エメラルダ
パルミュラの宮廷に近しい者を陣営から追い出した後、立ち寄る都市から金を接収すると共に、借用書を商人に売り払う事で傭兵達の給与を確保し、キュキュンベルからの食糧支援が約束通り果たされた上に、兵員が二万余になるに伴って大部分の酒保を追放したことで身軽になった我々は、ヴェツアークまで二十日ほどで到着することができた。
キュキュンベル側からの情報によれば、ネルツヒトやキュキュンベルの支援を得たことで、ランツはヴェツアークの攻略が簡単に終わると想定していたが、ヴェツアーク国内に侵攻した後もウルによる焦土作戦と奇襲によって士気は低下し、砦や都市の包囲に僅かな兵を置くのみで本隊は食糧を求めた移動を強いられた。結果として、一つの都市も降伏させる事ができずに秋を迎え、貴族共は奉仕期間を終えるとネルツヒト経由で帰国し、ネルツヒトも傭兵の賃金をランツに負担させる事が失敗したことで非協力的になっており、結果的にはランツの侵攻は失敗していたが、解雇された大量の傭兵によりヴェツアーク国内は疲弊していたので、コーネスの傀儡が率いていた遠征軍よりも少しばかりマシな戦果という感じであった。
ヴェツアークの女王ココより派遣された使節団が謁見を求めて来る。
歓迎を受けると思っていた彼ら使節団だが、自分は彼らのために行軍を止める積りはない、その中にはヴェツアークの宮廷で見た顔はなく、彼らの主がウルである事を感じさせたのも理由の一つだが、そもそも彼らが遣って来る時期が遅すぎる、本来ならば自分が正体を現した時点で行われるべきなのに、何の算段をしていたのか余りにも時期が遅すぎだ。
配下の騎兵で周囲を固めて彼らを近づかせない様にしておき、軍勢が自分達の脇を通り過ぎた時、彼らは自分達が歓迎されていない事に気が付く、その様な仕打ちを予想していなかった彼らは暫く立ち往生した後、見かねたフーダンが挨拶を受けたので軍勢の後ろから付いて来る事になった。
休憩のために行軍を中断した際、使節団の連中は許可もなく自分の側に来て挨拶を始めた、しかし続けられた言葉の中には自分と軍勢を分断させようとする意図が感じ取れる、自分さえいなくなれば傭兵達を買収できると踏んでいるのだろう。
「黙れ、他人の剣に護られている貴国には命令を発する権限などない、ウィンティアに二十万人分の食糧を用意しておけ、我々はこのまま王都に向かい進む、もしも食糧が足りない場合は現地で調達する。
それに加えて、兵卒達は疲れているのだから王都にある全ての住宅に彼らを宿泊させてもらおう、我々が来るまでに準備を終わらせておけ、もしも終わっていない場合やその途中であった場合には、我々が直接接収を指揮するので憶えておくように。
市門を閉じていようと無駄なのは、レッタの件からも理解しているだろう」
全軍に行軍を命じる事で会談を終わらせたが、使節団の連中は自分達が女王の返信を持って帰るまで待機しておいてほしいなどと食い下がった。
現地調達の恐ろしさを知っていれば食い下がる事などあり得ない、数百の軍勢が通るのではない、万を超える数の足が田畑を通るのだ、作物は刈り取られ、土は踏み固められるのだ、以後十数年の間はその土から生活の糧を得る事が不可能となるのだ。
例えどんなに規律正しく公正な者が指揮する部隊であろうと、所詮は郷土愛もなく自らが生きるために人を殺す者達、他国民の命やその財産など考慮する訳がない、一度解き放たれた兵卒は暴走して全てを奪い尽し、それが叶わない物には火を点け楽しむのだ、生活の拠点を破壊されてしまい、逃げた者も何も得られない故郷には戻って来ず、荒廃した土地だけが数十年も残されるのだ。
自らの国で自らの糧である税が得られなくなる様な事は避けようと考えるはずだが、彼らはそれを顧慮しない、それを考えれば彼らが何所の国の人間かいよいよ絞られてくる。
「ウルの王に伝えろ、ヴェツアーク王ココを城から追い出しておけ、話し合いならば貴国の者と直接行う。
これ以上我々の行軍を止めると言うならば、ウルへ侵攻し何の禁令を発する事なくその王都を兵士達に与える」
自分でも傲慢な事を言っている自覚はあるが、これ位の事を言わなければ彼らは諦めないだろう、自らの国土が危険な目に曝される可能性を想像した事でようやく使節団は引き下がり、物見のために数名の部下を残して帰った。
雪が降り始める頃、ようやく辿り着いたヴェツアークの王都、そこは建物の立派さとは違い街に活気はなかった、それはそうなのかも知れない、ウルの援軍があってもランツと言う大国と戦っているのだから、今にも包囲されるのではないかと想像して恐怖しているのだろう、それに他国の兵二万余を自分達の家々に入れろと言われては緊張せざるを得ない。
兵卒達は各家の一角を借りて冬を越す事になり、騎兵など貴族の子弟は商人の家を割り当てて満足させなければならなかった。
市政長官からの願いにより兵卒には、殺人・暴行・恐喝・略奪・放火、これらを禁じる令を発し、殺人と放火には死罪を適用すると付け加えた。
自分としては彼ら傭兵を休ませる積りはない、暇ができれば金を無駄な賭け事や飲み食いに使う上に、雑念により余計な企みをする可能性もある、そのために解雇せずに待機金を与える代わりとして、広場に集まり訓練を行わせる事を計画している。
二人の傭兵隊長とその親衛隊は城の客室に泊まる事とし、招かれるまでもなく城内に入る。
城壁こそ補強されていたが、城は相変わらずレムリア時代の砦を建て増しした古めかしい物だった。かつて共に働いた顔も多くおり、その中には自分を切り分け職人として城内に引き入れた家令もいて驚いた。
アンネリーゼや自分が逃亡の際に使った紹介状には、彼の名前が入っていたはず、彼は城主から罰を受けその地位を剥奪され処刑されていると想像していたが、今現在もその地位に留まり続けているのはどの様な理屈なのか頭が混乱するものの、それを直接尋ねることはもう叶わないと諦める。
いざという時のために直属の中隊を城壁に配しておき、家令に傭兵隊長達を案内する様に言い残すと、自分は使用人が寝泊まりする離れに向かう。
かつて幾度も歩いた回廊だが、当時は敷かれていた豪華な織物は藁に替えられ、閉じられた鎧窓には埃が溜まり清潔感は失われていた。
「この城の事が随分と詳しそうですが、以前来たことがあるんですかい」
後から従っていたフラックスが尋ねるが、それを否定する動作をする。
自分が寝泊まりしていた部屋の様子を見ようか迷ったが、そこには足を向けず地下への階段を松明の灯りを頼りに下りる、フラックスを階段の傍で待たせておき、貯水槽の縁を通り目的の場所に歩を進める。
『リブルス』
秘密の脱出路の扉に向かい、解放を意味する言葉を発する。
『ありがとう』
扉に封じられていた小さき者はそう言うと、半透明な羽を羽ばたかせながら天井に広がる闇に消えた。
松明を下ろして暫くの間、何所からか流れる落ちる水の音に耳を澄ませていた、そして驚く、嫌気が差していたはずのあの頃を懐かしく思い返している事に。
「チッ」
腹の底から嫌悪感が湧き上がり、その余りの気分の悪さに耐え兼ねて足元に唾を吐くが、その行動と同時に、人々の使う飲み水の近くに唾を吐いてしまった事に対して落ち込む。
城内を案内する間ただ不思議そうな顔をするばかりのフラックスを中隊の許に戻し、自分は二人の傭兵隊長が待つ広間に向かう。
フーダンとギノウスは少し困惑した表情をしており、何事が起きたかを訊ねるが、その前に城中の織物を集める様に家令に命じる、壁に掛けられていた織物で手を拭く兵卒を見かけたからだ。
「ウルの王女を名乗るエメラルダ様があいさつに来られたのですか、自分達はウルに姫様がいる事を知らずに大変失礼な態度を取ってしまい、謝罪しようと城内を捜した訳ですが、何処にも見当たらず困り果てております、もしもこの件でウルの怒りを買い、彼の国がヴェツアークから手を引く事態にでもなれば、我々は敵の中で孤立する可能性もあります、その事を考えると途轍もない失態を犯したと――」
二人の傭兵隊長は給料の引き上げのために焦っている振りをしている訳ではない様で、このままでは深刻な事態に陥るかも知れないと案じていたが、自分が気になるのはウルのエメラルダという姫のことだった、ウル王の子供は女ではなく男であったはず、年頃は二十代中半、予め相手の人相を知っておこうと取り寄せた絵画に描かれているのは、鎧を着込んではいるが鼻筋も通り口髭を生やした優男にしか見えない。
「とにかく、ウルの王女に会って話しをしよう、要は支援を続けさせればいいのだろう、それでそのエメラルダ様は何処に」
濡れた様に艶やかな黒髪、鋭い目つきに細い眉、薄い唇と高い鼻、細い顎に痩せた頬、透き通るように白い肌、織り込まれた豪勢な黒い長衣、その上には刺繍が施された外套、傭兵隊長の二人にエメラルダの人相と服装を訊ね、捜していない場所を訊くと、城主一家の居住区だと彼らはいった。
「では何故捜しに行かない、使用人達の寝台の下を覗くよりもはるかに楽なことであろうに」
「できればあの扉の中に入りたいと思っていますが、錠は強固で家令は鍵を持たず、破城槌を使おうにも王の私物を破壊する行動は貴方様の許可がいると思い、また使用人達専用の扉を使おうにも、我々が彼方の出入り口を使えば兵卒達の士気に影響する事もありますので、どうしようもない事でございます」
自分の言い方は伯の身分である両者の自尊心を傷つけた様で、ギノウスから僅かな殺意を感じ取るとフーダンが進んで言い訳を言う。
「そうだったな、兵卒達を遣って失礼があれば我々をさらに深刻な状況に陥れる事になっていたかも知れない、賢明な判断だ。
待っていても出てこないと云う事は、私ひとりが来るのを待っているのだろう」
人気のない城主の居住区はまだ敷物が藁に取って代わられる様な状態ではなく、当時の雰囲気をそのままに残していた。
騎士達の控室にウルの姫様がいる訳もなく、執務室や娯楽室を覗くが誰もいない、まさかと思い城主と奥方の寝室に入るがそこにも人の姿はなかった。
衣装部屋や書庫を見た後、嫌な予感がして後回しにしていた部屋の扉を開けると、そこには一人の女性がいた。
「今更戻ってきてもお前のお姫様は死んだ。
彼女はお前の様に器用な娘ではない、百万の民を護るために自らを殺しランツ王の子供を産んだ。
その行為はとても美しいとは思わないか」
アンネリーゼの部屋に入るなり、部屋の中央に立っていた人物からそう言われる、捜していた者の人相と服装は一致していた、一瞬分からなかったが、その冷たい印象を受ける声に聴き間違いはない。
病んでいた自分を介護する五つ歳が離れた女性、幼い自分は彼女を大人だと思っていた、しかし十年と少しの時を経た後、再び出逢って思う、大人だと感じていた彼女もまだ子供だったと云う事に。
エメラルダの問いには応えずに部屋の中に入ろうと一歩を踏み出すが、過去の自分が非難してきそうな気がして少し躊躇する、何の違和感も感じ取れない位の躊躇であるが、彼女はその間に気付いたのか。
「半年だけ辛抱していれば、お前をウルに引き取る契約を確かなものとする事ができただろう、何れは爵位を与えて完全に別人としての人生を与えられたのに、漂流から生還した後、もしもアンネリーゼと再会する事を望めばウルはそれに協力したというのに、自暴自棄で傭兵になったかと思えば、今度は代役から役を奪い取りその地位に納まるとは、お前は一体何がしたい」
近づく自分を睨む様な目付きで見つめながら、着飾ったエリザはそう言う。
彼女の腰に手を回してその身を引きよせ、あの頃は少し身長の高かった彼女を頭一つ高い位置から見下ろす、エリザはその場から動く事なく、動じた様子もなく自分を見上げる。
「お前の本質的は自分に自信がないのに、周りの期待に応えるために自らを偽り、最後には自らを保てなくなり泣きじゃくる子供だ。
今度は誰の期待に応えるために何を演じる心算だ」
彼女の発した問いに対して正直に応える積もりはない。
「何時まで経っても一つの都市も攻略できない様な者に任せておいては、幾らウルが支援しようともこの国はやがてランツの物となるだろう。
自分がこうやって軍勢を率いて来たのは君にとっても迷惑な話ではない筈だ、そうではないか、パルミュラの目的の一つはエッパー領の占領であったのだから、それだけではないシーダからベイルに王権が移る際に勝手に王を名乗り、許可なく世襲を続ける貴国も標的になるのは明白、あの道化に集まるレムリニアスの権威をゲルマネスへ移す事も目的の一つかも知れない。
あの計算高く冷静なコーネスがその様な事を考えるとは想像しなかったが、彼もただの人間、過去の因縁や虚栄心とは無縁ではなかったのだろう。今後の危機よりも六代も前の祖先が犯した失敗の方を恥じるとは、以外にも人間味があるとは思わないか。
もしも貴国がランツの王弟をヴェツアークの玉座に据える事を認めれば、パルミュラと暫くの間は戦う事もできようが、その様な小細工で維持される国の行方など、大国が争う海の中で無様に沈み消えて行くだけ、だからこそウルはヴェツアークの王位継承権に介入したのではないか。
私が率いる凡そ三万の軍勢が在れば、ランツやネルツヒトを恐れる必要も無くなるだろう、それはパルミュラのゲルマネスでも同じ事だ、英知の全ては我が思考から発したもの、全ての混乱を治めるために私は戻って来たのだ」
エリザは目を細める、自分の言が真実を語っていない事を察したのかも知れない、若しくは始めから何かに気付いているのかも知れない。
「一度言葉にしたからにはお前にはそれを遂行しなければならない、それを護る限りウルは予言の者と共に歩みましょう」




