第70話 炎の巨人スルト
俺が踏み出した先から地面が一気に崩れた。土も根もまとめて落ちる。
足元が崩れて目の前に崖が広がる。
黒ずんだ大地が裂け、その奈落の底から赤い光が立ち上がる。
熱波が来る。森の匂いが消え、乾いた焦げの匂いに変わる。
「下がろう!」シャールヴィの声で全員が後退する。
トールも距離を取り、ミョルニルの槌を構えて穴を見据える。
崖下に現れた地底から、巨大な溶岩の塊が上がって来る。
土が崩れ、根がちぎれ、地底へと落ちて行く。
溶岩の巨大な塊から、人の手の形をしたモノが出る。
指一本一本が大木の幹のようだ。指の節ごとに裂け目があり、その内側で赤黒い輝きが脈打つ。
指が開く。それだけで空気がブオンとうなり、熱い風が押し寄せて来た。
腕が出る。丘のように大きな肩が出る。
顔が現れた。
人に似た形だが巨大過ぎる。四階建ての建物くらいのサイズ。
目の奥で炎が燃える。口が開くと熱が押し出されて来る。
胸が腹が腰が現れた。まだ半分も出ていないのに、すでに空を遮る大きさ。
その右手に光が集まる。細い線のような光が瞬く間に膨らみ、剣になる。
炎が固まったような刃。形がありながら炎のように揺れている。
空気が焼ける。
「レーヴァテインの剣」フレイヤが言った。彼女はこの巨人を知っているのか
トールが前に出てミョルニルの槌を振り上げ、雷を叩きつける。
膨大な閃光。衝撃が走る。
巨人の胸に割れ目が一瞬広がり、すぐ閉じてしまった。
もう一度。やはり決定打にはならない。
スルトの顔がゆっくりとこちらを向いた。
巨大な頭部がわずかに傾く。目の窪みの奥の炎が細く絞られる。
何かを探して流れる視線。
それが一点にとどまる。
巨人スルトが俺を見た!
距離は離れているのに巨大なその姿はすぐそばに見える。
目の炎の揺れ方が変わった。獲物を見つけた時のような眼差し。確かめるように顔が寄って来る。口がわずかに開く。その形は笑っている。
そして...
スルトの残忍な眼差しが俺をじっと見下ろす。
あの目...
また、俺はターゲットにされる。
身体が動かない...
白い光...
教室の白いカーテン。冷たい机。中学のクラスの者たちが座る後ろ姿。
『俺はお前のような人間が一番嫌いだ。軽蔑する』担任教師が、冷たい眼差しで見下ろして言う
教室のあちこちから「クスクス」と男女の笑い声。
後ろの奴が、足で背中をグリグリと突く。
教師のお墨付きを得て、残忍な連中が、繰り返し陰湿な嫌がらせをする。
エスカレートしていく。毎日。
何も言えない。喉が詰まる。
残酷な視線が集まる。逃げ場が無い。
これ以上酷い目に遭うのが怖くて抗えない。
激しく抵抗すればイジメは終わるだろうというのは知っていた。
だが......潰され続けて、危害に抗う心を失ってしまった...
心を殺して、薄笑いを浮かべて耐えた。
卒業までずっと。
死んだ方が良かった日々...
腕をつかまれた。
強く引き寄せられる。
雪乃が抱きしめる。
「颯太、動いて」雪乃が必死の力で俺を引きずり、絶壁から後退する
俺たちは、木の根が絡まる窪みに転がり込むようにして倒れた。
激しい音が断続的に轟く。
トールが、あの怪物...スルトと闘っているようだ。
「颯太...」耳元で雪乃がささやいた
「あなたも何かを心の中で引きずっているのは感じてた...ごめん、私ばかり...」雪乃の細い指が俺の頬をさする
雪乃の瞳を見て、決心した。
情けない自分。惨めな過去...
俺は、あの忌まわしい思い出を話した。
そして、雪乃も、重く苦しかった日々を語ってくれた。
呼吸が楽になってきた。目の前に俺を見つめる雪乃の顔。すがるような眼差し。
「一緒に生きよう...」雪乃が微笑んだ。瞳が涙で揺れている
「うん...」
大気がうなる。トールが俺たちの前で踏みとどまりミョルニルの槌を振るい続ける。
俺は雪乃の手を引き、さらに後退する。
スルトが、またこちらを見ている。
目の奥の炎が俺を捉えている。
炎の剣が俺たちへと向いた。




