第十話 豊穣祭と子守り役
ラウルで一年に一度開かれる大きな祭り。
豊穣祭。
春に種を蒔き、夏に育て、秋に収穫する。
その実りを祝い、神へ感謝を捧げる祭りである。
普段は静かなラウルも、この日ばかりは別だった。
村の広場には露店が並び、楽団の音楽が響き渡る。
近隣の村からも人が集まり、普段の数倍の賑わいを見せていた。
当然、商人たちも見逃さない。
祭りは稼ぎ時だ。
見慣れた行商人から初めて見る商人まで、大勢の商人が村に集まっていた。
冒険者ギルドも例外ではない。
祭りだから依頼は少ないが、人の出入りは普段以上だった。
そんな中、美咲は受付で帳簿整理をしていた。
「今年も賑やかですね」
レナが窓の外を見ながら言う。
「祭りですからね」
美咲はソロバンを弾きながら答えた。
カチャカチャと軽快な音が響く。
最近ではギルド職員全員がソロバンを使うようになっていた。
「ミサさん!」
聞き慣れた声がした。
行商人のダリオだった。
「おはようございます」
「おはようございます!」
ダリオは満面の笑みだった。
「今年もリバーシが売れてますよ!」
「そうですか」
「そうですかじゃないですよ!」
自分が作った物なのに興味が薄い。
いつものことだった。
そんな時だった。
ギルドの扉が開く。
入ってきた人物を見てガルドが嫌そうな顔をした。
「げっ」
珍しい反応だった。
美咲も顔を上げる。
入ってきたのは四十代半ばほどの男性。
ラウルを治める領主だった。
「何だその顔は」
「面倒事を持ってきただろ」
「よく分かったな」
領主は苦笑した。
ガルドは大きくため息を吐く。
どうやら昔からの知り合いらしい。
「で?」
「娘だ」
ガルドが天井を見上げた。
「あー……」
心底嫌そうだった。
美咲は嫌な予感がした。
非常に嫌な予感がした。
「祭りを見て回りたいと言い出してな」
「騎士付けろ」
「嫌がる」
「無視しろ」
「泣く」
「面倒だな」
「面倒なんだ」
領主も疲れた顔をしていた。
かなり苦労しているらしい。
「それで、適当に案内役を探してる」
「騎士は?」
美咲が聞いた。
領主は首を振る。
「今日は別件がある」
「別件?」
「隣村の視察と会談だ」
豊穣祭の日だからこそ、領主の仕事も増える。
近隣の村との付き合い。
収穫状況の確認。
各村の代表者との会談。
領主も忙しいのだ。
「日が沈む頃には戻る」
つまり。
昼から夕方まで娘は自由時間。
「騎士を残せばいいでしょう」
「それができれば苦労しない」
領主が遠い目をした。
「騎士がいると目立つから嫌だそうだ」
「面倒ですね」
「面倒なんだ」
二回目だった。
よほど面倒なのだろう。
そして。
領主とガルドの視線が同時に向く。
美咲へ。
「嫌です」
即答だった。
まだ何も言われていない。
だが分かる。
絶対にろくでもない。
「ミサ」
ガルドが呼ぶ。
「嫌です」
「頼む」
「嫌です」
「銀貨十枚」
「嫌です」
「昼飯代付き」
少し揺らぐ。
「夕飯代も出す」
さらに揺らぐ。
「酒も奢る」
美咲は目を閉じた。
駄目だった。
逃げ道が塞がれた。
「……何歳です?」
「十歳」
「問題児ですか?」
「かなり」
領主が即答した。
「帰りたい」
「まだ始まってねぇぞ」
ガルドが笑う。
その時だった。
ギルドの扉が勢いよく開いた。
「お父様ー!」
元気な声が響く。
入ってきたのは金髪の少女だった。
十歳くらい。
高価な服。
自信満々な表情。
そして。
いかにも偉そうだった。
「あなたがミサ?」
開口一番だった。
「そうですが」
少女は腕を組む。
「ふーん」
上から下まで眺める。
失礼だった。
非常に失礼だった。
「普通ね」
「そうですね」
受付嬢なので普通である。
「もっと凄そうな人だと思ったわ」
「期待に応えられなくて申し訳ありません」
「別に謝らなくていいわ」
少女は胸を張った。
「わたくしはエリナ・フォン・ラウル!」
知っている。
領主の娘だ。
「今日一日、案内しなさい!」
命令だった。
依頼ではなかった。
命令だった。
美咲はガルドを見る。
ガルドは笑っていた。
助ける気はないらしい。
「では任せた」
領主が立ち上がる。
「私は仕事に行く」
「お父様!」
「日が沈む頃には迎えに来る」
そう言い残して領主は去っていった。
騎士たちも同行する。
そして残されたのは。
美咲と。
問題児だけだった。
「さあ行くわよ!」
エリナが元気よく歩き出す。
美咲は大きなため息を吐いた。
どうやら。
今日は長い一日になりそうだった。
◇
祭りは大盛況だった。
焼き串。
果実飴。
雑貨屋。
玩具屋。
大道芸人。
楽団。
エリナは次から次へと興味を示す。
「次はあっちよ!」
「走らないでください」
「嫌よ!」
「転びます」
「転ばないわ!」
完全に子供だった。
偉そうだが子供だった。
美咲は少し安心した。
ただ元気なだけである。
問題はない。
少なくとも。
その時までは。
◇
祭りも中盤に差しかかった頃だった。
本当に一瞬だった。
ほんの少しだけ。
美咲がダリオに呼び止められた。
「ミサさん!」
「何です?」
「ソロバンの件なんですが――」
数秒。
本当に数秒。
そして。
嫌な予感がした。
振り返る。
エリナがいない。
「……は?」
周囲を見回す。
見つからない。
美咲の目が細くなる。
そして。
祭り会場の端。
人気の少ない路地。
男が三人。
その中央にエリナ。
腕を掴まれていた。
美咲はため息を吐いた。
心の底から。
面倒だった。
「何してるんですか」
男たちが振り返る。
「誰だお前」
「その子の保護者です」
「関係ねぇだろ」
男がエリナの腕を引く。
その瞬間。
美咲の手が男の手首を掴んだ。
「その汚い手を放せ」
静かな声だった。
男は笑う。
放す気はないらしい。
だから。
美咲も遠慮しなかった。
ミシッ。
嫌な音が響いた。
「ぎゃあああああああ!!」
男が絶叫する。
ただ握っただけだった。
それだけで手首は潰れていた。
「うるさいです」
次の瞬間。
顎に蹴りが入る。
男は地面に転がり、そのまま動かなくなった。
残り二人が青ざめる。
慌ててナイフを抜いた。
そして突撃する。
ガキン。
妙な音が響いた。
二人とも固まる。
刺さらない。
美咲の身体に。
まるで岩にナイフを突き立てたような感覚だった。
「は?」
もう一度刺す。
ガキン。
やはり刺さらない。
犯人たちの顔色が真っ青になる。
冷や汗が止まらない。
「終わりました?」
美咲が首を傾げる。
犯人たちは後ずさる。
だが遅い。
「お返しです」
美咲の手が伸びた。
次の瞬間。
二人の頭を同時に掴む。
アイアンクロー。
細い腕。
華奢な指。
なのに。
信じられない力だった。
「ぎゃああああ!!」
「頭が割れる!!」
数秒後。
二人とも白目を剥いた。
ドサリ。
静かになった。
終わりだった。
本当に一分も掛からなかった。
美咲はエリナの前にしゃがむ。
「怪我はありませんか?」
エリナは首をぶんぶん振る。
顔は真っ青だった。
「そうですか」
美咲は微笑んだ。
そして優しく言う。
「エリナ様」
「は、はい」
「ここでは何もなかった」
「はい」
「良いですね?」
「はい!」
物凄い勢いで頷く。
首が取れそうなほどだった。
美咲は満足そうに立ち上がった。
「では祭りに戻りましょう」
何事もなかったように言う。
エリナは無言で後を付いていく。
その日以降。
エリナは勝手にどこかへ走って行くことはなかった。
そして。
ミサを見る目だけが。
少しだけ変わっていた。




