第12話「直接対決の前奏曲」
あれから三日が経過したのち、カイの開拓地への人々の流入と、彼自身を現人神として扱う一種の信仰的国家の土台はもはや誰も止めることのできないほどのうねりへと到達していた。
彼がただ居住用にと適当に設計した結界の壁の内部は、周囲近隣のいかなる王族すら持ち得ない不干渉の巨大都市と化し、外への脅威から守られる永遠の楽園として商取引の屋台がずらりと並んでいる。
カイにとってはあくまでここは巨大な農家への入り口にすぎないというのんびりとした態度であったが、リグドールの街すらギルドマスターのレオンを筆頭にこの領土の傘下へ直属を願い出てくる始末となっていた。
ルシアが有能な管財役として人々を整備し、カイに余計な政治の手間を掛けさせないように全てを取り仕切ってくれていることが唯一彼の心の平和を維持する助けであった。
そうした喧騒が日常に溶け込み始めたある夕暮れどき。
西の地平から血と灰を混ぜたような紅黒い巨大な日差しが差し込む中。
結界の中心近く、カイが手作りのテーブルに座って野菜の種を選別していた場所へただ一迅の全く異なる重みを持った空気が滑り込んできた。
結界を破ったわけではない。
カイの指示した害のあるものを阻む壁をそのままの顔をして静かにすり抜けて歩いてきた存在。
「私が直近に送ったおもちゃの兵隊たち……数日経っても帰らぬどころか一片の骨も見つからなかったわ。その理由が、この不均衡な場所にあるというわけね」
鈴を転がすような極めて澄み切った。
しかしそれでいて触れた者の骨髄を直に震え上がらせる恐怖を含有した女性の声だった。
ルシアが瞬間的に反応し、カイの背後から杖を持つ手に魔力を弾かせて立ちふさがろうとする。
しかし彼女であっても、その来客が放つ静かな圧力には一瞬だけ呼吸が詰まった様子だった。
そこには身長のそれほど高くない、黒瑪瑙のように艶めく長い黒髪を足首近くまで伸ばした美貌の少女がふわりと立っていた。
全身を濃い深紫色の薄衣でゆったりと包んでおり、年齢は人間の視界で言えばまだ十の後半を過ぎたばかりの顔立ちである。
しかし紅く透き通るような双眸の奥には、数百年どころか星が幾度巡ろうと変わることのない暴帝の位階が無造作に座していることがはっきりと見えた。
魔王軍。
そのすべてを並外れた武力だけで統率しきってきた真の王。
フェルリス。
人間の領域に彼女自身が直接に顕現することなど何世代にもわたって歴史になかった。
彼女の足元からは何の魔術光も漏れてはいない。
ただ呼吸をして息を一つ交わす。
それだけで周囲の人々の魂を引き剥がしてしまえるほどの完全体の魔王であった。
「あなたが、私の子どもたちをいとも容易く散らした人間なの? 全く力の底が見えないわ。どうやって万の軍勢の一瞬にして……消し去ったのかしら」
彼女が目を細め、静けさの中に殺意の針を潜ませてカイを真っ向から見据える。
周囲にいる商人たちはすでにこの地を統べる王同士の空間衝突に耐えかね、口を抑えてひたすらに地面に横たわるしかなかった。
空間自体がその威圧により歪んで視界の中央が揺らぎかけている。
だがカイにとっては、彼女の登場そのものがまた奇妙な方向へと理解を傾かせるばかりであった。
「……えらい豪華な服を着ているけど。迷子からの客引きかい。そんなに険しい顔をしなくても大丈夫だよ。道に迷ったならお腹でも空いている証拠じゃないか」
「……は」
魔王フェルリスは信じられない言葉に対して顔をしかめる。
自身の王威に対して、農作業特有の軽い汚れが手についた男は立ち上がりすらせず、手元の野菜をいくつか拭いながら小首を傾げたのだ。
「数万の……我が最上軍があなたによって殺されたと言っているの。この私が直に、この不可解なる異常空間の主に正当な滅びをもって終焉を与えに来たのよ。それを空腹への迷子だと?」
彼女の怒りが紅い魔光となって右手首に収束し始める。
ただの光ではない。
一撃で王都の防壁を紙のように貫く最縮小された熱核のようなものだ。
しかしカイは、彼女の殺気から目を背けることなく逆に屈託のない安らいだ顔で立ち上がって近づいてきた。
「ああ、西からの動物の方々の一団なら数日前にお帰り願ったことがあるけれど。あなたが飼い主さんだったのか。あそこまで放し飼いにするとちょっと危ないと思うよ。ご迷惑をかけたなら申し訳ないが……ちょうどいい、今日このあたりの芋が初めて甘く炊けそうだから一緒に食べていかないか。遠くの山の向こうからわざわざ歩いてきてくれたんだろう」
一瞬たりとも虚脱の隙間のない純然な好意。
その笑顔の中には一切の欺瞞も策略の影すら見えず。
魔王である彼女の手から、完成間際に行き着いていた殺戮への熱光が、どうしていいかわからずに呆然と自滅するようにかき消えてしまっていた。
カイのあまりにも日常的な自己肯定の波動に、数千年の魔王の論理構築が根本から崩される一歩を突きつけられた瞬間であった。




