偽りの署名に利息はつきません
翌朝、大公府の会議室には、王国の対外債権を持つ十二商会と三銀行の代理人が集まりました。
長机の上に並べられた借用証書は十五通。羊皮紙の色も、使われた言語も、金額も異なります。けれど、その末尾には同じ名が記されておりました。
セシリア・フォン・アッシュフォード。
これほど熱心に名を使っていただけるとは光栄ですわね。本人の許可さえあれば、ですが。
「最初に申し上げます」
わたくしは立ったまま一同を見渡しました。
「王国の債務そのものを否定するつもりはございません。また、返済を妨げる意図もございません。確認するのは一点。わたくしが連帯保証を承諾したという記載が、真正か否かです」
代理人たちの表情は険しいままでした。
当然です。彼らが欲しいのは礼儀正しい挨拶ではなく、貸した金が戻る確証なのですから。
わたくしは十五通を借入日順に並べ、母の算盤を脇へ置きました。
「三年前、王家は北部街道の修復費として金貨八万枚を借り入れました。その際、わたくしは個人保証を求められましたが、断っております」
「断った証拠は?」
白髭の銀行代理人が尋ねます。
「代案として、南門関税の一割を返済原資に指定した覚書がございます。そちらには債権者側の受領印もあるはずです」
男が書類箱を探り、一通の覚書を取り出しました。
そこには、間違いなくわたくしの署名と、あちらの受領印がございました。
「署名が二種類ある……」
「はい。本物は覚書のほうです」
偽造された保証書は、見た目だけならよくできておりました。文字の傾きも、飾り線も似ています。
ですが、わたくしは署名の最後に、必ずごく小さな空白を残します。インクが乾く前に砂をかけても、家名の末尾が潰れないようにするためです。
偽の署名には、それがありません。
さらに致命的な誤りがございました。
「保証書の日付は三年前の雪月。しかし、封蝋に混ぜられた青銀の粉は、王家が今年の春から採用したものです」
王国の古い印璽は、封蝋から剥がし取られて悪用されたことがありました。その対策として、わたくしが青銀粉の混入を提案したのです。
まさか、その対策によって過去の日付を偽った書類が露見するとは。
愚かさというものは、時折たいへん律儀に巡ってまいります。
「王家の印は本物なのですか」
「印璽そのものは本物です」
会議室がざわめきました。
印璽が盗まれたのなら、王家も被害者でいられます。けれど本物の印璽が正規の青銀蝋へ押されている以上、王家の印璽管理官を通った書類です。
そして保証書の右下には、もう一つ署名がございました。
保証人が本人であることを面前で確認した証人――第二王子レナード。
こちらは疑いようもなく、殿下ご本人の筆跡でした。
「レナード殿下は、あなたが署名するところを見たと証明なさっている」
「その日、わたくしは王都におりませんでした」
ハンナが宿駅の記録を配りました。
三年前の雪月、わたくしは洪水被害を受けた西部の村に滞在しておりました。王都から馬車で五日。宿駅の通行簿だけでなく、復旧工事に参加した石工百四十六名への支払記録もございます。
「この日に王都へ戻り、署名して、再び西部へ帰ることは不可能です」
白髭の代理人が深く息を吐きました。
「では王家は、偽造した保証人を使って十五件の融資を受けたことになる」
「判断は皆様にお任せいたします」
わたくしは事実だけを机上へ置きました。
返せとも、取り立てろとも申しません。
それから先は、契約書が決めることでございます。
十五件のうち九件には、債務者が担保または保証人について虚偽の申告をした場合、返済期限を即時に失うとの条項がありました。残る六件も、追加融資の停止と担保の再評価を定めています。
正午までに、十二商会すべてが王家への新規信用供与を凍結しました。三銀行のうち二行は期限の利益を失ったとして、一月以内の全額返済を通知。最後の一行も、王国の租税収入を担保として差し出すよう要求しました。
王都へ送られる書状へ、わたくしは一文字も加えておりません。
ただ偽造された自分の名を、自分のものではないと申し上げただけです。
「これでは一斉に回収へ走り、王国の市場まで潰れかねない」
若い商会代理人が青ざめました。
「ですから、債権を二つに分けます」
わたくしは新しい帳面を開きました。
「王家への貸付金と、王国の商人が持つ正常な売掛金です。王家の信用が落ちたからといって、期日どおり支払っている商人まで同じ扱いにする必要はございません」
ヴェルデン交易院に、債権登記簿を設ける。
契約ごとに本人確認を行い、証人二名の署名と印を残す。正常な商取引の債権は交易院が審査し、預託証書と交換できるようにする。そうすれば王国向けの取引が止まっても、誠実な商人の信用まで巻き添えにはなりません。
「大公府は、その登記を保証するのですか」
問いかけに、エルネスト殿下が立ち上がられました。
「違う」
殿下は皆の前で、わたくしの隣へ並びました。
「大公府が保証するのは、登記の手続きが侵されないことだ。債権の価値を決めるのは、記録と実績であり、私の機嫌ではない」
そう告げると、殿下は設立許可書へ大公印を押されました。
午後には十五の債権者全員が登記への参加を決め、王国の商人四十一家の正常債権が切り分けられました。うち二十三家にはヴェルデンで使える預託証書が発行され、川上市場へ新たな荷が入ることとなりました。
王家の虚偽によって凍りかけた商いが、こちらでは信用を量る仕組みへ変わったのです。
最後の代理人を見送るころには、窓の外が茜色に染まっておりました。
「君の名を守るための監査だったはずが、一日で新しい市場を作ったな」
「必要な帳面を一冊増やしただけでございます」
「君は橋を造った時も同じことを言った」
殿下は笑い、わたくしの右手を取られました。
指先には、書類を繰るうちについた青いインクが残っています。殿下は布を濡らし、わたくしの指を一本ずつ丁寧に拭われました。
「殿下、ご自分でなさらずとも」
「公の場では君の仕事を守る。二人の時くらい、君の手を労わらせてほしい」
逃げようと思えば、手を引くことはできました。
けれど、わたくしはそうしませんでした。
「では、一つお願いがございます」
「何でも言ってくれ」
「二人の時は、セシリアとお呼びくださいませ」
殿下の指が止まりました。
「それは、私だけに許されるのか」
「今のところは」
「十分だ。セシリア」
たった一度名を呼ばれただけで、胸の内側に置いていた未分類の項目が、勝手に頁を増やしていきます。
「わたくしも、エルネスト様とお呼びしてよろしいでしょうか」
「もちろんだ。もう一度頼む」
「追加料金が必要でございます」
「言い値で払おう」
危険な取引ですわね。
何しろ、わたくし自身が適正価格を決められそうにございません。
その時、債権書類を片づけていたハンナが、一枚の担保目録を持ってまいりました。
王家が差し出していた担保の中に、宝石でも土地でもない品が一つございました。
大神殿から王家へ貸与された、祝福を増幅する古い魔道具――〈暁星の腕輪〉。
貸与先の欄には、聖女マリエルの名。
そして偽造保証が発覚したため、債権者による担保回収の執行日は、明朝と定められておりました。
(第8話へ続く)




