15 少女の願い
東部地区の人々の非難が始まった。
一番西部地区に遠い所から、西部地区のヴァンパイアが嫌う朝日が差し込む時間に地上に出て、秘密の地下空間へと移動した。
地上の人間の数が減った事を、西部地区の者に悟られないよう、東部地区のヴァンパイアたちが、自分の力を隠すように人間に成り済まし、畑仕事や、家畜の世話をした。
地下空間では、支部ごとに区画を分けられ、部屋が宛がわれた。
毎日地下空間への入口に立つルナディクトは、人々の不満を耳にするのではないかと心配をしていたが、それは杞憂だったようだ。
誰もがルナディクトに笑顔を向け、深く頭を下げていくのだ。
その表情は、もうすぐ平和になるという期待が込められているように思えた。ルナディクトは、この笑顔に答えるべく、下準備も綿密に行っていった。
そんなある日の朝日が差し込む時間。
いつものように、地下空間への入口に立っていたルナディクトは、幼い少女に声を掛けられた。
「ねえ、ルナディクト様。アイリスね、お願いがあるの、聞いてくれますか?」
「どんなお願いかな?」
「あのね、紅い道の向こうに、とても悲しそうな眼をしたお兄ちゃんがいたの。その人も助けて欲しいの」
「道の向こう?」
「そう」
ルナディクトは、アイリスと名乗った少女の母親に視線を向けると、母親は何も知らないと首を横に振っていた。
「アイリスの、記憶を見せてくれる?」
「良いよ」
ルナディクトは、アイリスの前にしゃがみ込むと右手をアイリスの額に当て目を閉じた。
『ティアナ、力を貸して。この子の記憶の中の、西部地区のヴァンパイアを探したいんだ』
『分かったわ』
記憶の部屋のティアナは、ゆったりとソファーに座ると、気持ちを集中し、アイリスの記憶の中へと入っていった。
アイリスの記憶の中は、厳しい生活環境にも関わらず、温かい雰囲気を纏っていた。
『あったわ。そのまま記憶を辿るから、しっかり見ていて!』
『分かった』
アイリスは、明るい陽射しの中、畑仕事をしている大人たちから少し離れた所で、数人の子供と遊んでいた。
どの子も満面の笑顔だ。
その中の一人が、西部地区を見て声を上げた。
「あっ、誰かいる!」
その声に、一緒に遊んでいた子どもたちは、大人たちの方へと走り去っていった。
しかし、アイリスはその場に立ち尽くしている。
アイリスにとっては、怖い存在に感じる事はなかったようだ。
アイリスが、西部地区の人物をじっと見つめていると、その人物もアイリスに気付きその場に立ち止った。
アイリスは、紅い道まで走り寄った。
「一人ぼっちなの?」
アイリスが声を掛けた。
「……」
アイリスの問いに、その人物は戸惑っているような表情を浮かべた。
「どうして悲しそうな眼をしているの?」
「そんな風に、お前には見えるのか?」
その人物の声が、アイリスの頭の中に響いた。
「うん」
アイリスの返事を聞くと、その人物はスッと姿を消した。
『これでおしまいよ。お役に立てたかしら?』
『ありがとう。相手の人物が判ったよ』
ルナディクトは、アイリスから手を放すとニッコリと笑いかけた。
「アイリスがあった人物が判ったよ。アイリスの願いを叶えられるよう、僕も頑張るね。アイリスもご両親のいう事をよく聞いて、ここでいい子にしているんだよ」
「うん」
アイリスは、笑顔で母親の手を引っ張るように地下空間へと入って行った。
アイリスの記憶に出て来た人物は、ダイロ・メランブラッドだった。
ルナディクトが目を覚ましてから、初めて見る姿だった。
十年前位から、屋敷に閉じこもり一切姿を見なくなったとの報告を耳にしていた。
それが、どうして一人で太陽が燦々と降り注ぐ外を歩き回っていたのだろうか?
どうして、アイリスだけに反応したのだろうか?
ルナディクトの記憶の中のダイロは、人間を見下している面があった。特に子供を、毛嫌いしていた。
そんなダイロだったのに、なぜ?
ルナディクトが目覚めなかった時間に、ダイロに何が起こったのだろうか?
そして、アイリスはなぜ、ダイロを怖がらなかったのだろうか?
人間たちは、本能的に西部地区のヴァンパイアを避けているようにルナディクトには思えた。昔は、何の垣根もなく笑いあっていたのに……。
ひょっとしたら、その垣根を払うきっかけをアイリスが作ってくれるのだろうか?
ルナディクトは、色々な考えを巡らせながら、ベッドに横になった。
記憶の部屋では、ティアナが待っていた。何かを話したくて仕方がないといった表情だ。
「ねえ、今日のあの女の子、とても温かい記憶ばかりだったわ。毎日が楽しくて仕方がないみたいね」
「あの子は、アイリスっていう子でね、まだ三歳位だよ。毎日色々な発見があるんだろうね」
「そうね。でも、それだけではないような気もするわ」
「どういう事?」
「あの子の記憶の中で、西部地区のヴァンパイアをハッキリと視覚に捉えた時、記憶が大きく波打ったの。ひょっとしたら、彼女の魂は以前にも会った事があるのかもしれないわね」
「以前ってどれくらい前?」
「そうね……。あの子の年齢からみても、前世の人あたりだと思うわ」
「前世の人? その人の記憶を辿る事は出来る?」
「アイリスが幼すぎるから無理だと思う。私くらいの年齢なら、何とかなるけれど……」
「そうか……」
ルナディクトは、体から力が抜けるほど落胆した。
「どうして、そんなに記憶を知りたいの?」
「記憶を知れば、アイリスの願いも叶えてあげられると思ったんだ」
「今のままでは、叶えてあげられないの?」
「ちょっと自信がない……。ダイロ自身も、僕の家族を破滅するために動いたんだ……」
「ルナディクト、歴史の本に書いてあったわ。この地を守ったとされているルナックは、この地を滅ぼそうとしたダレスを殺さず、この地の人々の為に働かせたって。あなたの心の中には、はじめから彼らへの憎しみはなかったはずよ。あるとしたら憐れみ。彼らはどうして、こんな暴挙に出たのだろう? 彼らはなぜ人間を虐げるのだろう? こんな暮らしが幸せなのだろうか?」
「そうだね。それは思うよ」
「ダイロが、昼間外を歩いていたと言うことは、その父親は、もう何年も苦しみ続けているのではないかしら」
「えっ?」
「そうでしょ。メランブラッド家には、神が埋め込んだとされる石が代々引き継がれているのよね? その苦しみを取ってあげられるのは、あなたしかいないのではないの? それとも、あなたと同じ血を引く人が他にもいるの?」
「いないよ。僕以外みんな殺されてしまったから……」
「なら、あなたがその苦しみを取ってあげないといけないわね。あなたの使命を思い出して。争いを起こした者たちの命を奪うことではないはずよ」
「そうだね。そうだね」
ルナディクトは、ティアナを抱きしめながら、何度も何度も『そうだね』を繰り返し呟いた。




