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追放された荷物持ちの無自覚な世界改変。荒野を耕していたら、いつの間にか魔王も平伏す楽園が完成していた  作者: 黒崎 隼人


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第13話「魔王すらも掌握する食卓」

 西の稜線へ沈みかけた真円の落陽が、結界内を満たす広大な麦畑を金色の一面に染め上げている。

 心地良い風が作物の列をなでるように吹き抜け、遠くから夕餉のための火立の煙がいくつも細く空に向かっていた。

 フェルリスの手のひらで圧縮暴走しかけていた高火力の魔術熱は、ただ空腹だと勘違いした青年の朗らかな提案を前に、火種一つ残さず空中へと綺麗に溶け去ってしまっている。

 魔王である彼女にとって、人間界の侵食は使命であり自身の生存定義と同位の事実行動でしかない。

 これまでにいかなる人間の中核たる国の主と対面しようと、向けられたのは殺意か屈服、あるいは身の毛のよだつ恐怖ばかりであった。

 だが眼前に立つカイからは、敵対はおろか畏怖の断片すら塩粒ひとつほども感じ取れない。


「いいから、遠慮せずに行こう。道に迷ったり遠くから来たりしたならゆっくり土の上の椅子で休むのが一番だ」


 カイは無防備に右手を差し出し、そのままフェルリスのまとう高貴な魔王布の袖口へとあっけなく自分の粗末な指先を触れさせた。

 魔王の肉体に許可なく触れようとする者など例外なく数光年の彼方まで原子をすり潰されて消えるだけの運命の反発力が敷かれているはずだ。

 その周囲を守護すべく半自動で迎撃を起動しようとした凶絶な幾十もの滅びのルーンが展開しかける。

 しかし、カイの体を通ってきた得体が知れない万物の安堵感。

 あるいは彼特有の指先による見えない枠のすり替わりがただの静止力場となり、彼女の防壁をただのやわらかい服の布地へと無慈悲に還元してしまったのである。

 ルーンの迎撃光が何も発火しないまま、彼女はカイの力強い手のひらの厚みに引かれるがまま数歩をたたらを踏んで前へついて行ってしまった。

 初めて自分の主導権を誰かの歩幅へ委ねさせられたという未曾有の事変に、彼女の赤い瞳の色彩が大きく定まらず揺動を見せている。


「待って。我が身に触れて五体満足な人間など存在して……いや。あなたは、私がいったい何だか本当に理解していないの?」


 声の調子にある冷徹さがすでに剥がれ落ち、年相応の中身のない狼狽が数万年の歴史で初めて声帯の端底からこぼれ出た。

 カイ自身は彼女のその言葉も親から少し人見知りに育てられた箱入り娘の警戒であると脳の中心深くに設定し直して微塵も揺るがないまま笑うのだった。


「偉い貴族のお嬢さんだったかな。ここは見ての通り、ただ開拓が進んでいるだけの少し広い畑。肩の筋肉を張って警戒するような恐いものは何もいないよ」


 広場の中心に設営された堅牢な魔木のテーブルの横。

 そこへフェルリスを着席させ、反対側にカイと、そして彼を手厚く信仰するように見守るだけのルシアが落ち着いて並んだ。

 出されたのは豪華な銀の盆でもなければ、人間の血で着た赤酒などでもない。

 素朴の極みである丸く焼かれた土の椀。

 その中には熱を持った真っ白な根菜の汁物と、直近の農地でもぎ直されたばかりの水分をたっぷりと含んだ緑黄色の上位野菜があった。

 蒸気と一緒に鼻腔へ持ち上がってくる豊満な大地の生きた香り。

 魔王である彼女が人間から供されるものを口にするはずがない。

 自身の口内や内蔵は毒や麻薬などあらゆる負の素質には耐性を持っているものの、ただの有機的な農作物を咀嚼するという行為そのものが権威の失墜だと叫んでいたからだ。

 だが彼の方角の土座から吹き下ろされた不思議な強制。

 食べなくては悪いのではないかという空腹と温かさの概念が脳の側を強く叩いていた。

 フェルリスはおざなりに細い指でスプーンを取り、白い煙の立つ器の中のものをひとかけらだけ前歯へすりよせた。

 舌の上の神経細胞が完全に停止と再起動を経験する劇薬の衝撃であった。

 味覚。

 そんな低次元な感覚のことではない。

 口内に運ばれたその土の結晶である野菜が、彼女の構成してきたいかなる高密度の魔導結晶体をも遥かに凌ぐ幸福量となって脳髄を焼き焦がしたのだ。

 ただのお湯で煮込んだだけの芋が、まるで彼女がまだ何も知らない原初の魂だったころ抱きしめられた光そのもののように暖かく解けて全身の冷えを物理的に侵食していく。

 万物を壊した末に得る空虚な支配の喜びなど足元にも及ばない。

 これは世界から愛されるという高次元な暴力。

 命の実感による完全なる所有権の引き渡しであったのだから。

 スプーンが乾いた金属音を伴って椀の底へ当たる頃。

 最果ての地の女帝の頬の片側を。

 全く意思の通っていないひと水滴の輝きが静かに音もなく流れ落ちていた。

 自身が今まで他者を滅ぼすことでしか己を定義できなかった数千年。

 この小さな木のテーブルの上のぬくもりの前であまりにも惨めに、あまりにも不必要な行いであったことを魂の奥から痛感させられてしまった光景である。


「少し味が薄かったかな」


 申し訳なさそうに眉を軽く下げて水差しに手を伸ばした彼に対し。

 フェルリスはその指先を小さく両手で掴みこむように制したのだった。

 顔を上げられた眼差しに残っているのは敵対者の光ではなく、救いを知ってしまった孤独な幼い子どもが見せる最大の降伏のサイン。


「ちがうの……。私、今まで食べたどんな生き血よりも、この世界のどこにいた日々よりもずっと。これが美味しいって……そんな自分が信じられなくて」


 冷徹さは一つの皿の上で瓦解したのだった。

 カイは彼女の肩の震えを不思議そうに見つめながら、いつでも来れば畑のものはたくさん分けてあげるとただ当たり前の事実を続けるだけ。

 そこには人と魔王という次元の交差そのものが存在せず、単なる客人としての温厚な出迎えの時間だけが流下していったのだった。

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