第四話 王都への憧れ
昼下がりの冒険者ギルド『銀麦亭』。
受付カウンターで書類整理をしていた美咲は、隣から聞こえてきたため息に顔を上げた。
声の主は同僚受付嬢のレナだった。
ラウル生まれラウル育ちの少女で、王都への憧れが強い。
「はぁ……」
「どうしたんです?」
「王都っていいですよねぇ……」
その瞬間だった。
美咲の顔が露骨に曇る。
ものすごく嫌そうな顔だった。
レナが固まる。
「えっ」
「……」
「ミサさん?」
「……」
「今、凄く嫌そうな顔しませんでした?」
「しました」
即答だった。
レナが傷付いた顔になる。
「ひどい!?」
「ごめんなさい」
「謝るならそんな顔しないでください!」
正論だった。
だが反射だった。
王都という単語を聞くと、どうしても反応してしまう。
「そんなに嫌なんですか?」
「嫌ですね」
「即答でしたね……」
レナが少し引いていた。
美咲は書類を机に置く。
「別に憧れるのは自由ですよ?」
「ですよね!」
「ただ」
レナが首を傾げる。
「長居はしない方がいいと思います」
「え?」
「観光なら楽しいですよ」
「はい」
「でも住むのはおすすめしません」
「なんでですか?」
レナは本気で不思議そうだった。
田舎育ちの彼女にとって、王都は夢の場所なのだろう。
王国最大の都市。
流行の最先端。
豪華な店。
劇場。
大市場。
成功者が集まる場所。
だが。
美咲は静かに言った。
「王都を一言で表すならね」
「はい」
少し考えてから口を開く。
「弱者ホイホイかな」
レナが固まった。
「……え?」
予想外だったらしい。
奥で酒を飲んでいたガルドは妙に納得した顔をしていた。
「どういう意味ですか?」
美咲は窓の外を見る。
平和なラウルの町並み。
子供たちが走り回り、農夫が荷車を引いている。
美咲が好きになった景色だった。
「王都へ行く人ってね」
「はい」
「大体は夢を見て行くの」
レナが頷く。
自分もその一人だからだ。
「冒険者なら名声」
「はい」
「商人なら成功」
「はい」
「職人なら出世」
「はい」
「若い子なら憧れ」
「……はい」
全部王都が与えてくれる夢だった。
そして。
「でもね」
美咲の声が少し低くなる。
「王都には、そういう人を狙う連中も集まる」
レナの表情が曇った。
「狙う?」
「貴族」
一本指を立てる。
「悪徳商人」
二本目。
「闇商人」
三本目。
「犯罪組織」
四本目。
「人身売買組織」
五本目。
レナの顔が青くなった。
「そ、そんなのいるんですか……?」
「いるよ」
美咲は即答した。
「しかも珍しくない」
部屋が静かになる。
「王都に行ったばかりの田舎者なんて最高の獲物」
「……」
「知識がない」
「……」
「頼れる相手もいない」
「……」
「警戒心も薄い」
「……」
「夢だけはある」
レナは何も言えなかった。
美咲は続ける。
「FランクやEランクの冒険者が名声を求めて王都へ行く」
「はい」
「でも名前が売れる前に消える」
「……」
「商人も同じ」
「……」
「職人も同じ」
レナの顔色はすっかり悪くなっていた。
「それが王都の闇」
静かな声だった。
しばらくして。
レナがおそるおそる聞く。
「ミサさん……」
「ん?」
「なんでそんなこと知ってるんです?」
しまった。
少し話しすぎた。
美咲は頭を掻く。
そして答える。
「昔ね」
「はい」
「とある街で」
少しだけ目を細める。
「そういう連中の摘発に参加したことがあるの」
嘘ではない。
勇者時代。
人身売買組織や闇商人の壊滅作戦に何度も参加した。
だが今は語らない。
「それ以上は秘密」
レナは完全に固まった。
「王都って怖い……」
「だから言ったでしょ」
美咲は苦笑する。
「観光ならいいの」
「はい」
「でも住むなら気を付けなさい」
「はい……」
「特に若い女の子は」
レナは何度も頷いた。
すると。
今まで黙っていたガルドが口を開いた。
「ミサ」
「なんです?」
「お前、随分詳しいな」
美咲の動きが止まる。
レナも気付いた。
「あれ?」
嫌な予感がした。
「そういえば」
レナが首を傾げる。
「普通そこまで詳しくないですよね?」
「……」
「王都に住んでたことあるんですか?」
美咲は視線を逸らした。
まずい。
非常にまずい。
「少しだけですよ」
「少し?」
「少しです」
「どれくらい?」
「少しです」
「具体的に」
「少しです」
レナがじっと見てくる。
ガルドは肩を震わせていた。
笑いを堪えている。
「ミサさん」
「なんでしょう」
「絶対少しじゃないですよね?」
沈黙。
数秒後。
美咲は観念した。
「まあ、それなりには」
「やっぱり!」
レナが叫ぶ。
「だから詳しかったんですね!」
「そういうことにしておいてください」
事実だから問題ない。
勇者として。
王都で。
嫌というほど暮らした。
二度と戻りたくないくらいには。
レナは少し考える。
そして言った。
「でも王都って、そんなに危ないならなんで人が集まるんでしょう?」
美咲は少しだけ笑った。
「夢があるから」
「夢?」
「成功する人もいるから」
それも事実だった。
全員が不幸になるわけではない。
成功する者もいる。
大金を稼ぐ者もいる。
英雄になる者もいる。
だから人は集まる。
「ただね」
美咲は真面目な顔になる。
「夢を見るのは自由」
「はい」
「でも夢を見るなら、騙されない知識も必要」
「……はい」
「それだけ覚えておけば大丈夫」
レナは静かに頷いた。
その日の仕事が終わり。
レナも帰った後。
ギルドの受付で一人書類整理を続けながら、美咲は窓の外を眺めていた。
夕暮れのラウルは平和だった。
子供たちの笑い声。
家路につく農夫たち。
酒場へ向かう冒険者たち。
そんな光景を見ていると落ち着く。
だが。
王都の話をすると、どうしても思い出してしまう。
忘れたい記憶だった。
勇者時代。
ある領地で行われた大規模な摘発作戦。
表向きは孤児保護や職業斡旋を行う善良な貴族だった。
だが実態は違った。
王都に憧れた若者。
名声を求めた冒険者。
成功を夢見た商人。
そうした人間を甘い言葉で誘い込み、姿を消させていた。
調査の末に見つかったのは、とある貴族の離れ小屋だった。
あの光景だけは。
今でも忘れられない。
地下へ続く階段。
重い鉄扉。
その先にあった部屋。
助けに入った兵士たちですら顔色を失った。
一緒に参加していた冒険者の中には、その場で吐いた者もいた。
歴戦の戦士たちでさえ言葉を失った。
何十人もの犠牲者。
そこで何が行われていたのか。
誰も詳しく語ろうとしなかった。
いや。
語れなかったのだ。
戦場の死体には慣れていた。
魔王軍との戦争では、それこそ山のように見てきた。
だが。
あれは違う。
戦争ではない。
人間が自分の欲望のために人間を壊していた。
その事実が何よりも恐ろしかった。
美咲は小さく息を吐く。
「……だから嫌なんだよなぁ」
誰にも聞こえない声だった。
王都には夢がある。
成功もある。
栄光もある。
だが同時に。
そうした夢を餌にする連中もいる。
だからこそ。
レナには気を付けてほしかった。
無邪気な憧れだけを抱いて飛び込んでほしくなかった。
窓の外では子供たちが笑っている。
その光景を見ていると少しだけ心が落ち着いた。
「ラウルくらいが丁度いいよ」
そう呟いて。
美咲は残っていた書類仕事へと戻るのだった。




