第6話 光と水の散策――氷花が咲いた日
目が覚めると、リリナはまず窓を見た。
窓掛けの隙間から、朝日が差している。
晴れている。
それが嬉しくて、いつもより早く寝台を抜け出した。
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朝食を終えて部屋へ戻ると、ほどなくマルナが訪ねてきた。
「姫様。昨夜は、よくお休みになれましたか?」
「ええ」
衣装棚の前から振り返ると、マルナが少し目を丸くした。
「今日は、髪もすっかり整っていらっしゃいますね」
リリナは耳元へ触れた。
いつもなら、後ろの一束が跳ねたままで、マルナに直してもらう。
「……今朝は、早く目が覚めたの」
「それは、ようございました」
マルナの口元が緩んでいる。
リリナは衣装棚へ向き直った。
「朝食のあとね、エリオン様がお茶を淹れてくださったの。アクエリシアから持っていらした、セレナス氷茶ですって」
「ああ、水精花の」
「マルナも知っているの?」
「ええ」
リリナは衣装を選ぶ手を止めた。
「冷たいのに、飲むたびに味が変わるのね。一口目はほとんど味がしなくて、次に花の香りがして……最後には、甘くなったの」
「三温の茶、とも呼ばれるそうですよ」
「そうなの? よく知っているのね」
「私も、いただきましたから」
リリナは振り返った。
「……誰から?」
「エリオン様の侍従、セリオ様からです」
霧の峡谷で、マルナに足元を気遣う声をかけていた青年を思い出した。
リリナが見つめると、マルナは手にしていた衣装を広げた。
「こちらはいかがでしょう。今日は、どちらかへお出かけですか?」
話題が変わった。
リリナは笑いをこらえながら、差し出された衣装を受け取った。
「ええ。エリオン様に、都を案内していただくの」
「昨日、お約束されたのですか?」
「……私から、明日も会えるか聞いてしまったの」
言葉にすると、昨夜の扉の前へ戻ったように落ち着かなくなる。
マルナは手を止め、それから嬉しそうに微笑んだ。
「そうでしたか」
「……少し恥ずかしかったの」
「でも、お会いしたかったのでしょう?」
リリナは衣装へ目を落とし、小さくうなずいた。
マルナは微笑んで、リリナの髪に残っていた細い後れ毛を整えた。
その手が離れたとき、リリナは顔を上げた。
「私たちが出かけている間は、セリオ様も少し手が空くのではないかしら」
今度は、マルナが言葉を止めた。
「……それでしたら、氷茶の淹れ方を教えていただきましょうか。姫様にも、お淹れできるように」
「うん。楽しみにしてるね」
ふたりは目を合わせ、同時に笑った。
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来賓館を出ると、エリオンがリリナの隣へ並んだ。
昨日は知らない道だった石畳に、今日は見覚えがあった。
噴水へ向かう角。
窓辺に花を飾った店。
それでも、通りの先にはまだ知らない景色が続いている。
「晴れてよかったです」
リリナが言うと、エリオンも空を見上げた。
「行ってみたい場所はありますか?」
「まだ、何があるのかも分からなくて……」
通りへ目を戻す。
軒先に吊るされた小さな飾りが、風に回っていた。白く光ったと思うと、次には青く透ける。
リリナは足を緩めた。
「今、色が変わりました」
エリオンもその飾りを見た。
「ルクヴェル硝子ですね」
「硝子なのですか?」
「ええ。きらきらしたものがお好きですか?」
リリナは、飾りを見つめていたことに気づき、少し照れてうなずいた。
「……はい」
「それなら、工房へ行ってみましょうか。作っているところも見られますよ」
「見てみたいです!」
返事をすると、エリオンは道の先へ手を向けた。
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工房の扉を開けた途端、炉の熱が頬に触れた。
奥では、職人が長い竿を回していた。
その先に、赤く溶けた硝子がついている。
職人が息を吹き込むと、丸い塊が少しずつ膨らんだ。
リリナは足を止めた。
「……あれが、硝子になるのですか?」
「ええ」
竿が回る。
柔らかな塊は傾きそうで傾かず、職人の手元で形を変えていった。
窓際には、出来上がった硝子の杯が並んでいた。
リリナがそちらへ顔を向けると、杯の縁が金色から淡い青へ変わった。
思わず、少し身体を戻してみる。
また金色に見えた。
「見る場所で、違う……」
「光晶砂の特徴ですよ。光の角度で色が変わるんです」
エリオンが、隣から杯を覗き込んだ。
「そちらからは、何色に見えますか?」
「金色です。エリオン様は?」
「青ですね」
リリナは彼の方へ少し身を寄せた。
杯の縁に、青が広がる。
「あ、本当……」
顔を上げると、すぐそばにエリオンの横顔があった。
炉の明かりが頬を照らし、銀色の髪にも、いつもとは違う色が差している。
杯を見ていたはずなのに、目が離せなくなった。
エリオンがこちらを向いた。
リリナは慌てて窓際へ視線を戻した。
「……綺麗ですね」
「ええ」
どちらを見て言ったのかは、自分だけが知っていた。
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工房の外には、硝子細工を並べた露店が続いていた。
小さな硝子玉。
細長い首の小瓶。
風に触れるたび、澄んだ音を立てる音硝子。
リリナは、店先の小瓶に目を留めた。
持ち上げてみると、手のひらに収まる大きさだった。
空の瓶なのに、傾けるたび、内側に色が灯る。
「それが気に入りましたか?」
エリオンに尋ねられ、うなずいた。
「はい。持って帰ったら、マルナにも見せたいです」
リリナは店主へ顔を向けた。
「これを、いただきます」
代金を出そうと小袋へ手を伸ばす。
けれど、その前に、エリオンが銀貨を差し出していた。
「エリオン様……?」
「旅の記念に。僕から贈ってもいいですか?」
小袋に触れたまま、リリナは彼を見た。
自分で選んだ小瓶が、急に違うものになった気がした。
「……ありがとうございます」
受け取り直し、両手で包む。
薄い硝子を落とさないように、指の置き方まで気になった。
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近くの噴水の縁に腰を下ろし、リリナは小瓶を光にかざした。
水面の照り返しが、瓶の中で揺れている。
「中に、何を入れようかな……」
花を挿すには少し小さい。
けれど、何も入れずに飾っておくのも惜しかった。
エリオンが小瓶へ目を向けた。
「よかったら、ひとつ、入れてもいいですか?」
「何をですか?」
「少し、見ていてください」
リリナが差し出すと、エリオンは瓶の外側へ指先を添えた。
噴水の水面が揺れた。
ひとすじの水が持ち上がる。
リリナは息を止めた。
水は細く伸び、小瓶の口へ流れ込んでいった。
思わず瓶を傾けそうになり、持ち直す。
内側で、水が小さな粒に分かれた。
粒の縁が白く光り、細い結晶が伸びていく。
一枚、また一枚。
透き通った花弁が重なり、小瓶の中に氷の花が咲いた。
「……花……」
リリナは瓶を目の高さへ持ち上げた。
向こう側の景色が、花弁越しに小さく歪んで見える。
「氷なのですか?」
「ええ」
「でも、このままでは……」
日向から隠そうとすると、エリオンが笑った。
「溶けませんよ。そのまま、光にかざしてみてください」
恐る恐る、陽の当たる方へ戻した。
氷の花は形を変えなかった。
硝子越しの光を受け、花弁の先が淡く青く輝いている。
「……どうやって……?」
リリナは小瓶を片手に持ち、エリオンの手を取った。
指先を見て、手のひらを覗き込む。
何もない。
先ほどまで、この手が瓶に触れていただけだった。
「何も隠していませんよ」
顔を上げると、エリオンが楽しそうに笑っていた。
「術師なのですか?」
「少し違います。神獣セレーネの加護でしょうか。僕は、水に少しだけ触れられるんです」
「水に……」
リリナの視線が噴水へ向いた。
昨日、指先を包んだ流れ。
離れた場所にあった、エリオンの手。
「あのときも……?」
彼も噴水を見た。
それから、リリナへ視線を戻す。
「……あなたに、触れました」
顔が熱くなった。
気のせいではなかった。
水の中で感じたぬくもりは、この人のものだった。
「気づきましたか?」
リリナは小さくうなずいた。
「手を、握られたような気がして……でも、離れていたから」
言いながら、視線が下がった。
今は、自分から彼の手を握っていた。
「あ……」
慌てて指を緩める。
「すみません。私……」
「いえ」
エリオンは手を引かなかった。
開いたままの手のひらに、リリナの指先がまだ触れている。
聞きたかったことには、答えてもらえた。
それなのに、昨日よりも、彼の顔を見られなかった。
やがて、リリナはそっと手を離した。
小瓶を両手で持ち直す。
中では、氷の花が変わらず咲いていた。
「……大切にします」
ようやく顔を上げると、エリオンが微笑んだ。
「気に入っていただけて、よかったです」
瓶を包む指先には、まだ彼の手の温度が残っていた。
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『光とともに咲く氷花』




