第4話 願いの波紋
「お会いできて嬉しいです」
リリナは衣の裾を持ち、一礼した。
顔を上げても、レンセリオンの視線は自分へ向けられていた。
何か言わなければと思うのに、うまく言葉が出てこない。
噴水の水音が、ふたりの間を満たしていた。
「レンセリオン殿とは、友人でして」
隣から、エリオンが口を開いた。
「到着してすぐ、リリナ姫様にお会いしたいと仰っていたんです」
「エリオン……!」
レンセリオンが彼を見た。
先ほどまで整っていた表情が崩れたが、すぐに咳払いで取り繕った。
エリオンは涼しい顔で微笑んでいた。
「……そうだったのですね」
リリナが言うと、レンセリオンはこちらへ向き直った。
「ええ。お疲れのところを、お呼び立てしてしまいました」
「いいえ。私も、外を歩いてみたかったので」
少しだけ、言葉が出やすくなった。
友人に向けた顔を見たせいかもしれない。
リリナは広場を見渡した。
白い石畳にも、噴水の縁にも、水面の照り返しが揺れていた。
「ルクヴェルの光って、柔らかいんですね」
レンセリオンの目元が和らいだ。
「そう感じていただけたなら、嬉しく思います」
「もっと、眩しいところかと思っていました」
「私たちは、誰かを護るために光が在るのだと教わります。……安心して過ごしていただければ」
護るための光。
故郷で教わった、与えるための光とは少し違う。
けれど、その言葉を聞くと、知らない都の広場が少し身近に感じられた。
レンセリオンが、噴水の縁へ手を向けた。
「よろしければ、少しお掛けになりませんか」
三人は水辺に並んで腰を下ろした。
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水底に、銀色のものが見えた。
リリナは前かがみになり、覗き込んだ。
一枚ではない。
銀貨や銅貨が、あちらにも、こちらにも沈んでいた。
「……どうして、こんなところに硬貨が?」
レンセリオンも水面へ目を向けた。
「願いを託して、投げるのです。噴水に背を向け、上段の縁に乗せることができれば、願いが叶うと言われています」
リリナは上段を見た。
水が流れ落ちる、その外側に細い縁がある。
それから、もう一度水底を覗いた。
「では……これは、願いの数なんですか?」
「ええ。誰かが、ここで願った跡ですね」
エリオンが答えた。
大きな銀貨の隣に、小さな銅貨が沈んでいる。
それぞれ、どんな願いを込めたのだろう。
「ひとつ、試してみますか」
レンセリオンが懐から銀貨を取り出した。
立ち上がって数歩下がり、噴水に背を向ける。
一度だけ上段の位置を確かめると、肩越しに銀貨を投げた。
リリナは、その軌道を目で追った。
銀貨は弧を描き、上段の縁へ落ちた。
少し揺れたあと、その場に収まる。
「……乗りました!」
思わず声を上げると、レンセリオンが振り返った。
銀貨を確かめ、それからリリナを見て微笑む。
「成功ですね」
「エリオン様も、やってみませんか?」
リリナが隣を見ると、エリオンはうなずいた。
「では、僕も」
彼は銀貨を手に立ち上がった。
噴水に背を向け、指先に硬貨を載せる。
その横顔がふと静まり、リリナは口を閉じた。
何かを願っているのだろうか。
指先が動く。
投げられた銀貨は、先ほどより高く舞い上がり、上段の縁へ落ち着いた。
「お見事です」
レンセリオンの言葉に、エリオンが軽く会釈した。
リリナは小さく拍手をした。
「おふたりとも、一度で……」
「では、次はリリナ姫ですね」
差し出されたレンセリオンの手に、もう一枚の銀貨があった。
リリナは顔を上げた。
「私にも、できるでしょうか」
「腕を大きく振る必要はありません。背筋を伸ばして……そうです」
銀貨を受け取ると、レンセリオンが少し離れて立ち、投げる動きをゆっくりと見せてくれた。
リリナも真似をする。
「ここで、手を離すのですね」
「はい。力を込めすぎずに」
「手首を、少しだけ」
エリオンが身を屈め、リリナの手首へそっと触れた。
指先の向きが、わずかに変わる。
「このくらいです」
「……はい」
顔が近かった。
教えられた角度よりも、手首に触れている指が気になってしまう。
エリオンが手を離すと、リリナは銀貨を握り直した。
ふたりに見守られながら、噴水へ背を向ける。
目を閉じた。
父と母。
マルナとルナ。
それから、今日出会ったふたりの笑顔が浮かんだ。
(……みんなが、笑っていられますように)
リリナは息を吸い、銀貨を放った。
かつん。
小さな音のあと、水の跳ねる音がした。
振り返ると、輪になった波紋が広がっていた。
「……あ」
銀貨が、水底へ沈んでいく。
上段には届いたのに、縁を越えて落ちてしまったらしい。
「惜しかったですね」
エリオンが声をかけた。
「でも、願いが届かなかったわけではありませんよ」
リリナは水面から顔を上げた。
レンセリオンもうなずいた。
「ええ。大切なのは、願うことです」
ふたりの顔を見て、リリナは少し笑った。
「……ありがとうございます」
もう一度、水底を覗く。
自分の銀貨は、ほかの誰かの願いのそばへ沈んでいた。
⸻
再び腰を下ろすと、レンセリオンが水面を眺めながら言った。
「願いごとは、口にしてはならないとも聞きます」
「声にすると、風にさらわれてしまう。そんな伝承ですね」
エリオンが続けた。
リリナはふたりを見た。
「……誰にも聞こえなかったら、大丈夫ですか?」
レンセリオンがわずかに眉を上げた。
「どうでしょう。ですが、光は耳を傾けるかもしれませんね」
リリナは水底へ視線を戻した。
心の中で願ったことは、あの銀貨に残っているだろうか。
水へ、そっと指先を差し入れる。
ひんやりとした感触が、指の間を通った。
その冷たさが、不意に変わった。
「……?」
手の周りに、細い流れが生まれていた。
指先を避けるのではなく、包むように巡っている。
水の中で、誰かに手を取られたようだった。
流れを目でたどると、少し離れた場所に、エリオンの指があった。
彼も水へ手を入れていた。
リリナが顔を上げると、目が合った。
エリオンは何も言わず、微笑んだ。
(……今のは……?)
尋ねようとして、言葉が止まった。
彼の手は、こちらまで届いていない。
それなのに、指先には確かにぬくもりが残っている。
「願いが何であれ」
レンセリオンの声に、リリナは振り向いた。
彼は水面の向こうを見つめていた。
「私は、見届けたいと思っています。リリナ姫の未来を。そして、この国の歩みを」
やがて、その視線がリリナへ向く。
冗談でも、ただの挨拶でもないことは分かった。
けれど、出会ったばかりの自分に、なぜそこまで言ってくれるのだろう。
「……私の未来を、ですか?」
「はい」
短い返事だった。
リリナは、彼の琥珀色の瞳を見つめた。
どう答えればよいのか、まだ分からなかった。
水の中で、指先がそっと撫でられる。
隣を見ると、エリオンが水面から手を上げたところだった。
残された波紋が、リリナの手元へ届く。
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『水面に触れる、言葉なき想い』




