第6話 渡したつもりだった
第六話です。
寿命は、減っていた。
【寿命:残り341日】
洞窟の奥で、俺はその数字を見上げていた。
昨日より、一つ減っただけ。
それだけなのに、胸の奥が妙に重い。
渡せる。
寿命は、渡せるかもしれない。
その可能性を知ってしまった以上、
知らなかった頃には戻れない。
知らなければ、選ばずに済んだ。
だが、今は違う。
俺は、選べてしまう。
⸻
数日後、森で再び人間を見かけた。
前とは違う。
一人だ。
若い女だった。
冒険者でも、宗教者でもない。
ただ、疲れ切った顔をしている。
木の根元に座り込み、
息を整えようとして、整わない。
「……だめ」
声が、震えている。
俺は、足を止めた。
関われば、寿命が減る。
だが、関わらなければ、
この人間は――たぶん、死ぬ。
頭上の数字を見る。
【寿命:残り341日】
まだ、ある。
多くはないが、ゼロでもない。
俺は、近づいた。
「キュル」
女は顔を上げ、
驚いたように目を見開く。
「……魔物?」
逃げない。
逃げる力も、残っていないらしい。
「水……」
声が、かすれている。
水。
それなら、渡せる。
俺は、洞窟の方角を示した。
だが、女は首を振った。
「……もう、歩けない」
ここだ。
ここで、俺は選ばされている。
水を取りに行けば、
戻るまでに時間がかかる。
その間に、女は死ぬかもしれない。
寿命を、渡せば?
昨日見た儀式が、頭をよぎる。
ほんの数日。
ほんの一部。
それで助かるなら――
俺は、目を閉じた。
やり方は、分からない。
だが、やろうとした。
自分の寿命を、
この人間に渡す。
助けるために。
選んで。
⸻
空気が、歪んだ。
確かに、歪んだ。
胸の奥が、引き裂かれるように痛む。
【寿命:残り334日】
七日、減った。
「……っ」
声にならない音が、喉から漏れる。
女は、目を見開いた。
「……あ」
呼吸が、少しだけ楽になったように見える。
「……楽、になった」
成功した。
そう思った。
寿命は、渡せた。
減った分、向こうに行った。
そう、信じた。
女は、立ち上がろうとして、
ふらついた。
「大丈夫……ありがとう」
そう言って、歩き出す。
俺は、後ろ姿を見送った。
【寿命:残り334日】
増えない。
だが、減ったままでも、構わなかった。
救えたのなら。
⸻
翌日。
森が、騒がしかった。
人間の声。
駆け足。
重い空気。
嫌な予感がして、
俺は岩陰から覗いた。
そこには、
布をかけられた人間の身体があった。
――あの女だ。
「突然、倒れたらしい」
「朝までは話せてたって」
朝まで。
昨日、寿命を渡したはずだ。
だが、
女は死んでいる。
俺の中で、
何かが、静かに崩れた。
【寿命:残り334日】
動かない。
俺は、理解した。
寿命は、体力じゃない。
寿命は、時間そのものだ。
今を延ばしても、
未来が繋がるとは限らない。
俺は、
「生き延びる」ための寿命を渡したつもりで、
ただ、死ぬ瞬間を遅らせただけだった。
それは、救いか?
それとも、ただの自己満足か?
⸻
洞窟へ戻る途中、
俺は何度も頭上を見上げた。
【寿命:残り333日】
一日、減る。
苔を食べる。
【寿命:残り332日】
減る。
当たり前の減少が、
今日は、やけに重い。
俺は、洞窟の奥で、丸くなった。
寿命を渡せる。
だが、それは、万能じゃない。
むしろ、
最も残酷な選択肢かもしれない。
助けた気になれて、
相手も、一瞬だけ、救われた気になれて、
それで終わる。
数字だけが、
確実に、減っていく。
【寿命:残り332日】
俺は、数字を見つめながら、思った。
――もう一度、同じ場面が来たら。
そのとき、
俺は、また渡すだろうか。
答えは、出ない。
だが、
この失敗は、
きっと、次の選択を歪める。
それでも――
選ぶしかない。
苔喰いモルの余命は、
確実に、
「実験」から「責任」へと変わり始めていた。
誤字脱字はお許しください。




