4、策士は妹と主の幸せを願う
その日、ゼフィールの私室には、ネリウスとランドが常になく真剣な表情をして集まっていた。
学園内で行われている婚約者のいる男子生徒達の不適切な行為について調査を進めると、すでに男女としての深い仲になっている者が最初に判明したよりずっと多くいることが判ったのだ。
誰ともなしにため息が出た。
勿論、深い仲になっている男子生徒の名前の中には、イリスの婚約者であるケイン・バーカントンの名前もある。
それだけではない。一番最初にそういう仲になったのはケインだということも判った。
そうして他の男子生徒達もその女子生徒と不埒な関係に陥っているということに、未だに気が付いていない最後のひとりであることも。
「かなり周りの仲間たちには笑い物にされているようです」
ランドが渋い顔で報告書を読み上げる。
「酷い女だ。いや、彼が馬鹿なのか。しかしそうか、彼は狙い撃ちされたのか」
一覧表にある男子生徒の名前の中で、最も高位にあるのがケイン・バーカントンだった。
バーカントン侯爵子息であり、まだ学生ながらその剣の腕は広く知られる存在でもある。
「三男ですが辺境伯家に来た暁には、エリントン家が所有する子爵位をひとつ譲られる予定ですからね。それに未来の騎士団長を期待されているとなれば狙われても仕方がない、か」
他のぱっとしない男爵家の嫡男や伯爵家と子爵家の二男三男にはない旨味があると品定めをされたというところだろう。
他の仲間たちも、友人の恋仲の女を掠め取る歪んだ優越感でいっぱいのようだ。
ぽろぽろと、数多くの女子生徒との逢瀬についての自慢が確認されていた。
「いくつかめぼしい証言は取れましたが、これだけでケインの有責で婚約を破棄することは出来ないでしょうね」
今すぐこれをバーカントン家に持ち込んで直談判したとしても、学生時代のちょっとした遊びだと言い逃れられておしまいだろう。それどころかこれを追及し損ねる事で悪しき前例ができあがり、結婚後に愛人として堂々と横に座ることになるかもしれないと苦々し気に指摘するネリウスの横で、ゼフィールはぎゅっと目を瞑った。
ゆらり。冷静に判断をしようとしていたその胸の奥で昏い炎が揺らぐ。
イリスの幸せを一番に考えたい。
それでも。
いますぐ乱暴に彼女を自分の腕に囲い込んでしまいたい。
実際のところ、自分の地位があればある程度周りに我が儘を言えばその座に坐ることは難しくないだろう。
「まずは言い逃れられないだけの証拠。相手有責で婚約が破棄できるだけの、決定的な証拠が欲しい。それもできれば公式な書類に記載するとか、誤魔化したり勝手に破棄されたりしないで済むようなものを手に入れたいな」
そんな都合のいい物があるだろうか。どうすればそれを手に入れ…いや、作り出すのもありか。
勝手に改竄もできない公的な記録。
何かないかと考えていると、ネリウスは深刻な顔をして僕を見ていた。
「どうしたの?」
「なぁ、ゼフ。お前の師ではなく友人として、聞いて欲しい頼みがある」
このこと以外に? そう思った。
でも、聞かされたその内容に、ゼフィールは驚くと共に、喜んでいいのかイリスの為に悲しむべきなのか、判らなくなった。
「俺の身体は確かに合う薬が見つかってからは健康体といってもいいものへと快復した。でもやっぱり辺境伯として国境を守る騎士団を仕切るほどの体力はない。剣の腕もからっきしだ。だから、ケイン・バーカントンという男を迎え入れる筈だった。しかし──私は、どんな手を使っても、彼をエリントン家に迎え入れるつもりは、無い」
きっぱりと、ネリウスがそう口にした。
婚約破棄させたい、ではなく婚約は破棄させる。
この二つの違いはあまりにも大きなものにゼフィールの耳には届いた。
それは、つまり。次代の家長が、イリスの恋に、終わりを告げたということ。
ぐらりとゼフィールの視界が揺らいだけれど、それに気づくものは今この部屋には誰もいなかった。
すべての視線が、真剣なまなざしで不快な報告書を握り潰しながら語るネリウスを見つめていた。
「そうか。でもそうなると──」
──誰が、辺境伯として騎士団を率いるのか。
すでにめぼしい高位貴族の子息には婚約者がいる。そこにイリスが割って入るのは難しいことだろう。
「そこで、お願いだ。ゼフ。ゼフィール・リプス・アネモイ第三王子殿下。我がエリントン辺境伯家に婿入りを願えないだろうか」
ネリウスはするりと膝をつき、頭を垂れた。
微動だにしない師の行いに、今度こそゼフィールは大きく動揺した。
「ネリウス。やめてくれ」
「お願いです、殿下。我がエリントン辺境伯家をお助け下さい」
尊敬する師から頭を下げられたゼフィールは、おろおろと席から立った。
「どうか、妹イリスの未来を照らしてやってください」
その言葉に、ぐらりとまたゼフィールの世界が揺れる。
これを受けないなんて、アリエナイ。
でも、これを受けたらイリスの恋に終止符を打つのは自分になる。
それは、無事にイリスの隣に立つことが出来たとしても、自分は、彼女から永遠に嫌われることになるのではないか。
そんな予感に、ゼフィールは震えた。
「少し、考えさせて」
「はい。一生を決める判断をして戴くのです。覚悟が決まるまで、ごゆっくりとお考え下さい。良い御返事を戴けることをお待ちしております」
即時決断を迫られなかったゼフィールは詰めていた息を大きく吐いた。
そこに、ネリウスの追い打ちが掛かる。
「それと。殿下にエリントン辺境伯の婿入りをしていただいた暁には、私が子爵家を継ぎ、殿下にエリントン辺境伯となって戴きます。そうして騎士団を率いる役目をイリスにと考えております」
さらりと告げられたその言葉に、再び息が詰まる。
「正直な所、自信がないのですよ。辺境伯領は広い。領地経営だけでも体力勝負でしょう。しかも騎士団だけではなく隣国との交渉もその役目を負う。薬を飲みながらようやく一人前の振りが出来るだけの私に務まるとは到底思えないのです」
苦く笑う顔は、実際にはちっとも笑っていなかった。
悲しみと自身への不甲斐なさに昏く沈んだ瞳をした師を仰ぎ見て、思わず眉が寄る。
ゼフィールははっとした。焦りのまま師の腕を掴んで問い掛けた。
「身体の、調子が…?」
やっと得た信頼できる大人をこんなに突然、失うかもしれないと暗に言われてゼフィールは不安になった。
しかし、ふるふると横に首を振られたことに安堵する。
「それなら!」
「それでも、ずっとこのまま薬が合うとも限らないのです。薬を調合して下さっている医師の方もご高齢です。その方が言うにはこれほど長期に渡って処方したことはない、と。長期間継続使用することで身体にどんな負担が掛かるかも判らない、と」
ショックを受けるゼフィールに、ネリウスは直接的な表現を避けた優しくやわらかな表現を選んでくれたのだろうけれど。その内容は言葉選びだけではどうにもならない衝撃をゼフィールに与えた。
「ですから、殿下。エリントン辺境伯領の領民の安寧の為に、是非前向きのご検討をお願いいたします」
再び深々と頭を下げたネリウスは、「ではまた明日」と笑ってゼフィールの部屋から下がっていったのだった。
「くそっ。嘘吐きが。演技派すぎるだろ」
ばりぼりと生徒会役員が隠し置いていたクッキーを無造作に貪りながら、ゼフィールは独り言ちた。
イリス以外のことを考えようとして頭に浮かんできた昨夜の記憶に思わず顔を顰める。
イリスに断られて落ち込むゼフィールを励まそうとしたネリウスから暴露されたそれを思い出すだけでムカムカした。たしかに落ち込み沈んだ気持ちはどこかに吹っ飛んだ。
(なにが『いつか、薬が合わなくなるかもしれないという可能性を示唆しただけです』だ。こっちがどれだけ心配したと思っているんだ!!)
誰もいない生徒会室。
2学年~4学年生で構成されるそこに最上級生であるイリスが覗きに来るはずはなく、来年度からそこで会計をすることになっているゼフィールは一応入室する権利を得ているが、本来ならいる筈のない場所である。
イリスとかち合う可能性の高い食堂になど足を運べる筈がない。
ここなら茶菓子のクッキーも、お茶の用意もなんでも揃っていると思いだしたゼフィールは、こっそりと忍び込むようにして入り込んだのだった。昼休みが終わるまでここに隠れているつもりだった。
逃げているんじゃない。これは、戦略的撤退だ。
婚約者のいる相手だった。
4つも年上で、恋愛対象として見られたこともなかった。
だから、想いを口にしてはいけないとずっと思っていた。
それなのに。
突然そこから解放されたゼフィールの口は、ずっと心の中で思うだけだった言葉を、イリスの前に立つと我慢することが出来なくなったらしい。
嫌われている相手だっていうのに。
本当に、自分はこんなに馬鹿だったろうかとゼフィールは頭を抱えた。
頭がいいと自負していた筈なのにと思うとより恥ずかしい。
昨日の暴挙でも十分思い知ったことではあったが、今日の言動だって十分過ぎるほど痛い。
イリスに考え直して貰って僕を受け入れて貰うことなんかできる気がしなかった。
「はぁ、もう。糞大人のネリウスめ。憶えてろ」
「兄が何かしましたか?」
すぐ横で愛しい人の声がして、ゼフィールは慌てて立ち上がった。
「い、イリス? どうしてここに。え? ……なんでこんなに可愛いだろ」
なんとか堪え切ったと油断した途端、漏れ出す誉め言葉に、思わず口を両手で押さえた。
「殿下は、私を揶揄ってばかりですね」
きゅっと俯き加減でねめつける様に睨まれても、ゼフィールはまたしても「え、可愛い」としか言葉にならなかった。
「…また。冗談はお止めください」
「冗談なんかじゃない。ぼくにはいつだってイリスが綺麗で愛らしいと思ってる」
愛しい人が傍にいる。仄かに香る爽やかな香りに、顔を埋めたくなる。
「嘘です!」
真っ赤になった顔も可愛いと思う傍から必死になって否定するから、ついゼフィールだって意地になる。
「本当だよ」
体温すら感じられるほど顔の位置が近くなり、おもわずまたその滑らかな頬に触ってみたくなった自分に慄いて、前のめりになっていた姿勢を正して視線を下げた。
「嘘ですっ。どうして殿下はそうやって嘘をいうのですか」
「!」
あまりにも聞き分けのないイリスの言い分に、ゼフィールは思わずその手を掴んだ。
そうしてそこが、白くなるほど力を込めて握りしめられていることに気が付いた。
「そんなに強く握りしめたら、爪で自分を傷つけてしまうよ」
こんなに綺麗な手なのに、とそのままそこに唇を寄せる。
ほっそりとした指先にそれが触れた瞬間、ぱっとイリスに手を取り戻された。
(しまった、またやってしまった)
ゼフィールは己が無意識でとってしまった行動に愕然とした。動きが固まる。
頬に触ることを我慢できたと思った傍からこれだ。このままでは痴漢扱いされても仕方がない。
潔く謝るべきか、したかったんだから仕方がないと開き直るべきか。
昨日、ランドが持ち込んだ妹のロマンス小説を徹夜で読み込んで女心を研究した結果、こういう時に謝ると却って悪い結果に結びつくと知ったゼフィールは、しかしそこに正解は書かれていなかったな、と絶望した。
妹を直接捕まえてきて貰って、なにが正解か聞いておくべきだった。
「ぜ、ふぃーる殿下、あのっ」
決死の覚悟という悲壮感たっぷりのイリスが意を決して口を開いた時だった。
リンゴーンリンゴーン
お昼休みがあと四半刻となったことを示す鐘の音がなった。予鈴だ。
そろそろ移動しないと、午後の授業が始まってしまう。
「移動しよう。話はまた後で、ね。ちょっと待ってて。ここを片付けるから」
食べ散らかしたクッキーの滓や、紅茶を淹れたカップを集める。
片すと言っても使った食器類を自身の手で洗う訳ではない。ゴミはゴミ箱に、使った食器類は使用済のワゴンに乗せるだけだ。
戸締りの確認をして、生徒会室の扉の鍵をきちんと掛けたところで、律儀に待っていてくれたイリス嬢に向かって手を差し出した。
「教室まで送るよ」
「いえ。最上級生の教室と一年生の教室では、あまりに棟も離れていますから」
教師陣の準備室がある本棟を校門前中央にして2学年ごとに分けられた学舎棟が3つ、計4棟がぐるりと中庭を取り囲む形で建っている。ちなみに今いる生徒会室も本棟にある。
一年生の教室棟と最上級生の教室棟はどの道を選んでも他の学舎棟をひとつ挟んだ場所となり、歩いて移動するには遠かった。
(視線に気づかれずにイリスを眺めるのには丁度良かったんだけど)
同じ学び舎で過ごしているというには、ふたりの距離は遠かった。
「では、分かれ道まで。ね?」
諦めずに重ねて声を掛ければ、優しいイリスは譲ってくれた。
その細い指が僕の手に遠慮がちに重ねられる。
ぎゅっと握りしめたくなるのを懸命に堪えて、ゼフィールは愛しい人との短いエスコートを愉しんだ。
余計な口は開かない、そう心に決めて。
カツカツと、廊下を歩く。
昨日の事がすでに学内で噂になっている事は知っている。
だから僕がイリスをエスコートして歩いていても、誰も何も言ってこないし、廊下の隅に寄って僕らの前に道を開けてくれる。
本当は、少しでも長くゆっくり歩きたかったけれど誰も道を塞いでくれたりしないから歩きやすいし、イリスの歩調は令嬢のものとは思えないほど早くて、あっという間にそこに着いてしまった。
「五年生の教室棟は右手だね」
「一年生の教室棟は左ですね」
分かれ道となる場所で、手を離す。
「それじゃ、イリス・エリントン嬢、またね」
「ゼフィール殿下、また後程」
振り返ってその姿が見えなくなるまで見ていたかったけれど、僕は振り返ることなく教室へ急いだ。
重ねられていた手に残ったぬくもりは、いつまでもそこに残っていた。
キミの名は、ごっこをしてみる
朝ドラたのしいよね




