華やかな戦いは
巻き上げられた砂塵で口の中は軋み、血液を吸い込み黒く変色した泥が足に纏わり付く、辺りに鳴り響くのは怒号と音頭をとる鼓の音、時折だが高らかに角笛の音も吹き渡る。
「我が方の左翼は既に後衛まで敵に食い込まれているようで、撤退に移るのは時間の問題かと思われます。
傭兵隊長殿に諭されて王はまだ戦場に留まっている様ですが、私見を申し上げますと、中央の後退も時間の問題かと思われます」
「やはり我々が右翼に就いて良かったではなかったか、もし奴らがこの持ち場に就いていれば、右翼どころか中央まで崩壊させていたかも知れないぞ」
情報収集から戻って来たフラックスの報告を聞き終え、軍議の際に我々を罵倒した同僚達の戦列に向け皮肉を言い放つ、勿論彼らには届かないが言わずにはいられなかった。
このまま戦列を維持しても敵の中に孤立するだけだ、しかし未だに敵と交戦もしていない部隊を後退させれば、それこそ全軍を崩壊させる切っ掛けになるかもしれない。
やはり小隊長一人に四百人前後の指揮を任せるのは間違いだ、前衛の小隊長は中隊長の指示がないために混乱している、班長と小隊長の間に、副官でもその代理でも何でもいいから役職を設けないから、兵卒の動揺を抑えることができないのだ。
祖先をたどれば血縁関係があると考える王達の戦いは、身代金を得るために流血を必要としないものだったが、ライオネルが率いる魔獣との戦いに始まり、キルキアに侵攻した蛮族との戦いによって、戦争は殺し合いへと変化する過程にあり、戦に関わる者達は混乱しつつ新たな戦術を模索していた。
敵の騎兵や歩兵の突撃力を弱めるために、戦列を前衛と後衛の二層に分けて配するのは良いが、今までの戦い方を完全に棄てる事もできずに何ができるというのか、この戦術は士気が高く訓練が行き届いた軍団が行うべきもので、その意味や精神を理解していない所か、遠目でも見た事もなく、単に聞いただけの戦術を皆が真似ているからというだけで、隊伍を保つ意味も解らない酔っ払っている奴らに務まる訳がない。
「ノリアの薬缶頭は何所に行きやがった」
不快を唾と共に足元に吐き出し呟く。
このままでは負けるだろう、敵に食い込まれ崩壊して行く前衛を見ながら考える。
王が早めに休戦の使いを相手に送り、休戦のために話し合いが行われれば、その間に軍を立て直す事もできるだろう。
だが右翼の前衛は既に敵に食い込まれ動揺している、このままでは他の戦列と同じ様に敵の侵入を許すだろう、その様な事態に陥れば逃げて来る味方により後衛の隊列は乱れ、前衛を追ってくる敵により戦列は完全に崩壊する。
羊皮紙に自らの考えを書き留めると叫ぶ。
「フラックス、今度は連隊長の許に行き、この紙を渡してくれ」
そうフラックスに言うと、自分は櫓から飛び降り部隊の許に向かった、逃げようとする兵卒が後衛に接近しているのが見えたからだ。
「一人も通すな」
後衛として待機している部下に命じる。
持場から逃げ出し後衛に向かってきた兵卒達に対して、戦列に戻る様に怒鳴るが、彼らの顔には恐怖しかなく、こちらに向け武器を振り上げ威嚇する者までおり、自分は彼らを怒鳴りつける。
「早く振り返れ、仲間と共に左右を固めろ、今のお前達が生き残る方法はそれしかない、これ以上敵に背中を見せる積りならば俺達がお前を殺すぞ」
怒鳴りつけた兵卒を良く見る、彼は兜を着けていなかったので判らなかったが、鎧の上から狼の外套を着けており、彼が旗手である事に気が付く。
「旗持ちがなぜ真っ先に逃げる、それも旗も持たずにッ」
自分は第一列から飛び出し投げ捨てられた旗を拾い上げると、大きくそれを振りながら敗走しようとする者達の中を逆走した。
旗を持つ自分を見て敗走する者達の中から立ち止まる者が現れると、彼らは逃げ出そうとする仲間の肩を掴み旗に集まる。
持ち場に留まっていた前衛は、既に敵味方入り乱れての戦いを演じていた。
「鼓をもっと打ち鳴らせ。
鬨の声を上げ敵と味方に我々の襲来を知らせろ」
集まった十五名余が叫び声を上げ敵に向かい走る、我々に気が付いた敵兵は動きを止めた、自分と同じ様に派手な兜を身に着けた敵の指揮官らしき男も我々に気付く、彼は素早く周囲の兵卒に指示を出すが、兵卒数名が慌てた様子で逃げ出すと、他の者もそれに倣い逃げ出したために、彼は慌てて退却を叫び、懸命に戦う同僚達の動揺を抑えようと試みるが、多くが武器を捨てて逃げ出す。
指揮官の命令を無視して我が方の前衛と戦い続ける敵兵は、突撃してきた我々に挟撃される形となり、数において劣勢となって円陣を組み応戦するが、完全に包囲されると戦意を失い、武器を捨て降伏の意志を示した。
前衛の指揮を任されていたダブルスに後を任せておき、逃げて来た兵卒を鼓舞し再び整列させていると、今度は自分が指揮する最左翼の隣に並ぶ前衛が崩壊、隊列を突破した敵兵はその背後に控えていた後衛に突撃を仕掛けた。
――このままでは戦列が崩壊してしまう――
「フラックス、フラックスはどこだ」
「フラックスは小隊長殿の御命令で、連隊長の許に行ったではないですかっ」
「あゝ、そうだった、ならばアルギス、お前が彼らを率いてギョーグ小隊の右側面を固め、敵をこちらに寄せつけるな」
左隣りの小隊に食い込もうとする敵兵を指指さしながら、恨めしい表情をして自分は叫んだ。
自分が指揮する部隊の右、最右翼と森の間には荷車を置いて障害物としている、まだそこまで敵は侵入してはいないものの、このまま押され続ければ前方の敵を相手にしながら障害物を突破した敵に背後を衝かれてしまうだろう、そうなる前に我々も撤退を考えなければならない。
騎兵と弓兵が欲しい、あの貴族の使う重装備な物ではなくてもいい、右手に広がる森から騎兵を敵の背後に回り込ませる事ができれば、敵の攻勢を一気に抑える事ができるのに。
「いいや、所詮こんなものはお遊びにしか過ぎないか」
そんな事を考えている内、敵がギョーグの隊列を突破した。
逃げ出す味方を通すために隊列を広げ過ぎたのだ、ギョーグの隊が崩壊すれば我々の隊は敵に背後を曝す事になる。
「ゴンフロース、チャットフロアー、お前らの部隊で出てきた敵の側面を衝け」
二人の副官は配下の六十名に突撃の合図を出す。
叫び声を上げながら兵卒達は走り、後衛の戦列を切り裂き出てきたばかりの敵側面に切り掛かる。
このまま敵を追い返す事ができればいいのだが、これに手間取る様な場合、さらに兵卒をギョーグの許に向けるべきか、しかしこれ以上は縦深を薄くできない、戦列が崩壊する前に撤退の指示を出すべきか。
ギョーグの隊列から叫び声が上がる、敵を完全に退けたのだ、さらにアルギスの伝令兵が同じ内容を報告し追撃の許可を求める。
「よし、このまま右翼の前衛に迫る敵の左翼に攻勢を掛けるぞ」そう言おうとした時、ギョーグから撤退に移る事を伝えられた。
「何故だ、今から攻勢に出れば敵の左翼を突き崩す事ができると言うのに」
「レモンド小隊長が隊列の崩壊を止められず、右翼の左側面が完全に崩壊、このままでは敵に背後を衝かれる恐れがあるからです」
そう言っている間にギョーグの戦列は撤退に移るために反転すると列を乱して走り出した。
何と言う事であろうか、せっかく戦いを有利に進める事ができるかも知れなかったのに、しかし敵が怯んでいる今が最も安全に撤退できる状況なのも事実だ。
中隊長程度の指揮権があればこの状況を打開できる策があるのに、そう思いながら撤退の指示を出した。




