第四十五話 領主夫人の来訪
大きな事件もなく、平穏な日々が続いていた。
冒険者ギルドもいつも通り依頼を受ける冒険者たちで賑わい、ミサも受付で慣れた手付きで仕事をこなしている。
依頼書を受け取り、内容を確認し、報酬を支払い、素材を買い取る。
半月ぶりに復帰したとは思えないほど手際は良く、受付前にできていた列も次々と消えていった。
そんな時だった。
バンッ!!
勢いよくギルドの扉が開かれる。
「ミサさん!」
飛び込んできたのは、この領地を治める領主だった。
額には大粒の汗が浮かび、何度も後ろを振り返っている。
その様子にミサは首を傾げた。
「どうされましたか? 何か事件ですか?」
「い、いや……事件と言えば事件なんだが……」
歯切れの悪い返事だった。
何かを言おうとしているものの、落ち着きなく入口ばかりを気にしている。
その理由は、すぐに分かった。
コツ……コツ……コツ……
静かな足音がギルド内へ響く。
豪華なドレスを身に纏った一人の女性が、ゆっくりと中へ入ってきた。
年齢は領主と同じくらい。
上品な立ち振る舞いと鋭い眼差しだけで、只者ではないことが分かる。
その姿を見た瞬間。
「ひっ……」
領主が小さく悲鳴を上げた。
普段の堂々とした姿はどこへやら。
まるで天敵を見つけた小動物のように身体を縮こませている。
(……これは、力関係が分かりやすいですね)
ミサは内心でそう呟いた。
女性は真っ直ぐ受付まで歩いてくると、ミサの前で立ち止まり、頭の先から足元までゆっくりと見つめる。
「あなたがミサですわね」
「はあ……確かに、わたくしがミサですが?」
女性は小さく頷いた。
「なるほど。随分と若いのですね」
穏やかな微笑み。
しかし、その目は少しも笑っていなかった。
ギルド内の空気が一気に張り詰める。
女性はゆっくりと一礼する。
「申し遅れました。わたくし、この領地の領主夫人でございます」
その言葉を聞いた瞬間、ミサは隣で青ざめる領主を見る。
(なるほど……入り婿ですか)
夫人の立ち振る舞い。
領主の怯え方。
それだけで、この家の実権が誰にあるのか理解できた。
夫人は穏やかな笑みを浮かべたまま話を続ける。
「今日は少々、お聞きしたいことがありまして」
「何でしょう?」
「最近、主人が家の資金を随分と使い込んでいたことが分かりましたの。帳簿を確認しましたところ、見覚えのない支出がいくつも見つかりまして」
領主は視線を泳がせる。
夫人はさらに続ける。
「しかも、そのお金の使い道を問いただしても『必要経費だ』の一点張り。その上、娘まであなたに随分と懐いてしまったそうですわ」
夫人は優雅に微笑みながらも、その視線だけは鋭かった。
「平民風情が我が家の資金を使い、さらには娘までたぶらかしたと聞きましたので、一度お会いしたいと思いまして」
ギルド内が静まり返る。
冒険者たちも依頼書を持ったまま、固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
一方のミサは、静かに領主へ視線を向ける。
領主は露骨に目を逸らした。
(証拠隠滅に失敗しましたね)
カジノの一件で用意してもらったドレス、装飾品、馬車。
それらの支出を帳簿から消し切れなかったのだろう。
夫人は柔らかな笑みを崩さない。
「さて、ミサさん。主人から詳しい事情を聞けませんでしたので、今度はあなたから事情を伺いたいのですが、よろしいでしょうか?」
その笑顔の裏にある圧力に、ギルド内の誰もが息を呑むのだった。




