第11話 カツ丼の相続
相続の仕事をしていると、家族の形はいろいろ見る。
何年も口をきいていない兄弟。
遺産で揉める親族。
顔も知らない相続人。
そういう案件の方が、むしろ多い。
だから時々、拍子抜けするような相続に出会うことがある。
◇
被相続人は、奈良市内で長く食堂を営んでいた店主だった。
八十歳。
病気で亡くなった。
店は駅前商店街にある。
創業五十年以上。
近所では知らない人がいない老舗だった。
俺も何度か行ったことがある。
カツ丼が有名な店だ。
◇
相続人は三人兄弟。
長男。
次男。
三男。
母親はすでに他界している。
遺言はなし。
相続人全員で遺産分割協議を行うことになった。
普通なら、ここからが大変だ。
誰が何を相続するか。
預金は。
不動産は。
店は。
話し合いがまとまらないことも珍しくない。
◇
ところが初回面談の日。
事務所へ現れた三兄弟は、最初から様子が面白かった。
「先生、久しぶりやな」
「この前商店街で見たで」
「最近忙しいんか」
相続の話より世間話が先に始まる。
◇
さらに面白かったのは、三人とも近所に住んでいることだった。
歩いて五分。
歩いて十分。
そんな距離。
しかも。
三人とも今でも、その食堂の常連だった。
店主が亡くなったあとも、店は従業員が続けている。
「昨日も行ったわ」
「俺も昼食った」
「カツ丼まだ味変わってへんぞ」
楽しそうに話している。
◇
協議を始める。
「それでは、お父様名義の不動産についてですが」
俺が切り出す。
長男が頷く。
「俺は店継がへんで」
いきなりだった。
「そうですか」
「昔から料理できへんし」
次男が笑う。
「じゃあ俺もええわ」
「なんでや」
「兄貴がやらんのに俺がやる理由ないやろ」
三男が言う。
「俺は店よりカツ丼食べたい」
全員が笑う。
俺だけが笑えなかった。
◇
「皆さん、今日は相続のお話をですね……」
軌道修正を試みる。
「先生も食べたことあるやろ?」
三男が聞いてくる。
「あります」
「カツ丼うまいやろ」
「そうですね」
「やろ?」
なぜか誇らしげだった。
◇
そこへ西原がお茶を持ってくる。
「失礼します」
すると三男が言った。
「あ、西原さんや」
「こんにちは」
「先生より愛想ええな」
西原が笑う。
「よく言われます」
余計なことを言う。
◇
結局。
協議は食堂の話になった。
「親父、昔めっちゃ怒ってたよな」
「厨房で鍋飛んできたことあるぞ」
「あれはお前が悪い」
「兄貴も怒られてたやん」
誰も相続の話をしない。
◇
俺は時計を見る。
開始から四十分。
まだ遺産分割協議に入れていない。
「皆さん」
もう一度言う。
「今日は相続の話を……」
「先生」
長男が真面目な顔になる。
「腹減ったな」
嫌な予感がした。
◇
一時間後。
なぜか全員で食堂にいた。
商店街の真ん中。
暖簾は昔のまま。
厨房から揚げ物の音が聞こえる。
「先生、何食べる?」
「……カツ丼で」
こうなる気はしていた。
◇
店内には親父さんの写真が飾られていた。
白い割烹着姿。
腕を組んでいる。
生前の顔だ。
その写真を見ながら兄弟が話す。
「親父、ここ座ってたよな」
「いつもレジの横や」
「昼間は新聞読んでた」
懐かしそうだった。
◇
カツ丼が運ばれてくる。
西原が嬉しそうに箸を持つ。
「美味しそうです!」
完全に仕事を忘れていた。
三兄弟も楽しそうだ。
まるで法事帰りの親族みたいだった。
◇
ふと、三兄弟を見る。
頭上には白い線が見える。
亡くなった父親へ伸びる線。
その先には祖父母。
さらにその先。
長い年月の積み重ね。
店主は亡くなった。
だが線は切れていない。
ちゃんと残っている。
◇
「先生」
三男が言う。
「結局、店どうしたらええと思う?」
ようやく本題だった。
「皆さんが納得できる形が一番です」
長男が頷く。
「別に取り合いしたいわけちゃうしな」
「親父もそんなの望んでへんやろ」
「せやな」
自然に話がまとまっていく。
◇
事務所で何時間も揉める相続もある。
裁判になる相続もある。
だが、この家族は違った。
誰も欲張らない。
誰も争わない。
ただ少し、相続よりカツ丼が好きなだけだった。
◇
帰り道。
西原が満足そうに言う。
「いいご家族でしたね」
「そうですね」
「私、ああいうの好きです」
商店街の夕暮れを見ながら笑う。
「なんか繋がってる感じがして」
俺は少し頷いた。
◇
白い線は、今日も見えている。
親子。
兄弟。
家族。
だが本当の繋がりは、線だけでは測れないのかもしれない。
一緒に飯を食う。
同じ思い出を笑う。
誰かを懐かしむ。
そんな時間の中にも、人を繋ぐものがある。
相続の仕事をしていると、人の争いを見ることが多い。
だから時々、こういう家族に出会うと少し安心する。
繋がりは、遺産で残るものじゃない。
案外、カツ丼一杯の思い出だったりする。
商店街の灯りが、一つずつ点き始める。
その横で西原が楽しそうに歩いていた。
俺はそんな光景が、少し好きだった。




