第四十三話 日常への帰還
リリアとの戦いから半月。
ようやくミサはベッド生活から解放されていた。
自己加速術式『Self Acceleration』によって損傷した内臓も、半月に及ぶ静養と自己回復能力によって、普段通りに身体を動かせるまで回復していた。
「……よし」
ミサはゆっくりと拳を握り、身体の調子を確かめる。
痛みはない。
違和感もない。
身体強化を軽く使ってみても問題はなく、戦闘時の感覚も戻っていた。
「これなら大丈夫ですね」
久しぶりに冒険者ギルドの制服へ袖を通し、鏡の前で身だしなみを整える。
その姿を見ていたリリアは、みるみる表情を曇らせた。
「勇者様……」
「はい?」
「どちらへ?」
「仕事ですよ」
その一言だった。
「嫌です」
リリアは即答すると、勢いよくミサへ飛び付き、そのまま腰へぎゅっと抱き付いた。
「行かないでください」
「勇者様はまだ安静にするべきです」
「半月寝込んでいたんですよ!」
「もう治っていますから」
「駄目です!」
リリアは首を何度も横へ振る。
抱き付く力もどんどん強くなり、まるで主人を外へ行かせまいとする猫のようだった。
「勇者様はここにいてください」
「私がお世話します」
「ご飯も作ります」
「掃除も洗濯も全部します」
「だから……行かないでください」
その声は寂しさに満ちていた。
ミサは困ったように苦笑する。
「仕事をしないと生活できませんよ」
「私が働きます!」
「リリアは外出禁止です」
「うっ……」
一瞬言葉に詰まる。
しかし、それでも諦めない。
「でしたら勇者様も外へ出ないでください!」
「それはもっと駄目です」
「嫌です!」
「勇者様ぁ……」
今度は両腕だけでは足りず、脚まで絡め始める。
完全にしがみ付き、絶対に離すまいとしていた。
「……リリア」
「嫌です」
「リリア」
「絶対嫌です!」
「勇者様は私が守ります!」
「だから外は危険です!」
ミサは小さくため息をついた。
「分かりました」
「本当ですか!」
ぱっと表情が明るくなるリリア。
その瞬間。
ミサは身体を半歩沈める。
「失礼します」
ひょい。
「えっ?」
リリアをそのままお姫様抱っこで持ち上げた。
「ゆ、勇者様!?」
突然視界が高くなり、リリアは目を白黒させる。
ミサはそのままベッドまで歩くと、そっとリリアを座らせた。
「少しだけ留守番をお願いします」
「で、でも……」
「帰ってきたら、一緒に夕飯を食べましょう」
その一言で、リリアの動きが止まる。
「…………はい」
しょんぼりと肩を落とすリリアの頭を優しく撫でる。
「行ってきます」
「……いってらっしゃいませ、勇者様」
最後まで名残惜しそうにミサを見送るリリア。
扉が閉まる瞬間まで、その視線はミサから離れなかった。
◇ ◇ ◇
「ミサさんだ!」
「帰ってきた!」
ギルドへ入った瞬間、冒険者たちから歓声が上がる。
「もう身体は大丈夫なのか?」
「はい。ご心配をお掛けしました」
笑顔で答えながら受付へ向かう。
すると、受付ではもう一人の受付嬢が書類の山と格闘していた。
目の下には濃い隈。
髪も少し乱れている。
「お、おはよう……ミサちゃん……」
「おはようございます……って、大丈夫ですか?」
「……もう……無理……」
そう言った瞬間。
受付嬢は机へ突っ伏した。
「限界です……」
半月もの間、一人で受付業務を回していたのだ。
疲れ切って当然だった。
「今日は私がやりますので、帰って休んでください」
「え……でも……」
「倒れてからでは遅いです」
受付嬢はガルドを見る。
ガルドも苦笑しながら頷いた。
「帰れ。今日はミサがいる」
その一言で受付嬢はほっと肩の力を抜いた。
「ありがとうございます……」
ふらふらと奥へ歩いて行き、そのまま早退した。
ミサはすぐに受付へ座る。
「それでは、お待たせしました」
依頼受付。
報酬の支払い。
素材の買い取り。
書類整理。
ランク更新。
次々と押し寄せる仕事を迷いなく処理していく。
「次の方どうぞ」
「依頼達成ですね」
「こちらが報酬になります」
「この素材でしたら銀貨三枚ですね」
流れるような手際で、長蛇の列はあっという間に短くなっていく。
「やっぱミサさんがいると違うな」
「仕事が早すぎる」
「安心感が段違いだ」
冒険者たちも感心したように頷く。
ガルドも腕を組みながら笑った。
「だから言っただろ。あいつがいねぇと回らねぇって」
やがて夕方。
最後の書類を片付けたミサは時計を見る。
ちょうど定時だった。
「では、お先に失礼します」
「おう。また明日な」
ガルドに見送られ、ミサは帰路につく。
◇ ◇ ◇
「ただいま帰りました」
玄関の扉を開けると、家の奥から軽やかな足音が響く。
「勇者様、お帰りなさいませ!」
エプロン姿のリリアが嬉しそうな笑顔で駆け寄ってきた。
家の中には食欲をそそる香りが漂っている。
「夕食の準備ができています」
「今日は勇者様の快気祝いです」
テーブルには湯気の立つスープ。
焼き立てのパン。
肉料理に彩り豊かなサラダ。
思わずミサは目を丸くした。
「全部、リリアが作ったんですか?」
「はい!」
胸を張って答えるリリア。
「勇者様に喜んでいただきたくて、一生懸命作りました」
戦場では狂気じみた執着を見せる少女。
だが今は、まるで新婚の妻のように、愛する人の帰りを待ちながら夕食を用意していた。
「冷める前に召し上がってください」
そう微笑むリリアを見て、ミサは思わず苦笑するのだった。




