第2章 28.仲間
「なんであの怪我で動けるんだ……?」
血に濡れた顔を拭い、念願の光を目から取り込んだマルクス。彼はその目に映る光景に思わず息を呑む。
マルクスから少し離れた所、そこで戦うヒロトとアスタ。互いに片腕を失い、尚立ち上がり相手の肉を打つその光景はマルクスの知らないものであった。
そして何より、目を疑ったのはヒロトの顔に張り付けられた表情だった。今まで彼と行動を共にして見たことの無い、別人のような顔つき。痛みに呻くわけでも、アスタを恐れるわけでも、不安と焦りが滲んでいるわけでもない。むしろ戦いを、命のやり取りを楽しんでいるかのような恍惚の表情が浮かぶヒロトに少し恐怖を抱いた。
一瞬、マルクスは二人が作る異様な空気に飲まれそうになる。だが今ここでマルクスがやるべき事はそんな事ではない。
頭を振り、雑念を振り払う。そして背負った矢筒から矢を取り、番える。限界まで弦を引き絞り構える。だが視界の中にアスタを捉えるが、その手から矢が放たれることはない。アスタとヒロト、両者の距離が近く狙いが定まらないためだ。いや、もしかしたらそれを狙っているのかもしれない。
それに加えてアスタはマルクスと同じく『風』を操る。それも恐らくマルクスよりも高い練度で。単純な矢の一撃では意識の外をつかなければ身に纏う風で弾かれ、大した攻撃にもならないだろう。それこそ、先程のヒロト並みに意識をもっていく出来事が無ければ当てることはできない。
「クソッ、何もできないのかよ」
しかもマルクスはあの四人の中で体術では三番目、メリダにギリギリ勝てる程度の強さしか持ち合わせていない。ヒロトとアスタの中に入ることができるほどの実力は無いと断言できる。
故に、マルクスは何もできずただ傍観するだけだった。それが何よりも辛かった。
◇
嫌に世界が澄み渡って見える。呼吸による肩の上下運動や痙攣する手指、脈打つ血管といった人間のわずかな動きや、風によって宙を舞う塵の一粒などの普段目につかない筈のものが鮮明に映る。
自己が世界と一体になったような感覚、全能感のようなものがヒロトを支配する。
それが瀕死状態に晒された脳が分泌した大量の脳内麻薬によるものなのか、それとも右眼を中心に全身を巡る『熱』によるものなのかヒロトにはわからない。
だが、そんなこと今はさして重要ではない。
今最も重要なのは目の前のアスタだ。
〈身体強化〉はただ腕力や脚力といった力を増すだけではない。視覚や聴覚、嗅覚、触覚、味覚といった五感や耐久力等の身体能力全般を強化することができる。
現在、ヒロトが何とかアスタについていけているのは〈身体強化〉によって動体視力と反射神経の両方を底上げしているおかげである。
風を切る音ともに拳を突き出す。狙いは鼻柱、威力よりも素早さを重視したその拳は、しかしアスタが左に体を逸らした事で空を切った。
空振ったことをヒロトが認識した直後、アスタがヒロトの右腕を掴む。骨ごと腕を握りつぶされそうな音が肉を伝わって頭に届く。その後ヒロトは世界が反転したかのような感覚と浮遊感、遅れてやってきた衝撃に襲われた。
「うわっ!」
気がつけばすぐそばにマルクスの姿があった。近くにある驚くマルクスと、遠くに見えるアスタの姿。その二つの情報から、ヒロトは自身が投げられたのだと理解した。
「そっちのエルフが視界に入る度に、少し気が散るのでな。お前が邪魔するので煩わしく思っていたが、こうすれば関係あるまい」
アスタの呟き、それが終わると同時にヒロトはマルクスを突き飛ばす。
直後、マルクスがいたところに亀裂が走った。鋭利な刃物でつけられたような、綺麗な切断跡が地面に残る。
「やはり、か。理屈はわからんが見えているらしい。——さてどうするか」
顎に手を当てその場で考え込むアスタ。その姿からは警戒している様子など微塵も感じられない。むしろ楽しんでいる感じがする。
だが、この時間はヒロトにとって歓迎すべき時間だ。
「マルクス、時間がない。一回で聞いてくれ」
切断跡を踏み越え、ヒロトはマルクスへと近づき耳元で囁く。
耳の良いマルクスならば元の場所でも聞こえはするだろうが、アスタに聞こえないよう念の為だ。
口元を覆い、ヒロトは自身の考えをマルクスへと伝える。困惑とともに、は?という声がマルクスの口から漏れたのはその直後であった。
◆
幾分の時間が経ち、ヒロトとアスタは再び向き合う。
「さて互いに考えは纏まったかな?」
「おう、ありがとさん」
「礼を言うのはこちらさ。こんな戦いは久しい、それこそクロ以来だ」
「……くろ?」
聞きなれない――いや、意味の分からない単語。
「そんな事はどうでも良いだろう、今は。——時間をあげたんだ、退屈させてくれるなよ」
ヒロトはマルクスへと視線を送る。その合図にマルクスは少し不安げな表情を浮かべ、だがすぐに意思の固いヒロトの顔を見て覚悟を決めた。
「どうなっても知らねぇからな!〈竜巻〉!!」
今できるありったけの魔力をマルクスはその魔術へと注ぐ。中空に突如現れた大きな風の渦は、地に落ちた何もかもを巻き上げ周囲へとばら撒いた。
とはいえ、今のマルクスは通常時の半分もないくらいには消耗している。作った竜巻も不格好で、すぐに消えるだろう。
そしてそれは同じく風を操るアスタにもわかり切った事である。
「〈竜巻〉か、そこそこの出来だな。今の俺には微風にもならんが、さてどうでる?」
実際、アスタは自身が纏う風によって〈竜巻〉の影響をほとんど受けていない。竜巻が巻き込む石礫も木の枝も、アスタに触れるより早く身に纏う『風』によって弾かれる。竜巻によってアスタが受ける影響は視覚と聴覚に対してノイズが走るのがせいぜい、それだけでアスタを倒しうるとは考えられない。
そしてそれはヒロトも、エルフも気が付いているはずだとアスタは考えている。
故に、楽しみで仕方がない。竜巻によって舞い上がる砂塵と辺りを埋め尽くす轟音、それらを感じながら、アスタの口角は上がるのみだ。
「さぁ、こ——ッ!?」
突如アスタの背中を衝撃が襲う。身体が前のめりになり、バランスを取るために脚が前へ躍り出る。
衝撃の後、アスタはすぐに振り返る。だがそこには何もない。
「ふ、ふはは、おもしろ——ッ!?」
言い切る前に、右側頭部に再び衝撃が走る。
揺れる視界、その端に捉えた薄汚れた靴。そこでアスタは二度自身を襲った衝撃の正体を知る。
——蹴られた。
視界からヒロトの脚が消えるまでの一瞬で、アスタはその足を掴もうと腕を伸ばした。だが虚しくもその腕で掴んだのは空だった。
ぐらつく身体を力任せに戻し、周囲を見回す。先ほどまでヒロトがいたであろう位置にその姿はなく、砂煙のみが立ち込めている。
天を覆う砂塵が日の光を遮り、辺りは薄暗い。だが一筋、仄かに光が漏れている場所がある。そしてその奥に一瞬、人影が見えた。
すかさず、アスタは風の刃をその人影が通るであろう場所に放つ。風の刃は砂塵をかき分け、跡を残しながら目的地へと飛んでいく。
手応えはない。しかし、風の刃が通った跡からヒロトの姿が現れる。全身についた擦り傷煌煌と輝く金色の右眼がその軌跡を残し、再び砂塵の中へと消えていった。
「この中でも見えているというのか……?」
竜巻によって遮られる視界と耳を潰す轟音。それはアスタだけでなくヒロトも同じ条件である筈だ。だがそんな状況でヒロトは正確にアスタの位置を把握し、かつ風の刃すらも見ている。
それは今のアスタにはできない芸当。ならばそこにはヒロトにしかないタネが必ずある、それが何なのか。
だが、その秘密を推し量ろうと思っても砂塵に遮られ、ヒロトを観察できない。
〈竜巻〉の副産物――いやこれも意図しての事だろう。
〈竜巻〉で巻き上げた石礫による攻撃と視界を遮り、その上で理由は分からないが砂塵の中を自由に正確に動き回れるヒロトが奇襲する。
「いい作戦だ――俺が相手でなければな」
ヒロトと一緒にいたエルフが使った〈竜巻〉は『風』の魔術。『風』の魔術は最も扱いの難しい魔術である。風は実体がなく自然の大気の流れを読み、相殺されないように適宜調整しなければならないからだ。
当然、その程度ならばあのエルフもできる、というかできなければここまで大きな〈竜巻〉は生み出せない。
しかし、戦闘において『風』の魔術が最も扱いづらいと言われる理由はそこではない。
『風』の魔術が最も扱いづらいと言われる理由、それは同系統同士の戦いにおいてその効力をほとんど失ってしまう事にある。
相手が自身と同じく『風』系統を修めていた場合、簡単に相殺ができてしまうからだ。人の手によって操られ、捻じ曲げられた風の流れを読むことは自然のそれとはわけが違う。
アスタは『風』の扱いにおいてはあのエルフとは格が違うと、そう自覚している。そしてその見立ては正しい。
故に、この程度の〈竜巻〉はアスタにとって何ら障害にならない――筈だった。
〈竜巻〉を破壊すべく、アスタは自らの手で風を操る。完成間近のパズルを崩壊させるように、複雑に絡み合った糸をハサミで一刀両断するように、小さなものを押し流す圧倒的な力、それをアスタは振るおうとする。
「ヒロトッッッ!!!」
だがその瞬間、暴風の奥から声が聞こえた。吹き荒れる風に負けないほどの声量、恐らくはあのエルフなのだろう。
何かの合図だろうか、そんな考えが脳裏によぎるが、直後背面に襲い掛かる衝撃に意識が持っていかれた。
眼をやると、アスタの背に突き刺さる鋭く硬い肘と、未だ燦然と輝く『魔力眼』が視界に入る。
「今度は逃がさんッ!」
ヒロトは再び砂塵の中に消えるだろう。砂塵の中に入られれば、アスタはヒロトを見失う。そうなればイタチごっこになる。
だからそうなる前に、捕らえ逃がさない。
背を打たれ崩れた体勢を無理やりひねり、力づくでヒロトの腕へと手を伸ばす。
逃げようとするヒロトを捉える為にアスタは少し腕を伸ばし掴もうとする。しかしアスタの予想に反してヒロトは砂塵に消えるような素振りはなく、むしろ懐の中に潜り込んできた。
「予想が外れたみたいだなぁッ!」
「――ッ!」
普段なら絶好の間合い、だが今は逃げるヒロトを捉えようと腕を伸ばした状態であり、加えて体勢も悪い。ヒロトの一撃を防ぐすべもなく、拳が顎に直撃した。
息をつく間もなく、ヒロトの脚が腹部に突き刺さる。肺に入っていたすべての空気が押し出され、一瞬脳内を真っ白な光が埋め尽くす。
先程までのヒロトの動きではない、何があったのか。
回らない脳を必死に回し、アスタは考える。
戦い方が変わった理由として考えられるのは、エルフの叫びだろう。
アスタが〈竜巻〉を破壊しようとした直前、合図のようにヒロトの名前が叫ばれた。その直後にヒロトは目の前に姿を現した。
二人の目的は、〈竜巻〉妨害の阻止くらいしか考えつかない。だが、〈竜巻〉程度ではアスタは倒せず、ただいたずらにヒロトが傷つくだけだ。それだけでアスタが負けるビジョンなど到底浮かばない。
だがもしも、今のヒロトが絶え間なく攻撃を繰り出す理由が、本当に〈竜巻〉妨害の阻止なのだとすれば、そのリスクを冒してでも〈竜巻〉の維持に見合うだけのメリットがある、という事なのだろう。
視認性の悪い砂塵の中をヒロトが動けている事にも関係があるのだろうか。
そもそも目ではとらえられない筈の風の刃を認識している理由もわからない。
煌煌と輝く『魔力眼』の、アスタが知り得ていない能力でも使っているのか。
乱雑な思考が浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返し徒に時がたつ。
ヒロトの打撃は一撃一撃の威力が低い、だがその分精度は高くしっかりと人間の弱点を点でとらえ、確実に当ててくる。ゆえに、威力以上に身体に響く。
矢継ぎ早に放たれる打撃が、脳を揺らし腹を突く。空気が、酸素が、血流が滞り空白を産む。
そしてその隙を今のヒロトは見逃さない。一瞬の空白、そのタイミングに合わせヒロトの拳がアスタの顔面を捉える刹那。
――再び城塞都市の壁が崩れ落ちる。
◆
城壁の破片が落下、地面にぶつかる衝撃で地が揺れ暴風がヒロトもマルクスもアスタさえも吹き飛ばす。
当然、展開されていた〈竜巻〉は風を操っていたマルクスもろとも風に破壊される。〈竜巻〉が巻き込んでいた砂塵も、石も倒木もその他諸々も全てが吹き飛ばされる。
「……クソ、なにが」
背後から襲い掛かってきた暴風に困惑しつつ、ヒロトはゆっくりと立ち上がろうと足に力を籠める。だが左足がうまく言う事を聞いてくれず、四つん這いのような姿勢になってしまう。うすい靄がかかった視界で、周囲の情報を得ようと顔を上げた瞬間蹴りが顔面に直撃する。
「――まだ生きているのか……お前、本当に人間か?」
頭上からかけられたその声は紛れもない、アスタのものだった。
「やはりこいつはクロの……、だがあいつは――」
チカチカとまばゆい光が視界を埋め尽くす中、かすかに機能する耳が途切れ途切れにアスタのつぶやきを拾う。
「さて、こいつをどうしようか」
ズシリと、ヒロトの背に重さが加わる。アスタが踏みつけたのか、乗ったのか分からないが、少なくとも足蹴にはされているのだろうとヒロトは思う。
だが、身体が思うように動かない。腕に力を籠めようとしても、そもそも持ち上がらない。ただ地面の感触が、全身に強く訴えかけるだけだ。
もう、終わってしまうのだろうか。
「その脚どけろよ、バカ」
鮮明に、明瞭に、明晰に、明快に、ヒロトの耳がその声を拾った。
その声は普段の彼からは想像ができない程に低く、野太い。
「……お前もか。正直、お前にはあまり興味が湧かないのだが」
「なら、持たせてやるよ。俺の顔が、夢枕に立つくらい」
顔を上げ、徐々に回復する視界で、ヒロトはマルクスの姿を見た。
凄惨だった。
城壁崩壊による衝撃のせいだろう、右腕の間接が一つ増えており、頭からは大量の血が流れていた。もはやまともに弓など持てないのではないのだろうか。
歩を一つ進めるたびに、血に塗れた顔面が苦痛に歪み、歯を噛みしめる音がこちらまで聞こえてくるような感じがする。
「こいつに、それだけの価値があるのか?」
ふわりと感じていた重さがなくなる。それと同時に、ゆっくりと抜けていた力が戻っていく感覚が全身を満たす。
靄がかかっていた視界も、耳も、鼻も徐々に明澄になる。
「友達を助けるのに理由なんているか」
「――下らんな」
脚で地を踏みしめる。生まれたての小鹿のようにプルプルと震える膝を殴りつける。罅が入ったのか、刺すような痛みが脳を侵す。
「この世界で、最も価値があるのは個の力だ。多による力など、所詮は塵芥にすぎん」
「……悲しいな」
「なに?」
「俺も、昔はそう思ってたさ。でも一人の強さなんて、程度が知れてる、と俺は思う」
何度も何度も意識を失いそうになり、だがその度に全身を駆け巡る熱がそれを拒む。
「それに、やっぱり一人は寂しいよ」
気持ちの籠った、静かな呟き。表情もどこか
「……『寂しい』、か」
ゆっくりと
「俺には縁遠い感情だな」
その言葉とともにアスタは振り返る。
背後にはボロボロながらも、立ち上がるヒロトの姿。
「お前も、もう限界と見える。――次で最後だな」
言い終わると同時に、アスタは自身を中心とした風のドームを展開する。
ヒロトとマルクスは風の膜によって吹き飛ばされ、アスタとの距離が生まれる。
着地後、マルクスは再度〈竜巻〉を展開しようと魔力を集中させる。だが、アスタはそれを見越してマルクスへと風の刃を放つ。
アスタによる妨害によってまとまり始めた〈竜巻〉は霧散し発動に失敗。搾りかす程度のマルクスの残魔力も底をつきボタボタと鼻から血を流しながらマルクスはその場に倒れこむ。
「クッッッソ」
その様子を横目にしながら、尚もヒロトはアスタへと飛び掛かる。
身も心もすでに崖っぷち、だが恐らくこのチャンスを逃せば勝機はなかった。そしてそれをマルクスも理解している。ゆえに止まらない。互いを信じて。仲間を、友を信じて。
次回、決着予定(願望)




