安穏
陽が昇る前から砦は大変な騒ぎとなる、五年以上勤めていた信頼の厚い七人の使用人が刺客だった上に、兵卒の中に共犯が六名もおり、城の警備体制が見直される事になったからだ。
さらに皆を驚かせたのは、陰謀に気付き十三人の刺客の内四人を斃したのは、入ったばかりの使用人だったことだろう。
しかし、事を成し遂げた自分は、使用人用の地下牢に入れられていた、城から脱さずに残ればこうなる事は予想していたから仕方がない、最悪の場合は奴らの仲間と判断されて処刑されること、次に最悪なのは死ぬまで牢に入れられた状態で過ごすかだが、一番自分にとって都合が良いのは、礼金として大金を受け取った上に、自由民として生きる事が許される事だが、これは高望みをし過ぎなのかもしれない。
売り手であるユーリーとのやり取りで、自分の身元を確認したのだろうか、ジョルジュは自分が何者なのか追及を行わずに一言だけ礼を言う、そして自分に短剣を渡して命じた「日中は常に姫の側に控えよ」と、古くからいる使用人も兵卒も信用できず混乱している今の城の中で、信用できる者の一人として認められたのだ。
アンネリーゼの護衛を任されるほど信頼されたという事実は嬉しいのだが、何故に奴隷身分のままなのか疑問であった、近習や従卒にでもしてくれれば良いのに、それをするほどは信用されていないということか、役に立たない奴らよりも良い働きをしても奴隷は信用しないということか、その事実に思い至ると少し残念に感じた。
奴隷のままアンネリーゼの護衛を任された自分は家令に促されてお姫様に挨拶をする。
礼儀として彼女の目を見ない様に目を逸らしていたのだが、その際に思う、どこの貴族であろうと自分より身分が低いと認識している者に対する態度は同じで、彼女は自分の方を見ることなく、部屋に残る自分を存在しないものとして、侍女達とのお喋りを続けだ。
アンネリーゼの日々は勉強と侍女とのお喋りで消費される、母親に代々伝わる刺繍の柄を教わる日もあれば、乗馬と槍を訓練するために馬で駆け回る日もある、城の中庭にある畑で育てている香草の摘み、夜は自室で刺繍や読書を行う、自分は彼女のその姿を目の端に捉えながら、流れて行く雲を見ているだけで一日が終わる。
もしも独りで馬に乗る事が許されていたならば、逃げ出してしまおうかと思った、だが行く当てもない旅に出るより、お姫様を護衛する一人という、簡単で殆ど責任の無い仕事に少しばかり満足してしまい、このままこの城に居続けるか、正式な形で城を出る事が許されれば良いのではないかと考え、何度かあった逃亡の機会を見過ごした。
久方ぶりにユーリーから手紙が届く、家令は自分が文字を読める事に驚きつつも、騎士達が苛立つので彼らの目がある所で読まない様に念を押された。
手紙の封蝋は解かれた、中身を検閲したのだろう、羊皮紙は綺麗に切り揃えられており、その四つ角には繊細な模様が書き込まれている、誰かに代筆でもさせたのかとても綺麗な文字が並ぶものの、その内容は読むに堪えない自己賛美のみで、売った奴隷が王様の信頼を得た事が嬉しい事しか伝わらないものだった。
本当に退屈な日々が続く、周りに居る侍女達は高貴な出身のために自分を存在しない様に扱い、しかもお姫様の部屋の前の回廊で独り眠るので、同年代の少年達とも会話する機会はなく、独り言を発する事も抑えなければならないので、誰が目の前に居ようか関係なく叫び声を上げたい気分になった。
少し息抜きでもしたいと思っていた時、城下町で行われる予言の者の誕生日を祝う催物にシューバ家の家族が招待された。
この時期、パルミュラの至る所でも催されている行事と同じ物だとしても、街に下りる事ができると聞いた時、少しでも気晴らしが出来るのではないかと期待した。
ジョルジュが神殿に生贄の羊を捧げ、アービエル・ネイ・レムリニアスの誕生を祝う式典が開催される、立ち並ぶ露店から流れる香ばしい匂いの中、シューバ家の人々は歩きながら大通りを通る、ジョルジュが輿に乗る事を拒むからだ、これも城主の人気取りの一つなのかもしれない、実際に輿に乗って移動している姿を見せられるより、国民と同じ目線にいる城主達に好意を感じるのは事実で、多くの人々が王に笑顔で手を振る。
城下町は古い建物を残したまま拡張しているので、劇場が大小五つあり、其々に城主は赴き観客に施し物を配り、最後に到着した一番大きな劇場でシューバ家の人々は演劇を観覧する。
パルミュラ王も機会が在る度に施し物を配っていた事を思い出して、招かれたというのは建前で、この式典はジョルジュの人気取りのために、彼自身が資金を提供している可能性に今更ながら思い至る。
劇の内容も生まれた時から嫌になるほどに聞かされ続けている物と同じ、現キュキュンベル伯アービエルが焼け焦げた妊婦の死体から自分を取り上げる場面、レムリニアス同盟を成立させた諸王達の勇ましい演説、パルミュラ王が赤子を養子として迎え入れ、その名をキュキュンベル伯に因んでアービエルとする、そして、アービエル・ネイ・レムリニアスが勇敢な若者へと成長する嘘と偽りの物語に進む。
「我が名は、アービエル・ネイ・レムリニアス、炎を産湯に浸かり、この世に生を受けた。遥か昔、闇の大公によりこの大陸の片隅に追い遣られ、滅亡の危機に瀕するお前達人類を救うために神々の代理としてこの地に舞い降りた。
人は我を王の中の王と讃える。
人は我を始まりの王と讃える。
人は我を第一人者と讃える。
魔獣どもの王に魂を売りした愚かな男を討つために、全ての災厄から我が子供達を救うために再びこの世に舞い戻った。
さぁ子供達よ、我の前に跪き忠誠を意の我に示せ、さすれば迫る危機からお前達を救い出し、我が千年王国へ導こう」
尊大な事を言う予言の者は、その言葉通りに役者が扮する魔獣の軍勢を蹴散らし、追詰められたライオネルは命乞いを行う、その演技はライオネルを浅ましく最低の男として表現し、無情な予言の男は魔獣に魂を売った男の首を刎ねる動作を行い、その偽物の首級を天に向かい掲げる、そんな青年の物語、まるで既に起きた事の様に語られる。
そして作り物の首を掲げる青年に、観客は立ち上がり喝采を送る。
防衛線が接する国の首都だ、自分の恋人や親兄弟がマニシッサ河で今も冬営でもしているのか、歓声を送る観客の中には涙を流す人々もいる、一方シューバ家の人々も劇が終わると同時に立ち上がり喝采を送っていたのだが、その横顔は感動している様には見えなかった。
観客の拍手を一身に浴びる予言の者を演じる男、半裸で筋骨逞しい男、仮面でその表情は判らないが、その眼は恍惚としている様に見える。
それを見る自分は思うのだ、何と無責任な事をしてくれる、お前はそうやって喝采を浴びていればいいだけ、お前が演じた劇を見た観客の期待に応えるために、本物のアービエル・ネイ・レムリニアスは百万の兵を率いる相手にどうやって戦うと言うのだ、どうやってライオネルに立ち向かえば良いのか教えてくれ、自らにできない事を何故他人に期待する、周りの連中もそうだ、お前達は何を求めている、お前達が感動している予言の者はここだ。貴方達は自分が命じたならば、魔獣達に向かい突撃するというのか、自らの命を惜しむ事なく喜んで無駄死にできるのか、ならば何故ここにいる、どうして防衛戦で戦わない、予言の者に期待だけして自分達で事を起こそうとはしないのだ。
何故自分の身を危険に曝してまで、自分を死に追立てる者達の希望を叶えなければならない、本当に叶えられるのならばそれも良かろう、しかし、一度も負けずに一人の命も失わずに戦いを終わらせる事など出来る訳がない、物語の自分に期待している奴らのことだ、たった一度の失敗も許すはずがない、裏切り者と罵られ最後には無残な死を強要されるに決まっている。
しかし、自分の中の正義が叫ぶ、湧き上がる罪悪感に負けそうなり、そんな事を考える自分が恥ずかしくなる。
本当に臆病で何て我儘な子供だ、自分が死にたくないばかりに他人を嘲り、自分を正当化しようとしているのではないのか、世界に平和を齎す事ができるのならば、自らを犠牲にしてでもそれを成すべきではないか、それは黄金の様に貴重で価値のある崇高な精神ではないか、この行為を否定する自分は途轍もない卑怯者ではないのか。
「人類の救済が目的ではない
そんな些細な事など捨ておけ
裏切り者を斃す事こそ我が使命
今度こそ牙の一本も残さずにこの世から消滅させる事
人間などそのための兵にしか過ぎない
万の民が苦しもうと気にするな
脇役の戯言に耳を傾けるな」
我に返る。
何処から湧いて出て来たのだろうか、今までの自問自答を声に発していなかったかと恐ろしくなり周囲を見回す、護衛の騎士も立ち上がり壇上に向かい拍手を送り続けており、自分に違和感を懐いている者はいない、そう思い安心したのだが、騎士と侍女を挟んで立っているアンネリーゼの瞳が自分に向けられていたのに気付く、驚きと共に慌てて視線を合わせないようにする、目の端に映っていた自分が忙しく頭を振ったので驚いたのだろうか、それとも彼女にだけ自分の声が聞こえていたのか、取り敢えず何を思ったのかは判らないが、弁解をする事もできないので、何事もなかった風を装い、自分は主役を演じる役者に向けて拍手を送ろうと両手を上げる。
拍手をしながら違和感を覚える、先ほど辺り見回した際、後方で立ち上がっていた観客の中に、見知っている顔があった様な気がしたからだ、右斜め後ろを振り返り確認を試みるが、そこに目的の人物は居なかった、誰も居らず空間だけがあった、そこに誰も居ないからこそ気のせいではない事を確信する。
小さくしか見えなかったが、パルミュラで見た事のある姿だ。
もう一年前の事か、エリザと共に居た男の一人、長い髪を後ろで縛り、細身の顎にこけた頬、浅黒い肌の男、名前は知らないが、確かにあの時にいた男ではなかったか、このまま見過ごす訳にはいかない、小便が我慢できない振りをしてその場から離れ、一般の観客が通る通路に出る、そこには一足先に出て行く観客の姿がちらほらと見える、このまま退出する客の流れに反って観客席に向かう階段を上がるべきか、それとも待ち構えるべきか、しかし出入り口は一つではない、だが待ち構えて当てが外れた場合、市街地に入られればもう二度と探し出す事は出来ないのではないか、足を止め階段と出口を交互に見ていると、後ろから声を掛けられる。
「どこに行くの、逃げ出すつもり」
振り向くと、そこにはアンネリーゼの姿があった、彼女の側には侍女も護衛も誰もいない、慌てた表情で自分の顔を見つめるお姫様が一人で立っていた。
姫様の単独行動を許すなんて、騎士達の目は何所に付いている、しかし、悠長に考えている暇はない、金銀や宝石で飾り付けられた装飾品を身に着け、複雑な刺繍が施された華やかな服装の少女を独りにするのは危険だ、一刻も早く観客席に居る城主の許に戻さなければならない。
「こんな所に居るのは危険です、早く城主様の所に戻りましょう」
こちらを真直ぐに見つめるアンネリーゼから視線を逸らし言う、彼女は何かが納得ができない様子だったが、僅かに頷くと来た道を歩き出した。
お姫様が居ない事に気付いたのは侍女だけであったので騒ぎにはならならずに済んだ、というよりも侍女がアンネリーゼの単独行動を許した様だ、これはとても問題だと思ったが、自分も責任を追及されそうなので黙っておくしかなかった。
使用人なのか護衛なのか判らない子供が逃げ出そうとする事に対して、何故アンネリーゼは慌てていたのか、漠然と不安を感じつつ、自分はエリザの仲間を見つけ出して何をしたかったのか考える。
考えてみれば話す内容など何もないではないか、奴隷として売られた直後は報復も考えていたが、今はそう思わない、しかし、お礼を言う積りなどありはしないのだから、追い掛けても大した意味はなかった、その様に考えて彼を見つけ出す事ができなかった自分を慰める。




