第46話 シャールヴィの走り
巨人の広間の空気が少し変わった。
さっきまでトールの試練を見ていた巨人たちが、今度は別の楽しみを見つけたみたいにざわついている。
低い声。椅子のきしみ。骨の皿が石の卓で擦れる音。
火皿の上では脂がジュウジュウと音を立てていた。
さっきの宴の残りだ。肉の骨が山みたいに積まれている。
巨人の王が腕を下ろすと、広間の奥の石扉がギギギィと重くきしみ、ゆっくりと開いた。
冷たい空気が流れ込む。
外は雪原らしい。
風の匂いがした。乾いた冷たい匂い。
巨人のひとりが笑う。
「走りだ」
別の巨人が床を指さす。
「向こうの壁まで」
広間の反対側だ。めちゃくちゃ遠い。
さっきまで気づかなかったが、あの壁はかなり奥にある。
火の光が届かず、半分くらい影になっている。
「おい小さいの」巨人のひとりが顎でしゃくった
「お前だ」
「いいぜ」シャールヴィが鼻を指でこすり、ニヤッと笑った
「兄ちゃん、やるの?」レスクヴァがビックリしたような大口を開けた
「走るだけだろ」シャールヴィは肩を回した。
ゴキッと首も鳴らす。
巨人の王が言った。
「相手はフギ」
奥から巨人が出てきた。
デカい。
スクリューミルほどじゃないけど、普通の大巨人だ。
しかし腕と脚がヒョロ長い。
足の裏が床につくたびに、ドスン、ドスンと低い振動が来る。
シャールヴィは靴を脱いだ。
革の靴だ。踵が少し擦り減っている。ずっと履いていたものだろう。
裸足で石の床に立つ。
足の指が少し曲がる。
床の冷たさを確かめているみたいだ。
「兄ちゃんは速いよ!」レスクヴァが胸の前で拳を握った
「それは知ってる」ロキが鼻で笑う
トールは腕を組んで見ている。
さっきの酒の試練のあとだが、もう呼吸は落ち着いている。
巨人の王が言った。
「壁に触れた方が勝ちだ」
巨人たちが並んでたつ。
シャールヴィが床に手をつき、少し腰を落とした。
「よし」その目は真剣だ。
フギは直立したまま、腕をぶらりと下げている。
静かになる。火の音だけ。
脂がぱち、と弾ける。
「行け」巨人の王が言い放つ
シャールヴィが飛び出した。
速い!!足が石を叩く。
タッタッタッタッタッタッ
軽い。浮いて飛ぶように軽い。
滑るように身体が前へ飛んで行く。
「兄ちゃ〜〜〜ん!」レスクヴァが叫ぶ
巨人フギはようやく動いた。
ドン。一歩。
ドォン。二歩。
石の床が縦に激しく震える。
シャールヴィが遥か前を行く。
低い体勢、腕が大きく振られている。
「いける〜〜〜!!」俺も叫んだ
しかし...え? おかしい......
距離が。壁が遠い。
さっき見た時より、ずっと遠くにある。
「えぇ...?」俺は目を細めた。
あんなに走っているのに、シャールヴィと壁の距離が、あまり変わっていないみたいだ。
「広い...」雪乃がつぶやいた
「え?」
「この広間、さっきより...広い」
!!確かにそうだ。
シャールヴィは全力で走っている。
気のせいではなくて、壁までなかなか近づけない。
その間に。
ドン。ドォン。ドン。ドォン
フギの歩みがシャールヴィに近づいていく。
巨人の一歩は長い。
その一歩でシャールヴィの十歩くらい進む。
「兄ちゃ〜〜〜ん!」レスクヴァが叫んだ
シャールヴィが笑っている!
悔しそうでも、楽しそうでもある。
「おおお!」シャールヴィがさらに加速した。
足音が細かくなる。
タタタタタタタタ!
しかし。
ドン。ドォン。ドン。ドォン
ついにフギが並ぶ。
壁が近づく。あと少し。
フギの腕が伸びた。
ドーーーン。
壁に触れた。
その直後、
シャールヴィの手も壁に届いた。
ほんのわずかに遅れた。
広間に低い笑いが広がる。
ブボボボ…ゴボォ…ブボボ♪
「はぁ...!」シャールヴィが息を吐いた
肩で呼吸している。
でも笑った。
「くそ、速ぇな♪」
レスクヴァが駆け寄る。
「兄ちゃん!」
「いやー、まいった」シャールヴィは頭をかいた
フギは何も言わない。
ただ静かに戻っていく。
ロキがくくっと笑った。
「いい走りだった」
「負けたけどな」シャールヴィが肩をすくめた
雪乃がポケットを探って、小さな草を取り出した。
細い葉っぱ。
「これ」シャールヴィに差し出す
「なに?」
「庭にあった草」
「食えるの?」草を見ながらシャールヴィが首を傾げた
「うん」雪乃が目を細めて微笑んだ
シャールヴィは受け取ると、かじった。
一瞬、シャールヴィは、口を真一文字に閉じて、目をくしゃくしゃに閉じた。
「すっぱ!!」
「兄ちゃん、その顔っ♪」レスクヴァが大笑いしてお腹を抱えた
ロキも吹き出す。
シャールヴィは口をすぼめている。
「酸っぱ...!」
雪乃が優しい目でシャールヴィを見て微笑んだ。
「この草、元気出るよ」
シャールヴィはもう一口かじる。
「ほんとかも」肩で息をしながら言った
「ちょっと元気戻ったぞ」
巨人たちがざわめいている。
「草を食ったぞ」
「小さいの」
「変な奴らだ」
ロキが目を細めて言った。
「雪乃はこの世界の食べ物を見つけるのが上手い」
「匂いが良いから」雪乃は眉尻を下げて小さく笑った
俺はその草を見た。
細い葉っぱ。
少し白い粉がついている。
ほんの少し柑橘っぽい匂いがする。
巨人の王が静かに言う。
「悪くない走りだった」
シャールヴィが顔を上げる。
王は続けた。
「だが、お前の相手は速い」
「そうだろうね」ロキが斜に構えて笑う。
「フギは」王が続けた
「誰も勝てる相手ではない」
広間に巨人たちのクスクス笑いが広がった。
「まぁ、その通り。負けたわ」シャールヴィも笑った
「でも兄ちゃんめっちゃ頑張ったんじゃん!」レスクヴァが兄の肩をバンバン叩く
雪乃が俺を見る。
俺も見る。
言葉は無い。
でも分かる。
この城の試練は、普通じゃない。
何かを試している。
巨人の王が言った。
「次だ」
広間の空気がまた動く。
巨人たちが道を開く。
広間の奥から、何かが運ばれてくる。
巨人が四人。
太い革の帯を肩に掛け、ゆっくり歩いている。
帯の中央には、布のようなものがぶら下がっていた。
ずる......ずる......
床を引きずる音がやけに重々しい。
巨人たちがそれを広間の中央に置く。
ドサァーーー
石の床が低く鳴った。
布がほどける。
中から出てきたのは...
猫だった。




