3 蘇った記憶
ティアナは、気付くと何もない空間にいた。そこへ、音も無く紅い光が現れティアナを包み込んだ。
遠くで、プシュの声が聞こえる。
「あなたにティアナの魂を預けます。大事にしてあげて下さいね。ティアナの体は、あなたが迎えに来るまで私が預かります。さあ、連れて行きなさい」
ティアナは、暖かい紅い光に包まれたまま宙に浮かび上がった。高く高く登り気が付くと大きな木のてっぺんにまで登っていた。ティアナにとっては、はじめての外界。
雲一つない夜空に、欠けた白い月が浮かび、たくさんの星がその夜空を神秘的に見せている。弱い風が、木の葉を優しく揺らしている。
紅い光はティアナを包んだまま、東へ向かって猛スピードで空中を滑った。何の音もない。風も感じない。ただ、景色が猛スピードで変わって行くだけ。
進路が少しずつ右へ移って来た。回り込む様に北へ向かっているのだろうか。
すると目の前に視界を遮る様な大きな山が見えて来た。紅い光は、その山の裏手に回り込んだ。そこには洞窟の様な物は見当たらない。それなのに紅い光は、ゴツゴツとした岩へと突進した。
あっ!
ティアナは思わず声を出してしまった。しかし、障害物に当たるような衝撃はなく、岩を通りぬけた。
そこは、鏡の中で見た部屋だった。部屋にいた人達は、誰も紅い光に気付いていない。
紅い光は、何の抵抗も無くベッドに横たわるルナディクトの胸に入った。
ほんの少しの窮屈感の後、開けた空間に出た。
そこは、円筒形の書斎の様な部屋だった。壁一面に書棚があり、たくさんの本が納められていた。
部屋の真ん中には、小振りなソファーとテーブルが置かれている。
ティアナはそんな部屋の中をキョロキョロ見ていると、突然、床がグラグラと揺れはじめた。
ティアナは、ソファーとテーブルの隙間に入り込み頭を抱え込んだ。こんなにたくさんの本が一度に落ちて来たら怪我では済まされないだろう。
ティアナがブルブル震えていると、左耳に付けられた紅い石が光出した。ティアナは驚いて顔を上げると、その光は部屋の隅々まで照らし始めた。とても強い光にティアナは両手で目を覆い、この現象がおさまるのをジッと待った。
「ティアナ、もう大丈夫だよ」
ティアナのすぐ側で、夢の中でしか聞く事の出来なかった声がした。そっと顔を上げると部屋の中は、何事も無かったかのように静まりかえり、目の前にはベッドで横になっていたはずのルナディクトが、サラサラの黒い髪を左手でかきあげ、赤い瞳を穏やかに細め、右手を差し出していた。
ティアナは、差し出された手におずおずと自分の手を添えると強い力で引き上げられ、そのままギュッと抱き締められた。
えっ!!
ティアナは、恥ずかしさのあまりアッという間に顔を真っ赤にして、そのまま硬直してしまった。
夢の中では分からなかったが、今は相手の鼓動も聞こえ、腕の暖かさも伝わってくる。
いくら毎晩夢に出て来る人だといえ、夢はあくまでも夢でしかなく、ティアナにとっては初対面と言ってもいい。それに、ほんのすこしずつだが恋心も芽生えて来ていた。そんな人物に、いきなり抱き締められては、恋初心者のティアナが硬直するのも無理はない。
しかし、ルナディクトは全くその事に気付いていない。抱き締めるだけでは飽き足らず、ニッコリと微笑んであろうことか、ティアナの顔に啄む様なキスの雨を降らせた。
これには、ティアナも硬直を通り越して気を失った。
ルナディクトは、ティアナの体が急に後ろに仰け反った事で、やっと彼女の異変に気が付いた。
ティアナを慌ててソファーに寝かせると、オロオロしながらも「ティアナ、ティアナ」と声を掛けながら、揺すったり頬を軽く叩いてみた。しかし、目を開いてくれる気配がない。ルナディクトは、それでも、名前を呼び続けた。
この部屋が、ティアナに合わなかったのだろうか?
でも、部外者を絶対に拒絶するこの部屋自体は、ティアナの左耳の石のおかげで、拒否反応の揺れもおさまっているので、ティアナの体に何らかの作用をしているわけではないだろう。
では、ティアナ自身に何か病気でもあるのだろうか?
でも、今まで見て来て特に持病があるようにはみえなかった。それに、あの村の出身だ、体が弱いはずがない。
では、どうしてなのだろう?
ルナディクトの頭の中は、自分がしでかした事に対しての反省は一切浮かんでこない。ルナディクトにとって、この行動は当たり前のものであり、悪い事をしたとは、これっぽっちも思っていないのだ。
頭を悩ませながら、名前を呼び続けしばらくたった頃、ティアナがルナディクトの方へ顔を傾けた。そして、薄っすらと目を開け始めた。
ルナディクトは、ティアナを覗き込む様に顔を近づけ、もう一度名前を呼んだ。
その途端、ティアナは大きく目を見開き小さな悲鳴をあげ、ソファーの裏側へ隠れてしまった。
ルナディクトは、思いも寄らないティアナの行動に驚きその場で動く事が出来なかった。
ティアナが逃げた? ティアナが僕からにげた? ティアナが悲鳴をあげて僕から逃げた? どうして? どうして逃げた? 僕、嫌われた? なぜ嫌われた? ティアナになぜ嫌われた? どうしたらいい? 僕はどうしたらいい?
ルナディクトが、思考回路が停止しそうなほどショックを受けながらも、必死で頭をめぐらせた。
一方ティアナは、ソファーの影で口から飛び出しそうなほど激しい鼓動を刻む心臓を両手で抑え、何度も深呼吸を繰り返していた。
びっくりした! 顔が近すぎるよ! 思わず逃げちゃった。悲鳴まであげちゃった。でも、ちょっと失礼だったかな? 悲鳴をあげて逃げ出すなんて失礼だったかな?
ティアナは、鼓動が落ち着き出すと自分の行動が不安になってきた。そっと振り返ると、彼は硬直したようにその場にいた。
やっぱりショックだよね。私の事ずっと待っていてくれたんだもの。
ティアナは、熟れたトマトの様に赤くなった顔をそっとソファーの影から出して、小さな声で呼び掛けた。
「あ、あの……ごめんなさい。わ、私、びっくりしちゃって……」
ティアナの小さな声もルナディクトの耳にはちゃんと届いたようで、ピクンと体が動いたかと思うと満面の笑顔でティアナに近付いて来た。
ティアナの心臓はまた煩くなり始めた。それでも、ティアナは今度は逃げ出さないように、両手で自分の体を抱き締めるように抑えこんだ。
ルナディクトは、ゆっくりとティアナに近付きすぐ傍に座り込んだ。
「何にそんなにびっくりしたの?」
穏やかな声だ。
「あ、あの……。あ、貴方が目の前にいたから……」
ティアナは、火照った顔を隠しながらモジモジと答えた。
「そうなんだ。ごめんね。僕は、君が急に気を失ったから心配だったんだよ。何処か具合が悪いの?」
「いいえ。何処も具合悪くありません。……えっと……ちょっとびっくりしちゃったから……」
「他にもびっくりした事があるの?」
「は、はい」
「どんな事?」
「そ、それは……だ、抱き締められて、キ、キス……」
「嫌、だった?」
ルナディクトの表情が段々と曇ってきたように見えるが、辛抱強くティアナの話を聞いてくれている。
「い、嫌というわけでは……。は、恥かしくて……あまり、貴方の事も知らないし……」
「どうして? 夢の中では、そんなに恥かしがっていなかったのに……。それに、君は僕の事をずっと以前から知っているよ。顔を上げて、この部屋の書棚を見てごらん」
ティアナは、おずおずと顔を上げ書棚を見渡した。
書棚には、びっしりと本が納められている。それらは、色は違うが全て同じデザインの背表紙で統一され、本の高さも全て同じだった。その本に、通し番号のようなものがふられていた。
一般的な図書館で、このような光景を見ることはない。これらの本は、一般的な物ではないのだろうか。
ティアナの顔が疑問符で一杯になっている事に気が付いたのか、ルナディクトは、この部屋の説明を始めた。
「この部屋は、僕の記憶をしまっておくための部屋なんだ」
「記憶?」
「そう。僕が生まれてからの記憶。僕の記憶は、文字や映像と一緒にこの一冊一冊の本の中にきちんと整理されているんだ」
「この、本の中に私の記憶もあるの?」
「あるよ。赤い背表紙の本が君との記憶だよ」
ティアナは、もう一度書棚を見回した。
たくさんの本の中に、赤い背表紙を持つ本が所々に並べられている。でも、他の本よりはずっと数が少ないように思えた。
「見ても良い?」
ルナディクトは、頷くと通し番号の一番小さい数の赤い背表紙の本を一冊ティアナに手渡した。
本は、とても薄いものだったが、ずっしりと重かった。
ティアナが、表紙を開くとたくさんの映像が頭の中を駆け抜けて行った。
映像の中のルナディクトの姿は全く変わっていない。しかし、相手の少女はティアナとは全く違う容姿をしていた。しかし、なぜか『私』だと思えた。
この本には、一年の記憶しか残されていなかった。それは、二人が出会ってから『私』が死んでしまうまでの一年間。
ティアナは、気付くと涙をポロポロと流していた。
そうだ、思い出した。
私はとても貧しい村に生れた。土地は痩せ、川を干上がり、作物を一生懸命世話しても、ほんの少しの実りしか得る事が出来なかった。
そんな村を流行り病が襲った。村人は、バタバタとあっけなく死んでいった。私も、その病で死んだのだ。私は、十歳位だったと思う。
魂だけになった私は、次はルナディクトの隣にいても釣り合うだけの大人になれるよう願ったのだ。
後から後から零れ落ちる涙と一緒に、その後の記憶が順番に蘇ってきた。
何度も何度もこの世界に戻って来て、ルナディクトと出会い、二人の時間をほんの少しずつだが増やしていった。
しかし、何度戻って来ても私はただの人間でしかなかった。人間の寿命は短い。彼と一緒に生きて行くことは出来なかった。何度も何度も、彼を悲しませてしまった。だからこそ、早くルナディクトに会いたかった。その為、天での勉強の時間が一番短くてすむ方法を選んだ。それは、自分の命をまっとうする事。
しかし、前世。私は自らの命を絶った。
どうしてそんな事をしたのだろう。あの時、自らの命を絶つ事で父の間違った行動を止めたかった……。しかし、本当は、それだけでは無かったのかもしれない。私は、自らの魂をリセットしたかったのかもしれない。愛する人を悲しませ続ける事しか出来ない自分を……。
天での勉強は、とても長い期間続いた。その為、自分が持っていた記憶が段々と薄れていった。彼の事も忘れてしまっていたのかもしれない。そんな魂だからこそ、あの村に生れる事が出来たのかもしれない。
「……ごめんなさい、……ごめんなさい……わ、私、あなたに……何度も、何度も寂しい思いをさせてしまって……」
ティアナは、涙を拭いながら何度も『ごめんなさい』を口にした。
泣き続けるティアナを、ルナディクトはそっと包むように抱き締めた。
「ティアナ、なぜ誤るの? 僕は、また君に会えた事をとても嬉しく思っているんだよ。もう、泣かないで。今度の君は、ずっと僕の傍にいてくれるよね」
ルナディクトに抱きしめられながら、ティアナは「はい」と小さな声で返事を返した。




