プロローグ|ドリルのある診察室
※下ネタのようなふざけたタイトルですが、進化した義肢と夢の医療技術を描くSFブラックコメディです。
黒川慎吾が、自分の股間に取り付けられた機械について初めて本格的な不安を覚えたのは、担当医からドリルを見せられた日のことだった。
それまでにも不安がなかったわけではない。何しろ身体の一部が機械なのである。故障すれば修理が必要になるし、定期的なメンテナンスも欠かせない。万が一メーカーが倒産すれば、部品の供給はどうなるのかという心配もあったが、少なくともドリルを装着する可能性については、これまで一度も考えたことがなかった。
「先生、これ、何ですか?」
慎吾は診察室の机に置かれた銀色のアルミケースを指さした。
担当医の榊は五十代半ばの男性で、これまでの診察ではいつも穏やかだった。ところが今日は、診察が始まってから三度も腕時計を確認しており、廊下で足音がするたびに扉へ目を向けていた。
「黒川さん、まず落ち着いて聞いてください」
「落ち着いてますよ。先生の方が、さっきから落ち着きないじゃないですか」
榊は困ったように笑うと、アルミケースの留め金を外した。蓋が開くと、中には黒い緩衝材が敷き詰められ、大小さまざまな金属製の部品が収められていた。慎吾には工具箱のように見えたが、設備管理会社に二十年以上勤務している彼の目から見ても、何に使うのか分からないものばかりだった。
「こちらは、人工ペニス《PGS-01》専用の拡張ユニットです」
「拡張?」
「現在装着されている人工ペニスには、機能を追加するための接続規格が組み込まれています。こちらの部品を交換することで、それぞれ異なる用途に対応できるんです」
「用途って、何の用途ですか?」
榊はケースの中から、円筒形の金属部品を取り出した。先端には螺旋状の刃が付いており、握り手こそないものの、慎吾が仕事で使っている電動工具とよく似ていた。
「D-05、高トルク穿孔ユニットです」
「ドリルですよね」
「工業用の穿孔装置に近いものです」
「だから、ドリルですよね」
「まあ、そういう認識で間違いありません」
慎吾は榊の手元にある部品を見つめた。
銀色の本体に黒い樹脂製の接続部分があり、先端には交換式らしい刃が取り付けられている。作りは悪くなさそうだった。少なくとも安物の電動工具よりは精度が高そうで、普段の仕事で使えば意外と役に立つかもしれない。
ただし、それを身体のどこに装着するのかが問題だった。
「先生、俺のチンコ、穴でも掘るんですか?」
榊は眼鏡を外し、鼻の付け根を指で押さえた。
「黒川さん、正式には人工ペニスです」
「名称の問題じゃねえだろ」
慎吾が声を荒らげると、榊は慌てて診察室の扉を確認した。慎吾としても、廊下で待っている患者たちに事情を聞かせたいわけではない。できれば誰にも知られず、何事もなかったように帰宅したかった。
そもそも今日は、三か月に一度の定期検査だった。
午前中に病院へ寄り、午後から出社する予定で、会社にも少し遅れると伝えてある。その予定のどこにも、股間へドリルを取り付けるという項目は存在しない。
慎吾は四十四歳。独身で、都内の古いマンションに一人で暮らしている。休日は洗濯と買い物を済ませ、気が向けば近所の居酒屋で飲む程度の、ごく普通の会社員だった。
二年前、地下の機械室で古い設備を撤去していたとき、吊り上げ途中の鋼製架台が傾いた。
作業員の一人が何かを叫び、慎吾が顔を上げたときには、頭上の架台がゆっくりと横へ滑り始めていた。逃げようとしたものの、背中が壁に当たってそれ以上下がれず、倒れてきた架台の縁が腰の前を潰した。
金属が床に落ちる音と、誰かが自分の名前を呼ぶ声は覚えている。痛みはもちろんあったはずだが、事故直後の記憶はところどころ途切れており、後になって何度思い返しても、そこだけはうまく繋がらなかった。
救急車の中では、掛けられた毛布を握ったまま、会社の車の鍵を誰に渡したか考えていた。現場を離れる前に誰かに預けた記憶はあるのだが、それが誰だったのか、どうしても思い出せない。自分がどこを怪我したのか、確かめる余裕もなかった。
命は助かり、脚も残った。しかし、陰茎の損傷は激しく、切除せざるを得なかった。
術後の病室で説明を聞いた慎吾は、布団の上から股間へ手を置いた。傷に響いて手を浮かせたあとも、医師の顔へ目を戻すことができなかった。
それから一年半ほど、不自由な身体と付き合いながら生活を続けた。仕事には復帰したものの、以前と同じ暮らしが戻ってきたわけではない。何でもなかった日常の動作に気を遣い、誰かに事情を説明するたび、自分でもまだ受け入れきれていないことを思い知らされた。
半年前、榊から人工ペニスの治験について説明を受けた。
《東都バイオメカニクス》が開発したPGS-01という試作機で、慎吾は適合検査を経て治験に参加した。装着手術は成功し、経過も良好だった。
もちろん、生身の身体とまったく同じというわけではない。それでも、鏡に映る姿は事故以前の自分に近づき、排尿のたびに感じていた不自由もなくなった。何より、あの事故以来、自分の中で折れたままになっていた男としての自信が、少しずつ戻ってきたことが嬉しかった。
慎吾はこの技術と治療に携わった人々に、心から感謝していた。そうしてようやく取り戻した日常の中に、今日になって突然、ドリルが現れたのである。
「先生、俺、設備屋なんですよ。ドリルだったら普通に持ってます」
「そうでしょうね」
「電動工具って、手で持つようにできてるんです。押し当てる角度とか、力の加減とか、そういうの考えて作られてるんですよ」
「はい」
「それを何で、わざわざチンコにつけなきゃいけないんですか」
榊はドリルをケースへ戻し、慎吾に向き直った。
「もともと、この技術は医療用に開発されたものではないんです。人体へ小型の駆動装置を接続するための汎用システムで、災害救助や特殊作業など、さまざまな用途を想定していたそうです」
「だったら、腕につけりゃいいじゃないですか」
「私もその資料を見たとき、同じことを思いました」
「止めろよ!」
榊は何も言い返さなかった。
どうやら止められなかったらしい。
慎吾は背もたれに身体を預けた。考えてみれば、この医師が悪いわけではない。事故のあと、長い間世話になった人物であり、人工ペニスの治験を紹介してくれたのも彼だった。ただ、もう少し早くドリルの存在を教えてほしかったとは思う。
「それで、こっちは何ですか?」
慎吾はケースの中にある、黒い筒状の部品を指さした。
「A-04、高圧射出ユニットです。圧縮機構を利用して、専用の弾体を射出する構造になっています」
「弾って、鉄砲の弾ですか?」
「専用に開発されたものですが、基本的には同じようなものです」
「つまり銃じゃねえか」
「厳密には銃器とは構造が異なります」
「俺のチンコから弾が出るんだろ?」
「装着すれば、そうなります」
「それを世間では銃って言うんだよ!」
そのとき、診察室の扉が二度ノックされた。慎吾と榊が同時に振り向くと、看護師が顔を覗かせた。
「先生、先ほどの書類なんですけど……」
「ああ、後で確認します。すみません、今ちょっと立て込んでまして」
看護師は机の上に広げられた金属部品を見て、それから慎吾の顔を見た。何か尋ねたそうな表情だったが、特に何も言わずに扉を閉めた。
「……先生、俺、あの看護師さんに何て思われたんでしょうね」
「少なくとも、詳しい説明はしていません」
「してたまるかよ」
榊は申し訳なさそうに頭を下げると、部品をケースへ戻し始めた。緩衝材には全部で十個の窪みが設けられており、形も用途も分からない金属製の装置が、それぞれ整然と収まっている。
これだけ小さな機械に、さまざまな機能を詰め込む技術は相当なものだろう。おそらく優秀な技術者が何年も研究を重ね、莫大な開発費を投じたに違いない。ただ、その中の誰か一人くらいは、会議の途中で疑問を口にしなかったのだろうか。
どうしてチンコなのか、と。
「それで先生、結局これを俺にどうしろと?」
「持って帰っていただきたいんです」
「いりませんよ」
慎吾が即答すると、榊は机の上にあった書類を差し出した。
《東都バイオメカニクス》の社名が印刷された通知書で、研究計画の終了に伴う試験機材の回収について、事務的な文章が並んでいる。
「実は、PGS計画の中止が決まったんです。研究資料と試験機材について、メーカーがすべて回収する方針を固めまして」
「だったら、返せばいいじゃないですか」
「それが、黒川さんの人工ペニスも回収対象に含まれているんです」
慎吾は書類を受け取り、榊が指さした部分を読んだ。
《PGS-01装着済み被験者》
研究終了、機材返却、所有権、回収手続き。どれも会社の仕事では見慣れた言葉だったが、自分の身体に関係する文章として読むと、途端に意味が分からなくなる。
「いや、使ってますけど」
「分かっています」
「毎日使ってるんですよ。これがないと困るんです」
「もちろんです。ですから、私たちも強く抗議しています」
「まさか、手術して外せとか言わないでしょうね」
「少なくとも私は認めませんし、ご本人の同意なしにそのようなことができるはずもありません」
榊は研究資料を廃棄するよう求められていること、開発に関わった人物から今朝このケースを託されたことを説明した。医療目的とは異なる機能が存在していた事実を知り、現在もメーカー側へ説明を求めているらしい。
慎吾には企業内部の事情など分からなかったが、医療機器を装着した患者本人に何も知らせず、研究そのものをなかったことにしようとする会社の姿勢には、さすがに腹が立った。
「それで、このケースを俺に預けるんですか?」
「当面の間だけです。私も弁護士に相談しますので、正式な対応が決まるまでは、誰にも渡さないでいただきたいんです」
「警察に持って行った方がよくないですか?」
「必要なら、そうしましょう。ただ、まずは事実関係を確認しなければなりません。それから、拡張ユニットは絶対に使用しないでください。安全性の確認が取れていないものも含まれています」
「使いませんよ。こんなもん、使うわけないじゃないですか」
榊は慎吾の顔を見て、ようやく少しだけ安心したようだった。
「……先生、俺、普通に生活したいだけなんですけど」
「それは、私もよく分かっています」
慎吾はしばらく榊を見つめていたが、結局それ以上文句を言うのはやめた。この人は、事故で身体の一部を失った自分を、ずっと診てくれた医師だった。治療がうまく進まなかった時期も、投げやりになっていた時期も、変わらず診察を続けてくれた。少なくとも、股間にドリルを取り付けるために医者になった男ではないはずだ。
「分かりましたよ。とりあえず預かりますけど、ちゃんと何とかしてくださいね」
「ありがとうございます。できるだけ早く連絡します」
榊はアルミケースの留め金を閉じ、慎吾へ差し出した。持ち上げてみると、見た目よりずっと重かった。片手で持てないほどではないが、通勤鞄と一緒に持ち歩くには邪魔である。
「先生、これ結構重いですね」
「各ユニットに駆動機構が入っていますから」
「全部で何キロあるんです?」
「正確な重量は確認していません」
「そこは確認しといてくださいよ」
診察を終えて廊下へ出ると、待合室には普段と変わらない光景が広がっていた。年配の男性が新聞を読み、若い母親が子どもの上着を直している。受付の向こうでは看護師が電話に出ており、天井のスピーカーからは、番号で患者を呼び出す女性の声が流れていた。
慎吾は右手に通勤鞄、左手にアルミケースを持ち、会計を済ませて病院を出た。
十月の空気は思ったより涼しく、駅へ向かう歩道には、昼休みを終えた会社員たちが行き交っていた。慎吾も午後から出社する予定だったが、妙なものを渡されたせいで、すっかり時間が押している。駅の入口が見えてきたところで、ポケットの中のスマートフォンが鳴った。
知らない番号だった。
普段なら出ないところだが、今日は榊から連絡があるかもしれない。慎吾は通行の邪魔にならない場所へ移動し、アルミケースを足元へ置いて電話に出た。
「はい、黒川です」
『突然のお電話、失礼いたします。私、東都バイオメカニクスの三浦と申します』
慎吾はケースに目を落とした。つい先ほどまで病院で聞いていた会社名だったので、思わずため息が出た。
「はい。何でしょう?」
『本日は弊社製品の件で、ご連絡させていただきました。黒川様が現在ご使用中の人工ペニス、PGS-01についてですが、研究契約の終了に伴いまして、回収のお手続きをお願いしております』
慎吾は駅前を行き交う人々を眺めながら、もう一度ため息をついた。
「……いや、使ってるんですけど」
どうやら世の中では、機械のチンコの方が、それを股間にぶら下げている人間よりも価値があるらしい。
お読みいただきありがとうございます。
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