第67話 森の民
男たちが槍を持ち、じっとこちらを見ている。
2メートル半のトールよりは低いが、背丈はかなり高い。皆2メートルは超えている。
皆、細身で、森仕事で鍛えられた感じ。脂ぎった質感の毛皮と黒ずんだ革を重ねて着ていて、獣臭さや苔のような匂いが漂っている。
男たちの後ろの木立には女たちの姿も見える。
トールが前に出る。
ミョルニルを持ったまま、構わずに進む。
相手の一人が槍を少し上げた。
その後ろの連中も身構える。
いちばん年上らしい男が一歩前に出た。
頬に黒い痣のような筋がある。髭には泥がこびりついていた。
「貴様ら、どこから湧いた」
低い声。怒鳴ってはいないのに、森の中の湿った空気に重く響いた。
「境界を抜けて来た」トールが答える。
男の視線が、俺たちが出て来た背後の横穴へ向いた。
穴の奥は白くぼんやりしている。
その白い奥の壁から、黒い筋が伸びてきた。
筋はじわじわ太くなり、ぬるりと液になって、穴の床を這い出した。
入口近くの土に落ちたところから、ジョワジョワと燃える音と共に白い煙が上がった。
森の男たちの顔色が変わる。
「おい...」
誰かがささやいた。
ロキが横穴の奥を見た。
「ヨルムンガンドが、もがいて境を壊したか...」
その言葉で、俺も穴の奥を見た。
白い壁が壊れて、黒いものが滲み出している。
ただ汚れているんじゃない。
穴の奥の境界...あの白い広場と池を巨大なヨルムンガンドが暴れて壊してしまった。
隣で雪乃がじっと見ていた。
顔色はあまり良くない。病み上がりでここまで進んできた。疲れ切っている。
でも、目をそらさない。
「苦しんで、壊れてしまったのかな...」雪乃がつぶやいた
ヨルムンガンドだけに向けた言葉じゃないのかも知れない。
白い壁も、黒い腐れも、向こう側で壊れているもの全てに向けているようにも聞こえた。
俺は喉の奥が詰まった。
怖い。もうあんな所は嫌だ。
でも、雪乃が見ているものから目を逸らしたくはなかった。
「これ...止めないと、まずいよね」
やっと、そう俺が言うと、雪乃が小さくうなずいた。
「うん...森に広がる前に」
森の年長の男が、俺たちをにらむ。
「お前たち、何を連れて来た」
「連れて来たわけじゃない」シャールヴィが言い返す
「あっちで勝手に暴れてる」
「同じことだ」年長の男の厳しい表情
グジュッと嫌な音がした。
横穴が大量の黒い液をドプドプと吐き出し、土手を流れ落ちて地面に広がり始めた。
「やばいよ!」レスクヴァが声を上げた
「あれが生き物なら討ち取ってやる!」森の若い男の一人が槍を持って飛び出した
「待て!」年長の男が怒鳴る
でも遅い。
若い男は黒い液に槍を突き込んだ。
ジュワッ!!
槍の先から煙が上がる。
男が顔をしかめ、さらに踏み込んだ足に液が跳ねた。
「っあ!!」
靴の先が焼ける。
男がよろめいた。
その横へ、シャールヴィが一気に入った。
細い体がすっと伸びて、男の腕をつかみ、倒れる前に引き戻す。
黒いドロドロに頭から倒れたら命は無いだろう。
そして、男の体を支えて、その場から後退する。
「何やってる!」シャールヴィが怒鳴る
「すまん、助かった!」若い男は目を丸くして肩で息をする
男の革靴の先は溶け、煙が立っている。
森の女たちが駆け寄る。
一人が膝をつき、靴紐を切った。
革を剥ぐと、中の足は赤くただれている。
雪乃が息を呑んだ。
少し迷ってから、一歩前へ出る。
「水で...早く冷やした方が、いいかも」
女たちが雪乃を見る。
警戒している目だ。
この森の人たちから見て雪乃は背丈は低く、顔立ちもどこか幼く見えるはずだ。
けれど今は、その小さな声の方に、皆の目が向いた。
年長の男が言う。
「ただの水じゃ駄目だ。森の腐れが移る」
雪乃は黙った。
でも傷から目を離さない。
その横顔を見て、俺は思う。
雪乃はこういう時、強いことを言うわけじゃない。
ただ、見捨てない。
横穴が、またドプッと黒いドロドロを吐いた。
「放っておけば、森の根に回る」ロキが目を細めて言う。
年長の男の顔から意地が消えた。
残ったのは判断だけだ。
「火を持て!鍬を出せ!土を掘れ!」
怒鳴ると、森の連中が一斉に動き出した。
女たちが立っていた木立のさらに奥に彼らの村が見えた。
木立の間に幾つもの家屋。
地面に半分潜るような低い家。丸太と泥で作った壁、黒い草と獣皮の屋根。
煙出しから細い煙が上がっている。
煙の匂いだけが少し落ち着く。
ああ、人が住んでいるんだ、と思う。
家の脇から、火のついた枝。木の鍬。
泥を運ぶカゴ。
さっきまで敵意むき出しだった連中が、にわかに村を守る生活者たちの顔に変わった。
「颯太」雪乃がこっちを見る
「うん」
俺たちがここに来たせいかどうかは分からない。
でも、目の前で広がるのを見てしまった以上、知らないふりはできない。
レスクヴァがカゴを持つ。
シャールヴィは鍬を取る。
道具を持った瞬間、動きが早くなる。
トールが黒い液の前へ出る。
ミョルニルを握り、流れを見ている。
叩く場所を測っているのだろう。
ロキは猫背な前傾姿勢で横穴の奥を見つめている。
何か考えている。でも説明はしてくれない。
俺は雪乃を見る。
雪乃は横穴の口と、ぬかるみに伸び始めた黒いドロドロの流れを見比べていた。
「土で受け止められるかな」
「やってみよう」俺はすぐにうなずいた。




