第四十八話 愚かな決断
決闘が終わり、訓練場に集まっていた冒険者たちも少しずつ持ち場へ戻っていく中、ミサはいつもと変わらない表情でギルドの中へ戻っていった。誰もが平然としているように見えたその背中だったが、その歩みは僅かに重く、本人だけがその異変を理解していた。
(……思った以上に身体へ来ていますね)
剣を使わず、人差し指だけへ極限まで薄く魔力を展開する。
たったそれだけ。
激しく動いた訳でもなければ、大魔法を使った訳でもない。
それでも、今のミサの身体にはその魔力制御だけで十分過ぎるほどの負担となっていた。
誰にも見られないよう、そのまま廊下の奥にある個室へ入り、静かに鍵を掛ける。
そして。
「……っ!」
ゴホッ――!
ゴボッ!!
ミサは便器へ手を付き、大量の血を吐き出した。
真っ赤な鮮血が便器を染め上げ、吐血は一度では終わらない。
ゴホッ!
ゴホッ!
何度も咳き込み、その度に血が零れ落ちる。
息を整えようにも肺が痛み、内臓が焼けるような鈍痛を訴えてくる。
《Self Acceleration》で損傷した内臓は自己回復によって日常生活を送れる程度まで戻っていた。しかし、それはあくまで生活ができるというだけであり、本来の全力戦闘に耐えられる状態ではなかった。
そんな身体で、極限の魔力制御を長時間維持した。
その反動は、想像以上だった。
「……まだ、無理は禁物でしたか」
口元の血をハンカチで拭いながら苦笑する。
幸い、自己回復は今も働いている。
時間さえ掛ければ治る。
だが、それは決して無理をしていい理由にはならなかった。
一方その頃。
領主家の馬車は静かに屋敷へ向かって街道を進んでいた。
車内を支配しているのは重苦しい沈黙だった。
領主は何度も口を開こうとするが、その度に夫人の機嫌を見て閉じてしまう。
夫人は窓の外を眺めたまま、一言も発しない。
その拳だけが、白くなるほど強く握られていた。
屈辱だった。
平民。
それも一介の冒険者ギルド受付嬢。
そんな少女へ自ら決闘を挑み、大勢の冒険者が見守る前で何もできず、一方的に敗北した。
魔法は全て切られた。
防御魔法すら切られた。
最後には降参を宣言するしかなかった。
アカデミー時代から積み上げてきた誇り。
天才と称えられ続けた自尊心。
その全てが、あの日あの場所で粉々に砕かれた。
「……許せませんわ」
小さく漏れた呟きに、領主が肩を震わせる。
「も、もう終わったことじゃないか」
「終わってなどおりません」
「君にも非はあっただろう?」
「ありません」
即答だった。
「平民風情が貴族へ逆らった。それだけです」
「いや、それは……」
「黙っていてください」
領主はそれ以上何も言えなくなる。
夫人の瞳からは、既に冷静さは失われていた。
残っているのは敗北による屈辱と、ミサへの憎悪だけ。
そして。
その憎悪は、決して選んではならない答えへ辿り着いてしまう。
「……消してやる」
夫人は静かに呟く。
「え?」
「わたくしの前から、永遠に」
領主の表情が凍り付く。
まさか。
そう思った時には、夫人は既に決意を固めていた。
「馬鹿なことはやめろ!」
領主は思わず叫ぶ。
しかし夫人はその声すら聞こえていないかのように窓の外を見つめ続け、その瞳には狂気にも似た執念だけが宿っていた。
その選択が、どれほど愚かなものなのか。
今の彼女には、もう誰の言葉も届かなかった。
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