第2章 20.崩壊
城壁都市ベイルートを囲む城壁は、都市の近郊に存在する大森林から現れる魔獣を阻む目的で建造された堅牢なバリケードである。
その昔勢力を広げた王国が建てたその城壁は、建造から数十年の間破られることはなく、大森林に潜む竜ですら傷をつけることしかできなかった。だからこそ都市の住民はその壁に絶対の信頼を寄せているのだ。
そんな堅牢な城壁が今、崩れ落ちる。
崩壊の衝撃は凄まじく轟音と共に立つ土煙が辺り一体に撒き散らされる。爆風に乗って吹き飛ばされた細かな石の破片や土、木の枝などが周辺にあった建造物や人々に放たれる。
暴風の砂塵の中、偶然近くに生えていた樹に必死にしがみつき体を小さく丸めたヒロトは、突然の出来事に思考が停止してしまっていた。
風圧で浮き上がった体はめちゃくちゃに吹き飛ばされ、平衡感覚が失われた事で自身の体が今上を向いているのか下を向いているのか分からなくなる。
それでも手の中にある確かな支えにしがみつき、吹き飛ばされまいと抵抗していた。
そんな爆風が吹き荒れた五秒間。ヒロトは耐え抜き、そして解放される。
緊張からの緩和。それまで張り詰めていた力が抜ける感覚がヒロトを襲い、そしてヒロトは地面へと叩きつけられる。鈍い痛みと若干の呼吸困難に陥りつつも、ヒロトはゆっくりと目を開けていく。
吹き飛ばされてきた石の破片や木の枝によって付けられた全身の擦り傷と打撲。それらを確認しヒロトは辺りを見渡す。
ヒロトと同様に吹き飛ばされたであろうマルクスの存在。それを確認すべく。
だがヒロトの目に映る光景は、マルクスへの心配で埋め尽くされていたヒロトの心を一瞬でなかったものにしてしまう。
あれほど雄々しく堂々と、その存在を誇示するかのように聳え立っていたベイルートの城壁の一部が完膚なきまでに破壊されていたのだ。
崩壊の衝撃によるものだろうか、城壁のあった場所一帯が全て更地になっていた。
そこにあったであろう家々を吹き飛ばし、そして崩れた壁の破片すらもそこには無かった。
まるでノートの隅に書かれた落書きを消しゴムで消したかのように、消えていた。
一瞬の放心。その後、情報量の過多によって一時的に機能が停止していた脳がゆっくりと起動していく。
何が起きたのか、マルクスはどこへ行ったのか、都市への被害の大きさは如何程か、魔獣による襲撃か。いくつもの考えが頭の中を巡るが、そのどれにも結論を導くことができなかった。
一度冷静になるべきだ。そう考えヒロトはゆっくりと、今まで忘れていた呼吸を整える。
全身に、脳に酸素が送られた事で先ほどよりも幾分か頭が冴えるようになった。
そして、一度冷静になることができたからだろう。ヒロトは視界の端に何かが写るのを見逃さなかった。
◆
先程まで降っていた雨が上がり、雨後の独特な匂いがメリダの鼻を刺激する。
空を覆っていた灰色の厚い雨雲は風に乗り、隠されていた太陽が燦々と輝いている。
道中の所々にできた水溜まりを横目にメリダは宿屋へと向かっていた。
今日は久しぶりの休暇。正直、朝は何をしようかと悩んでいた。
新しい服を買いに行く。市場で食べ歩きをするのもいい。懐は寂しくなるが、欲しかった魔術書を買うべきだろうか。
そんなふうに悩んでいたからこそ、ヒロトが書庫に行くと知った時はそれに着いて行こうと考えた。
ヒロトは勉強熱心だった。他のパーティメンバーであれば聞き流されるであろう、自身の魔術談義を真剣に聞いてくれて嬉しかった。時には魔術を教えてほしいと頼まれた時もあった。時間がなかなか取れず先送りになってしまっていたが。
だから今日、ヒロトに魔術を教えられる事になって胸が躍った。大好きな魔術を一つでも多く教えられるように頑張らなくては。嘘偽りなくそう思った。
ヒロトの適性が『地』と『風』なのも運が良かった。もし適性が一つでも被らなければ、教えるのは困難になっていたはずだから。
溢れ出る喜びが抑えきれず、メリダの表情は緩み口からは小刻みに吐息が漏れていく。
だが、そんな喜びも長くは続かなかった。
都市中に響き渡る轟音。それにメリダの意識が引っ張られる。何事かと辺りを見渡すメリダ。だがそのすぐ後、吹き荒れる風によってメリダは吹き飛ばされる。周囲の家々の窓ガラスはひび割れ、砕け散り、その破片が風に乗って襲いかかってくる。
頬が焼けるような感覚と共に流れる血液。メリダは吹き飛ばされる中、自身のローブで全身を覆い少しでも身を守る事に専念する。
吹き荒れる風が徐々に弱まり、浮力を失ったメリダの体は路地に打ち付けられる。
打撲と擦り傷、それらを目にしたメリダは直ぐに周囲を見渡した。
先ほどの轟音と暴風。その原因が何なのか、メリダには一目で分かってしまった。
都市を取り囲む城壁の一部が崩壊していた。
まるで抉られたかのように、城壁の一部がなくなっていた。
少しの放心、その後メリダはある事に気がつく。
崩壊した城壁はマルクスとヒロトが向かった方向である事に。




