第9話 騎士団の門前――塀の向こうの光
出かける前に、リリナは一度、自分の部屋へ戻った。
氷の花が咲く小瓶と紙の花を、窓辺にそっと並べる。
少し眺めてから、皆の待つ玄関へ向かった。
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アルメアの日傘が、前を進んでいた。
白銀の刺繍が陽に光り、柄を持つ腕には、薄絹の日除けが巻かれている。
リリナは自分の袖へ目を落とした。
同じ外出でも、支度の仕方が随分違う。
隣を歩くエリオンへ、声を落とした。
「先ほど、レンセリオン様は、このあとも務めがあると仰っていましたよね」
「ええ」
「伺っても、大丈夫なのでしょうか」
「ご都合を聞いて、難しければ出直しましょう。ここにいらっしゃるとも限りませんし」
「……怒られませんか?」
「片眉を上げられるかもしれませんね」
思わず彼を見ると、エリオンは笑っていた。
その視線が、ふと空へ移り、リリナも見上げた。
建物の向こうに、白い塔があった。
頂に、巨大な竜が翼を畳んでいる。
「ルクシオン……」
白銀の鱗が、遠くからでも見えた。
昨日は空を巡っていた姿が、今は塔の一部のように動かない。
「あの辺りが、騎士団本部です」
エリオンの言葉を聞きながら、リリナは竜を見つめた。
レンセリオン様も、あの下にいるのだろうか。
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正門の前へ着くと、レヴィアンが足を止めた。
アーチは高く伸び、外壁にはルクヴェル王国の紋章が刻まれていた。
その奥には、白い塔が見えていた。
「……ここが、騎士団本部」
レヴィアンはしばらく見上げていた。
正門は閉じられ、付近に騎士の姿もなかった。
「どちらにいらっしゃるのでしょうね」
アルメアが日傘を傾けた。
「どなたも見当たりませんね。取次ぎをお願いしたかったのですが……」
エリオンが、塀の向こうへ目を向けた。
そのとき、鋭い音が響き、レヴィアンが顔を向ける。
「剣の音ですね」
続けて、掛け声が聞こえた。
エリオンが音のする方へ歩き、三人もあとに続いた。
塀沿いを進むと、打ち合う音が近くなった。
「この奥が、練兵場でしょう」
リリナは塀を見上げた。
背伸びをしても、向こう側は見えない。
「レンセリオン様も、こちらにいらっしゃるでしょうか」
「確かめてみましょうか」
エリオンがリリナを見た。
「少し、覗いてみてください」
「……私ですか?」
「もし中にいらっしゃれば、リリナ姫様の姿には気づかれるかもしれません」
「では、私もお手伝いします」
レヴィアンが進み出た。
エリオンと腕を組み合わせ、ふたりで腰を落として足場を作る。
リリナは、その前で立ち尽くした。
「この腕に乗ってください」
「ここに、立つのですか……?」
リリナは組まれた腕と塀の高さを見比べた。
「私……重くありませんか?」
レヴィアンが笑った。
「大丈夫です。力には自信がありますから」
「塀を越えるのではありません。顔が出るところまで、お上げします」
エリオンの言葉に、もう一度塀を見上げる。
その向こうで、剣が鳴った。
「……お願いします」
衣の裾を押さえ、恐る恐る足を乗せた。
「……まあ。大胆な方法ですわね」
アルメアは日傘を持ち直し、少し離れた。
エリオンがリリナへ目を向けた。
「持ち上げます。塀の縁を、両手で掴んでください」
リリナはうなずいた。
ふたりが立ち上がると、地面が遠ざかった。
リリナは息を呑み、石の縁へ手を伸ばした。
指が掛かる。
少し身体を起こすと、塀の向こうが見えた。
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広い練兵場だった。
何組もの騎士が向かい合い、剣を交えている。
打ち込む者。
退く者。
一度剣を下げ、相手の足の位置を直す者もいた。
先ほど聞こえていた音が、目の前の動きと重なった。
リリナは近くの区画に目を留めた。
白銀に金縁の鎧。
街で見た、第一騎士団の騎士たちだった。
歩いていたときには揃っていた姿が、ここでは一人ひとり違う速さで動いている。
剣を受け損ねた騎士が、一歩下がった。
相手が何か言い、ふたりはもう一度構えた。
「見えますか?」
足元からエリオンの声がした。
「はい。でも、大勢いらっしゃって……」
リリナは奥へ視線を移した。
白い上衣の青年が、剣を手に立っていた。
向かいには、赤金の髪をした騎士がいる。
青年が身体の向きを変えた。
白銀に近い灰色の髪と、見覚えのある横顔。
「レンセリオン様も、いらっしゃいました」
声が弾んだ。
そのとき、塔の上でルクシオンが動いた。
長い首がこちらを向き、畳まれていた翼が開く。
リリナは思わず見上げた。
白い塔から身体が離れ、竜が空へ舞い上がる。
大きな翼が一度、ゆっくりと動いた。
こちらへ来る。
そう分かったときには、リリナは塀の縁を強く握っていた。
「……ルクシオンが」
「どうされました?」
エリオンの声が聞こえた。
けれど、リリナは目を離せなかった。
竜は塀の上へ近づくと、ふわりと進路を変えた。
風が頬を撫で、後れ毛を持ち上げた。
白い翼が頭上を覆ったかと思うと、ルクシオンは再び高く昇っていった。
怖い風ではなかった。
リリナは息を吐き、練兵場へ視線を戻した。
レンセリオンがこちらを見ている。
目が合ったと思うと、嬉しさがこみ上げた。
「あ……」
思わず手を振ろうと片手を上げた途端、身体が傾いた。
慌てて塀を掴み直そうとしたが、指が石の縁を滑った。
「……っ!」
足元の支えから片足が外れ、視界が大きく揺れた。
「姫様!」
レヴィアンの声と、腕を掴む感触。
次の瞬間、エリオンが身体を寄せ、リリナの背と腰を抱きとめていた。
地面へ落ちるはずだった身体が、その腕の中で止まる。
リリナは彼の衣を握りしめたまま、しばらく息ができなかった。
「……大丈夫ですか」
顔を上げると、エリオンの眉が寄っていた。
いつもの微笑みはない。
リリナは何度もうなずいた。
「はい……」
「なぜ手を離したのです!」
アルメアが、すぐそばへ来ていた。
「見ているこちらまで、息が止まりましたわ」
「すみません……」
ふと、頭上に気配を感じた。
エリオンの腕の中から見上げると、レンセリオンが塀の上に片膝をついていた。
肩で息をしながら、こちらを見下ろしている。
四人とも、言葉を失った。
エリオンにゆっくり降ろされ、石畳に両足がつくと、リリナはほっと息を吐いた。
レンセリオンは塀から飛び降りると、まっすぐリリナへ歩み寄った。
「あなたの姿が急に消えたので……焦りました。お怪我はありませんか?」
「はい」
リリナは頭を下げた。
「驚かせてしまって、申し訳ありません」
「……無事でよかった」
その短い言葉に、リリナは唇を結んだ。
(……失望させてしまっただろうか)
レンセリオンの視線が、エリオンへ移った。
「説明を」
「騎士団本部を拝見したいとのことで、案内しておりました」
レンセリオンの片眉が上がった。
「殿下!」
正門の方から、赤金の髪の騎士が駆けてきた。
先ほど、練兵場でレンセリオンと向かい合っていた人物だった。
「ああ、大丈夫だ」
レンセリオンが応じたそのとき、レヴィアンが一歩進み出た。
「騎士団本部を見たいと申し出たのは、私です」
レンセリオンはレヴィアンへ目を向け、それからエリオンへ向き直った。
「……では、正式にお入りください。騎士団本部をご覧になるなら、剣の相手もしていただこう」
エリオンは、その目を見返した。
「……分かりました」
リリナはふたりを見た。
先ほどまでとは違う緊張が、そこにあった。
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『塀の向こうの眼差し』




