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追放された荷物持ちの無自覚な世界改変。荒野を耕していたら、いつの間にか魔王も平伏す楽園が完成していた  作者: 黒崎 隼人


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番外編「傍から見上げる神の軌跡」

 ◇ルシア視点


 早朝の白石邸宅にある広々とした土間に、朝露よりも澄んだ清水の香りが広がり始めている。

 ルシアは袖口をしっかりと布帯でしばり上げ、大きな木樽からあふれ出る水流を水差しの鉢へと注ぎ入れていた。

 かつては自分自身の体内にある魔力すらままならず、道端の枯骨と同じように扱われていた日々。

 それが今や、造物主のような青年の側近としての地位を与えられ、彼のために食事の準備を担うことを特別すぎる至福として噛み締めている。

 横を見ると、数万の異土から這い出た魔群の完全支配者たるフェルリスが、生真面目な顔つきで色とりどりの野菜についた薄い泥を柔らかな布切れで一つずつ磨き上げていた。

 人間側の小さな街の歴史においては顔を見ただけで即時全滅が確定するとされる魔の頂点だ。

 しかし今や彼女は、洗った新鮮な赤い実の一つを口元へ小さくつまみ入れては、幸福感に両の目を細めて小さく肩を揺らしている。

 彼女たちは種族の頂点や力の果てなどという虚飾の概念を自らの意思で遠くへ投げ捨て、一つの強固な帰依の元で結びついてしまっていたのだった。

 そこへ背後の厚い扉が軽やかに押し開かれる低い摩擦の音が流れてきた。

 振り向いた先には、起きたばかりの柔らかな光を受けて黒髪を軽く指ですいているカイの姿があった。

 ルシアの胸部で高鳴る血の音が、毎朝のことであるにもかかわらず規則正しく最高潮の波打ちを残す。


「二人とも、朝から手伝いをありがとうな。なんだか俺の方が遅くまでごろんと休んでしまって申し訳ない」


 少し横になって休んでいると彼が口にするそれの真実を。

 どうして彼自身が未だに気づけていないのか。

 本当に奇跡的な箱入りの中に住まわせてくれている。

 ルシアにはわかっていた。

 彼が深く休養を取る間に無意識で展開されている領域干渉の大魔力について。

 王城の周りに張っただけの結界と呼ばれていたものは、実は毎夜の間にも厚みと範囲を微細に再計算させられ、外敵だけでなく老いや病の進行速度すらも星そのものから削り落としていく生命凍結の防壁へ変異を与えているのだと。


「何を言われますか。あなたが眠りの時間を取ったことで、今朝の市場の方面では商人の何人かが古傷や数年来の重咳から解放されたとの歓喜で涙を流していました」


 彼女からの事実のみの報告を前にして。

 カイはどこにでもあるような不思議顔をわずかに持ち出しして自身の両手をぽんと叩いた。


「空気が澄んでいる場所だからね。きっと気候のご加護が少し身体を治しやすくしてくれたんだろう。この辺りのハーブも根から効くし」


 本当に、どこまでも自分自身の世界の改変に気が付かないままだ。

 だがそれこそが、ルシアの中に燃える宗教にも匹敵するような心酔を手離させない一番の大規模重力であった。

 その日。

 日中の太陽のもと、カイはまた一本の杭を打つために外の丘へと向かっていた。

 彼女もまた、フェルリスが抱えた布かごとともに後ろから影を踏む。

 彼はただここに野菜庫を立てるための目印にすると口にして、手にある木製の小杭を軽く地面の薄固い層へ向かって振り下ろしただけだ。

 彼の中でシステムを通して行われた作業とはただの地盤固めの基礎値入力だったに違いない。

 彼が杭を数センチほど押し込んだときのことである。

 丘陵から下の土層を支えている巨大な地殻全体が一陣のごとく振動を伴い、数百メートル先までの岩盤の質が完全に強固な一枚岩へ。

 そして生命結界の中心軸として強引な自己編成を済ませたのである。

 大気が圧縮され重力の基点そのものを強制的に移築縮小するような、全事象の中心引力のすり変わりがその杭の根本に発生した。

 それは何万の王が何千の歴史を作ってきた全行程の概念が、目の前の手仕事を好むたった一人の青年の数ミリだけの杭打ちのおふざけによって全て無に帰されたも同義の現実。

 世界の法則が平伏して彼の動作の余韻の影だけに残されている真骨頂としか言いようがなかった。

 ルシアはもう足からひざまずくための間隔を置くことすらせず、その大地へ静かに両の腕を捧げて目を閉じるのみ。

 隣にいるフェルリスも同じように彼への深い礼を示しているが、少しだけ口角をはからず釣り上げて彼女にだけ届く声波で話しかけてくる。


「本当にどうして、彼はあの杭だけで世界の背骨ごと入れ替えることができるくせに、本人は杭がすんなりはまったとしか思っていないのでしょうね」


「私たちが彼の御側で呼吸させていただくために。ただあの優しすぎる御心のまま彼が生活していてくだされば十分です。それ以上の介入は世界の罪ですよ」


 小声の反論。

 フェルリスはどこか楽しそうにうなずく。


「おーい、二人とも。ここはもう硬くなったからそろそろ戻ろうか。お昼は前に集めた甘い豆のスープにするから」


 少し遠くから声が投げ込まれ、二人の最高存在でもあった女たちは小さな子どものように小走りで一つの声のぬくもりを求めて庭先へと戻っていった。

 ルシアの銀髪が一等風に揺れる。

 いつまでも傍で見上げるのだと。

 これが神というものの生き写しの本当の神威なのだと知りながら。

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