第2章 14.転換点
雲一つない空の下、男は眼下に広がる自然を感情の宿らない瞳で見ている。
男の隣には白銀の毛皮を持つ一頭の獅子。それが蹲り、イビキをかいて眠っていた。
男は吹き付ける強風によって乱れた前髪を、大雑把に搔き上げる。そして目では笑わずに口だけで笑った。
「そこか……」
男はそう呟き、後ろを振り返る。そこにいたのは一人の老人。豊かなヒゲを蓄え、顔には年相応の皺をいくつも刻んでいた。腕には肉が付いておらず、肋骨が浮き出るほどに痩せている。
その老人が視界に入った時、初めて男はその瞳に感情を宿す。
ーーそれは憤怒だった。
だがそれも一瞬のことで、老人が視界から消えた時、ロウソクの火が消えるようにあっさりと元の感情のない瞳へと戻ってしまう。
そして男は眠る獅子の耳元に、何かをつぶやくように顔を近づけた。
その瞬間、獅子は目を醒ます。顔を持ち上げ、そして真っ直ぐに見つめる獅子の視線の先には、高く聳え立つ城壁に囲まれる一つの街があった。
◆
ビルスク大森林、その奥地で五人の男女が戦闘を繰り広げていた。
五人の敵は小鬼と呼ばれる魔獣、その中でも亜人と呼ばれる種族だ。人よりも小柄で知能が低く、一般人でも二、三体を相手にしても余裕で勝つことのできる雑魚だ。だがその数は五人の約十倍。総勢五十匹の小鬼が五人の男女へと襲い掛かっていた。
「マルクス、右五匹!」
「了解!」
マルクスと呼ばれた白髪の森人族の青年が弓に二本の矢をつがえ、そして放つ。完璧な軌道を描き、二本の矢は二匹の小鬼の頭部へと突き刺さった。
仲間が殺されたことにより、残りの三匹は一瞬体を硬直させる。その一瞬の隙を見逃さず一人の少女が魔法を放った。
「〈火球〉!」
火の玉が少女の持つ一本の細い枝から飛び出し、三匹のちょうど真ん中にいた小鬼へとぶつかる。その時、火の玉が勢いよく爆発した。
爆風が隣にいた二匹にも襲いかかる。
「サンキュー、メリダ」
「気を抜かないで!」
「はいはい、よっと」
気合の入っていない掛け声とともに放たれた矢は、見当違いの場所へと向かっていった。だが次の瞬間、目を疑うような光景が眼前に映し出される。
マルクスが放った矢は、ゆっくりと軌道を変え、そしてより速度が増していったのだ。
マルクスが放った矢が飛んで行った場所を見て、矢を頭の中から除外していた小鬼達は、後ろから襲いかかってきた矢に戸惑い、そして後ろを振り返ってしまった。
そしてその隙を見逃すはずのない五人組だ。
真ん中に位置していた、片手にそれぞれ円盾と片手剣を装備する青年が仲間達に指示を出す。
「アン、一気に叩くぞ。私は抜けてきた小鬼を防ぐ。ヒロトさんはバックアップをお願いします」
「「了解!」」
手にメイスを持った全身鎧の戦士ーーアンが前に躍り出た。
アンがメイスを振りかぶるその度に血飛沫が飛び散る。アンの全身鎧が返り血によって赤く染まった。
青年ーールヴィクは盾を構えてアンの猛攻をすり抜ける小鬼を足止めする。そして、
「らぁぁぁぁぁあああ!」
キラリと光が横薙ぎに煌めいた。そして小鬼の胴体が二つに分かれた。辺りに鉄臭い血の匂いが充満する。
それを成したのは一人の青年だ。短く切られた短髪に、革の鎧を身に纏った彼は、手に持った長剣で次々に小鬼を切り刻んで行く。
「メリダ!足止め頼む」
青年がメリダに指示を出す。その瞬間、小鬼達の少し後ろ側に巨大な土の壁が形成された。
「〈土壁〉」
メリダが地面に魔力を流し込み、大地を変形させたのだ。
「よし、一気に叩くぞ!」
ルヴィクの号令によって全員が一気に駆け出した。目の前で立ち往生する小鬼達を亡ぼす為に。
それからものの数十分で小鬼達の群れは壊滅したのだった。
◆
「お疲れ様です、ヒロトさん」
小鬼達との戦闘が終わり、ルヴィクはその場に座り込む。手に持った片手剣には凹凸が出来ており、円盾はあちこちに傷が付いていた。
ルヴィクの額には汗がびっしりと吹き出している。かなり消耗しているようだった。
「いや、そんなに疲れてないさ。それに俺よりもお前の方がキツイだろ」
「はは、確かにそうかもしれませんね。全体を見るのは得意なんですけど、指示を出すのは苦手なので。なので、あそこで指示を出してくれたのは助かりました」
そう言ってルヴィクは青年――織原宏人に微笑みかけた。
それに対して宏人は手を振り、
「いや、いいよ。あいつら逃げそうだったし。それに礼ならメリダにでもしてやってくれ。あいつがいなかったら逃げられてたから」
そう返答した。メリダの方を見ると、聞こえていたのか驚いたように目を大きく開けていた。
「はい、ヒロト。あんたやっぱりやるねぇ」
「サンキュ、それ何回言うんだよ。もう五回目だろ」
戦闘後の疲れなど一切感じさせず、宏人に水筒を手渡したのはアンだった。
全身鎧を赤く染めていた小鬼達の返り血はもうどこにもなかった。恐らくはメリダにでも落としてもらったのだろう。
彼女は宏人が彼らのパーティに入った後、何回か依頼を受けた中でこのような発言を幾度となくしてきた。本人はからかっているつもりなのだろう。
悪びれもせず大声で豪快に笑う彼女の声は森中に響き渡っている。男勝りな性格で人情に厚い人間、それが彼女だ。宏人にとっても好ましい人物だ。だがその笑い声はいつかの小鬼の時のことを思い出しそうで、そこだけは直して欲しかった。
「そういえば、今まで聞いてなかったんだが……マルクスのあの矢、どう言う原理なんだ?」
あの最後の一撃。あれで勝敗が決したと言っても過言ではない。勿論、小鬼程度ならば、鍛錬時代にも何度か殺したことはあるので、絶対に負ける筈は無かったが。それでもあの一撃が決定打だったのは見るまでもないだろう。
それに前から疑問に思っていたことがある。それは森でのメリダの発言だった。
『私達からかなり距離があったので、マルクスの眼でも見えなかったんです』
目で見えない相手のことを、あそこまで正確に狙い撃つことが出来るのだろうか。それに、マルクスと宏人は最低でも十メートルは離れていた。間には木々などの障害物があった筈だ。
あの一撃がたまたまな筈がない。宏人はそう確信していた。
「あー、アレかぁ。アレって実は、ほんっと単純なんだよね。やってる事は単純なんだよ、ただ射った矢を風魔法の応用で操作してるだけだし」
「それって、かなり凄いんじゃないか?」
「まあ俺の故郷でもやってる人はかなり少なかったかなぁ。結構操作とか難しいし、制御も楽じゃない。無理に軌道を変えようとすると矢そのものが耐えられないしな」
宏人は絶句した。マルクスの評価を数段上げなければと。
「お前、結構頭いいのな」
「おいおいなんだよー」
ポツリと、宏人が頭に浮かんだ言葉を呟いた。かなり小さな声だったのだが、それは人よりも大きな耳を持つ森人族には関係なかったらしい。
マルクスは不満を口にした。
「マルクスは天才肌なんですよ。なんていうか、感覚に頼ってる部分も結構あるのでどうやってるんだ、って聞いても教えてくれないですよ。風魔法にだけはメリダを凌ぎますからね」
「そうそう、反対に他の属性ってなったら一気に練度下がるよな」
この世界、エインガイナに存在する六種の人類種各々には得意な属性と苦手な属性が存在する。
マルクスのような森人族の得意属性は『風』。だからこその技なんだろうが、森人族ですらあの技はかなりの難易度のようだ。
反対に宏人やルヴィク、アン、メリダのような人族には得意属性も苦手な属性もない。よく言えばオールラウンダー、悪く言えば器用貧乏。ただ個人の才能にもよるので、一概にはそうも言えない。
例えばメリダの得意な属性は『水』『土』の二つ。苦手な属性は『風』だ。
苦手な属性については、種族的なものを除けば個人の無意識的な拒絶反応などが原因と言われる。例えば火事を経験したものは、『火』が苦手属性となる傾向が強くなると、ウルスラグナに渡された魔導書に載っていた。
「そうなのか。すまんな、俺、マルクスのこと侮ってた」
「仕方ないですね、戦闘以外ではコイツ結構ポンコツなんで」
「おいおい、聞き捨てならねーな」
宏人は頭を下げマルクスに謝罪する。それにルヴィクが茶々を入れた。その言葉にマルクスは不敵な笑みを浮かべ、ルヴィクを睨んだ。
戦闘後にも関わらず緊張感のない、いつもの光景だった。
「お前らは、なんで同じパーティを?」
「なんだい、ヒロト。今日はいつもに比べてガンガン聞いてくるねぇ」
「いや、仲間に入れてくれたんだ。せっかくならお前らのこと聞いておきたいな、と」
頭の裏をかきながら、宏人がそう口に出した。その様子を見てアンがにやけた顔をする。
「はっはっは!いいよいいよ、じゃんじゃん聞きな。それで?私たちが同じパーティにいる理由だっけ?それは私たちは幼馴染だからさ」
宏人の背中をバンバンと叩き、機嫌良さそうに理由を教えてくれた。
宏人は納得する。彼らの仲の良さは単純な命の預け合いの結果で得られたものではない。それは深い友情で結ばれたものだと理解したからだ。
「私たちはマルクスを除いてこの国の、『ルト・アクア王国』の辺境にある村の出身でね。この森の反対にあるブリスト大森林の近くに住んでたんだよ。で、ブリスト大森林には森人族の国『アデレー』があるだろ?そこにマルクスがいたのさ」
「マルクスは、いつも私たちと一緒に遊んでいたんです」
「そうさ、それである時村が魔獣に襲われた。別に珍しい話でもないさ。国の兵士たちが駆けつけた時には村は壊滅状態、残った村民も私たちを除けば数人ぐらいだった筈だよ」
ふとアンの手が視界に入った。拳を固く握り締め、ブルブルと震えている。それが恐怖から来るものなのか、それとも怒りから来るものなのか宏人には分からない。
「勿論、その数人に私たちの家族は入っちゃいなかった。そして親のいない子供が生き残れるほど、この世界は甘くできちゃあいない。私たちは運良く、マルクスの両親に拾って貰えたけど、それがなきゃ野垂れ死んでたか、生きてても犯罪に手をつけるしかなかっただろうね」
宏人の胸にその言葉は重くのしかかる。宏人も同じように幸運にもウルスラグナに拾われた。それが無ければあの場で、背に乗せた小さな少女一人すら救えずただ無力であるが故に死んでいた。
「私たちはマルクスの両親に恩を返すため、積極的に働いた。メリダは家事を、私とルヴィクは狩りに参加してね。そして成人したから王都に来て職を探した。で、学の無い私たちでもできるのは肉体労働ぐらいだろ?どうせなら狩りの経験とかあるから冒険者になろうってなったって訳。マルクスは私たちが去る時に一緒についてきたって感じだな。勿論、両親には了承は得てるぞ」
そこまで話すと、アンは一度息を吐きそして下がっていた顔を上げる。その目には確かな光が宿っていた。
「確かに辛いこともあったけど、それでもこの四人でいて楽しかったさ。……はい、この話終わり!なんかこの空気やめろよ。なんか言えよ」
全てを話し終え、アンはその場に流れていた重い空気を断ち切るため、手をパンと叩く。そしていつもの様子に戻った。
「それ、俺が入っても良かったのか?」
「なにを今更言ってんだい。そもそもアンタが入れて欲しいって頼んだんじゃないか」
「いや、そん時はこんな話知らなかったし」
「まあまあ別にいいんじゃ無いかい?身内だけでいようなんて思っても無いし、それにアンタなら信用できる。そう私の勘が言ってる。それともなんだ?私の目が信用できねぇってか?」
アンは段々と自分の顔を宏人に近づけながらそう投げかける。自分を見るアンの目に何かを感じた宏人は、全力で首を横に振った。
ほぼ脅しのようなものだった。
いつのまにか、ルヴィクとマルクスもいがみ合いを終え、アンと宏人の様子を伺っていた。
二人ともニヤニヤとした、どこか人を見て楽しむような笑みを浮かべている。それを隣に立つメリダが抑える。
ここ最近でいつも見ている光景だった。その光景に宏人は心が安らぐような気がする。
だが、どこか心の中で焦る自分もいた。それはこの数日で数倍に膨れ上がっている。制限時間は十年間なのだ。こんなことをしていても良いのか、と。その問いに宏人は答えることはできない。
「そろそろ、帰るよ」
「ああ……」
メリダの言葉を聞き宏人は立ち上がる。だが、身体が動かなかった。しかし身体とは真逆に思考は尚も動き続ける。
結局、パーティのみんなが帰還の準備をしている間も、宏人の思考は止まらなかった。
荷造りが終わり、来た道と同じように隊列を組みベイルートへと向かう道中も宏人は自問自答し続けていた。
そしてこの日から、停滞し続ける宏人の心境とは裏腹に、宏人を取り巻く環境は刻一刻と変化していく。




