だけ沈黙し、ゆっくりと口を開く。
「……カミシロ・ミサキ様には、まだお会いできておりません」
外国人が日本人の名前を読むような、どこか不自然な発音。
セレスティアは静かに目を閉じ、加護を働かせる。
偽りは――ない。
リリアが毎日共に暮らしているのは、冒険者ギルド受付嬢のミサ。
異世界より召喚された勇者・神代美咲としては、まだ再会していない。
その認識に一切の偽りはなく、加護は沈黙を保った。
「……そうですか」
セレスティアは静かに頷く。
「引き続き、勇者様の捜索をお願いします」
「承知いたしました」
勇者についての話が一段落すると、セレスティアは小さく咳払いをした。
「……リリア」
「はい、セレスティア様」
「先程から気になっていたのですが……」
流石に見過ごすことはできなかった。
その首元。
奴隷の首輪。
そして両手両足へ嵌められた魔封じの枷。
「その首輪と枷は……一体、どなたが?」
流石のセレスティアも、僅かに恐る恐る尋ねる。
リリアは何の迷いもなく答えた。
「同居人です」
礼拝堂が静まり返る。
セレスティアは静かに加護を働かせる。
――真。
嘘ではない。
(同居人……?リリアを拘束できるほどの人物と同居しているのですか……?)
その事実に、セレスティアの胸中へ新たな疑問が生まれる。
だが、加護は確かに告げていた。
リリアは一切嘘をついていない。
「……そうですか」
結局、それ以上追及することはできなかった。
リリアはいつも通り穏やかな笑みを浮かべたまま静かに立っている。
セレスティアは表情を崩さなかった。
しかし、その胸中には一つの疑問が浮かんでいた。
(同居人……リリアを拘束できるほどの人物。しかも、この子はその人物を一切敵視していない)
加護は偽りなしと告げている。
つまり、リリアは自らの意思でその拘束具を身に着けている。
そこまで考えた時、一つの仮説が脳裏をよぎった。
(……まさか、その同居人が勇者様だったりして)
だが、その瞬間。
セレスティアは自らその考えを打ち消した。
(いいえ、それでは最初の問いに対するリリアの返答が嘘になってしまいます)
『カミシロ・ミサキ様には、まだお会いできておりません』
加護は確かに、その言葉を真実だと示した。
ならば、同居人と勇者は別人。
そう結論付けるしかない。
(……考え過ぎでしたね)
セレスティアは静かに思考を切り替え、それ以上その可能性を追うことはなかった。
改めてセレスティアはリリアを見つめる。
「それで、今回帰還した理由は何ですか?」
「お願いがございます」
「話してみなさい」
リリアは迷いなく答えた。
「シスターズを、お貸しいただきたいのです」
その言葉に礼拝堂の空気が僅かに変わる。
シスターズ。
最強の人体兵器計画で生み出された強化人間たち。
リリアの完成により日の目を見ることなく、教会直属の秘密部隊として運用され続けている者たちだった。
セレスティアは静かに問い掛ける。
「目的を聞いても?」
「害虫駆除を」
短い返答だった。
「害虫……ですか?」
「はい」
「どのような害虫なのです?」
リリアは柔らかな笑みを浮かべる。
「同居人へ害をなそうとする、不届き者でございます」
礼拝堂は静寂に包まれる。
その笑顔は慈愛に満ちていた。
だからこそ、そこに込められた狂気を知る者たちは、誰一人として口を開けなかった。
セレスティアはしばらくリリアを見つめ、小さく息を吐く。
「分かりました。シスターズの指揮権を、一時的にあなたへ委譲します」
「ありがとうございます」
「ただし、教会の名を汚すような行動は慎みなさい」
「ご安心ください」
リリアは深々と一礼し、穏やかに微笑んだ。
「少々、害虫を駆除するだけですので」
その笑顔を見た瞬間。
セレスティア・ルクス・セラフィナでさえ、胸の奥に小さな胸騒ぎを覚えていた。
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