二人の少年が過ごした場所
身なりを整えたアービエルはおかしな行動に出る、彼はそのまま使用人達の館に居座り食事をし始めるのだ、食事といっても出来上がっている物を食べるのではなく、城内に在るかつては畑だった場所、今は雑草と共に自生している野菜や野生化している鳥を屠って作った料理だ。
何を呑気な事をしているのかと理解できずに、私はただ物陰に隠れ彼が手際よく料理する姿を見ていた、しかし私は自分独りで逃げだそうとは思わなかった、何故だか判らないが、ここで彼と別れて行動するのは危険だと感じられずにはいられなかったからだ。
獄内に連行される時にも感じたが、遠くから城下街の喧騒が微かに聞こえるのみで、城内には衛兵の姿も魔獣が放つ独特の臭いも感じることはなく、城の中には誰もいないのではないか、そう思ってしまうほどに静かだが、それでもここは魔王ライオネルが棲むドネティーク城、いつ衛兵である魔獣が襲ってくるか、そう思い私は小さな物音に対しても恐怖していたが、アービエルの方はその様な事を感じている様子はない、しかし苛立った様に城の中央部を睨みつけては時折ため息を吐き出し、目を瞑ると夢想するかの様に上を見上げ、もう一度息を大きく吐き出すのだった。
朝食と昼食の中間位の時間に食事をしてから随分と時間が経った、何故かアービエルは動こうとはせずに椅子に座り続け、香草を煎じた湯を飲み続ける。
果実の様な香りや舌に広がる酸味も今は楽しむ事ができなかった、しかし、狭く暗く息苦しい牢の中で空腹のまま死を待つより、こうして陽の光を浴びながら茶を飲む事ができたのだ、これに対して感謝すべきだ、そう考えるともう死んでもいい様な気分になり、まるで崇高な精神が自分に宿ったかの様な不遜な気分になるので、首を振り邪念を振り払う。
「次に陽の光を見るときは死ぬ時だと思っていたのに、こんなにも満足に食べる事ができるなんて何が起きるか分からないものだ。
自分で作った野菜や育てた家畜を食べ、秋には森に入り季節の実りを採取する、金貨を持つ必要はなく、誰からの干渉もされずに、共同体には金持ちも貧乏人も存在せずに人々は意見を交わし物事を決める、今日を生き延びる事ができたならばそんな生活を送ろう。
朝には畑に出て、夜には暖炉に火を灯し、僅かな明かりを頼りに古代の英雄たちの許に赴き話をしよう、彼らが憧れていた平穏な生活を送ろう」
そんな事を呟く自分に対して、アービエルは呆れたような顔を私に向けいたが、また城の中心部に目を向ける、私も同じ方角を見る、そこには何もないが彼が見つめるのは、恐らく、予想するに、この城の主でありこの世界の支配者が座する玉座が在る空間。
「何を待っているのか教えてくれませんか、このままでは尻から根が生えて椅子と一つになりそうですよ、そうなると、こんなに暗い部屋では育つ事ができずに枯れて死んでしまいますね」
聞き辛さの余り冗談を付け加え、それに誘い笑いまで追加してしまった、これでは自分が本気で訊ねている事が彼に伝わらないのではないか、私は心の中で愚かな自分を呪った。
アービエルは小指で頭を掻きながら私の問いに応じる。
「自分が殺されると解っているのに何故逃げないと思う、もし自分が殺されるかもと思っているなら普通は逃げ出すだろう、そう普通ならば、しかし、それをしない理由はなんだと考える」
つまり自分でも何を待っているか解らない、という訳なのだろうか、ならばさっさと逃げるべきだろう、殺される可能性が理解できているのならば、何も持たずに逃げ出すべだ。
アービエルは無言で首を横に振る、彼の求める答えではなかったようである。彼は立ち上がり剣を持つ、その剣をよく見ると何か見知らぬ文字が刻まれている、そして、それを認識した途端に思い出す、少し前に読んだある傭兵隊長の日記を。
「その剣はどこで手に入れた物ですか、もしやあのアービエル・ネイ・レムリニアスの持ち物ではないですか、彼の剣身には何やら文字が刻まれており、その剣はどんな物でも切れる上に、彼以外には鞘から剣を引き抜く事ができないという話だそうで、本当にそんな事ができるはずはないのですが、その剣がもしも本物ならば、貴方が何者か聞かずにはいられません、その剣が抜き身になっているのも気になっていたのですが、もしや、鞘に納める事ができないからなのですか」
私の問いに対しアービエルは応えることなく、左の眉と口を少し上げて妙な表情をすると私に剣を差し出す、しかし私はそれを受け取る訳にはいかない、私はどんな剣も持たない、特に人を殺した事がある様な剣ならばなおさらだ、私の仕事は見た事を人々に面白おかしく伝えることだ、その事を伝えるとアービエルは頷く、何かに納得したのか腑に落ちたのか解らないが、この時の彼の表情は今までの険しい物ではなく穏やかなものだった。
「レントス、君に問う、魔王がいなくなればこの世界の不都合がすべて解消されると本気で思っているのか、それは今でも変わらないと断言できるか、それが人間全ての総意か、もしも魔王が斃れた後、世界が混乱に見舞われた時、人々の苦痛と苦悩を目の当たりにしても君は後悔しないと断言できるか」
穏やかなものから一変して、険しい表情になったアービエルは私に尋ねる、その意図はまるで彼の選択により人類の命運が決定付けられる様な、そんな言いぐさだった。
「確かに私は希望無き時代が続くより、魔王亡き後に起こる混乱を執る方が人類にとって希望のある世界だと思っています、だからと言って私の意見が人類の総意である訳がない、それを言う貴方の意見は何処にあるのですか、人類全ての意見が同じであるのならば、私と貴方は言葉を交わす必要などなく、この会話そのものが総意などという物を否定する証拠でしょう。
貴方はまるで自分が人間ではないかの様な言いですが、それは気のせいでしょうか」
アービエルは口元で笑うだけで私の問いに答えることなく、厨房から出ると城の中へと続く回廊を歩き始める。
不安と恐怖が心の中で叫び続ける中、周囲に注意を払いながらアービエルの後に従い歩いていると、彼は歩みを止めずに呟いた。
「俺は人間だよ、疑いようもない人間だ、そしてライオネルも我々と同じ人間だ」
先ほどの会話の続きだと思うが、どんな表情をしているのだろうか、彼の声からは全く感情が感じられなかったが。
「魔王ライオネルが人間ですって、魔獣の王様が私と同じ人間とは信じられない、彼の力により都市の一つが業火に包まれたという話を聞いた事がないのですか、そんな事を出来るのは人間の業ではありません。
始まりの王であるレムリニアスも同じ様に魔法が使えたという伝説がありますが、彼は神々の子であり、我々の祖先でもあるのだから彼は人間です、だからと言って魔王に魂を売り渡したライオネルも人間と云うのには納得できません」
アービエルは背を向けたまま頷くが、同意する言葉は聞こえてこない、彼は歩き続ける、無言のまま。
錠が取り付けられた上に鉄で補強された頑丈そうな扉を通る、その際も勝手に錠が割れて床に落ちるのを見たが、今回も訊ねることはせずに彼の後に続く。
その回廊の壁際に並べられた彫像は、倒れて腕や鼻が欠けては埃を被り、踏みしめる敷布はその役割を果たすことなく、埃と虫食いで汚れているが、使用人たちの質素な住処とは違い、扉一つ通っただけで、別の世界に来たと思うほど、金が掛っているのが分かる。
彼の後に従い城内を歩いていると、回廊に囲まれた庭に出た、外に面する回廊の列柱には蔓が巻き付き、庭の中央に生えている巨木の根が今歩いている石畳の回廊を侵食し始め、所々に砂や落ち葉が散乱しており、放置された木製の腰掛は雨によって腐りかけており、この城の管理が数十年間行われていないことを思わせる。
再び城の内部に通じる回廊に入ると、アービエルは一つの部屋の中に入る。
何所も彼処も薄汚れている城の中だが、この部屋は格段と汚れている、本棚は崩れ虫に食われ、その周囲には穴の開いた本が散乱し、天蓋が崩れた寝台には大きな穴が開いている、銀製の硬筆が転がっている机にも、玩具が転がっている床にも、壊れた寝台にも塵が積もっていることから、とても長い間この部屋が使われていない事を物語る。
「ここは誰の部屋ですか、なんだか飾り気のない質素な部屋ですね、胸像の一つも、酒瓶の入った棚もなく、まるで居候が住んでいたような」
机に置かれていた銅板を眺めていたアービエルに尋ねるが、彼の表情はそれどころではないといった感じで、天を仰ぐような仕草をすると銅板を懐にしまい込み、崩れた天蓋を退け、底が抜けていた寝台の中から鞘を取り出した。
それは豪勢な鞘であった、銀で辺が縁どられ彫り込まれたイバラに金の鍍金が施されおり、中央部には小さな赤い宝石が花びらの様にはめ込まれている、彼は腰に差していた剣を取り鞘に入れた。どうやら、この部屋は彼の物なのか、それとも一度来たことがある場所というのか、初めてここに来た訳ではなさそうだ。
他にはどんな所に住んでいたのか、例えば、船乗りが多く住む丘の上とか、ヴェツアークの使用人の部屋とか尋ねようと思ったが、私の口が開く事はなく、私を一瞥した彼は軽く頷くと、机に置いていた硬筆を私に渡す。
「これから起きる事を心に刻め、そして人々に伝えろ」




