6、対決
ランドに先導されるまま、制服のままの僕たちは王宮を歩いて行く。
連れて行かれた先は陛下の執務室横にある小会議室だった。
「ゼフィール殿下、エリントン辺境伯令嬢イリス様をお連れいたしました」
入り口に立つ衛兵にランドが取次ぎを頼む。
親子でもまったく特別扱いはなしだ。
僕は王族だし王子と言われる存在だけど、陛下にとっては一臣下より遠くてちっぽけな存在だから仕方がない。
招き入れられた部屋には、想像通りの顔ぶれがそろっていた。
全身で怒りを表しているバーカントン侯爵と、その横で震えながら俯いている三男ケイン。
真っ赤な顔で震えているライアード男爵と、なにやら覚悟が決まったように見える一女マリア。
エリントン辺境伯家からは保護者代理として嫡男ネリウス。ネリウスは至って通常営業と言った自然体に見える。なんなら笑顔にすら見えるけど、背中にどす黒い何かが見える気がするのは僕だけかもしれない。
仕切り役として連れてこられたらしい宰相は、能面みたいな顔をしていた。当然か。
そして、渋い顔をした陛下とこんな時でも相変わらず綺麗な笑顔をした王妃。
あと、イリスと僕だ。
他にも書記官とか学園の職員とか神殿から神官も来ているようだ。後ろに控えているのが見える。
婚約を破棄するにも新たに結ぶにしても、神殿の許可は必要だからね。
「本来ならば、エリントン辺境伯が登城するのを待つべきではあるのだが、事が事の上にすでに噂はかなりの範囲に広がっている。一刻も早い判断が必要だろう」
陛下が開口一番苦い顔をして言った。
一刻も早い判断? それはどういうことだろうか。
とりあえず僕が来る前にすでにいくばくかの話し合いが行われていた様子なので、大人しくして情報収集に努めよう。
「此度の、ライヤード男爵家一女マリアが引き起こした一連の事件に関してだが…」
「うちのマリアが引き起こしたとはどういうことですか! むしろ娘の純潔を穢し、それを面白おかしく脚色して噂として流した奴こそが犯人だろう?!」
そうだよね、名誉を回復できる余地があるなら、一刻も早くと思うよね。
唾を飛ばして訂正を入れる男爵の気持ちは、ある意味親として当然のものだろう。
それを、能面のままの宰相が諫めに掛かる。
「ライヤード男爵。奥方を失くして一人娘を育てるのは大変であったろうし、庇い盾したくなるのは判る。しかし、だ。複数の男子生徒と…その、男女の関係になったのは、あなたの愛娘だ」
「しかし!」
「それに。各家から支払われていた報酬を受け取っていたのはライヤード男爵家であろう? それなのに、今更なにを言っているのだ」
呆れた様子の宰相からの指摘に、さきほどまでの勢いを無くした男爵が弁明する。
「……そういう意味の、お手当だと存じませんで」
「……なんだと? お前は自分の収入がどこでどう発生しているのか、判っていなかったというのか!」
夫に隠れて浪費の限りを尽くしていた亡妻の残した借金。その膨大な額の返済に日々追われて暮らしていたライヤード男爵には、入ってきたお金がどこから支払われてどんな意味があるのかなどまったく頓着する余裕が無かったのだ。
同じ理由で、娘が身に着けている新しい服や装飾品についても「私の崇拝者たちが贈ってくれたの」と言われれば、いい嫁ぎ先を見つけられたようで何よりだということ以上のを考えたことは無かった。
「それは…娘に、ドレスや宝飾品を競い合うように贈ってまで気を惹きたがっている崇拝者のご両親が、我が家の惨状をお知りになり手を差し伸べて下さったのかと……」
「馬鹿な。そんな理由で現金を差し出すお人よしが複数家現れるなどありえないであろう?」
そう宰相に指摘されて初めてそれが常識だと今更気が付いて、ライヤード男爵はそれまでの勢いを失い、がくりと席に着いた。
「支払いを受け取り全額使いきった後で、その意味を知らなかったと言われても、な」
腕を組んだままバーカントン侯爵が呟けば、さらにライヤード男爵はその身を縮めた。
「しかし。ライヤード家に教育係として娘を差し出したつもりがなかったとすれば、それはどこから来た話なのでしょうな?」
ぎろりと睨まれた。これはバレてるな。
「我がバーカントン侯爵家でライヤード家への支払いが最初に求められたのは我が不肖の三男からの『マリア嬢へ宝飾品を』というものですが、時を前後して学園より『子息の閨教育を受け持った女子生徒がいる』『きちんと支払いをされた方が宜しい』と通達が参りました。我が家で依頼したものではなくとも実際に学園でそれが確認され認められているものを我が家が拒むことなど恥知らずなことはできないと受け入れてきたのです」
「することをされていたという部分について申し立てることがないなら、そこを明らかにする必要はありますかな」
勝手に議題を増やすな、とばかりに宰相が苦言を呈する。
「まぁ、そうともいいますな。しかし、ある意味これもハニートラップというべきものかと思いましてね。名誉を傷つけることが目的の。……はぁ。駄目ですな。これでは、どこかへ噛みついてみたいだけの八つ当たりだ」
失礼しました、と哂う。潮時かな?
「バーカントン侯爵の考えた、ハニートラップを仕掛けた存在とは、もしかして僕のことかな?」
へらりと笑って僕は手を挙げた。
がたん。項垂れていた男爵が再び激高して立ち上がった。
「あ、あなたが?! 殿下が、なぜ私の娘を貶めるようなことを!!」
唾が僕の近くまで飛んできたけど、さすがに避けちゃ駄目だろうな、と思っていると、宰相に諫められて憤慨したまま席に着いた。
「ゼフィール殿下? その発言について説明して下さいますかな」
「勿論。僕は彼女から直接『男と女のいろんな楽しいことを教えてあげますよ』って勧誘されたんだもん。だからそう学園に報告しただけだよ。学園内で閨教育について直接勧誘してるなんて、王立の学園として拙いんじゃないかなって思ったし。それで学園で調査したら他にも勧誘されて断った生徒や既に受講している生徒がいるって判明したんだって」
だから犯人扱いされるのは不本意だと告げる。
周囲から、『それは閨教育の勧誘ではなかったのでは』という空気が漂っている気がするけど気にしたら負けだ。
このまま押し切れるかと思った時に、彼女が叫んだ。
「ちがうわ! あれはそういうのじゃなくて!! だって、だってゼフィール様だって、私に気を掛けて下さっていたじゃないですか!!」
「妄想が過ぎるよ? それとも自分のしてきたことが暴かれた腹いせに僕の名誉も落とそうということ?」
イリスの前でなんてことを言うんだ、この女。許さないぞ。
「だって! あの時だって、他の令嬢達に虐められていた私を助けてくれて。だから、私!」
ふぅ、とワザとらしく大きく息を吐いて、僕は立ち上がった。
「令嬢達に虐められた? 違うでしょう? 令嬢達に言われていたのは『イリス様という素晴らしい婚約者がいるケイン様に言い寄るのはお止めになった方が宜しいですわ』だったでしょう?」
それが虐めになるの、と問えば、周囲の大人の気配が変わる。
「だって…学園は平等で、婚約者がいるとか高位貴族とか関係ないって」
「それと婚約者がいる異性に触るとか言い寄るのは別の話でしょう? 僕は令嬢達の言い分を支持する。ここにいる大人の方々はどう思われますか?」
まさかこの女の肩を持つ奴はいないだろうなと見回せば、マリア・ライヤード男爵令嬢に向けて苦い顔をして睨むものばかりで安心した。
「あの時止めに入ったのは、あのままだと正しい心をもった令嬢たちによる義憤の表れであっても傍から見掛けただけではそれこそ虐めだと雑に判じられる可能性があったからだよ。それだけ」
僕の言葉に、マリア嬢の顔色が悪くなる。
「でも、キミは勘違いしたみたいだね? ケインを墜としたみたいに、簡単に僕も落とせると思っちゃった」
僕の言葉に、今度はずっと萎れた様子で俯いていたケイン・バーカントンが立ち上がった。
「か、簡単だと?!」
「違うの? でもマリア嬢自身が言ってたみたいだよ。『イリス・エリントンみたいに高飛車美女ですって態度の女から婚約者奪ってやってすっきり! 超簡単だったわー』って。まぁね、教育係が言う言葉じゃないとは思うけどね」
最初のこの女のセリフを言う時、思わず腹の底に力が入る。イリスの反対側に座っているネリウスから黒い圧を感じたけど、僕が言った訳じゃないし圧を掛けるなら僕じゃなくてあの女にしてよ。
「殿下…」
宰相から、こめかみを抑えながら発言を諫められた。
「ごめんね? でもさ、閨教育係について学園に報告するにも彼女が誰かどんな為人か、とか判らないまじゃどうにもならないでしょう? それで少し周囲に訊いて廻ったんだよ。だからこの発言を知ったのは、偶々だよ」
僕の説明に大人たちは大きくため息を吐き、ケインとマリアはふたりとも茫然自失といった態で椅子に座り込んだ。
「ごほん。それは…失礼いたしました。どうやら私の、邪推だったようです」
バーカントン侯爵が言い難そうに謝罪を口にした。
「うん。八つ当たり相手を探しちゃうのってよくあることだよね。気にしなくていいよ」
にっこりと笑って許してあげた。
横からくるイリスの視線が痛い位だったけど、まぁこれは僕にとってはご褒美だ。
「それで…」
「学園からの報告で、受講者たちと高位貴族専用のサロンに籠って授業に遅れたりサボることもあるようだってあったから、他の生徒たちにそういうことをしたばかりの生徒と同じ教室で授業を受けさせるのも悪影響がありそうだって相談してね。すでに最上級生で進路も決まっている生徒ばかりだったし、きちんと記録だけは残すことにして、授業に出なくてもいいということにしようって話になったんだよ。それが、あの出席簿ってわけ」
僕がそういうと、後ろに控えていた学園の職員が出席簿を差し出した。
ぱらぱらとそれを広げた宰相が顔を顰める。
「こんなに多いとは…」
そこに押された紅い閨のスタンプに愕然とした後、一番そのスタンプが数多く押されているページを開いて指し示した。
親たちが顔を顰めてそれを確認する。男爵はもう泣き出しそうになっていた。
人数も多いし、回数だって半端ないからね。
まぁ別に一線を越えるようなことをそのサロンでしていた訳じゃないらしいけど。場所が違ったって誤差の範囲でしょ。
一応、来年度に入る前にサロンの全面改装が決まっている。
「マリア・ライヤード男爵令嬢、なにか申し開きは?」
呆然としたまま視線を上げることなく彼女は首を横に振った。
「そうか。それにしても、金品を受け取り複数の男と深い関係になる。これでは、まるで娼…」
パンッ。
それ以上言葉にさせない為に、大きく手を叩く。
「失礼しました。虫が飛んでいたみたいです。そうでしょう、宰相?」
ぎろりとあまり下品な言葉をイリスの前で使うな、と睨んでおく。
「んんっ。そうですな、なにか飛んでいたようですな」
宰相は、己が口にすべきではない蔑称を少女に投げつけようとしていたことにようやく気が付いたのか、僕に向けて軽く頭を下げた。宰相の癖に詰めが甘いな、もう。
それでも、気を取り直して、「これ以上確認すべき事実はなさそうです」と、陛下に向かって奏上した。
「彼女について事情酌量をする要素はまったく無いと申し上げるしかなさそうです。そうして、彼女には本当にこのまま閨教育係として…まぁ倫理についてはそれこそ教育を施してからということになりそうですが、その職に就いてもらうか。閨教育係というのは周囲の勘違いで自由恋愛を繰り返しただけだと訂正を入れた上で、学内の秩序を乱したとして卒業資格を剥奪した上で貴族位の取り上げ、もしくは以降の人生は終生修道院で奉仕活動に尽力して貰うかのどれかしかないと思うのですが、如何いたしますか」
「はぁ。どれも進んで奨める気にならない進路だな。ライヤード男爵から何かないのか?」
娘と同じ様子で下を向いたままの男爵はやはり顔を横に振るばかりだった。その様子に不敬だと指摘する声も出ない。
「では…」
「お待ちください、陛下」
声を上げた僕に、ネリウス以外の大人が皆嫌そうな顔をした。酷いや。
「ケイン・バーカントン侯爵子息は、彼女との婚約を宣言しております。またどうやら彼女の純潔を奪ったのも彼だとか。まずは正式にイリス・エリントン辺境伯令嬢との婚約を破棄を神殿に申告、受理された上で、その言葉に責任を持っていただくという選択肢も」
「嫌だ! その女との婚約なんてしないぞ! イリスとの婚約も破棄しない!!」
思わず立ち上がって否定したケインを、ガッとバーカントン侯爵が殴りつけた。
「恥知らずが!」
「だって! あの女を連れて行って婚約破棄を言ってやれば、イリスは俺に泣いて縋りついて! 妾に迎え入れてもいいから嫁にしてくれって、縋る筈だったんだ!! それを、そいつが邪魔を」
ガッ!!
バーカントン侯爵が、再び、今度は先ほどよりずっと強く息子を殴りつける。
尻餅をついて泣きわめく息子を見下ろしたバーカントン侯爵が何度目か判らないため息を大きくついた後、僕を睨んだ。うわー。怖っ。
でも、そんな風に睨んだって、自分が馬鹿息子の躾も管理もできなくて、イリスを悲しませたことを無かった事にはできない。させない。
「当家との婚約については、こちらから正式に破棄を申請させて戴きましょう。これほど馬鹿にされてまでご子息を迎え入れる事など、我が栄えあるエリントン家でありえない」
ネリウスの高らかな宣言が、ついに泣きわめく馬鹿息子とエリントン辺境伯家との繋がりを諦めきれないでいたバーカントン侯爵の未練にとどめを刺した。
このエリントン辺境伯代理であるネリウスの強い申し入れを陛下は受け入れた。
婚約解消申請書に両家の署名が為され、神官がそれを正式に受理した。
これで、イリスはあのバカ男から解放されたのだ。
でも。きっとそれを望んでいなかったであろうイリスの事が見れない。
ごめん。本当にごめん。こんな風に勝手にキミの恋を終わらせて、ごめん。
僕には薄汚いとしか思えなかったけれど、アイツの心がまったくイリスになかった訳じゃないって知ってしまった今、きっとイリスから僕らは詰られる。それが今から怖かった。
婚約解消申請書の受理を受けて、覚悟を決めた様子のバーカントン侯爵は大股で陛下の前に歩み寄り、そのすぐ横に跪いた。
「陛下にお願いがございます。ライヤード男爵令嬢への今後についてはバーカントン侯爵家にお預け戴けないでしょうか。ゼフィール殿下より示唆されたように、これより先は両家の間で話し合いをするべきかと」
そのバーカントン侯爵の言葉に、陛下は「うむ」とひとつ頷いて許可を出した。
二家の関係者が会議室より退出する。
その前に、バーカントン侯爵はもう一度会議室を振り返ると、まっすぐに今度はイリスの前に立った。
「我が馬鹿息子が仕出かした非礼についてお詫びを。監督不行き届きについては後程正式にエリントン辺境伯家へと申し入れるが、まずは直接、イリス嬢へ謝罪したい。大変申し訳なかった」
がばりと勢いよく腰を折る。
「…ちちうえ」
「お前も頭を下げんか!」
ぐいっと横でふらつく身体を押し下げた。
「…ごめん、いりす」
「そんな謝り方で足りるか!」
ぼかっともう一度頭を殴る。
「もうしわけ、ありませんでした」
ふたりのバーカントン侯爵家の男性から頭を下げられたイリスは驚く。それでも、背筋を一層伸ばしてそれを口にした。
「いえ。わたくしこそ、ケイン様の求める愛らしい令嬢になれませんでした。御心に添えず申しわ…」
その場にいた全ての人が想像した言葉とはまったく違う、被害者側の謝罪の言葉が紡がれようとしていく。それを、ネリウスがそっと引き留めた。
「駄目だよ、イリス。その部分についてお前が謝罪をすることはエリントン家の代表代理として許すことはできない。寄り添う努力が必要だったのはエリントン家へと婿入りするケイン殿側にこそあったのだから。もしくは、夫婦としてお互いに譲れる部分は譲り合い、共に努力をするもの。一方はまったく譲らず、相手のみに努力を求めること自体が間違っているのだからね」
ですよね、とネリウスはバーカントン侯爵に向かって同意を求める。
年下からのその指摘に少々鼻白みはしたもののバーカントン侯爵も頷く。
それを受けてネリウスは我が意を得たりと大きく頷いてみせた後、バーカントン侯爵とケインに向けて引導を渡す。
「ケイン殿の振る舞いに妹がどれだけ傷つけられたか。謝罪の言葉ひとつで足りるものではありませんが、御当主のお志は受けとりましょう。それと、再婚約などという戯言だけは絶対に思いつかないで戴きたい」
その言葉にひとつ頷いて、今度こそバーカントン侯爵家のふたりも小会議室から退出していった。
一番おいしいとこを持っていく策士ネリウス




