二度目
ラグータからしばらく行った先の時計塔、そのふもとには聞いてた通り小さな小屋があった。
花壇には手入れが行き届いており、綺麗な花が咲いている。
恐る恐るドアをノックするが、人の気配はない。
「出かけてるのかな?」
「また日を改めますか?」
その時、後ろから、まるで鈴の音のような透き通る声がした。二人してびくっと身体を震わせ、勢いよく後ろを振り返る。
「お客さんかしら?」
一目見て真っ先に出てきた感想は「まるで花のよう」だった。
細く白い手足、程よく伸びた淡い緑色の髪、吸い込まれてしまいそうなほど綺麗な宝石のような瞳。
間違いない。彼女がフローラだ。
いつの間にか音もなく背後に立っていた少女は、独特で、どこか神秘的な雰囲気を醸し出しだしていた。
そんな彼女の姿に、私は一瞬見惚れてしまった。
「すみません。ラグーダのモーグ老という方にここを紹介していただいただいたのですが......あなたがフローラさんでお間違いないでしょうか?」
アリスはそう言って挨拶を済ませた。こういう時のアリスは頼りになる。
こういう時の外交担当はすべてアリスに一任してしまおう。私はそういうの苦手だからね。
フローラはそれを聞くと、まるで春の日差しのような、柔らかく優しい笑顔を浮かべた。
「まぁ!ならルシェと関わりのある誰かさんね!さあ、どうぞ上がって。すぐにお茶を入れるわ」
「ど、どうも…ってわああ、そんな押さなくても!」
フローラにぐいぐいと背中を押され、されるがままに家の中に通された。
部屋の壁にはたくさんの本が整頓されてぎっしりと収納され、あちこちに元気な緑の植物が飾られていた。本の紙の匂いと植物の青々しい匂いが混ざり合い、まるで小さな図書館のような、安らぐ空間だ。
されるがままに椅子に座ると、小さな緑の香りが一層強くなった気がした。
「素敵…」
思わず素直な感想が口から零れた。いつかこんな部屋に住みたいと思っていたのだ。
軽い足取りでキッチンに向かった彼女は、ふんふんと楽しそうに鼻歌を歌いながらお湯を沸かしている。
トクトクとお茶を注ぐ音がした瞬間、ふわっといい匂いがあたりに香った。
「フフ、その本や植物は全てルシェ——あ、ルシエラが用意してくれたの。このお茶の葉っぱも、あの子がさみしくないようにと置いてくれたものを煎じたのよ。さ、飲んでみて」
そう言ってフローラは、お茶を私とアリスの前にそっと置くと、同じく椅子に腰を下ろした。
ルシエラの名前がフローラの口から出た瞬間、私とアリスは思わず顔を見合わせた。
とても、かつて暴走して何人も殺めた人物のようには見えない。
「...! この匂い、もしかしてアマソウの花ですか?」
アリスが驚いたように言う。とフローラは嬉しそうにぱちんと手を合わせた。
「知ってるのね!育てるのが大変だったから、価値がわかる人に飲んでもらえて嬉しいわ!」
「ん? なんかすごいお花なの?」
私が聞くと、アリスは目を大きく見開いて、興奮した表情で説明してくれた。
なんでも、アマソウは南部平原の未開拓地にしか咲かない薬草で、なんと花が五年に一度しか咲かず、その生涯で一度しか花を咲かせない貴重な花だそうだ。
「さらに、茎は苦みが強く、そのままではとても食べられませんが、じっくりと何日も煮ることで独特の風味が生まれ、珍味として愛好家に人気なんです。そして花は、この香りとまるで砂糖のような上品な甘味から『アマソウ』という名前の由来にもなっているのですが...」
「す、ストップストップ! ここに来た目的を忘れないで!」
アリスは感情がいい方向に爆発すると途端に饒舌になる癖がある。
見ていてとても面白いが、今はその時じゃない。話足りないのか、少し不満気そうなので、それはそれとして後で聞いてあげよう。
「フフフ、そういえば自己紹介がまだだったわね。わたしはフローラ・ミルドレッド。ここで植物の研究をしているわ」
「私はアリス。こちらはリーナです」
「よろしく!」
「ええ、よろしくね。ルシェは元気にしているかしら?」
フローラは優雅にティーカップを口に運ぶ。一見穏やかに見えるが、その瞳は期待で揺れていた。
きっと、文通はしていても長い間直接会ってはいないのだろう。
たしかに、あのコテージで暮らしていた時、師匠は一日以上家を空けたことは一度も無かったはずだ。
心配をかけさせないためにも、念のため襲撃のことは隠すべきだろう。
「ええ、元気に森奥でスローライフしていますよ」
「そう、それは良かったわ。彼女はちょっと無茶しがちなところがあるから、いつも心配なのよ」
そんな和やかな雑談をしながら過ごしてると、気づいたら窓の外が茜色に染まりつつあった。
フローラは意外とお喋りだった。それに、植物や生物だけでなく、最近の国の情勢や学問にも精通している、所謂知識人であることも分かった。
「あら、もうこんな時間ね。ついつい話しすぎちゃったわね。もし、宿に困っているなら今晩は泊っていくといいわ」
「いいんですか?」
「いいのよ。部屋も空いてるから、気にしないで。......そういえば、あなたたちはここに何か用事があったんじゃなかったの?すっかり話し込んじゃったから、ごめんなさいね」
甘いお茶の匂いとフローラの優しさに惑わされて、すっかり忘れてしまっていた。
さっきアリスに注意したばっかなのに、なんとも情けない話だ。
それにしても、何の用事か聞かれると少し返答に困ってしまう。もちろん師匠の過去やFLUORITEのことを知るためという大きな目標はあるが、モーグさん曰く、FLUORITEのことは直接彼女に言及してはダメだという。
そうなれば、彼女がまた暴走してしまうかもしれないからだ。
どうやって話を切り出せばいいものか...
いつもならここでアリスに助けを求めるところだが、さっき「知らなきゃいけない」と宣言した手前、ここの返答をアリスに任せるわけにはいかないだろう。
アリスもそれをわかっているのかこちらを見つめ、私の言葉を待っていた。
「え、えっと…?」
微妙な空気が流れてしまった。フローラは少し不安そうにこちらの顔を覗いた。
アリスは呆れたように大きくため息をつくと、一口お茶を啜った。
「はぁ...リーナ。あなた、いつからそんなに口下手になってしまったんですか?もう思春期はとっくに終わったでしょう」
「い、いや、恥ずかしがってるわけじゃ…」
「あの日、師匠があなたに何を言ったのかは知りませんし、興味もありませんが、このままお茶をして帰るわけにも行かないでしょう」
「それはそうだけど...」
その時、一つの案を思いついた。
モーグ老の話では彼女は記憶を失っているらしい。自身が魔法によって生み出されたものだとこちらから言及してはいけない。それは彼女の心を保つためだ。
だったら彼女自身に思い出してもらえばいい。
師匠だったら何かアドバイスをくれるはずだ。フローラも師匠と積もる話があるはずだ。おせっかいかもしれないが、ここでうじうじするよりはよっぽどいいだろう。
その後、どうするかまた決めよう。
「フローラさん。」
彼女は不思議そうに首を傾げた。
「私たちと一緒に来ませんか。師匠に、——ルシエラに会いに行きませんか」
「リーナ!それはさすがに…!」
フローラは困ったように微笑むと、「考えておくわね」と言い残し、自室に戻ってしまった。
その背中を見送りながら、私は複雑な気持ちでソファに腰を下ろす。
案内された客間で、アリスは私の提案に真剣な面持ちで異を唱えた。
「まず一つ目。リーナの提案は、フローラさん自身のことを何も考えられていません。仮に彼女が師匠に会いたがっていたとしても、長い間家を空ければ、彼女の植物の研究や世話がおろそかになってしまいます。あのアマソウのような貴重で繊細な植物もあったのです。きっと、他にも手のかかる植物がたくさんあるでしょう」
アリスはゆっくりと指を折りながら、一つ一つ論理的に説明していく。いつもの、真面目で冷静な彼女の姿だ。
「二つ目。フローラさんがこの街を出ることの危険性についてです。前に私たちのコテージに襲撃に来たあの男は、FLUORITE のことを知っていました。同じように、彼女を狙っている者が他にもいる可能性は十分にあります。万が一の時、今の私たちでは、彼女を完全に守り抜くことなんてできないのです」
アリスの言い分は、全く正しい。
正直、今回の提案には、「早く師匠の真実を知りたい」という、私のエゴが含まれていた。フローラの気持ちや、彼女の生活、彼女の安全を一番に考えるべきなのに、自分の願いを優先してしまっていた。これは否定の仕様がない。
窓の外を見ると、止まったままの大きな時計塔の黒い影が、月明かりを受けて静かに横たわっている。虫の音が、静かな夜の部屋に響いていた。
「……そうだね。アリスの言う通りだよ。ただ、私はフローラさんの返答を聞きたい」
アリスは少しだけ表情を柔らかくしながら、小さくため息をついた。
「......わかりました。明日、改めて聞いてみましょう」
「ありがとう」
「失礼は無いようにしてくださいね」
そうして結論に至った私たちは、数日ぶりの柔らかいベッドの感触に身を沈め、旅の疲れと共に、ゆっくりと眠りについたのだった。
・・・
「ごめんなさい。私はやっぱり行けないわ」
おおむね予想通りの答えだった。
アリスが早起きして作ってくれた、朝食にしては少し豪勢な食事を前にフローラは言った。
「そうですか……残念です」
「リーナさん。行くのが嫌なわけではないの。むしろ、心の底から行きたいと思っているわ。でもこの子たちのお世話もあるし、それに…...」
フローラは少しだけ間を置き、窓の外の花壇をちらりと見た後、続けて語った。
「それに、昔ルシェが『いつか絶対に迎えに来るから、ここ待ってて』と、そう言ってくれたから」
「...それは、仕方ないですね」
彼女の瞳は、昨日のあの輝きはどこへ行ったのやら、少し曇っているように見えた。
きっと、すべてが本心なのだろう。旅の同行について、一晩かけてしっかりと考えてくれたのだ。
それを踏まえて出してくれた答えなのだとしたら、これ以上私がとやかく言う権利はない。
だけど —— そうなると、これから先、私たちはどうしたらいいのだろう。
行く当ては、完全になくなってしまった。
滅びたらしいルヴァーナ帝国の跡地にでも、行ってみようか?
いや、詳しい地理はわからないが、数日どころの話ではない長旅になるだろう。今の私たちの装備と体力では、物理的に不可能だろう。
「ごめんなさいね。アリスちゃんがせっかく料理を振舞ってくれたのに変な空気にしてしまって。さ、早く食べましょう!」
それもそうだ。難しいことは、食事の後でゆっくり考えればいい。今は目の前の、アリスの作ってくれたご馳走をいただこう。
アリスもフローラも、それぞれ胸の内に考えていることはあるだろうが、今は笑顔で食事を楽しもうとしてくれている。
私も、その輪に乗っかるべきだろう。
「いただきまー…」
その時だった。
バンッ!と、勢いよく玄関のドアが開かれた。
思わず振り返ると、そこには全身を黒で染めたローブ姿の男がナイフを持って立っていた。
この服装、どこかで見たことがある。
そうだ、思い出したくもない数日前。あの日、突如として私たちのいつも通りの生活が終わりを告げた、あの襲撃の日のことだ。
「フローラ殿とお見受けした。その命、——頂戴する!」
男は突如、持っていたナイフを下段に構えると、まるで獲物に襲いかかる野獣のように、フローラに向かって一直線に突進してきた。
「フローラ!!」
私は考える間もなく、その場から飛び出して男に体当たりをした。
男の狙いは大きくズレ、突き刺さるはずだったナイフは、フローラの頬をかすめて浅い傷をつけるに収まった。
「大丈夫ですか!?」
「え、ええ…平気よ」
流石はアリスだ。私が一瞬稼いだ時間を無駄にすることなく、すでにフローラの元に駆け寄り、回復魔法で傷の治療を始めている。
ここは狭い家の中だ。二人で同時に戦ったとしても、お互いの足を引っ張り合ってしまうだけだろう。
ナイス判断だ。
「アリス、そのまま守ってあげて!私が相手する!」
「わかりました。気を付けて!」
男はナイフを握り直すと、さっきまで三人が座っていた、様々な料理が乗った食卓を、片足で勢いよく蹴り飛ばした。
お皿が割れる音、料理が床に散らばる音が、静かな朝の空間を打ち砕く。
「邪魔をするな、小娘!」
「ここには小娘が三人もいるんだ。しっかり名前を言ってくれないと誰に言ってんのかわかんないね!」
まずは冷静に盤面の整理だ。
後ろには二人がいる。そして決して広いとは言えない空間。ナイフを持った男。
家を破壊してしまうから魔法を使うことは難しい。正直、私個人としての対抗手段は無いだろう。
でも私には近接戦なんてできないし、アリスに変わった方がいいか…!?
「心配には及ばないわ」
そう言って私の隣にすっと立ったのは、フローラだった。
その表情は、先ほどまでの穏やかさが嘘のように、決意に満ち溢れている。戦う気なのだろう。
「危ないですよ!」
後ろでアリスも、声を荒げて制止している。
「大丈夫よ。自分の身くらい、自分で守れるわ」
そう言った瞬間、フローラは隣にいる私にもギリギリ聞こえないくらいの声で、何かを呟いた。
部屋のあちこちに飾られていた数々の植物が、うねうねと生き物のように動き出し、急速に成長を始めた。あっという間に、それらは巨大な植物の魔物へと姿を変えた。
家はバキバキと軋む音を立てながら、あっという間に太い蔓や根によって浸食され、床は持ち上がり、壁は剥がれ落ちた。
その衝撃で窓ガラスが粉々に割れ、家全体が大きく揺れ動き、私はバランスを崩してしりもちをついてしまった。
「ギィィィィィ!!!!!」
「あれはウルラウネ!? リーナ、A級指定の上位モンスターです!早く離れて!」
「クソ、情報と違ぇじゃねぇか! なんなんだよ!」
A 級指定と称されるその魔物は、少なくとも今視界に入っているだけで四体。外にもいるのだろうか、割れた窓の外からも、けたたましい鳴き声が響いてくる。
男は恐怖に顔を歪め、逃げようと割れた窓の方へ駆け出す。だがそれは叶わず、ウルラウネの一本が伸びた蔓で男の四肢をするりと絡め取り、がっちりと拘束してしまった。
「ま、待ってくれ!俺が悪かった!見逃してくれ!」
男が叫ぶ。
フローラがゆっくりと片手を上げると、今にも男の四肢を引きちぎりそうだった蔓が、ぴたりと動きを止めた。
私は思わず、彼女の横顔を覗き込んだ。
そこにあったのは、さっきまでの春の日差しのような優しい表情ではなかった。
冷酷で、残忍で、まるで命を奪うことに対し、何のためらいも感じてなような —— 氷のように冷たい目だった。
「誰の指示?」
フローラの唇が小さく動く。その声は、先ほどの透き通るような声とは打って変わって、どこか底知れない冷たさを帯びていた。
「よ、”宵闇”だ!あそこの幹部の一人がお前に多額の賞金を添えて闇ギルドに暗殺依頼を出している! 本当だ!嘘じゃない!」
「その幹部とは誰かしら?」
「俺はただの末端なんだ!なぁ頼むよ!嫁と子供がいるんだ、見逃してくれ! 俺は……」
男の必死の答えを待つよりも早く、再び蔓がギチギチと嫌な音を立てて男の体を締め付け始めた。
次の瞬間、男の右腕がゴキンッという骨の砕ける音を立て、変な方向にぐにゃりと折れ曲がった。
「うああああああああ!!」
男の絶叫が、植物に浸食された家の中に響き渡る。
間違いない。彼女は”異能”を持っている。
それも、絶大な力を。
フローラは小さくため息を吐くと、軽くパチンと指を鳴らした。
「”よし”」
その刹那。
フローラが呼び出したウルラウネの大群が、バリバリと嫌な音を立てて動き出し、恐怖で泣き叫ぶ男を、衣服のチリひとつ残さず根こそぎ食べてしまった。
数秒後。
男がいた場所には、何も残らなかった。
ただ、ウルラウネはゆっくりとその活動を止め、あっという間に枯れた小さな植物に戻った。
「さて…後片付け、どうしましょうか」
フローラはゆっくりとこちらを向き直る。
その表情は、いつものふわりとした、春の日差しのような優しい笑顔に戻っていた。
お久しぶりです。るなこです。九月はずっと体調が悪く更新が遅くなりました。
3話、読んでくださりありがとうございます!
今回はフローラの登場と、サブタイトル通り、二度目の襲撃がありました。
4話もすでに書き始めてるので更新はそんなにかからないかなーという印象です。
今回はこの世界の地理について話します。
もしかしたら本編で少しの誤差が発生する可能性がありますが、ここではあくまで原案という形での紹介ということで何卒…
この世界の大陸は「ラヴーラ」「南ユグシア」「北ユグシア」そして今リーナたちがいる「ノルーマ」です。
ラヴーラは魔物が多く、冬には厳しい雪が降り続けます。
南ユグシアと北ユグシアはかつて一つの大陸ですが、昔とある人物が理由で、物理的に二つに分断されました。
ノルーマは比較的過ごしやすく、四季があり、多くの種族が過ごしている最も大きい大陸です。
今開示できる情報はこれまででしょう。
改めて、1話2話と続き3話を読んでくださりありがとうございます!
感想、誤字報告お待ちしております!
それではまた次回。




