借り物の奇跡は返却いたします
担保回収の執行から三日後、王都より届いた報告書には、ずいぶん華やかな騒動が記されておりました。
債権者たちは大神殿の監察司祭二名を伴い、王宮東棟にある聖女の礼拝室を訪れたそうです。
もちろん、金貸しが神殿の宝を取り上げることはできません。
王家が担保として差し出したのは〈暁星の腕輪〉そのものではなく、貸与期間中の使用権です。所有権は最初から最後まで大神殿にございます。
危うく神殿財産を違法に競売へかけるところだった債権者たちへ、その点を知らせたのはわたくしでした。
王家が勝手に他人の持ち物を担保にしたからといって、取り立てる側まで同じ穴へ落ちる必要はございません。
穴の底には、だいたい利息より高い訴訟費用が待っておりますもの。
監察司祭が返還を求めると、マリエル様は腕輪を抱えて拒んだそうです。
『これは女神様が、聖女であるわたくしへ授けてくださったものです』
そう主張し、集まった廷臣たちの前で自らの力を示そうとなさった。
銀盆に載せられた枯れかけの百合へ両手をかざすと、淡い金色の光が礼拝室を満たし、花は一時だけ瑞々しさを取り戻しました。
レナード殿下は勝ち誇り、監察司祭へ謝罪を求めたそうです。
そこで老司祭が、腕輪を外した状態でもう一度お試しください、と申し上げました。
マリエル様は応じませんでした。
応じないまま、腕輪を袖の中へ隠そうとなさいました。
最終的には王宮の女官長が取り外し、大神殿の封印箱へ納めました。すると、礼拝室を満たしていた光は消え、瑞々しかった百合も元の姿へ戻ったとのこと。
腕輪を失ったマリエル様が何度祈っても、指先には一片の光さえ宿りませんでした。
報告書には、レナード殿下のお言葉まで丁寧に書き残されております。
『今日は体調が悪いだけだ。聖女を疑う者は不敬罪に問う』
便利な体調不良でございますこと。
契約も奇跡も、都合が悪くなると熱を出すようです。
「大神殿は、聖女認定の再審査を決めたそうです」
報告書を読み上げたハンナが、淡々と続けました。
「なお王宮では、腕輪を持ち出させまいと扉を閉めたため、債権者の代理人十二名が半日ほど礼拝室に閉じ込められました」
「お茶は出たのかしら」
「水すら出なかったそうです」
「それは重大な外交問題ですわね」
代理人の半数はヴェルデンの商会に属しています。王家は借金の返済に加え、他国の商人を拘束した件についても説明を求められることとなりました。
わたくしは報告書を閉じました。
マリエル様が本物の聖女であるかどうかを決めるのは、わたくしではございません。
ただ一つ確かなのは、借りた腕輪は返さなければならないということです。
「セシリアは、最初からこうなると分かっていたのか」
執務机の向こうから、エルネスト様が尋ねられました。
「腕輪に増幅術式が刻まれていることは、貸与目録に記載されておりました。何を増幅していたかまでは存じません」
「奇跡ではなく、マリエル嬢のわずかな魔力だった可能性もある」
「あるいは腕輪に蓄えられていた、歴代の司祭様方の祈りかもしれません。ですから調査は大神殿にお任せいたします」
誰かを偽物と断じるのは簡単です。
けれど、それは数字を読まずに赤字の責任者を決めることと変わりません。
まず所有者へ返し、正規の手順で調べる。それで十分でございます。
「では、次はこちらですね」
わたくしは新しい帳簿を机へ置きました。
表紙には『寄託財産登記簿』と記してあります。
今回、王家への貸付契約を調べたところ、担保目録には他者から借り受けた品が二十七点も紛れ込んでおりました。
大神殿の祭具が六点。貴族家から祝宴用に借りた銀器が九点。職人組合の保管する原型が四点。残りは外国商会から見本として預かった宝石や織物です。
所有権、使用権、保管責任。
三つを別々に記録しなければ、持っている者が持ち主であるかのように扱われてしまいます。
そこでヴェルデン交易院に、借用品と預かり品を登録する帳簿を設けました。預け主と預かり主が一通ずつ証書を持ち、担保へ入れる際には所有者の承認印を必要とする仕組みです。
「商人は、面倒だと嫌がらないか」
「最初は嫌がるでしょう」
「正直だな」
「ですが、盗まれた後の訴訟よりは、銀貨二枚の登録料の方がお安うございます」
試験運用を始めると、その日のうちに百十六点が登録されました。
特に多かったのは、染色工房へ貸し出される紋様板と、宝飾職人へ預けられる裸石です。これまで口約束だけで動いていた品に所有者の名がつき、職人たちは高価な材料を安心して受け取れるようになりました。
さらに大神殿は、返還手続きが適正に行われたことを評価し、ヴェルデン交易院を神殿財産の公認寄託所に指定しました。
夕刻には、北方三神殿から届く薬草と治療具の保管契約が結ばれました。春まで不安定だった薬草の仕入れ量は、これで従来の倍になります。
一つの腕輪を正しい持ち主へ返しただけで、こちらでは薬草を積んだ荷馬車が増えました。
物を奪えば、その価値は一度しか使えません。
信用を守れば、価値の方から何度でも訪れてくれます。
「君は、王家をもっと追い詰めることもできた」
仕事を終えた後、エルネスト様が静かにおっしゃいました。
「腕輪が競売にかけられるまで黙っていれば、王家も債権者も大神殿も争っただろう。君を侮った者たちが困る姿を、見たくはなかったのか」
「まったく見たくないと申し上げれば、嘘になります」
わたくしは窓の外へ目を向けました。
「ですが、そのために無関係な方の財産を傷つければ、わたくしまで彼らと同じになります。わたくしは自分の物を持って出てきただけ。それ以上を望むつもりはございません」
エルネスト様はしばらく黙っておられました。
やがて席を立ち、机を回って、わたくしの前へいらっしゃいました。
「私は、君の能力に惹かれたのだと思っていた」
「違いましたか」
「いや。そこは今も変わらない」
エルネスト様は片膝をつき、椅子に座るわたくしと視線の高さを合わせられました。
「ただ最近は、君が仕事をしていない時間まで欲しいと思う」
差し出された手は、わたくしに何かを命じるためのものではありません。
取るかどうかを、待ってくださる手でした。
「今夜、夕食の後に一刻だけ、私へ預けてくれないか」
「使用目的を伺っても?」
「君と庭を歩きたい。帳簿も護衛会議もなしで」
「では、寄託証書が必要でございますね」
「期限までに必ず返す」
「延長をご希望の場合は?」
「所有者の承認を得る」
正しい回答でしたので、わたくしはその手を取りました。
「一刻だけ、承認いたします」
エルネスト様の指が、わたくしの手を大切な証書のように包みました。
ところが庭へ向かう直前、北門から急使が駆け込んでまいりました。
第二王子レナード殿下が、四十名の王国兵を率いて国境を越え、わたくしの身柄を引き渡すよう要求している――そう告げる書状を携えて。
わたくしはエルネスト様の手を離さず、急使へ命じました。
「北門を閉鎖してくださいませ。王子殿下には、武装を解かれるまで一歩も通さぬ旨お伝えください」
(第9話へ続く)




