第2章 29.真価
ヒロトがアスタの風の刃を避けられていた訳、その理由にアスタは一つ見当をつけていた。
見えない筈の風の刃を視認する、それを実現した方法。
それは煌煌と光を放つヒロトの右眼に宿る『魔力眼』――ではなく周囲を漂う小さな欠片、簡単に言ってしまえば砂塵である。
アスタの風の刃は不可視ではあるものの、そこに実体がないわけではない。風を生み出し、刃とするその性質上、軽い物体は押し出され一種の真空状態となる。
白の絵の具を白いキャンパスに描くのではなく、黒の中に落とす。見えないものを見るのではなく、見えないものをそこに見出す。それこそが、ヒロトが風の刃を看破した理由だとアスタは考える。
今も輝き煌めく『魔力眼』の存在は、あくまでもブラフ。アスタの発言から『魔力眼』を認知していたことを察し、あからさまに使用することで多数の可能性を匂わせることが目的なのだろう。
ヒロトへの影響を無視してまで〈竜巻〉による攻撃を行った事、〈竜巻〉を破壊しようとしたアスタに対してその隙を与えようとしなかった事、アスタとヒロトの間が開いた際に真っ先に〈竜巻〉を展開しようとした事。以上の情報から、アスタは自身の推論を結論とした。
ゆえにアスタは周囲へと風をドーム状に展開し、周辺に漂っていた砂塵を弾き飛ばした。
ゆっくりと、じっとりと、舐めつけるようにアスタはヒロトを睨みつける。
満身創痍、風前の灯火、そう呼称するのが正しい程に死にかけの姿。そこに先程までの鬼気迫る雰囲気は存在しない。
だが、油断はできない。
現在、アスタとヒロトとの間には十メートルほど距離が開いている。
その間に宙を舞う砂塵は存在しない。
着地と同時にヒロトは走り出す。距離が埋まるまで二秒と掛からないだろう。
アスタは〈竜巻〉を展開しようとしたエルフに目もやらずに風の刃を放つ。動きを止める程度の簡易的な風の刃を。
これであのエルフが死ぬとは思えないが、〈竜巻〉の展開を阻止できるのならば問題はない。
問題はヒロトの方だ。周囲には砂煙などなく、アスタの風の刃を視認することもままならない筈。にも関わらず、少しも臆さずに飛び込んでくる。
――違和感。心の底から湧き上がる闘争心、高揚。その奥から沸々と溢れる不安。
何故、こんな感情が出てくるのか。
アスタの風の刃は溜めれば溜めるほど、大きく射出時の速度が上がる。その反面、同時に出すことができる刃の数と再使用可能時間が長くなる。
その為、アスタはなるべく溜めることは無かった。
だが
――一撃で仕留めなければ、そんな意識が本能から溢れてくる。
故にアスタは溜める。今までで一番速く、鋭く、大きな風の刃をヒロトへと放つべく。
一秒、ヒロトが一歩踏み込む。開いていた距離が詰まる。
地を蹴りヒロトの身体が一瞬宙に浮くその瞬間、アスタは最大まで力を溜めた風の刃を放った。
刹那、懐にまで潜り込んできたヒロトの姿を見てアスタは自身の心の奥底に積もっていた違和感の正体に気が付いた。
◆
アスタの推論、そのうちの半分は当たっている。
ヒロトにはアスタの風の刃を視認することはできない。『魔力眼』でもってしても映ることはなかった。
アスタの風の刃は魔力とは異なる力によるものなのだと、ヒロトは考えた。
だが今重要なのはそこではない。
アスタが使う力が魔力であろうがなかろうが、『魔力眼』に映らないことには変わりない。ならばどうするのか。
映らない、見ることができないものを見るための方法は。
それに気が付いたきっかけはウルスラグナだった。
真っ暗な、一切の光などない洞窟の中で見えているかのように歩く彼の姿を、砂煙が立ち込める戦いの場でヒロトは思い出した。
「今思えば、こうやってたんだろうな……」
『魔力眼』には二つの使い方がある。
一つ目が『魔力眼』を発動している際に、『魔力眼』の宿る右眼を開いている状態に使える『開眼』。視界に映る魔力をすべて紅い輝きとして捉えられる、という能力である。
そして二つ目は『開眼』とは反対に、右眼を閉じた状態で『魔力眼』を発動させた場合に使用できるヒロトを中心として半径10mの範囲に存在する魔力を前後左右、位置に関わらず認識できる『閉眼』。
今回使っていたのは『閉眼』の方で、ヒロトは〈竜巻〉によって辺りにばら撒かれたマルクスの魔力を『閉眼』にて感知し、『魔力眼』では感知できない不可視の攻撃を可視化し避けていた。
ウルスラグナは自分の魔力を周囲へ放出し、超音波によって洞窟の中を飛び回る蝙蝠のように空間を把握していたのだろう。
マルクスの〈竜巻〉でアスタの視界を防ぐと同時に魔力を辺りに充満させ、砂塵によって右眼を閉じていたことをカモフラージュ。
これがヒロトの考えていた策だった。
加えて、アスタの風の刃は高い威力と不可視という特性はあるものの速度はない。『閉眼』で感知できるのは自身を中心とした半径10mの球上の範囲内であるが、〈身体強化〉を施し強化したヒロトの反射速度ならば感知してから回避するのに十分すぎるほどに時間があった。
ふわりと、風圧を全身に感じる。おそらくはアスタの仕業なのだろう、ヒロトとアスタ両者の距離が開く。
漂っていた土煙が吹き飛ばされ視界が晴れる。加えて、先程までマルクスが展開していた〈竜巻〉によってばら撒かれた魔力は、アスタの風によって吹き飛ばされた。しかし、ヒロトは着地と同時にアスタへと駆け出す。
その直後、アスタとヒロトの間に魔力が満ちる。先ほどまで滞留していた魔力濃度には到底届かないが、『閉眼』を使用するのには十分な量。アスタに阻止された筈のマルクスの〈竜巻〉は、しかしその役目をしっかりと果たしていた。
イケる、確信がヒロトの心を支配する。
だが慢心、勝ったという気の緩み、それらが一番危険なのだという事をヒロトは忘れていた。
『魔力眼』の感知に引っかかったアスタの攻撃、その速度と大きさにヒロトは驚愕する。今まで見てきたどの攻撃よりも速く、大きく、鋭い。その攻撃はまっすぐヒロトの胴体へと向かってきていた。
避けられない、そう気づいたときヒロトの右眼の熱が瞬間的に全身へと伝播する。自分の身体であり、そうではない感覚。刹那、糸がたらされた操り人形のように、自分という着ぐるみを着た何者かが勝手に動いたようにヒロトの身体はアスタの攻撃を避けていた。
「――なっ!?」
人間、生物としては不自然な身体の動き。本来有り得ない挙動で動いた代償に身体のあちこちが痛む。
骨と筋と節と管。身体の管が千切れ捻じれる音、それが肉を伝って鼓膜に届く。
身体が痛み混乱が頭を巡る。数多の思考が渦巻き、身体の動きを止めようとする。
だがここで止まってしまえば、このチャンスはもう二度と訪れないだろう。
アスタの攻撃を無理に避けた結果、本来の位置から半歩ヒロトとアスタの距離が開いている。
これ以上時間をかけるのはまずい、そんな予感がヒロトの胸中を満たす。事実、アスタの風の刃は再使用が可能になるまで後数秒もなかった。
いくつもの考えが脳裏を巡る。走馬灯のように、一秒が無限に思えるかのような永く短い時間。その間に様々な考えがよぎり、消える。ウルスラグナ、マルクス、ルヴィク、メリダ、アンそれぞれの顔が浮かび、そして最後に麻希の顔が浮かんだ。
その瞬間、靄がかかっていた思考に一筋の風が吹いた。
今後の事、身体の事、考えていたすべてを投げ捨てヒロトは右脚に魔力を集める。ヒロトの肉体の限界を超えた〈身体強化〉に右脚が悲鳴を上げた。
踏み込んだ衝撃で地が沈み、骨が軋む。血圧が上昇したせいか血管が破れ、血が噴き出す。
だがヒロトは止まらない。それは最後までヒロトを信じて戦ってくれたマルクスのためでもあり、そして今もヒロトを信じて待ってくれている幼馴染のためである。
限界を超えた脚力でヒロトは地を蹴り、今までにない推進力を得る。ヒロトとアスタの間にあった距離はあっという間に縮まり、ヒロトはアスタの懐に潜り込んだ。拳を握り、アスタの腹部へと突きつける。それ自体に攻撃性はなくアスタは困惑するも、直後に顔をゆがませた。
今ならできるという感覚が、自信が、確信が満ち溢れる。
何故なら、ヒロトは一番見てきたのだから。
「――〈旋風〉!!」
瞬間ヒロトの拳から風の刃が放たれ、アスタの身体が腰の辺りから両断された。




