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第54話 村の囲炉裏

小さな村が見えた。


ヤギの蹄が雪をかき分け、荷車は丘を下る。

荷車がギシギシと軋み。縦に横に揺れる。

村に近づき、煙の匂いが濃くなった。

薪の煙。肉が煮える匂い、濡れた毛皮が乾くような匂いも混じっている。


家は七つだった。石積みの土台に建てられた木の柱と壁。三角の高い屋根。どの家も横長で大きい。


家の前で、丸い背中の女が大鍋をかき回している。腕が太い。

こっちを見て、柄杓を止める。丸顔でほっぺたが赤いおばさん。


「旅の者かい」


「通るぞ」トールが無愛想な口調で言った。

もう少し柔らかい喋り方はできないのかな、トール。本当に神様なのかなぁ...


女はトールを見上げ、それからロキを見た。そこで少し眉を上げたが、すぐに俺たちの方へ視線を戻した。

「そっちのヤギ、片方ちょっと脚をかばってるね」


俺はヤギを見た。たしかに右の後ろ脚の運びが少し変だ。

以前、シャールヴィのやらかしで脚の骨を傷めたタングニョーストではなくて、脚は無事だったはずのタングリスニの方だ!


シャールヴィがすぐ荷台から飛び降りた。

「ほんとだ」

しゃがみ込んで蹄の裏を見る。

ヤギがフン!と鼻を鳴らした。嫌がりはするけど暴れはしない。


「小石が挟まってる」

シャールヴィが指先で小石をほじり出した。

ヤギは足を振ってから、何事もなかったみたいに雪を踏んだ。


女が鼻を鳴らす。

「そういうの、見てやれる男手が今いなくてね」


村を見回すと、たしかに年寄りと女と子供ばかりだ。戸口から、小さな子が顔だけ出してこっちを見ている。


ロキがちら、と村の奥を見た。

「狩りでも?」


「そうさ。男どもは一昔前の戦で死んだりで、ただでさえ少ないのに、山のデカい獣を狩りに行って、もう10日以上帰って来ないんだよ。

なのに雪で柵は傾くし、薪は崩れるし、屋根が傷んでしまったりねぇ...」


貫禄いっぱいの赤いほっぺたのおかみさんは、そう言いながら鍋の蓋を少しずらした。湯気がぶわっと上がる。腹の奥がまたきゅっと鳴った。

レスクヴァが即座に反応した。

「わぁ、いい匂い〜!」目を丸くして飛び跳ねた

「正直な子だねぇ」おかみさんが吹き出した


その時、家の脇で、バタン、と嫌な音がした。

見ると、薪の山を囲っていた木の柵が、片側だけ外れて傾いている。

縛ってあった荒縄が切れたらしい。積んであった薪が崩れ、雪の上に転がっていた。


「ほら、あれだよ。雪の重みで村のあちこちがガタガタさ」


雪を踏みしめてトールが歩きだした。

そして、柵を起こし、片手で持ち上げた。

人間なら5人でも苦労しそうな重さなのに、トールは顔色ひとつ変えない。

「杭」それだけ言う。

シャールヴィが走った。村の隅の木材置き場から使えそうな棒を見つけて持って来る。俺もその場に行って、転がった薪を拾って積み直した。

雪まみれの薪は冷たい。手がビリビリと痛くなる。


いつの間にか、レスクヴァは子供たちに混じって転がった枝を集めている。

「こっちもあった!」


雪乃はおかみさんの鍋のそばにいた。鍋の横には洗いかけの木椀や匙が積まれている。井戸代わりらしい雪樽の水桶もある。

「洗いますね」雪乃が袖をまくって言った

「いいのかい?」おかみさんが驚いて眉を上げた。

雪乃は頷いた。

「体を動かした方が体が温まります」


雪乃、すごいな。冷たい水に指を入れた瞬間はつらそうだったが、

しばらくすると雪乃の動きはきびきびしてきた。

木椀をこすり、湯気の立つ鍋の脇の板に伏せていく。頬が少し赤い。


おかみさんはその横で肉を切っていた。

「あんた、働き者だね」

「ええ...私、こういうのは好きなんです」


「ほぉ...」ロキがそれを聞いて、口の端を上げた。


柵はすぐに直った。トールが支え、シャールヴィが荒縄を締め直し、俺が転がった薪を戻す。最後にトールが杭を雪に深く推しみ込む。ズゴッと鈍い音がした。人間には無理な腕力だ。


「これでしばらく持つね」シャールヴィが両手をパンパンと叩いて雪と土を払った

「助かるよ、あんたら」おかみさんが腰に手を当てて見ていた

「私も拾ったよ!」レスクヴァは子供たちと並んで、崩れた薪の山の前で胸を張っていた

「えらいえらい」おかみさんが大きな手でレスクヴァの頭をわしわしと撫でる

レスクヴァは照れた顔で、嬉しそうだ。


それから、身軽なシャールヴィが屋根の上に登り、傷んだ所を修理した。

身長2メートル半のトールが板や枝などの資材を屋根の上に持ち上げた。



俺たちは、おかみさんの家の中へ通された。

戸を開けると、むわっと暖かい空気が流れてくる。煙の匂い。乾く毛皮の匂い。煮込みの匂い。床には藁が敷かれていて、踏むと少し柔らかい。壁には吊るした肉と束ねた草。奥では鉄鍋がことこと鳴っている。


「あったか……」

思わず声が漏れた。


レスクヴァなんて、戸をくぐった瞬間に「生き返る〜」と伸びている。


おかみさんは雪乃に木椀を渡した。

「ほら、その椀、棚に並べとくれ」

「はい」

雪乃が並べる。おかみさんはその手つきを見ていた。

「丁寧だね」

雪乃は少しだけ笑った。

「家でも、よくやってたから」

その言い方が、ほんの少し引っかかった。『家でも』と言った時に雪乃の表情が一瞬く楽なったからだ。

でもおかみさんは深く聞かない。

ただ、「そうかい」とだけ言って、煮込みを椀によそった。



ここでも鹿の肉だった。柔らかく良く煮えていて、口に入れるとほろっと崩れる。

山根の甘みが汁に移っている。

熱い。うまい。

以前に立ち寄った一軒家の毛皮の帽子のおじいさんの鍋料理と似ているが、甘味や酸味が少し違う。こういうのは家庭ごとに違うのだろう。

囲炉裏の火がぱち、と弾け炎が揺れるたびに、顔の片側がじんわり温まる。


トールは無言で食べていたが、匙の動きが早い。

シャールヴィはおかわりをした。レスクヴァは子供たちと早さ比べみたいになっている。

ロキは鍋の具をひとつずつ確かめるみたいに食べている。

あれ?ロキは村の事で何か働いてたっけ?

まぁ、ロキはいつものことだ。


雪乃は、おかみさんの隣でまた鍋を覗いている。

「この乾燥してるたくさんの実は何ですか?」

「それはジュニパーベリーさ。肉の持ちが良くなるし匂いが軽くなるんだよ。潰してから料理に入れるよ」

「木の実がハーブやスパイスみたいになるんだ!」雪乃の眼差しが明るくなる。


その横顔を見ていたら、奇妙な草の匂いで眉を寄せていた時とは全然違って見えた。

こっちは、好きなものを見つけた時の顔だ。


囲炉裏の火がぱちぱち鳴っている。外では風が少しだけうなっている。


この村に着いてまだ大して経っていないのに、ここに長く居たいような気がした。

だけど、トールたちと一緒にこの世界の裂け目をどうにかしないと。

巨大なヨッツン、凍る大地と水、シャールヴィの家の最期、トールでも直せなかった裂け目、ウトガルド城で巨人の王が言った言葉「神は強い、世界はもっと強い」......


俺と雪乃は、ここに留まっていても未来は無い。このままでは、どの土地も滅びに向かうのだろう。

この旅で、それは感じていた。

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