第三十一話 威厳崩壊
ミサが目を覚ましてから数時間。
領主館は朝の忙しい時間帯を迎えていた。
使用人たちは掃除や洗濯に追われ。
騎士たちは訓練を行い。
領主は執務室で仕事をしている。
そんな中。
一人だけ朝食に姿を見せない人物がいた。
「……そういえば」
エリナが首を傾げる。
「ミサさん、まだ来ていませんね」
昨日はあれだけの騒動だった。
疲れているのだろう。
最初は誰もそう思っていた。
しかし。
昼が近付いても姿を見せない。
流石に心配になったエリナは客室へ向かうことにした。
コンコン。
扉を叩く。
返事はない。
「ミサさん?」
沈黙。
「入りますよ?」
扉を開ける。
そして。
数秒後。
領主館中に悲鳴が響いた。
「きゃああああああっ!?」
騒ぎを聞き付けた使用人たちが駆け付ける。
騎士たちも集まる。
領主まで飛び出してきた。
そして。
全員が固まった。
「……何をしているんだ?」
領主が呆れた声を漏らす。
床。
そこにミサが伏せていた。
ぴくりとも動かない。
死体のようだった。
「ミサさん!?」
エリナが慌てて駆け寄る。
そこで全員が状況を理解した。
床に転がる呼び出しベル。
そして。
ベルへ向かって伸ばされた手。
どうやら。
ベルを落とした。
拾おうとした。
途中で力尽きた。
それだけだった。
「…………」
ミサは無言だった。
恥ずかし過ぎて。
顔を上げられなかった。
「何をやっているんですか……」
エリナが額を押さえる。
「ベルが……」
「はい?」
「落ちまして……」
弱々しい声。
「取ろうと……」
「それで床に転がったんですか!?」
ミサは静かに視線を逸らした。
肯定だった。
使用人たちも困った顔をする。
領主は天を仰いだ。
昨日。
悪魔の巣窟を壊滅させた人物。
その翌日。
ベルを拾おうとして床で力尽きている。
誰が信じるだろう。
「とにかくベッドへ!」
女性使用人たちが動き出す。
ミサは現在寝間着姿。
流石に男性陣へ任せる訳にはいかなかった。
「失礼します」
「うわっ、軽っ」
「ちゃんと食べてるんですか?」
「食べてますよ……」
食べている。
昨日までは。
今は食べられていない。
そのままミサは運ばれていく。
抵抗する力すらない。
完全敗北だった。
ベッドへ戻される。
毛布まで掛けられる。
完全に病人扱いだった。
そして。
静寂。
数秒後。
ぐぅぅぅぅぅぅ。
盛大な音が鳴った。
部屋が静まる。
全員の視線がミサへ集まる。
ミサは顔を背けた。
「……」
「……」
「……」
もう一度。
ぐぅぅぅぅぅ。
腹の虫は容赦なかった。
エリナが吹き出す。
使用人たちも肩を震わせる。
ミサは毛布を顔まで引き上げた。
「笑わないでください……」
珍しく弱気だった。
「何か食べますか?」
使用人が尋ねる。
ミサは少し考えた。
考えた結果。
「スープ……」
それだけだった。
「スープ?」
「胃に優しいやつを……」
完全に病人である。
使用人たちは急いで厨房へ向かった。
しばらくして。
温かいスープが運ばれてくる。
しかし。
問題が発生した。
起き上がれない。
「……」
「……」
「……」
再び沈黙。
そして。
エリナが察した。
「まさか」
「そのまさかです」
ミサは遠い目をしていた。
結果。
人の手を借りることになった。
背中を支えられ。
器を持ってもらい。
ようやく食事に辿り着く。
「はい、あーん」
「子供じゃありません……」
「いいから口を開けてください」
完全敗北だった。
ミサは大人しく従う。
スープを飲む。
温かい。
身体に染み渡る。
「おいしい……」
本気でそう思った。
そして。
その姿を見ていた全員が同じ感想を抱く。
昨日。
悪魔を大量虐殺した人物と。
今。
スープを飲ませてもらっている人物が。
本当に同一人物なのだろうか、と。
いつもの威厳はどこにもなかった。
元Sランク冒険者。
現受付嬢。
そんなミサは今。
完全に介護される側になっていた。




