第5話 それは、渡せるかもしれない
第五話です。
寿命は、静かに減っていた。
【寿命:残り343日】
洞窟の天井から落ちる水滴を、数える気にもならなくなってきた。
減る理由は、もう分かっている。
生きて、動いて、考えていれば、減る。
問題は、
増えるときの理屈が、いまだに掴めないことだ。
誰かを助ければいいわけでもない。
自分を犠牲にすればいいわけでもない。
選んだ結果が、たまたま“増えた”こともある。
運か。
いや、それだけではない。
俺は、洞窟の外へ出た。
【寿命:残り342日】
もう、この一日の減少にいちいち驚かなくなっている。
それが、少し怖い。
⸻
森の中で、奇妙な集まりを見つけた。
人間だ。
だが、冒険者ではない。
剣も鎧もない。
代わりに、杖や本を持っている。
祈っているようにも、議論しているようにも見える。
俺は、距離を取って様子を窺った。
「……時間は、移ろうものだ」
「だが、奪えるなら話は別だ」
「奪うのではない。受け取るのだ」
不穏な言葉が聞こえた。
時間。
奪う。
受け取る。
俺の身体が、無意識に強張る。
そのとき、一人の老人が、倒れた。
「っ……!」
周囲がざわつく。
「まずい、持たないぞ」
「まだ儀式は途中だ」
老人は、息も絶え絶えだ。
明らかに、寿命が近い。
――もし、俺が見えている数字が正しければ、
この人間の寿命は、今、ほとんど残っていない。
だが、人間たちは、慌てていない。
「……時間を、分ける」
一人の若い女が前に出た。
「私が、少し渡します」
俺は、息を呑んだ。
渡す?
女は、老人の額に手を当てる。
次の瞬間――
空気が、歪んだ。
俺の目にだけ、
はっきりと見えた。
女の頭上から、
何かが流れ出し、
老人へと、落ちていく。
【???】
文字は、表示されなかった。
だが、確実に、移動した。
老人の呼吸が、少しだけ安定する。
「……成功だ」
「ほんの数日分だが」
女は、ふらついた。
「大丈夫か」
「ええ……少し、重いだけ」
重い。
時間が、重い。
その感覚が、
なぜか、俺には理解できた。
【寿命:残り342日】
俺の数字は、動かない。
だが、胸の奥が、ざわついている。
⸻
彼らは、いわゆる宗教者らしかった。
寿命を「時間の器」と呼び、
分け与えることを、救済だと考えている。
「全員が少しずつ渡せば、
一人は長く生きられる」
その理屈は、
どこかで聞いたことがある。
助け合い。
連帯。
多数決。
だが、俺は思った。
それは、本当に“渡している”のか?
それとも――
奪われているだけなのか?
俺は、岩陰から、動けずにいた。
関われば、寿命が減る。
だが、関わらなければ、
この事実を知らないままになる。
老人が、目を開けた。
「……ありがとう」
その声は、弱い。
だが、生きている。
女は、微笑んだ。
その微笑みが、
なぜか、少しだけ、怖かった。
⸻
集団が去ったあと、
俺はその場に残された石を見た。
儀式に使われたものだろう。
触れれば、何か分かる気がした。
だが、同時に、
触れてはいけない気もした。
俺は、前足を伸ばしかけて、止めた。
【寿命:残り342日】
変わらない。
――まだ、触る時じゃない。
洞窟へ戻る道すがら、
俺は考え続けていた。
もし、寿命が渡せるなら。
もし、寿命を分けられるなら。
それは、
希望なのか。
それとも、
新しい地獄なのか。
洞窟に戻り、
苔を少しだけ食べる。
【寿命:残り341日】
一日減る。
いつも通り。
だが、今日は、
その減少が、
いつもより重く感じられた。
俺は、頭上の数字を見上げて、思った。
――もし、この数字を、
誰かに渡せるとしたら。
そのとき、
俺は、何を選ぶだろう。
答えは、まだ出ない。
だが、
選択肢は、確実に増えてしまった。
誤字脱字はお許しください。




