第8話 四つの席、香り立つ風
会食の間へ入ると、先に座っていた青年が立ち上がった。
焦げ茶の髪に、落ち着いた茶色の瞳。
しっかりした肩をまっすぐに伸ばし、彼はふたりへ一礼した。
「レヴィアン・アード・テルメナです。よろしくお願いします」
エリオンに続き、リリナも名乗った。
レヴィアンの視線が、リリナに留まる。
「噂は聞いていました。セレフィアの姫は、花に喩えられるほど美しいと。お会いできて光栄です」
「……ありがとうございます」
どう答えればよいのだろう。
そんな噂があることも、知らなかった。
「私も、お会いできて嬉しいです」
ようやく返すと、レヴィアンは微笑んだ。
隣から、エリオンが話しかける。
「山脈越えに、もう少し時間がかかるものと思っていました」
「天気に恵まれまして。予定より早く到着できました」
「それは何よりです。僕の方は、馬車の車輪がぬかるみに沈んでしまって」
エリオンが苦笑した。
「後方から来られたリリナ姫様に、助けていただきました」
レヴィアンがリリナを見る。
「姫が、ですか?」
「少し、一緒に押しただけです」
泥の跳ねた靴を見て、エリオンと笑ったことを思い出す。
彼も同じ場面を思い出したのか、こちらへ目を向けていた。
「忘れられない出会いになりました」
その言葉に、リリナは目を伏せた。
笑みがこぼれるのを、隠しきれなかった。
「もう、すっかり打ち解けていらっしゃるようで」
レヴィアンはそう言って、空いている席へ目を向けた。
「こちらには、どなたが?」
「スィルファリオンの姫君でしょう。先ほど到着されていました」
三人は腰を下ろし、もうひとりを待つことになった。
⸻
リリナの向かいには、レヴィアンが座っていた。
目が合うと、彼は会釈するようにうなずいた。
リリナも微笑み返す。
けれど、先ほどの褒め言葉を思い出すと、何を話せばよいのか分からなくなる。
膝の上で指を重ねていると、隣で小さな音がした。
エリオンが、卓上の薄紙を折っていた。
指先が角を揃え、折り目をつけていく。
「何をされているのですか?」
小声で尋ねると、彼は笑ったまま、もう一度紙を折った。
最後に、重なった端を少し開く。
差し出された手のひらに、小さな花が載っていた。
「……可愛い」
受け取ると、薄い花弁に指先で触れた。
「器用ですね、エリオン殿」
向かいからレヴィアンも覗き込んだ。
リリナは彼にも見えるよう、手のひらを開いた。
「紙一枚で、こんなふうになるのですね」
レヴィアンが感心したようにうなずく。
花を卓上へ置こうとしたとき、扉が開いた。
三人が顔を上げる。
入ってきた姫君は、扉の前で立ち止まり、衣の裾を持って一礼した。
「アルメア・アルシェ・スィルファリオンでございます。以後、お見知りおきくださいませ」
来賓館の前で見た、あの姫だった。
リリナたちも立ち上がり、順に名乗った。
エリオンへ視線を向けたとき、アルメアの微笑みが一瞬止まった。
リリナは隣を見た。
エリオンは挨拶を終えると、静かに椅子を引いていた。
レヴィアンが座り、リリナも続く。
けれど、アルメアだけは立ったままだった。
(……どうされたのだろう)
彼女は椅子の背に手を添え、待っていた。
レヴィアンが気づき、すぐに立ち上がった。
「どうぞ」
椅子を引くと、アルメアは微笑んだ。
「ありがとうございます」
腰を下ろす動作にも、衣の裾を整える手つきにも、迷いがなかった。
リリナは、自分の膝の上の衣をそっと直した。
⸻
澄み汁が運ばれてきた。
アルメアが匙を持つ。
その手首の角度も、口元へ運ぶ動きも、リリナには綺麗に見えた。
(……同じことをしているはずなのに)
見入っていると、隣から声がした。
「こぼれそうですよ」
はっとして、自分の匙を見る。
匙が傾き、今にも汁がこぼれそうだった。
慌てて皿へ戻すと、エリオンが口元に笑みを浮かべていた。
リリナは小さく息を吐き、今度こそ澄み汁を飲もうとした。
そのとき、アルメアが小袋から硝子瓶を取り出した。
蓋を開け、澄み汁の上で軽く叩く。
淡い緑の粉が落ちた。
(……何を入れているの?)
香りが、食卓を渡ってきた。
アルメアはリリナの視線に気づき、小瓶を掲げた。
「スィルファリオンの微香草、セリヴァですの。乾燥させてあります」
「香草なのですね。こちらまで香りが届きます」
「“言葉より香りで語る”。それが、スィルファリオンの価値観ですわ」
アルメアは小瓶を脇へ置き、澄み汁を口へ運んだ。
リリナも自分の皿へ向き直る。
何もかけていないのに、ひと口すすると、セリヴァの香りがした。
次の料理にも、アルメアはセリヴァを振った。
肉に。
野菜に。
そして、ちぎったパンにも。
リリナは自分のパンを口へ運び、少し考えた。
やはり、同じ香りがする。
(……全部、スィルファリオンの味になってしまう……)
向かいのレヴィアンが、一度だけ鼻先へ手をやった。
けれど、何も言わずに食事を続けていた。
食後の茶が届く頃には、会食の間全体が香草の匂いに包まれていた。
エリオンが席を立ち、窓を開けた。
春風が卓上を通る。
リリナは慌てて、小さな紙の花を手で押さえた。
戻ってきたエリオンと目が合い、ふたりは少し笑った。
外の空気を吸うと、茶の香りが分かるようになった。
アルメアも目を閉じ、大きく息を吸った。
「気持ちのよい風ですこと」
その満足そうな顔を見て、リリナは茶杯で口元を隠した。
⸻
「皆さま、都はもうご覧になりましたか?」
アルメアが尋ねた。
「セレリオスの王子が到着されるまでは、自由に過ごしてよいそうですわね」
レヴィアンが茶杯を置いた。
「私は、まだ着いたばかりで。騎士団本部には、ぜひ伺ってみたいと思っています」
「騎士団に、ご関心がおありなのですか?」
リリナが聞くと、彼はうなずいた。
「はい。レンセリオン殿が第四騎士団を率いておられると伺いましたので」
(……騎士団を、率いていらっしゃるの?)
先ほど、来賓館で客人を迎えていた姿が浮かんだ。
このあとも務めがある、と言っていた。
客人を迎えるだけでなく、騎士たちを率いてもいるのだ。
エリオンが口を開く。
「テルメナは近ごろ、軍備に力を入れていると聞きます。鉱山と鍛冶技術を持つ国ですから、自国で武具を整えられるのは大きな強みですね」
レヴィアンの表情が明るくなった。
「ええ。ただ、武具を揃えるだけでは十分ではありません。ルクヴェルの軍制から、学べることがあると思うのです」
リリナは、ふたりの話に耳を傾けた。
同じ食卓で笑っていた青年が、今は国の先を考えて話している。
自分も、セレフィアについて尋ねられたら、こんなふうに答えられるだろうか。
アルメアへ目を向けると、彼女はゆっくりとうなずいていた。
レヴィアンが話し終えてから、少し間を置き、彼女は微笑んだ。
「では、皆さまで参りましょう。騎士団本部へ」
リリナは顔を上げた。
「今から、ですか?」
「ええ。せっかくですもの」
工房へ行くのとは、違う気がする。
エリオンも、少し困ったように笑った。
「騎士団本部は公的な施設ですので、自由に見学できる場所ではありませんよ」
「入れませんの?」
「レンセリオン殿にお会いできれば、ご相談はできるかもしれませんが」
「でしたら、探しに行きましょう」
アルメアは椅子を引いた。
もう決まったことのように、衣の裾を整えている。
レヴィアンも腰を上げた。
「ご迷惑でなければ、ぜひお願いしたいです」
リリナはエリオンを見た。
彼は小さく息をつき、それでも笑って立ち上がった。
リリナも紙の花をそっと持ち、席を離れた。
朝は、エリオンとふたりで出かけた。
今度は四人。
扉の前では、アルメアが待っていた。
「参りましょう」
その声に促され、リリナは皆とともに歩き出した。
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『風の国のひと振り』




