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第五章 核心

「あっ! 目覚めましたね。安心しました」

 嫌な夢だった。

「あなたは誰にも愛されない。あなたは罪を裁くだけの処刑人」

 夢で聞いたセリフを口に出して反芻する。

「――な……にを……」

 貧乳女が突然声をだした。その場にうずくまり、自らの体を抱き、まるで小動物のように震えている。

「やめて……ください。私は戦います。だからもう……」

 そうか、さっきのはこいつの想いだったのか。こいつの記憶だったのか。

 救いを求める声を聞いたのが俺でよかった。

 俺はそっとルヅキの震える体を抱き、優しく髪を撫でてやった。

「……あっ」

「大丈夫だ、お前は一人じゃない。俺もルカも、お前の味方だ。怖くないぞ」

「でも……でも私は誰にも愛されないのです。温もりをもらえないのです」

 ルヅキは涙を堪え、悲痛な声で、必死の思いで助けを求めている。

「今、温かいだろ? 知らないのなら俺が教えてやる。これが人の温もりだ」

「温かい……温かいです。うっ……えっぐ……あっ、うわあああぁぁぁぁ」

 ルヅキの双眸に溜まっていた涙が一気に溢れ、白雪のような頬を伝い、床へと落ちた。

「お前は俺がいる限り、もう一人にはならない。保証する。家にこい……いいな?」

 俺の問いかけにルヅキは小さく頷いた。

 こんなに小さい体で今までよく頑張ったな。たった一人で、癒えない傷を背負いながら。でも大丈夫だ、これからは俺とルカがお前を支えてやるからな。

 俺はルヅキを抱く腕に力を込め、ルヅキが泣き止むのをただ静かに待つことにした。


「ありがとう……ございます」

 涙を拭いた貧乳女が俺から離れ、申し訳なさそうにそう言った。

「ん?」

「ですから、その、ありがとう」

「気にするな。さあ、帰るか。ハエ女も待ってるぜ」

「えっ? あなた先程は悪魔令嬢のことをルカと……」

「気のせいだ」

 それか気の迷いだ。いや、やっぱり俺はそんなことは言っていない。

「ふっ、そうですか。では今回のお礼はあなたのソレを直すことにしましょう」

 何を言っているんだこいつは。

 まあいい、とりあえずはこのボロアパートから脱出だ。

「おい、なにか持っていくものはあるか」

「そうですね。武器は体に携行しているので、持っていくとしたら書物くらいでしょうか」

 そういって貧乳女が押入れをゴソゴソして取り出したのが、

「これだけです」

 数冊の少女漫画だった。

「ぷっ」

「何がおかしいのです」

「だってよぉ、武器のカタログ本とかだろうと思ったら、『王子様は突然に』だってよ。なんだこれ、似合わねー」

 いかん、笑いすぎた。貧乳女がムスっとしている。

「……私が少女漫画を読んではいけないのですか」

 今まで世間から離れていた分、余計にそういうものに興味を持っているのかもしれないな。

「すまん。お前も一応女の子だったな。家にお袋が昔読んでいた少女漫画が何冊かあったはずだから、全部お前にやるよ」

「本当ですか!」

 本当に嬉しそうにしている。ここだけ見ると年相応の普通の女の子だな。

「……すみません。あなたの家に寄る前に、少し野暮用ができました」

 貧乳女の顔は真剣そのものだ。こいつがこういう顔をしているときの理由は一つしかない。

「罪人か」

「はい」

 戦うことは止められないのか。いや、止めさせてやるよ。俺がメセル・ギ・デスを倒してな。

 夜の公園で一人佇む女性。表情は暗く、先程からブツブツと独り言を言っている。

「今からあなたの心に巣食う罪人を劉します。――判定ッ!」

 貧乳女がチョーカーからロザリオを取り外し、叫ぶ。

「おい、俺もいくぜ」

 頷いた貧乳女に連れられて、俺の体は女性の精神へと取り込まれた。

 ズタズタに引き裂かれた写真、干からびた池、胸に穴の空いたヌイグルミ。

 俺は心理士じゃないからなんとも言えんが、今回の心象風景を見るに失恋……なのか? 写真の男性の顔が真っ黒だったのを見て感じた、ただの想像なんだけどな。

「今回の罪人は喜怒哀楽の哀のようです。哀(モンルゥ)に魅入られた人間は半数が自殺し、もう半数は復讐鬼(ベンゼスキラー)になることが多いのです」

 哀しみを司る罪人ねえ。女性の心を弄ぶってのは許せんな。

 精神世界をしばらく歩くと、罪人に取り憑かれているはずの女性が目の前に立っていた。

「おい、本人がいるぞ。俺たちは今この女性の中にいるんじゃないのか?」

「本来、宿主の精神は罪人に封じ込まれているものなのですが、今回は特殊なケースのようですね」

「その通りです! 私は他の罪人とは一味も二味も違いますよぉっ!」 

 突然の叫び声、俺は声の主を探すために辺りを見渡す。

 みつけた。一際高い崖の上、紳士服に身を包んだ道化師のような罪人が立っている。

「おい、お前、俺と勝負しろ」

 崖の上に立つ罪人を指差し、いつもの調子で勝負を申し込む。

「おやおや、私に争う気はありませんよ。むしろ私は貴方がたのような粗暴で野蛮な存在、一番に憎みます。私はこの女性を救おうとしているのです」

 女性を救うだと? つまりはショックから立ち直らせるということか。

「てめえみたいなやつに任せられるか、俺がやる」

「ほほ、いいでしょう。やってご覧なさい。ですが人の心は貴方が思うほど簡単ではありませんよぉ」

 上等じゃねえか。人を励ますくらいなら俺にだって出来るんだよ。

「おい、あんた、何があったか俺に言ってみろよ」

 女性は俺の顔をしばらく眺めたあと、静かに語りだした。

「たっくんがね、私のことを振ったの。結婚しようって約束したのに……」

 あ、まずい。俺が苦手な分野の相談だ。

「ん、あ~。そうだな、それはその男が悪い。そんな男のことは忘れて、新しい未来を……」

「たっくんのことを馬鹿にしないで!」

 サッパリわからん。なんで自分を振った男のことを庇ってんだよ。

「おい、交代だ。俺に女心は理解できん」

「私も無理ですよ。男女交際の経験がありませんから」

 やっぱりそうだったか。見た目は割といい線いってると思うんだがな。

「ね、難しいでしょおう? ここは私に任せなさい」

 罪人の言葉を信じていいのか。だがもし、こいつが善人だったらこの女性を救えるわけだよな。今は見守るべきなんだろうか。

「失恋ですか……さぞ、お辛かったしょうねえ。私はあなたの心を救うことができます。どうです? その男性と今後もずっと、いえ、未来永劫ともに過ごしたくはないですか?」

 罪人の問いかけに女性はコクコクと頷いている。まぁ、そうなるわな。

「あなたはこの世でもっとも平等な価値観はなんだと思います? あ、わかりませんか。では正解をば、“死”なのですよ。人にとっての死ほど崇高で高尚な価値観がほかにありますか?」

 なんか雲行きが怪しくなってきたな。

「まずいですね。今の哀の言葉には暗示がかけられている」

 どうする、飛び出すかべきか否か。

「愛しているなら殺してしまいなさい。そしてあなたも死ぬのです。死は平等、死は自由。私が力を貸しましょう。そして彼とともにいくのです。常世の楽園に」

 結局はそうなるのかよ。罪人なんかを信じようとした俺が馬鹿だった。

「――ぶん殴ってくる」

 貧乳女に短く言って、罪人めがけて一直線に突っ走る。

「ほら! 急いで、貴女と彼を引き裂こうとする敵が来ましたよ」

「て……き?」

「全てを私に委ねなさい。貴女の意思で、さあ早く!!」

 女性と罪人が掌を重ねた。くそ、まずいぞ。

 間に合え、間に合えーっ!

「うおうりやぁっ!」

 魔力を乗せた渾身の左ストレートが罪人の顔面に……

 届いた!

 精神世界に打撃音が木霊し、罪人は瓦礫の山に飛んでいく。

「よし! 間一髪だったみたいだな。あんた平気か?」

「ごめん……なさい。私……ダメ……みたい」

 震えた声で話す女性の体が砂になって風に流されていく。

「本当に間一髪でした……この、私がね」

 不気味な微笑を浮かべて歩いてきたのは哀だ。ヤロウ、砂になった女性の精神を取り込みやがった。

「いやあ、面白いほどにうまくいきましたねえ。人の心ほど移ろいやすく、そして扱いやすいものはない。さぁ、見なさい。これが私の防衛本能、ブロークン・ハートです!」

 罪人の体を水色の装甲が覆っていく。背中から飛び出す鋭利な背ビレ、一枚一枚が鋼鉄板のような鱗、今回の罪人の姿は人魚。いや、足があるし半魚人か。

「対峙した者全てに畏怖の念を抱かせる出で立ちをしながらも、鷹揚自若の精神を忘れない。そんな私はまさに竜章鳳姿と呼ぶに相応しい」

「難しい言葉を並べればいいってもんじゃねえぜ」

「そんなことを言って、震えているではないですか。本当は怖いのでしょぉう?」

「いや、別に」

「去勢を張るのはおやめなさい」

 あと十五、いや、十秒で飛び出せる。

「魔界でお前よか千倍以上怖い姉ちゃんに何度も殺されかけたからな。お前なんざ、ちっとも怖くない。それに震えてるのはな、溜めてんだよ。いくぜ?」

「溜めている? はて、何をおっしゃっ――ぐべえっ?」

 先制の左フック炸裂。意表はつけたが、ダメージはまずまずと言ったところだな。

「なっ、なんだ今のスピードは!?」

「魔力のコントロールさ。なんつーか、左足に力を集中してそれを爆発させた」

 魔界で随分と特訓した魔力コントロール。どうやら実践でも通用するレベルに仕上げることができたみたいだな。

「俺の拳は重いだろ? さぁ、このまま一気に決めるぜ」

 トン、トン、トトン、トン。

 左足に重心を置いた独特なステップを刻む。

 基本に忠実に攻めるなら距離を取って様子をみたいところだが、そうもいかない。

 あの罪人風に言うならば、疾風迅雷、即断即決、疾風怒濤! 

 姿勢を低くし、罪人の懐に一気に潜り込む。

「はっ、速すぎ……バスッ、ババッ、ウヴぇ……」

 右(ジャブ)、右(ジャブ)、左ィ!

 顔面に連打を重ねると罪人は咄嗟にガードを上げ、ボディが剥き出しになる。

 そこへすかさず肝臓打ち(リバーブロー)を叩き込む。

「ガッ! ハァッ……」

 罪人の体がくの字に折れる。

「とどめだ……」

 俺は左拳に魔力を最大まで集め、そのまま一気に……

「待って!」

 罪人に取り憑かれた女性の声だ。

「私……罪の意識に打ち勝ったの! だから……だから……死ねえ!」

 罪人が繰り出した閃光のような突きが飛んでくる。

 だめだ。ブロックが……間に合わない。

「全く、貴方は優しすぎる。罪人への余計な情は藪蛇にしかなりませんよ」

 そう言ったのは罪人の背の上でレイピアを構えている貧乳女だった。

「なっ、貴様いつの間に?」

 慌てた様子の罪人の言葉を無視し、そのまま真っ直ぐ手にしたレイピアを突き刺す。

「グゥォォオオオオオオオオオッ!」

 罪人の汚らしい断末魔が精神世界に響き渡った。

「さぁ、裁きのときです。外の世界に戻りますよ」

「……あぁ」

 ――闇に染まる世界の中で俺の意識は目覚める。

『惜しかったですねえ。私とそこの男性の一騎打ちならば私の勝ちでしたのに』

 女性の体から飛び出した靄が饒舌に語りだす。

「言いたいことはそれだけですか。判決(ディサイド)……」

『これはこれは、無慈悲な執行者様はさすがに手厳しい。……明日ありと思う心の仇桜。渡る世間はああ無情、この世は哀しいことばかり。それでは皆様、ご機嫌よう』

「中々に素敵な辞世の句ですね。ご機嫌よう……哀(モンルゥ)。処(デス)……刑(ペナルティ)!」

 罪人の存在を抹消する裁きの深淵が世界を包んだ。こうしてまた世界から一つ、罪が消えた。

「気落ち……しているのですか?」

「別に」

 俺は負けた。哀の言うとおり、一騎打ちなら俺はあの場で死んでいたんだ。

「悔いているなら懺悔なさい。そして次から負けないことだ。私はなよなよしている男性は嫌いです」

 いかにもこいつらしい優しさの欠片もない言葉だ。

 俺も、俺らしくいかないとな。

「うるせぇ! 言われなくてももう負けねえよ! それよか早く帰ろうぜ。ハエ女が晩飯を作って待ってるぜ!」

「それは魅力的な話ですね。では、帰るとしましょうか」

「おうっ」



 俺の家の前までつくと急に貧乳女がもじもじとし始めた。

「えっと、あの、私はなんといえばいいのでしょうか」

「ああ、普通に“ただいま”だな」

「はい、では、たっ、ただいま……」

「ああ、おかえり」 

「えっ、えへへ。なんだか不思議な気分ですね」

 処刑人が『えへへ』だってさ。少しは愛嬌が出てきたな。いいことだ。

「おかえりー!」

 扉を開けると玄関で待っていたらしいハエ女が俺たちを出迎える。

「あっ、ルヅキさんも来てくれたんだ! 夕食、できてるよ」

 またしても気恥かしそうにしている貧乳女を居間に連れて行き、椅子に座らせる。

 そして俺たちは三人仲良く『いただきます』をして食事を始める。

「美味しい?」

 こいつの作るフリチュールは旨い。言うまでもないが、一応褒めておくか。

「旨い」

「ん、よかった」

 ハエ女がニッコリと俺に微笑む。

 ドクン!

 なんだ、どうして今胸が高鳴った。

 ……わからん。

「なんか今日暑くないか? 頬とか耳が特に熱い」

「本当に不思議ですね。鈍いというレベルを超えている。もしや神経がないのでは……」

「なんだ、口に合わないのかよ」

「いえ、このフリチュールは大変に美味です……が! あなたの態度がいただけない」

 何を言っているんだこいつは。

「仕方ありませんね、私が一肌脱ぎましょう」

 こいつが脱いでも、たいしたことはないけどな。

「あなた、私と勝負なさい」

 人のセリフを取るんじゃねえ。

「なんだよ、勝負って」

「私が勝てば悪魔令嬢のことを名前で呼ぶのです」

「いやだね」

 即答してやった。多分二秒かかってないだろう。

「逃げるのですか?」

「なんとでも言え。俺は気に食わない勝負は受けない」

「そうですか。では私は悪魔令嬢と一緒に家を出ます」

「……………………………………どうしてそうなる」

「先ほどと違って長い間がありましたね」

 目的はなんだ。俺がハエ女を名前で呼ぶことになんの意味がある。

『おい、ハエ女』

『勝負を受けて?』

『まだ俺は何も言ってないだろうが』

『ねえ』

『あんだよ』

『任せろって……言ってよ』

『まっ……まか……まかせ……くぅぅぅううう』

 どうしてこうなった! ハエ女は俺の味方側だと思っていたんだぞ。

 こいつら、いつの間に結託するほどフレンドリーな関係になったんだ。

『ルヅキさんとの勝負を受けて欲しいな?』

 あー、うるせぇ。俺が一人で考え込んでるときに声を送るな。

 待てよ……負けなければいいんじゃね? そうだ俺が勝てばいいんだ。そして俺がこいつらに対して優位に振る舞えるような願いを言えばいい。

「よし、受けてやる。だが、自分の専門分野で勝負とかはなしだぞ。平等で誰にでもできる勝負なら俺も文句は言わない」

「いいでしょう。では勝負の内容は言葉を使った心理戦とします」

 よし。それなら勝てる。俺は虚言の王と互角に渡り合った男だぞ。

「ノった」

「後戻りはできませんよ。それとこの時点でもうルールを変えることはできなくなります」

「上等だぜ」

 さぁ、何でも来い。

「待って。この勝負、私も参加していい?」

「どういうことだ」

「私はどちらが勝つかに賭けるから、もし当たっていたら私のお願いも聞いて?」

 ハエ女の意図が読めないが、ここまでくればさして状況は変わらんだろう。

「いいぜ、言ってみろよ。言っとくが俺に賭けておくのが賢明だぞ」

「私も構いません」

「じゃあ、私はルヅキさんが勝つ方に賭ける。お願いはルヅキさんのことを名前で呼ぶこと」

 嘘だろ。俺に賭けるんじゃないのかよ。

『おっ、おい……』

『ごめんね。でもルヅキさんのことも名前で呼んであげてほしいから』

 ……俺は負けんぞ。むしろ完膚無きまでに勝ってやる。

「始めるぞ。ルールはなんだ」

「声に生気がありませんね。ショックだったのですか」

「気のせいだ」

「ではルールを説明します。至極簡単です。互いに求愛するのです。言葉に詰まったほうが負けということで」

 求愛という単語を聞いただけで嫌な予感しかしない。

「では私から。私はあなたを愛しています。……好きです」

 ぞわっ、ぞわわわわわわ。

 まて、俺はこいつには女を感じなかったはずだろ。どうして鳥肌が。そうか、こいつの声、無駄に可愛らしい声だからか。声と台詞のコンボで俺はダメージを受けている。

「さあ……あなたの番ですよ」

 一言だ。少なくとも一言、好きだとかなんだ言えば負けはなくなる。どうする……。

「……やっぱり無理だ。俺の負けでいい」

 心理戦なんかじゃなかった。これはただの肉弾戦だよ。反撃のできない最悪のな。

「では早速名前で呼んであげてください。彼女はきっとお待ちかねです」

 ハエ女が貧乳女に背中を押されて俺の前に立つ。

 ああ、いいよ。言ってやるよ。名前くらいなんだってんだ。

「るっ、るっ……るるる、る…………か」

 くそっ、本人の目の前だと余計に言いにくい。

「なにをどもっているのですか、それでは名前を呼んだとはいいません」

「無理しなくてもいいよ」

 ハエ女、今の俺に優しさは不要だ。

『……ルカ』 

「へっ!?」

「どうしたのですか? 悪魔令嬢」

「あっ、ううん。なんでもないよ」

 ルール違反ではない。俺はちゃんと名前を呼んだんだからな。

『ねえ』

『どうした?』

『こっちでいいから、もう一度私の名前を呼んで?』

 あー、もういい。わかった。

「ルカ」

「――――ッ!?」

 ルカが今までにないほどの驚きの表情を俺に見せた。

「それとルヅキ、次は負けねえからな」

「え? はい……。なるほど、確かにこれは中々……」

「約束は守ったぞ」

「それにしても驚きました。あなた、女性の名前をちゃんと呼べるのですね」

「うるせぇ! 俺のことをなんだと思ってやがる」

 まだ若干の抵抗はあるが、そのうち慣れるだろうさ。多分。

「なんかすげえ疲れた。俺は寝る」

「うん。おやすみ」

「おやすみな、ルカ」

「――にゃっ!? もうっ、えっち!」

 なんでだよ。

 俺が就寝するための準備(風呂とか歯磨きとか)を済ませて洗面所を出ると、居間からはまだ光が漏れていた。中からはルカとルヅキの話し声が聞こえる。

 別に覗き趣味なんて俺にはないが、あいつら二人が何を話しているかには興味があった。

 抜き足差し足でドアに忍び寄り、聞き耳を立てる。これ、完全に覗きだよな。

「――ありがとう」

「はい?」

「あなたのおかげで彼、私の名前を呼んでくれた」

「そこまで嬉しそうな顔をして言われると、私もやった甲斐があったというものです」

 なんで俺に名前を呼ばれることがそんなに嬉しいことになるんだよ。

「ですが、あの人は怒っていませんでしたか?」

「どうして?」

「いつものことですが、『うるせぇ』と叱られてしまったので」

「あははっ。声真似、上手だね」

 全然似てねえぞ。俺のはもっと気高くて威厳のある声をしている。

「でもね、平気だよ。彼の『うるせぇ』はただの照れ隠しだから」

「そうなのですか?」

「うん。よく思い出してみて? 本当に怒っているときには言っていないはずだから」

 へー、そうだったのか。……って何を自分の口癖のことに感心してるんだ俺は。

「確かに、そう言われればそんな気もします。まるで子供のようですね」

「でしょう? そこがすごく可愛いの」

 ……うるせぇ。

 それにしてもこいつら、すっかり仲良しこよしだな。出会った日には殺し合いをしていたなんて、今では信じられないような話だ。

 これなら上手くやっていけそうだな。さて、安心したところで寝るとするか。



「……きて。起きて、朝だよ」

 耳にかかる柔らかい吐息、甘い囁き声。この声はルカだな。

「お前……なんで俺の部屋に無断で入ってんだよ」

 寝起きでまだ頭がボーっとしている。今はまともに会話できるかどうかも怪しい。

「それより、今日はお休みだよね?」

 それよりってお前……。確かに今日は土曜で学生は休日だな。

「あのな、俺はまだ眠いの。なんだよ、まだ七時じゃねえか……」

 最近は毎朝のロードワークもサボリ気味だ。俺が魔力で活動するようになってから体の燃費が異常に悪くなった気がする。特に睡眠と食事が圧倒的に足りない。今もとにかく眠い。

「お天気……いいよ?」

 それはよかったな。ルカが何を言いたいのかわからんが俺は二度寝する。

「……あなたは本当に救えませんね」

 ルヅキまで部屋に侵入してきやがった。鍵の購入を検討しておこう。

「何が救えないんだ。天気がいいなら、お前ら二人で適当に遊んでこいよ」

 ルヅキは小さく嘆息し、両手を広げて俺にやれやれポーズをしてみせた。

「悪魔令嬢の言葉を私が代弁してあげましょう。要するに、彼女はあなたをデートに誘っているのです」

 休日プラス天気がよければイコールでデートになるのか? そんな方程式は理解できんぞ。

「ルカ、ルヅキが言ったことは本当か?」

「えっと……うん。あなたと一緒にお出かけしたいな……って」

 あながち間違いではなかったか。ひょっとして魔界で約束した服と靴を買ってやる云々の話か。それなら約束を破るわけにもいかんよな。

「ああ、いいぜ。準備してこいよ」

「うん!」

 ルカは嬉しそうな顔をして部屋から飛び出していった。はしゃぎすぎだろ。まだ子供だな。

「ルヅキ、お前すごいな。特別にルカ翻訳機の称号をくれてやる」

「普通の感性を持った人間なら誰もがわかることだと思いますよ」

 お前は俺に遠まわしに普通ではないと言いたいのか。

「出かけるぞ、お前も準備してこいよ」

「え?」

「お前にも普通の幸せってのを教えてやる。わかったらルカに服借りて着替えてきな」

「悪魔令嬢のことを考えればお断りしたいところですが、今回はそのお言葉に甘えさせていただきます」

 ルヅキも珍しく嬉しそうな表情をして部屋を飛び出していった。

 じゃあ俺も準備するか。


「お前ら、パーティにでもいくつもりかよ……」

 買い物にいくにしては気合を入れすぎだ。

 ルカとルヅキはお揃いで色違いのゴスロリドレス(ルカが黒でルヅキが白)、ストッキングにブーツ。可愛らしいリボンやアクセサリーを身に付けて着飾っている。

「折角お出かけするのだもの。おめかしするなら思い切りやらないとね」

「わっ、私はお断りしたのですが、悪魔令嬢が強引に……。私にはとても似合わない……」

 謙遜しているがルヅキもいい感じだ。まあ、この二人は元の素材がいいから何を着ても似合わないということはないだろう。それにしても妙な違和感があるな……。

「あっ、わかったぞ! ルヅキが貧乳じゃねえ!!」

 思わず声に出たね。妙な違和感の正体はルヅキの体だった。その……あのだな、ルヅキの胸が膨らんでいるんだ。朝見たときより明らかに大きくなっている。AAくらいからBくらいのサイズ差はあるな。

「ふふ、気づいた? あのね、このドレスのコルセットがウエストを絞っているからボディラインが美しくなって胸も多少だけど大きくみせることができるの」

 ルカの言葉はまるで魔法だ。俺には何をいっているかがサッパリわからん。

「さっ! いきましょう! ほら、ルヅキさんもさっき言った通りにね?」

 ルカが俺と腕を組み、ルヅキにウィンクをした。

「はっ、はい……」

 するとルヅキは顔を真っ赤にして俯きながらも腕を組んでくる。

「しっ、仕方なくですから。私は悪魔令嬢に頼まれて仕方なく……」

 あのな、俺だって我慢してるんだぞ。本来なら両手に花なんだろうが、俺は女性が苦手なんだ。今だって恥ずかしくて死にそうなのを必死に堪えているんだ。

「仕方なくなら離れてくれ、いや、むしろお願いします」

「あなたは私に女性を感じないのでは?」

 そのはずなんだ。ちくしょう。

「いや……今のお前は……ダメだ」

 俺の言葉を聞いたルヅキがニヤリと笑う。

「そうなのですか、それでは遠慮なく腕を組ませていただきます」

 そうだな、こいつはこういうやつだったな。

 まあいい、悟りを開け俺よ。無の境地だ。無心で今日一日を乗り切ってやる。

 俺はルカとルヅキを連れて街を歩く。

 面白いことに五分に一度は男が寄ってきてルカかルヅキをナンパしていく。

「今の男は貧乳好きだな」

「失礼ですね。先程の男性の審美眼は確かです」

「ケンカしないの」

 今の所、六対四でルカが人気だ。別にそんなんはどうでもいいか。

 俺はルカとの約束を果たすために高級そうなブティックを探して足を踏み入れた。

「「わぁ~」」

 ルカとルヅキが同時に嬉しそうな声を出し、目をキラキラさせながら店内に陳列されている色とりどりの洋服や靴、小物を眺めている。男の子が特撮ショーをみるようなものか。とても嬉しそうだ。連れてきた甲斐があったよ。

 二人に好きなものを選ぶように言って、俺は店の中を適当に見て回る。

 正直言うとファッションにはあまり興味がないんだよな。今着ている服もお袋が買ってきたのをそのまま着ているだけだ。

「キャーッ!」

 絹を裂くような女性の悲鳴。

 なんだ? 強盗でも入ったのか。店内を見渡すが異変はない。

 ズシン! ズシン! ズシン!

 どこからか不気味な地響きのような音が近づいてくるのがわかる。嫌な予感がする。

「ルカ! ルヅキ!」

 俺の生物としての本能が危険を察知し、自然と二人を庇いながら飛んでいた。

 その直後、二人が立っていた場所の天井が崩れ落ち、人影が一つ降ってくる。

「安達……先輩?」

 信じられないような光景だった。先日ボクシングの試合をした安達先輩が目を血走らせ、俺のことを睨みつけている。

「ハアァー! 最高の気分だ……。輝ィ、覚えておけっていったよなぁ?」

 先輩が腕を振る。すると室内に暴風が巻き起こった。吹き飛ぶ店員、飛び散る商品。

 どう見ても人間業ではない。

「ルヅキッ」

「はい。彼は罪人に取り憑かれています。しかし彼は精神の支配を受けていない。自分の意思で破壊行動を行っています。何か明確な目的があるはずです」

 明確な目的……恐らくは俺への報復だろうな。

「ゴミ輝ィ。俺の未来を奪った最低のクズ人間。お前なんかはこの世に存在しちゃあいけないんだよ。だから俺が今すぐ殺してやるよぉおぉおおおおおお」

 俺の責任だ。俺には先輩を救う責任がある。

「ルヅキ、この場合はどうすればいいんだ」

「今回のケースでは罪人との戦闘中でも彼自身は暴れ続けます。ですから外の世界で彼を誰かが引き止めつつ、精神世界の罪人を劉すことになります」

 なるほどな、要するに罪人と先輩を一度に相手にしないといけないのか。

「ルカ、俺はルヅキと罪人を倒しにいく。先輩の足止めを頼めるか?」

「ううん。私があなたと一緒にいく。ルヅキさん、頼める?」

 ルカの声が冷たい。何かあったのか?

「私は構いません。ではお二人の心を精神世界に送り込みます。いいですね」

 俺とルカが頷くとルヅキがロザリオをかざした。

 ――俺とルカは先輩の精神世界へと飛んだ。

 煮えたぎるマグマ、壊れたトロフィー。そして十字架に磔にされている“俺”。

 先輩はこれほどまでに俺のことを憎んでいるのか。

「クソが、イラつくぜ。俺様の縄張りに部外者が二人もいやがる」

 憤怒の声を上げながら現れたのは長身で筋肉質な男。恐らくは罪人だろうな。

『聞こえますか? その罪人は喜怒哀楽の内の怒を司る罪人、怒(アグリー)。彼に魅入られた人間が辿る末路は無差別殺人者(スプリーキラー)。ある意味一番厄介な罪人かもしれませんね』

 精神世界に響き渡るルヅキの声。

『予想以上にこちらの男性が手ごわいのです。急ぎ怒(アグリー)を外の世界へ追いやってください』

「任せろ。すぐにそっちに戻るぜ」

『ご武運を』

 ルヅキの声が途切れた。俺たちも始めるか。

「……たかが雑魚二人にこの俺様自らが出るまでもないわな。ホレッ」

 罪人が自身の髪の毛を数本抜き、大地に投げると大小様々な怪物へと変化した。

「おめえら、その雑魚てきとうに殺しとけ。俺様が戻るまでに済ましとけよ」

 それだけ言うと罪人は怪物を残して去っていく。

「グッ……ギギッ。ゴロス」

 無機質な緋色の目、怖気が走るような声、体から吹き出す黒色の霧、まるで不吉の象徴だ。見ているだけで心が淀んでいくような気分になる。

「よし、一瞬で終わらせてやる」

「待って」

 飛び出そうとした俺をルカが止めた。

「今回は私がやるから。――メリリムッ」

 ピシャアアアアンッ!

「お呼びでしょうか、お嬢様」

 精神世界に稲妻が轟き、稲妻女が姿を現した。

「うん。地獄門を出して彼の自宅の武器庫に繋げてほしいの」

「承知いたしました。――地獄門(メリヘルゲル)ッ!」

 随分とまあ便利だな。

 ルカが転送装置のリングの中からアサルトライフルAK-47を取り出す。

「手加減……しないよ」

 冷たい声でルカが言い放ち、怪物に銃口を向け、引き金を引いた。


「あー、ダリイ。そろそろゴミクズの処理は終わったか……なっ、にぃ?」

「遅かったね」

 驚くのも無理はないな。一言でこの状況を説明するならば、死屍累々だもんな。

 それにしてもルカの強さには驚いた。十分足らずで全ての怪物を無効化したんだ。

「ファ……ファーザー……」

 罪人の足元に横たわる怪物が救いを求めるように手を差し伸ばしている。

「…………クソが、使えねえ、使えねえよ、使えねえよなあっ!」

 罪人の体から怪光が放たれる。光は広がり、十数体はいた全ての怪物を包み込んだ。

 塵に……なった。

 ルカが情けをかけ、生かしておいた全ての怪物を一瞬で消し去りやがった。

 許せねえ……いや、許しちゃいけねえ。

「おいっ、お前っ! 俺と勝負……」

「大丈夫だよ。最後まで私がやるから」

 この声は……こいつ……もしかして。

「どうして……そんなに平然と他者の命を奪えるの」

「利用価値の無い道具を片付けただけだ。それ以外に理由なんていらねえだろっ!」

 さも当然のように言い放つ罪人。それを静かに聞いているルカ。

「……私ね、これでも貴方たちには一定の敬意を持っていたのよ。道を間違えてしまっても、魔界に名高い悪魔だった人が生み出した存在だものね」

「あぁっ?」

「でも、もうやめる」

 ジャキッ!

 ルカが機関銃の銃口を罪人へと向ける。

「上等じゃねえか! ただの小娘にメセル・ギ・デス様が生み出した、この俺様を倒せるなんて思うなよ!」

「ううん、貴方は負けるよ。だって、私が絶対に倒すって決めちゃったんだもの」

 間違いない。やっぱりこいつ、キレてやがるな。

「おい稲妻女、ルカは魔力がほとんどないんだろ? 大丈夫なのかよ」

「無論だ。怒り心頭中のお嬢様は誰よりも強く、そして恐ろしい。貴様も夫婦喧嘩をするときは気をつけろよ」

 ご忠告どうも。喧嘩はしないし、夫婦でもないけどな。

「それじゃあよ、早速だが、死ねよ」

 フォン! 

 速い。罪人が繰り出したノーモーションの右ストレートがルカの顔面に飛ぶ。

「殺(と)った!」

 罪人の拳がルカの顔面に突き刺さった。と、思った瞬間。

「ゴッ!? ――グゥウオッ?」

 罪人の側頭部(テンプル)をルカが右脚で蹴り飛ばした。

 すげえ、“旋風脚”ってやつか? めちゃくちゃ高度な飛び回し蹴りだ。

 まだルカは飛んでいる。ここで攻撃の手を止めるはずがない。

 俺の予想は的中した。ルカは右足を振り切った勢いのまま、左足を振り上げ……

 バキィイイ!

「ゴアアーッ!?」

 初撃を受け、よろめいていた罪人の顔面を再度蹴り飛ばした。

 旋風脚の二連撃! 

 罪人は蹴りの衝撃で吹き飛び、地面に倒れこむ。 

「クソが、クソがぁあああああ……この俺様がこんなガキに……」

 まあ、なんだ。素直にかっこいいよな。もしかしたら俺より強いんじゃないのか?

「おい、すげえなルカ」

「ありがとう……うれしい」

 あっ、まだ怒ってるな、こいつ。

 ルカは罪人のもとにゆっくりと歩いてく。

「反省……した?」

「へっ、へへっ……クタバレ」

「そう……」

 あーあ。火に油だよ。

 ルカがVz61(短機関銃)を構え、引き金を絞り弾丸の雨あられを罪人に浴びせる。

 パララララララララ。

「グッ、ガッ、ゴハッ!」

 パララララララララ。

「なあ、あれ、死んじまうんじゃねえか?」

「心配いらん。お嬢様に殺生をさせないために、武器庫の銃火器の弾丸を全て非致死性の物に変えておいた。精々、死ぬほど痛い程度だろうさ」

 なるほどな。大した過保護具合だ。これで安心して見ていられる。

 カチッ、カチカチ(弾切れの音)。

 ポイッ(投げ捨てた)。

 ……おい、冗談だろ。

 一瞬我が目を疑った。ルカがリングから取り出したのはPfeifer Zeliska. (ツェリザカ)

 無骨なフォルム、異様に長い銃身、まるでバズーカだ。一目見ただけでも恐怖してしまいそうなその銃の正体は、世界最強の……“拳銃”だ。

 カチリ、カチリ、口紅のような極大の弾丸をシリンダーに込めていく。

 確か重量は六キロ以上だったな。拳銃にしては破格すぎる。ルカはそんな化物銃のグリップをしっかりと握り、ハンマーを起こす。

 止めようかと本気で考えた。だってあれ、下手すりゃ象だって吹き飛ぶんだぜ?

 多分、非致死性もなにも、あの化物銃には関係ないよな。

ルカがトリガーに指をかける。

「稲妻女、すぐに耳塞げ。死ぬぞ」

 俺が稲妻女に警告した直後、世界が震えた。肌にピリピリと伝わるのは凄まじい空気振動。

 とてつもない爆音。耳を軽く塞いでいたというのに耳鳴りがしやがる。

 発砲音なんて生易しいものじゃない、これはちょっとした爆撃音だ。

「カッ、カハアアァァ……ゼー、ヒー、ヒュー、ヒュー……」

 罪人の喉が鳴いている。

 弾丸が直撃した罪人の体はボロクズのようになり、息も絶え絶え、虚ろな目で天を眺めている。

「早くこの人の体から出て行きなさい。外に出れば彼女が楽にしてくれるのでしょう?」

 いや、まだなんだ。こいつらはまだ奥の手を隠し持っている。

「こっ……ころ……して……ヒュー……や……自己……ぼう、えい……」

 虚空から飛び出す触手、姿を変えていく罪人。

 光沢のある黄色の甲冑、頭部全体を覆う鉄兜、ガントレットにド派手なマント。先輩の防衛本能と直結した罪人は騎士のような出で立ちになっていた。

「今度こそ完璧に殺してやる。死ぬ前に何か言いたいことはあるか」

 罪人が強い口調で言い放った。だがルカは全く動じていない。

「私、今から貴方を倒すけど、その前に一つ謝って欲しいことこがあるの」

「俺は罪人だぞっ、謝るわきゃねえだろうがよ。謝る理由も俺様にはないしな」

「謝る理由ならあるよ。貴方は彼を貶した。私、絶対に許さないんだから」

 剣で戦う罪人。またしても化物銃を手にしているルカ。今度はラハティl-39だよ。

 ラハティは対戦車ライフル。その名の通り戦車の分厚い装甲でさえ簡単にぶち抜ける代物だ。重量約五0キロ。それをルカは片手で扱っている。ありえんだろ……。

「ハッハァー! 今度は劣等種族が生み出した玩具なんかには負けねえぞ。この甲冑は防御特化だ! たとえ大砲を持ち出しても、この装甲は貫け……」

 ズバンッ!

 貫きましたけど?

「ばっ……か……な」

 腹に大穴を開けて沈み込む罪人。

「ごめんね、弾丸に魔力を流し込んでいるから大砲よりもずっと威力は上なの」

 ルカの親父さんを倒すほどの悪魔が生み出した存在にしては弱すぎないか。それは今まで対峙した全ての罪人にも通ずることだ。何か裏があるのか? それともただの杞憂だろうか。

「お前……もしかすると囮か?」

 取り敢えず罪人にカマをかけておく。何か情報を聞き出せればいいんだが。

「ようやく……気づいたか。だがもう……遅い。メセル・ギ・デス様は準備を整えた。人間界は……直に……滅びる」

 人間界が滅びる。この状況で嘘を言うとは思えない。ならば……真実か。

「任務……完了……」

 それだけ言うと虫の息だった罪人は精神世界から飛び出していった。

「ルカ、すぐに出るぞ。それと稲妻女、今の話を聞いたな? 一応ベーゼル・バーグにも報告しておいてくれ」

「心得た」

 俺たちは三人同時に精神世界を離れた。

 ――外の世界に出ると、場所がブティックの店内から哀の罪人と戦った公園へと移動していた。

 ルヅキが先輩を上手く誘導したようだ。

 俺の目の前で青龍刀を手にして戦うルヅキ。素手で応戦する先輩。

 先輩はルヅキの斬撃を巧みに躱し、まるでからっているかのような軽いパンチを数発打ち込む。完全に遊ばれているぞ、どうしたルヅキ。

「くっ……強いですね。罪人の力をうまく使いこなしている印象を受けます」

 確かに、言われてみれば先輩の動きは先日とはまるで別人のようになっている。

「先輩」

 俺が声をかけると先輩が凄まじい殺気を放ちながら振り返った。

「ようやく出てきたな。待っていたぞ輝。殺してやる」

 ファイティングポーズを取る先輩。

「ルヅキ、先輩の相手は俺がする。お前はルカと一緒に罪人の処理を頼む」

 ルカとルヅキは小さく頷き、俺のそばを離れた。

「先輩、少し話してもいいですか」

「なんだ」

 これはあくまでも俺の推理だ。当たっている確証はない。だが話しておく価値はある。

「罪人という存在が最後の抵抗を見せるとき、取り憑かれた人間の心理に一番近いものに姿を変えると俺は考えたんです。俺のお袋は何があっても子供を守る獅子、失恋した女性は叶わぬ恋を嘆き悲しむ人魚(マーメイド)。そして先輩は騎士だった」

「何が言いたい。時間稼ぎなら無駄だぞ」

「先輩はもしかすると誰よりもプライドを重んじていたのではないですか? それを何かのきっかけで失った。だからプライドに拘った俺を憎んだ……」

「黙れ黙れ黙れえええええええええええええええええええっ!」

 突如、激昂する先輩。

 これ以上は聞く耳を持ってくれなさそうだな。

 だとしたら戦うしかないんだが、できれば人間相手に支配の力は使いたくない。

 実力だけで先輩を目覚めさせてやる。

「先輩、戦う前に一つだけ言っておきます」

「なんだ」

「俺はあなたの千倍強い」

「ふん、笑えんな。いくぞ、輝。借りを返してやる」

 ――シュッ!

 鋭く速い先輩の左。俺は咄嗟に回避行動をとり、すんでのところで拳を躱す。

 拳を繰り出すモーションがまるで見えなかった。……強い。

 バン! ズバン!

 畳み掛けるように繰り出される左から右のコンビネーションパンチ。

 反撃する隙が見つからない。とにかく速い、速すぎるんだ。

 先輩の潜在能力に罪人の力が加わるとここまで強くなるのか。だが……俺にもルカからもらった力がある。先輩が罪の力で強くなったというのなら、俺は魔力の力だ!

 左腕と左足に魔力を集中。そこから繰り出すのは高速の拳。

「ほう……どうやら、お前も人外の力を手に入れたようだな。そうこなくては面白くない」

 余裕の表情で俺の拳が躱される。ダッキング、スウェー、スリッピング、先輩の巧みなテクニックの前に俺の拳は虚しく空を切ることだけを繰り返している。

 左、左、ボディ。だめだ、目ではついていけてもブロッキングが間に合わない。

「ガハッ……」

 先輩の強烈なボディブローを受けて瞬間的に呼吸が止まる。

「弱い、弱すぎるぞ。くだらんプライドを持ったことを後悔しながら死んでいけ」

 拳を繰り出しながら叫ぶ先輩。

「俺のプライドは……くだらなくなんかないっ!」

 ――ヒュン!

 俺の拳が先輩の頬を掠った。

「なにっ……お前、なんだその腕、いや……体が……紅く輝いている……だと」

 俺は負けねえ。俺が負けたら誰がルカを守るんだ。誰がルヅキを支えてやるんだ。そして誰がメセル・ギ・デスを倒すんだ。こんなところで負けてなんかいられねえっ。

「遊びは終わりだ。俺も……全力でいくぞ。――輝ッ!」

「はい。今度こそ、本当の決着をつけましょう。――先輩」

 先輩の体から怨念と怨嗟がこもった黒紫色の蒸気が噴出した。

 それに呼応するように俺の左半身の紅蓮の輝きも増していく。

 俺と先輩は同時に拳を握り込み、全霊の一撃を打ち込むために駆け出した。

 感覚が研ぎ澄まされ、迫り来る拳がまるでコマ送りのようにスローリーに感じられる。

 互いの息が掛かりそうになるほどの近距離から繰り出した最速の拳を、まるで鏡移しのごとく同時に首をいなして躱す。

 それだけでは止まらない。右がダメなら左! 互いの左腕が真っ直ぐに飛び、交差する。

 それでも拳は当たらない。壮絶なカウンターとカウンターの撃ち合いだ。当たれば負ける。わかりやすい。

 右、左、右、幾度も交差する腕、拳。そして五度目の交差……

 ――バシィィィイイン!!

 公園に響き渡る凄まじい打撃音。

 身体から力が抜けていく。とてもじゃないが立っていられない。俺はその場にゆっくりと沈み込み、片膝をついて沈黙する。負けた……か。

 先輩がゆっくりと歩いてくる。

「輝ィ……お前、やっぱ強いわ。眩しい、眩しいなぁ。いつか……俺もプライ……ド」

 先輩はその場にガクリと倒れこみ、静かに目を閉じ意識を失った。

 勝てた……のか?

「うっ……ウオオオオオオオオオオッ!」

 俺は思わず勝利の雄叫びを上げた。嬉しかった。全力の勝負に勝つのはこんなにも気持ちがいいことだったのか。

「終わりましたか?」

 いつの間にかルカとルヅキが戻ってきていた。

「ああ、そっちは?」

「ええ、罪人の処刑は無事に遂行いたしました」

 これで一件落着だな。

 ガバッ!

 突然ルカが抱きついてきた。

「ねえ、私頑張ったよ。前みたいに頭を撫でて?」

「おっ、おい……そんなにひっつくな……」

 やたらとルカがじゃれてくる。

 なんでこんなにご機嫌なんだ、こいつ。

「よくもまあ、公衆の面前で堂々とイチャつけますね」

 俺たちをジト目で見ながらルヅキが言った。

「――はっ? あっ……うおっ!」

 変な声が出た。確かに公園にはいつの間にか人だかりができている。

「どっ、どうして……こんな、人!」

「あれだけ大きい声で叫べば何事かと人も集まりますよ」

 血の気が引いていく。冷や汗も噴き出してきた。

 そうか。なら俺が今からする行動は決まったな。

 俺はルカをお姫様抱っこして、

「ルヅキ、俺は逃げる。後は任せた。このあとは自由行動な」

 全速力で逃げ出した。

「えっ……あの、ちょっと!」



 ……ふう。ひどい目にあった。羞恥心で死ぬとこだったぜ。

 俺は適当に走り続け、人気のない路地裏で足を止めた。

 近場にあったベンチにルカを座らせ、俺自身も腰を下ろす。

「……抱きしめてくれたね」

「あっ、あれはだな、俺じゃない。あのときの俺は俺じゃなかった」

 苦し紛れにしても酷いな。だが、できればあのときのことは思い出したくない。

「ふ~ん。でもいいよ、お姫様抱っこ……嬉しかったから」

 俺の心臓が飛び跳ねた。なんだ、俺はどうしてこんなに焦っているんだ。

「なっ、なんか飲み物を買ってくる」

 俺は逃げ出すようにその場を去った。

 自販機を見つけて二人分の飲料を買ったが、足が動かない。

 なんでだ。最近の俺はおかしいぞ。ルカに過剰に反応しすぎている気がする。

 原因は自分でもわかっている。あいつの仕草とか言葉がいちいち……その、胸にくるんだ。新種の病気かよ。困ったな、これじゃあそのうち会話も困難になるかもしれん。

 ルカを放置しておくわけにもいかないよな。そろそろ戻るか。

「おかえり」

「たっ、ただいま」

 ぎこちなく返答をしてジュースを手渡す。

「あのね」

「ん?」

「あなたが飲み物を買いにいっている間にナンパされちゃった」

 またか。まあ、こんな所にルカみたいな女がいたら誰だって声をかけるか。

「なんて返事したんだ?」

「好きな人がいるから、ごめんなさいって」

 無難な返事だな。そう言われたら男も引かざるを得ないだろう。

「そうか。それよりもう歩けるか?」

「うん。足は動くようになったけど、……気にならないの?」

 ルカはベンチの上で足をぶらつかせ、地面を見つめながら話している。

「気になるって何がだよ」

「私の……好きな人……」

 それはナンパを断るための口実じゃないのか? じゃあこいつ、好きな男がいるのか。

「お前、好きな男が……」

 言いかけて口を噤む。背広姿のサラリーマン風の男が俺たちのほうに歩いてきたからだ。

 ささっ。

 突然立ち上がり、俺の背後に隠れるルカ。

 男性がどんどんと近づいてくるので、念の為に会話は口でなく心ですることにした。

『急にどうした』

『あの人、私をナンパした人だよ』

 ルカが怯えているように思える。見た目は普通の中年男性なんだけどな。

「やはり諦めきれなくてね。どうだろう、私に付き合ってくれないか」

 ……ただのロリコンか。それになんだ『私に』ってのは、告白にしては妙だな。

『ねっ、変な人でしょ?』

『嫌ならもう一度ちゃんと断っておけ。こいつは多分、しつこいタイプだ』

 俺の背後に隠れているルカのそばに男が寄ってくる。確かにどこか不気味な男だ。

「君は……この子の彼氏かな?」

 死んだ魚のような目をしている。それに血生臭いぞ、この男。

「そうなの、だからごめんなさい。私はあなたとお付き合いできません」

 俺の代わりにルカが即答しやがった。

『おい』

『フリでもいいから……お願い。私、この人が怖いの』

 フリ……ねえ。仕方ない。

 ――やるか。

「おい、あんた」

 俺はルカの腰を抱き、引き寄せる。

「にゃっ!?」

 こいつはたまに変な声を出す癖があるな。これじゃ猫女だ。

「俺の女に何かようか?」

 できるだけキザに、調子を付けて。これだけやればさすがに諦めるだろうよ。

「なるほど、それでは仕方がない。彼女の死体は諦める。その代わり……」

 死体……だと?

「彼女の左足と眼球を譲ってはくれないか」

 こいつ、普通じゃない。

「悪いが髪の毛一本渡すつもりはない。さっきも言っただろ、こいつは俺の女だ」

 恐らくは罪人。いくら精神を病んでいたとしても、並の人間では面と向かってここまで言えない。

 どうする……逃げるか、戦うか。くそ、ルヅキを置いてくるんじゃなかった。

「そうかね、実に残念だ。久々に極上の食事にありつけると思っていたのだがね」

 へっ、ルカを食うきでいやがったのか、冗談じゃないぜ。

『おい』

『うん』

『俺がこいつを引き付ける。お前はルヅキを探してこい。こいつは多分罪人だ』

『一人で大丈夫?』

『俺を誰だと思ってる』

『じゃあ、……任せろ』

『なんだ?』

『あなたの真似』

『うるせぇ! とっとと行ってこい』

『ふふっ、はーい。いってきます!』

 ルカは路地裏から表通りに向かって駆けていった。

「さて、私はそろそろ失礼する。もうこの場所には用がないのでね」

「待てよ、あんた、もしかして自分でもわかってるんじゃないか?」

「何がだね」

 背を向けていた男がゆっくりと振り返る。俺の言葉に興味を持ったようだ。

「罪の意識をさ。いや、違うな。お前、受け入れているんだろ」

 男の口の端が歪む。

「罪の意識をかね? 私はそんなもの感じたことがないからわからんよ」

 やはりそうだ。俺は勘違いをしていた。こいつは人間だ。

「人類の中に希に生まれる。驚異的な自我と美徳を持った人間が……あんただ」

「美徳かね。確かにそれに近いものは持っているな」

「ああ、そうだよな。当ててやろう。それは、美学だろ」

 俺の言葉を聞いた男は小さく笑い出した。

「くっくっく……よくわかっているではないかね。私は私の美学に基づき生きている」

 そう、こいつは普通の人間とは違う思考回路を持っている。こいつにとっては人を殺し、食うことが普通なんだ。それの何がいけないのかわからない。理解できない。

「あんたみたいな奴が世間一般にはなんて呼ばれているか知ってるか?」

「聞こうじゃないか」

「利己的殺人者(シリアルキラー)さ」

 さて、楽しいお喋りの時間は終わりだ。

「すみません。遅れました」

 ルカとルヅキが駆けてくる。

「ルカ、ルヅキは本屋にいただろ。そして恐らくは夢中である本を読んでいた」

「すごいね、まるで見ていたみたい。その通りだったよ」

 考えなくてもこれくらいは簡単に予測できる。

「ルヅキ、少女漫画なら後で買ってやる。それよりこいつを判定(ジャッジ)してくれ」

 ルヅキはチョーカーからロザリオを取り外し、男性にかざす。

「……罪人の気配を感じません。ですが、その男性からは罪人の残り香を感じます」

 残り香か。つまり一度は罪人に取り憑かれていたのか? よくわからん。

「残り香ってのを探ってみよう。何かわかるかもしれない」

 俺の言葉にルヅキは頷き、三人で男性の精神世界へと侵入した。

「なに……ここ」

 ルカが震えた声を出す。確かに俺も声が出そうになったよ。

 そこら中に転がっている肉塊、死体。床にも壁にも大量の血がこびりつき、黒く変色している。

「私も長い間、罪人と戦っていますが、ここまで自我の強い人間は初めて見ました」

 精神世界は本人の趣味、嗜好が色濃く反映されるらしい。つまりこの男はこれだけたくさんの血や死体に関わって生きてきたということになる。

 俺たちが辺りを観察していると、この体の持ち主である男が突然空から降ってきた。

「人の心に土足で踏み込んで……。この言葉を使うのに今は最も適しているな」

 精神世界に本人がいるのは哀のときに一度あったが、今回もそうらしい。

「お前、ここに罪人がいただろ。それをどうしたんだ」

「ああ、私にあれこれ指令を出していた彼のことか。食べて……しまったよ」

 絶句。色々なことを一度に考えてしまい、中々声が出てこない。

「……食べた……だと?」

 俺は喉から絞り出すようにして声を出した。

「そうだ。骨の髄まで堪能したよ」

 ただの人間が罪人を……倒した? 信じられない。

「ルヅキ……こんなことはありえるのか」

「これは非常に稀有な事例だと思われます。少なくとも私はこんな事態に遭遇したことがない。それだけこの男の精神は強く、そして異常なのでしょう」

 そうだよな。こんなことがそうそうあってたまるかよ。

「さて。不法侵入の代償は、君達の命で償ってもらおうか」

 パチン。男が指を鳴らす。

 虚無の空間から飛び出す鎖、そのまま両手両足を縛られ、俺たちの動きは拘束される。

「ルカ、ルヅキ、平気か?」

「うん」

「ダメージはありません。ですがやられるのは時間の問題でしょう。今の私達は蜘蛛の巣にかかった蝶、いえハエですから」

 確かに俺はハエ男でルカはハエ女だな。だがいちいち言い直すなよ。

 鎖が頑丈すぎる。魔力を込めても引きちぎれない。男が近づいてくるのがわかる。このままじゃ本格的にまずいぞ。

「おい、俺のことは好きにしてもいい。その代わり二人には手を出すな」

 苦肉の策だがこうするより他に方法がない。問題はこの男が俺の申し出を受け入れてくれるかどうかだ。

「残念だが君達の運命はもう決まっている。私に食されるのだよ。……今度は誰だ」

 男は舌打ちをして俺達のそばを離れ、何かを探しているかのような素振りを見せる。

『ではお前の運命はどうだ? 教えてやるよ。俺に……壊されるのさ』

 姿は見えないが、声だけが聞こえた。一体何者なんだ。今ここに誰がいる?

「君は誰だね。姿を見せたらどうなんだ」

 男も困惑している様子だ。

『お前は調子に乗りすぎたんだよ。たかが劣等種族の分際で……だから俺が出向いてやった』

 声だけが頭の中に響いてくる感じだ。不快で陰湿で気色悪い声音。

 男が動揺しているからなのか、手足を縛っている鎖の締めつけが弱くなっていた。俺は魔力を込めた左腕で鎖を破壊し、ルカとルヅキを拘束していた鎖も同様に引きちぎった。

『さすがの俺も我が子を殺され、ご立腹だ。執行者ならまだいいぜ? だがお前は劣等種族。ただの人間に負けるような悪魔を生み出していると思われちゃあ、番外悪の名が泣くぜ』

 番外悪だと!? こいつ……まさか。

『そうさぁ、よく気づいたな。さすがは兄弟だ。君は賢いからなあ』

 俺は今声に出していないぞ。心を見透かされたのか。

「お前の目的はなんだ、何を企んでいる」

 鮮血に染まる天を仰いで声を出す。返答がくるかはわからない。

『混沌、カオスだよ。近いうちに私は世界中全ての人間の罪の意識を開放してやる。準備に時間がかかったが、もう実行できる段階まできている。ん~、楽しみだなあ』

「罪の意識を解放された人間はどうなるんだ」

『簡単なことさ、欲望に忠実になるんだ。人を殴りたい、殺したい。普段は罪の意識に苛まれてできなかったことを、簡単に行動に移せるようになる。どうだい、素敵な世界だろ?』

 そんなことが現実になったら、間違いなく人類は滅びるな。

「確かにそれは素敵だな。だが、その計画は失敗に終わるぜ」

『ん~? なんでだい?』


「――俺がいるから」


『はっはっはー。さすがは兄弟、君は実に愉快な男だ。そんな君には特別に面白い余興を見せてやるよ。この男に本物の罪ってものを教えてやるのさ』

 その発言の直後、精神世界が崩壊を始めた。天が割れ、壁が崩れ落ち、世界は色を失っていく。

「二人共、出ますよ。このままではこの男の精神が持ちません」

 ルヅキがロザリオをかざすと俺達の体を光が覆った。

『なんだ、もう帰るのか兄弟。これからが面白いんだぜ? まあいいさ、そのうち遊びにこいよ。賢いお前なら、俺の居場所くらい簡単に見つけられるだろう? 待ってるぜ』

 これは俺に対する挑戦だな。面白い、受けて立つぜ。

 ――俺たちの意識は外の世界に飛び出した。

 精神を侵されている男の体が小刻みに震えている。

「たっ、助けて私は死ぬ。死ぬ、死ぬっ! “違うよ。一つになるんだ”ヒイィッ!」

 突然始まった男の奇行。何か助ける方法はないのか。

「ルヅキ!」

 ルヅキは目を閉じ、首を横に振った。

「これが本当の……罪? 怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い怖い……こっ」

 まるで機械のように同じ言葉を繰り返していた男は、電池が切れてしまったかのように動かなくなった。

「なんだよ……これは」

「彼の精神は壊れてしまいました。原因は人の心の許容量を超えた存在の精神介入」

「メセル・ギ・デスね」

 ルカが呟く。

「そうだと思われます」

 やはりさっきの声はメセル・ギ・デスだったのか。

「下郎」

「うおっ! なんだ、稲妻女かよ。突然声をかけるな、心臓に悪いだろうが」

 こいつは本当に神出鬼没だな。先輩の精神世界にも速攻で現れたし、転送装置ってのはすごいんだな。

「ベーゼル・バーグ様にメセル・ギ・デスがよからぬことを企んでいるということを伝えてきた。現在、魔皇空軍が総力をあげて奴の居場所を捜索中だ」

 それは心強いな。

「あの……この方は?」

 ルヅキが稲妻女を見上げている。そういや、この二人は初対面だったな。

「ああ、こいつはルカの家に仕えている軍人だ。もの凄く怖いぞ」

「なるほど、ではこの方も悪魔なのですか。大きいですね」

 確かに稲妻女はでかいな。ルヅキが小さいってこともあるんだが。

「稲妻女は身長いくつだ?」

「私は人間界単位で言うと一八六センチだ」

 でかすぎだ。日本の女性じゃまずこの大きさはいない。

「それよりも下郎、貴様に頼みたいことがある」

 こいつが俺に頼みごととは珍しいな。魔界で世話になったことだし、話だけでも聞いてやるか。

「なんだよ、今すぐルカと結婚しろとか以外なら聞いてやるから言ってみろよ」

「貴様とお嬢様の婚約は決定事項だ。私が口出すことではない。私が頼みたいのは人間界での住居と職はどうしたら手にはいるかという事だ」

 一体いつ婚約が成立してしまったんですかね。小一時間ほどかけて問い質したい気分だよ。

「お前まさか……人間界で暮らすつもりじゃないだろうな」

「そのまさかだ。ベーゼル・バーグ様に命じられた、人間界で貴様をサポートしてやれとな」

 勘弁してくれよ。こんな怖い女がすぐそばにいると思うと夜も眠れなくなるぞ。

『家に泊めてあげようよ』

 ルカ、残念だがそれだけは拒否する。俺の胃がストレスで消滅してしまうからな。

『家はダメだ。大丈夫、俺に考えがあるから任せとけ。悪いようにはしないさ』

『うん。じゃあ、メリリムのことお願いね』

 さて、俺のお師匠様には少しばかり人間界の厳しさを知ってもらおうかね。

「ルヅキ、稲妻女にお前の職場を紹介してやれ。家はそうだな……お前が住んでたアパートにしよう」

「正気ですか? あの家を? 人間の住む場所ではありませんよ」

 お前はそこに住んでたんだろうが。こいつ、俺の家での生活に慣れてようやく人並みの感性を手に入れたんだな。

「心配は無用だ。雨風さえ凌げればそれでいい。それに仕事もなんだってやってやる」

「今の言葉……絶対に曲げないな」

「無論だ」

 ここは本人の意思を尊重しよう。

「ルヅキ、案内してやれ。お前の後輩になるんだ、ちゃんと面倒みてやれよ」

「それは構いませんが……知りませんよ? では稲妻女さん、ついて来てください」

 大きい女性と小さい女性の凸凹コンビはメイドカフェに向かって歩いて行った。

「ルカ、俺達は病院にいくぞ」

「私ならもう大丈夫だよ?」

「あー、今回連れて行くのはそこの男だ。そいつも一応被害者だからな」

「うん」

 俺は救急車を呼んで男性を病院へと運び込んだ。診断結果はお袋と同じで原因不明。

 なんでもここ最近似たような患者が大量に運び込まれてくるようになったらしい。

 どうやらメセル・ギ・デスが本格的に動き出したようだな。

 決戦は近い。確証はないがそんな予感がする。気を引き締めろよ、俺。

 俺はそんなことを考えつつルカと一緒に家へと帰った。



 帰宅した俺は罪人との二連戦で消耗した体力を回復するために仮眠を取った。

 現在は午後七時、俺の腹が空腹を訴え、目を覚ましたばかりだ。

 食事をするために居間に降りると、ぶかぶかのワイシャツにホットパンツ姿のルヅキが冷蔵庫を物色していた。

「何してんだ?」

 俺が聞くとルヅキは手にとったミネラルウォーターをグビリとしてから口を開く。

「水分補給です」

 そんなことは見ればわかる。

「俺が聞きたいのは、どうしてお前が俺のシャツを着ているかということだ」

「あぁ、これですか。悪魔令嬢が用意したあなたの衣服を借りたのです」

 ホットパンツは俺のじゃないぞ。一体なんのつもりだ。

「稲妻女さんから人間界の男性は裸に彼氏のシャツという組み合わせに弱いと聞いたので。ですが、さすがに裸は抵抗がありまして、こういう形をとりました」

 稲妻女の情報の収集源を知りたい。一体どうしたらそこまで偏った情報だけを集められるんだ。でも確かにそれっぽくは見えるな。残念なことに色気は皆無だが。

「お前はそれを着て何をしたいんだよ」

「私なりの感謝の気持ちです。先日の……その……抱擁のお礼を……」

 ああ、こいつを家に連れてきたときの話か。気にすることないのにな。

「あのな、別に俺はお前になんかして欲しくて抱きしめたわけじゃねーの。だから気にすることは何もないし、これからも余計な気遣いはしなくてもいい」

 心なしかルヅキが顔を赤くしているように見える。恥ずかしいならそんな格好するなよな。

「……あの、一つだけ相談したいことがあります」

「なんだよ」

 いつも淡々と話すルヅキが珍しく逡巡している。なんだよ、真面目な話なのか?

「あの……ですね。既に想いビトがいる男性を好きになってしまった場合、私はどうしたらいいのでしょうか」

 なんだよ、色恋の話か。俺に相談するのは間違っていると思うんだが、表情が真剣なんだよな。

「どうしたんだよ、突然」

「稲妻女さんに言われました。私にも人並みに恋をする権利があると。今まで諦めていた感情が許されるものだとわかった途端に抑えが効かなくなってしまいまして……」

 いつの間にか稲妻女とも仲良くなってんのな。それはいいことだと思うんだが、俺はなんて答えるべきだろうか。まずは相手のことを聞くのが普通だよな。

「想い人がいるってのは、まさか不倫とかじゃないよな」

「えっ? はい不倫ではありません。でも私が思うに、いえ、どう見ても相思相愛なのです」

 人が誰を好きになるのも自由だが、想い、想われる人がいるってのは厄介だな。ルヅキも不憫な恋をしたもんだ。

「お前の気持ちはどうなんだよ。本気なのか?」

「はい。彼は私に生きる意味を教えてくれたのです。真っ黒だった私の人生を明るく染めてくれた、私を闇の底から救い出してくれた……。私は彼が……好きです」

 聞いてるこっちが恥ずかしくなるような言葉だな。

「まあ、なんだ。俺はお前が選んだ男なら間違いないと思うぞ。だから最後まで諦めるな。お前の想いが本物なら、いつかその男も振り返ってくれるかもしれないしな」

 こいつはもっと自信を持つべきだ。まあ、今まで普通じゃない生活を送っていたこともあるから、すぐには難しいんだろうがな。

「ですが、振り返ってくれたとして、彼は私のことを愛してくれるのでしょうか」

「お前、傷のこと心配してるんだろ。大丈夫だ、本当にお前のことを愛してくれる男なら、お前の全てを受け入れてくれるさ」

「……………………」

 ルヅキがワイシャツのボタンを外す。そこに見えたのは首から下にある無数の傷。

「あのとき聞いたこと、もう一度だけ聞きます。私の傷は醜いですか、幻滅しますか」

 俺はあのときちゃんといったはずなんだがな。それになんか話がずれてないか?

「何度聞いても答えは同じだ。俺は傷なんてなんとも思わないし、お前の体は綺麗だと思ってるぞ」

 ルヅキがあまりに心配しているようだったから、腹の傷を軽く撫でてやった。

「……んっ」

 まずい、ルヅキが妙な声を出した。さすがにタッチはまずかったか。

「すっ、すまん。俺が言いたかったのは、傷なんて気にしない男もいるってことでだな」

 ルヅキがポロポロと泣き出した。俺は最低だ、女の子を泣かせちまった。

「あの……ごめんな、俺バカだからお前のこと泣かせて……」

 ルヅキが近づいてくる。殴られても仕方ない。くるなら来い。受け止めてやる。

「へっ?」

 受け止めたのは受け止めたんだが、ビンタではなくルヅキの体だ。

「悪いと思うなら……今だけでもいい、もう一度抱きしめてください」

 熱のこもったルヅキの声。こいつはまた不安になったのだろうか。

 俺はルヅキの小さな体を抱きしめてやった。本当に小さくて、力を込めたら簡単に壊れてしまいそうだ。

「あのな、これからは遠慮しないで思い切り甘えてこい。俺はお前を妹のように思っているからな」

 すっと、ルヅキが俺から離れる。

「ありがとうございます。でももう大丈夫ですから、お兄ちゃん」

 冗談を言えるようになればもう大丈夫だな。

「おう、兄ちゃんはいつでもお前を受け止めてやるぞ」

「――最近は妹と恋してもいい時代ですからね。私はまだ負けていませんよ」

 ルヅキが小さく呟いたが、うまく聞き取れなかった。

「すまん、よく聞こえなかったんだが……」

「……なんでもありません。ではお礼に私もお兄ちゃんにアドバイスをします。敵に塩を送る形になりますが、縁側にいってみてください。私は少しだけ散歩にいってきますね」

 何が言いたのかわからんが、とりあえず縁側に行けばいいんだな。

 俺はルヅキを見送ってから縁側に向かった。

 縁側にはルカがいた。

 美しい長髪を夜風に靡かせ、縁側から突き出した足をプラプラとさせている姿はなかなかに微笑ましくていいのではないかと思う。

「ルカ」

 とりあえず声をかける。

「どうしたの?」

 俺に気づいたルカが小首を傾げながら聞いてくる。

「特に用はない。ルヅキが縁側にいけとか言うから来ただけだ」

「隣……座る?」

 最近わかったんだが、こいつがこういう言い方をするときは座って欲しいという意味なんだよな。

「ん」

 俺は素直にルカの隣に腰を下ろした。

 なんだかしらんが急に沈黙が流れた。妙な雰囲気だ。

「「あっ、あの」」

 声が被った。こういうの苦手なんだよ。

「先に言って?」

「ん? あぁ」

 そうだな、じゃあ俺は今半悪魔だ。人間でも悪魔でもない中途半端な存在。そんな俺は純粋な悪魔であるルカの目にはどう映っているのかが気になる。やっぱ気味が悪いんだろうな。思い切って聞いてみるか。

「なあ」

「なあに?」

「お前、俺のことどう思ってる」

「――えっ? どうって……えっ?」

 どうして二回も「えっ?」て言うんだよ。

『どっ、どうしたの急に』

 突然ルカが俺の心に声を送ってきた。

『どうしてこっちで話す』

『別にいいじゃない。それよりさっきのってどうゆう意味?』

「あー、めんどくせえ。俺は普通に話すぞ」

『いいよ』

「そのままの意味だ。お前が俺のことをどう思っているかが知りたい」

『この場合って、素直な気持ちを言ったほうがいいんだよね?』

「ああ、むしろそうしてくれ。そのほうがお互いにスッキリするだろ」

『………………』

 なんだこの間は。

『……すき』

 だよな。俺みたいな化物は誰がどう見てもすき……

「……へ?」

 鋤ってのは農作業用の道具だよな。

『そうだけど、違うよ』

 心を読まれた。とてつもなくわかりやすい、ふてくされた声だ。

『ライクの好きだよな?』

『どうしてこっちで話すの?』

『……うるせぇ』

『ふふっ。こんなときでも変わらないね』

 いつものように俺の「うるせぇ」でクスクス笑うルカ。

 いつの間にかこの瞬間が俺の人生で一番好きな時間になっていた。……ん?

 ああ……俺、こいつのこと好きだわ。

『なあ』

『うん。なあに』

『これからもずっと、俺とこうしていろよ』

『それって、私のことを口説いてる?』

『……かもな』

 本心を言うと俺はルカにずっとそばにいてほしい。こいつはいつだって真っ直ぐで、いつだって俺の隣にいてくれた。それがこれからも続いて欲しいと本気で望んでいた。

『いいよ』

『いま……なんて?』

『――いいよ』

 ルカは俺の顔を見て嬉しそうに微笑んだ。目には光るものが見えている。

「お前……なんで泣いてんだよ」

「知らないの? 悪魔だって嬉しいと泣いちゃうの。あなたも目、真っ赤だよ」

「知らないのか? 俺みたいな化物でも嬉しいと涙ぐむんだ」

「じゃあ、一緒だね」

「……だな」

 ルカは俺の手を開かせ、手を重ねてくると静かに目を閉じた。

 これってつまり……そういうことだよな。

 胸の鼓動が早くなる。

 今まで口に出すことを避けてきたが認める。こいつは可愛い。多分、世界で一番な。

 俺は意を決してルカの端正な顔に自身の顔を寄せ、唇と唇が……

「お嬢様っ」

 はい。

「下郎!? この状況は……あっ、ああ。すまん、邪魔したな」

 できれば飛び込んでくる前に察してくれると助かったんだがな。

「メリリムってサイテー」

 激しく同意。

「申し訳ありませんでした。下郎、続けろ」

 ピシャ! 

 言いたいことだけいって稲妻女は出て行った。

 なんだ、あいつは俺たちを邪魔するためだけにきたのかよ。

 気まずい沈黙。

「「あの」」

 またしても声が被った。

「なあに?」

 よし、気を持ち直せ。話すぞ。

「その……いつから俺のことを?」

 正直な話、全く気づいてなかった。俺は馬鹿だな。

「最初にね、一目見た瞬間になんとなくお父様に似ているなって思って気にはなっていたの。あなたのことを本当に好きになったのはやっぱり、最初の『任せろ』かな」

 ルカが俺の肩に頭を乗せてくる。手触りのいいサラサラの髪、女の子らしい甘い香り。心臓が破裂しそうなほどに早く脈を打っているのがわかる。

「……お前が助けてって俺に言ったときか」

「うん。すごく嬉しかった」

 俺の場合はいつからだ? 魔界から帰ってきて、部活友の発言にムカついたのは今考えれば嫉妬のようなものだよな。じゃあその少し前くらいから俺はルカに惹かれていたんだろうか。

「ねえ……」

「ん?」

「私はまだ、あなたの気持ちを聞いてないよ」

 うっ……。

 心で考えただけじゃ駄目だよな。男ならやっぱり口に出して言うべきか。

「俺は……俺はルカのことが」

 告白なんて最初で最後だ。こんな恥ずかしい思いは二度としたくないからな。

「ただいま帰りましたーっ。……あっ」

 今度はルヅキか。

「あの~。えっと……私のことはお気になさらず続けてください」

 …………。

「もう知らん。俺は出て行く。お前らは適当に寝とけ」

 一生分の覚悟を決めて口を開いたというのに、これじゃどうしようもない。

 とりあえず走るか。走っているうちに気が紛れるだろう。

「とても素敵な職場を勧めてくれたな。感謝するぞ、ご主人様」

 外に飛び出すと稲妻女が塀にもたれて立っていた。

 恨み節全開だな。俺が人生で聞いた中で最恐のご主人様発言だよ。

「こちらこそ、いい雰囲気を見事にぶち壊してくれてありがとな」

 嫌味には嫌味で返す。俺だって多少は怒ってんだ。

「そのことは先程謝罪したであろう。それよりもメセル・ギ・デスの情報だ」

「何かわかったのか?」

「貴様も見当くらいはついているのであろう」

「ああ、怪しいと思っている人物はいる。だが確証がない」

 今のところ五0%だ。限りなく黒に近いとは思っているがな。

「ではこれを聞いたらどうなる。現在、メセル・ギ・デスが潜伏している居場所を特定した。その場所は……貴様が通っている高校だ」

 一00%……。これで俺の疑惑は確証に変わった。

「情報、サンキューな。後は俺たちに任せてくれ」

「助太刀は不要か」

「ああ、今回ばかりはな。これは……俺たちの戦いなんだ」

「私もベーゼル・バーグ様もお前とお嬢様を信じている。頑張れよ……“黒城輝”」

「ああ、任せろ。“メリリム”」

 俺とメリリムは小さく笑い、互いの拳を突き合わせた。

 メリリムと別れ、夜の街を夢中で走った。

 決戦は明日、そう決めた。その途端に体が震えた。得体の知れない恐怖が体中に広がっていくのがわかる。

 不安や恐怖を振り払うために無我夢中で走り続けた。

 そして走りついた先は丘の上にある小さな教会。

 神に祈るつもりは毛頭なかったが、今は少しでも邪悪から遠ざかっていたかった。

 教会の扉を開けると、美しいステンドグラスから差し込んだ月の光を受けてキラキラと光り輝いている女性が見えた。

 紺色の修道服を着た金髪、碧眼、巨乳のシスター。

 スタイル抜群なのに、どこか小動物のような可愛らしさも兼ね備えている。

 見ているだけで引き寄せられそうになる清潔感のある女性だ。

「あの? 何かお悩みですか?」

 透き通るような声、心が洗い流されるかのような感覚。

 いかん。惚れてしまうかもしれない。

 馬鹿か、俺にはルカがいる。

「わかるんですか?」

「はい! 私、シスターですから!」

 少しアホっぽいが、まあ相談するだけしてみるか。

「倒せないものを倒すことって、できると思いますか」

 俺の質問にシスターは目を丸くする。

「倒せないですか? 難しいなぞなぞですね。……うーん」

 まあ、難しいよな。俺も突然そんなことを聞かれたら答えられる自信がない。

「じゃあ質問変えます。罪という存在を打ち倒すにはどうしたらいいでしょうか」

「えっと、お聞きしたいことがあるのですが、神様とかは信じているタイプですか?」

「信じてません」

 即答だ。悪魔は信じても、神や天使の存在は信じない。

 いよいよをもってシスターさんが難しい顔をしている。

「ありきたりな助言になってしまいますが、自分を最後まで信じるのです。自分を信じて疑わない。そうすればどんな困難でも、どんな苦労でも乗り越えることができますよ!」

 自分を信じる……か。

「シスターさん、俺……」

「楽しそうだね」

 ルカの声だ。

「ルカッ!?」

「うん。私だけど?」

 やばい、満面の笑顔だが多分怒っている。

「お前、寝とけっていっただろ」

「好きなんだ、巨乳」

 間違いなく怒っていることが確定しました。

「なるほど、道理で私に女性を感じないわけですね。巨乳好きは女の敵です」

 ルヅキもいやがる。

「ルヅキ、お前まで……。どうしてここにいるんだよ」

「なにか面白いことが起こるような予感がしたので、デバガメしにきました」

 そこまで堂々と言われると怒る気にもならんよ。

「えっと、あの……ケンカはやめませんか……?」

「少し黙っていてください。巨乳で綺麗な、お姉さん」

 大変珍しいルカの嫌味発言。

「彼女の言葉通りにしたほうが身のためです。でないとあなた、コロサレマスヨ?」

 いつもどおりのルヅキ。

「ひゃう……ごめんなさい」

 何も悪くないのに可哀想に、オルガンの後ろに隠れてシスターさんが震えている。

「あのな、ルカ」

「ごめんね、私の胸、人並みだから」

 今の俺ならわかる。こいつは拗ねているんだ。俺の感情はルカの心にダダ漏れだったな。シスターさんを可愛いだとか、巨乳だとか考えていた俺の不埒な精神がルカの心に伝わっていたならば、幻滅するのも仕方がない。

 だがな、お前は一番重要なことをわかっていない。

「言葉より態度で示すのです。言葉より態度で示すのです。言葉より……いたっ!」

 耳元で念仏を唱えていたルヅキの頭部を小突いてやった。言われなくてもわかってる。

「私……帰るね」

 俺は歩いていこうとするルカの手首を掴み、華奢な体を手繰り寄せ、

「俺が好きなのは、お前だけだ」

 あの時できなかったことをしてやった。

 桜色をしたルカの唇、柔らかい果実のような感触と甘い匂いが俺の心を満たす。

 しかし場所が悪かったな。よりにもよって教会だ。俺たちには絶対似合わない。

 だがまあいいさ、神がいるならよく見てろ。ハエ男とハエ女の愛の形をな。

「素敵……ですね」

「ええ、教会で愛し合うもの同士が口づけをするのはベタですが、憧れます」

「羨ましいのですか?」

「……失言でした。これでは負けを認めたようなものですね、忘れてください」

 シスターとルヅキのほのぼのした会話を聞きながら、俺は静かに唇を離した。

「どうだ、わかったかよ。俺がこんなことをするのはお前だけだ」

「え……あの……うん。――大好き」

「……俺もだ」

 ああー、くそ。可愛いな、こいつは。

「シスター。我々は明日、死地に赴くのです。柄ではありませんが、祝福の言葉を聞かせてください。特にあのハエカップルには念を入れて」

 ハエカップルってなんだよ。……まぁ、間違ってはいないか。

「はい!」

 シスターはまるで子供のように元気いっぱいに返事をした。

「天の神の代行者である私が神の意向を伝えます。汝ら光を重んじよ、汝、全てを許すのです。さすれば自ずと道は開けるでしょう。――神のご加護がありますように!」

 よし。神のお告げも聞いたことだし、これで明日は心置きなく戦えるな。

「ルカ、ルヅキ。帰るぞ」

 俺たちはシスターに何度もお礼を言って教会を後にした。

 三人で夜の街をゆっくり歩く。

「私も普通の家庭に生まれていたならば、シスターになりたかったのです」

 ルヅキがポツリと呟いた。

 罪を祓うってことに関しては、処刑人も聖職者に通ずるものがあると思うけどな。

「お前もあの人を見習って頑張れよ。努力すれば今からでもシスターになれるかもな」

 こいつの人生はまだこれからだ。メセル・ギ・デスを倒したら処刑人なんてやめて好きに生きればいいんだよ。案外シスターも似合っているかもしれないしな。

「見習うとは巨乳をですか? あなたは本当に巨乳好きなのですね」

 やっぱこいつ、シスターには向いてねえよ。

「冗談でもそういうことを言うと、ルカが拗ねるからやめてくれ」

「もう拗ねないよ。あのシスターさんと比べたら私のは小さけど、我慢してね?」

「うっ……うるせぇ」

「なるほど、これはわかりやすい照れ隠しですね」

 全く。どんなときでも俺たちは変わらんのだな。

 だが俺はこの雰囲気が好きだ。今だけは何もかも忘れていられる気がする。

 これかもずっと、こんな関係が続いていけばいいな。

 いや、続けるんだ。そのためにも俺は絶対にメセル・ギ・デスを倒す。

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