5、賭けたかったもの
午後の授業が終わり、馬車の乗車場へと急いで向かう。
今日は陛下から呼び出しが掛かっている。
昨日、呼び出されなかっただけマシだろう。昨日だったら、説明も何もできないまま泣き崩れるだけだっただろう。
きっと呼び出された先には、イリスの元婚約者ケインの父親であるバーカントン侯爵もいるに違いない。そうして場合によってはイリスとの婚約破棄についてなかったことにされてしまうことだってありえる。
(そんなこと、絶対にさせない)
ゼフィールは気合を入れ直した。
そうして、ランドの待つ馬車の前まで来た時、ひとりの女子生徒がその傍に立っていることに気が付いた。
「……イリス嬢」
「ゼフィール殿下、お待ちしておりました」
綺麗な姿勢で腰を深く落とした礼を受ける。それを手で制して「いいよ、イリス嬢。朝は言い忘れたけれど、僕にそういう正式な礼は取らなくても大丈夫。笑顔を向けてくれればそれで十分」
ランドが見ている前だというのに、するりと口から出ていく本音に、ゼフィールは自分の馬鹿さが悔しかったが、それを顔に出さないよう努めた。
「王宮より、イリス・エリントン辺境伯令嬢と共に登城するよう通達がございました」
「そうか。短い距離ではあるけれど、馬車での旅を一緒に楽しむことにしようか」
ランドの言葉をすでに知っていたのだろう。頬をほんのりと染めたイリスが頷いた。
ガタゴトと王宮へと向かう道のりの中、馬車の端に座ったままのイリスとの間に会話はない。
僕としてはイリスと同じ空間にいるだけで十分過ぎる程幸せだけれど、彼女にとってはそういうことはないだろう。気詰まりな時間は少ない方がいい。
なにを話し掛けよう。脳内が駄々洩れにならないような軽い話題がいい。
悩んでいると、イリスの方から話し掛けられた。
「……賭けって、なんだったんですか?」
「賭け?」
「………一年位前に、学内で急に話し掛けてきたことがあったではありませんか」
その言葉に、思い出したくもない嫌な記憶が溢れ出てきた。
そこで見て聞いたものに、僕がどれだけ衝撃を受けたか。きっと君には判らない。
あの日と同じ夕暮れの中。
聞こえてきた男の荒げられた声に、思わず顔を顰めた。
痴話喧嘩か、と気付かれないようそっと歩く方向を変えようと思った時だった。
「うるさい! 判ってるといっただろ。エスコートはしてやる」
「では、何時に」
「会場の入り口へ早めに行って待ってろ。そこで拾って入場にはついていてやる。でも中に入ったら話し掛けるなよ」
そこまで一気に捲し立てると、男の方が女性を置いてその場から立ち去り、仲間がいる方に向かって駆けていく。
「おい、いいのかあれ」
「いいんだよ。まったく女の方からエスコートを強請るなんて。下賤な商売女みたいだよな」
「ぷはっ。おい、それはさすがにいいすぎじゃないか?」
下品な嗤い声が遠ざかっていく。
咎めるような言葉ですら、その声には女子生徒への嘲りが込められていて、聞いていて気持ちのいいものではない。正直不快だ。
エスコートという言葉から、今夜開かれる新入生歓迎パーティーの事だと判る。
しかし。
一瞬だけ聞こえた女子生徒の声に聞き覚えがあるような気がして、物陰から覗き込む。
「……っ」
そこに、見つけたくなかった赤味を帯びた綺麗な髪の女子生徒の後ろ姿を見つけて、再び物陰に隠れた。
残されたその場に立ち尽くし、それでも遠ざかっていく婚約者の後ろ姿を見つめる君の、いつもピンと伸びた背中が今は小刻みに揺れている。
いま、彼女の顔は見えないけれど、なぜ、僕には見える気がするんだろう。
そんなに頑張って堪えなくてもいいのに。
婚約者として、家から抗議を入れるだけでいい筈なのに。
キミは、そんな辛そうにしながらも彼のことを信じるのか。
悔しくて。
今日行われる新入生歓迎パーティーの為のエスコートなら、婚約者のいない僕でもいいんじゃないかと思ってしまったんだ。
王太子である長兄も、外交を受け持っている次兄も、10歳になる前に高位貴族の令嬢と婚約を交わしている。長兄に至っては去年国を挙げた盛大な挙式をあげたばかりだ。
でも、スペアのスペアでしかない第三王子の僕は、社会状況に応じて人質に出したり婿に出したり臨機応変な対応ができるよう、どんなことになっても大丈夫な程度に教育を施しておくだけにしたらしい。
前の前の前だったかの、クソ爺講師が上から目線で教えてくれた。『あなたは、王太子殿下と第二王子殿下とは違うのだとお心に刻みなさい』
一時はそれを知ってかなり落ち込んでいじけもしたし、拗ねて反抗的な態度を取ったこともある。
それでも、だからこそ今こうして悲しみに沈む彼女に声を掛けることができるのだと思うと、そんなスペアのスペアでしかない人生に感謝した。
「やあ、ひさしぶりだね。イリス・エリントン辺境伯令嬢」
入学してから初めて挨拶するのがこんな時だなんて。
「……ゼフィール殿下。御入学おめでとうございます」
振り返った顔が、一瞬泣いているように見えて胸が痛い。
「ありがとう。まだ判らないことだらけだし、いろいろ教えてくれると嬉しいな、先輩」
僕の”先輩”という呼び掛けに、くすっとちいさくだけど笑ってくれた。苦笑だったかもしれないけれど、それでも嬉しい。
「兄は、殿下の御役に立てているでしょうか」
「うん。授業が終わった後は毎日学園では教えて貰えないことを教えて貰ってる。楽しいよ」
「そうですか。それは何よりです。……あの、実はこの後予定がありまして、失礼を」
「ねぇ、イリス・エリントン先輩」
適当な言葉でこの場から逃げられないように、思わず声を張り上げて名前を呼んだ。
入学したばかりで何も判らないからと言えば。
兄であるネリウスが、僕の師であるのだから。
エスコートさせて欲しいと願い出る事だって、できる、筈。
「あのさ、僕と…」
でも。
婚約者のいる令嬢が、他の男にエスコートされてパーティーに参加する、その不利益。
きっとあの婚約者は自分の行いを棚に上げて怒り狂う。
その怒りは、僕ではなく、間違いなくイリスに向かってしまうだろう。
そうしたら、イリスは今受けた衝撃より酷いショックを受けることになるかもしれない。
それは……
「ねぇ、賭けをしようよ」
駄目だ。
「殿下に勝てる気がしないので、お受けできません」
適当に思いついたその提案は、あっさりとイリスの令嬢らしい言葉で却下された。
「えー? まだどんな賭けかも提案していないのに?! ねぇ、しようよー! イリス嬢は勝っても負けても損のない条件でいいからさぁ」
「勝っても負けても利があると保証された賭けなど。それは賭けとして成立しません」
「もう! じゃあ、勝手にしなよ」
断られてほっとする。だって何も考えていなかったから。
「はい。失礼いたします」
でも、なんの心残りもなく去っていくイリスの姿が悲しかった。
「あー。あれね、うん。どんな賭けだったか、知りたい?」
「知りたいので、お聞きしました」
だよねー。うん。でも、この話こそ素直に白状したら彼女にも嫌な記憶が戻るのかもしれない。それは嫌だな。
「そっかぁ。んー、あれさぁ、実はさ。賭けなんて考えてなかったんだ」
僕の言葉の意味が判らなかったのだろう。イリスがこてんと首を横に傾げて悩んでいた。
可愛い。
「あのね、あれって学園に入学したばっかりだったでしょう。だから、イリス嬢に話し掛けたかったんだよねー。それだけ!」
「………(ボンッ)」
今度の僕の言葉の意味は理解できたのだろう。
その瞬間、音がしそうなほど激しくイリスの顔が真っ赤になった。
「また、そういうことを軽々しく口にして」
「うん。ごめんね。ずっと口に出すことが出来ないできてたから、言ってもよくなった今、するするーって口から出てっちゃうみたいなんだよねぇ」
すでに真っ赤だったはずのイリスがさらにその頬の色を濃くした。
しかもプルプルし出した。
なにこの可愛い生き物。本当に可愛い。
はぁ。
今すぐ僕のものになってくれないだろうか。




