奇跡にも、納品書はございます
奇跡にも、納品書はございます。
祈りが天へ届いたかどうかは帳簿では確かめられませんが、銀板を誰が作り、誰が運び、誰が代金を払ったかは確かめられます。
レナード殿下から押収された銀板は王国の資産です。わたくしは王国清算人として十二席評議会の承認を取り、備品台帳、王家会計、工房への発注書を照合しました。
古い羊皮紙には蝋と埃の匂いが染みつき、細かな数字を追うたび、乾いた紙が指先でかすかに鳴ります。神託を待つより、よほど確実な音でございました。
結果は、たいへん分かりやすいものでした。
祝福用祭具として購入された銀板は、全部で十二枚。
代金は王家会計から支出され、受領者の欄にはマリエルの印。けれど王宮の祭具庫へ納められた記録は一枚もなく、代わりに彼女が奇跡を披露した日付と場所が、発送記録と綺麗に重なっていました。
偶然という言葉は便利ですが、十二度も同じ偶然が続けば、帳簿の上では計画と呼びます。
銀板へ微弱な魔力を蓄え、水へ沈めれば濁りが一時的に底へ落ちる。病人のそばで砕けば、淡い光と香りを放つ。
珍しくはありますが、神意ではございません。
まして銀板一枚につき金貨四十枚もするような代物ではありませんでした。工房へ実際に支払われた額は金貨九枚。残る三十一枚は、仲介費、特別祈祷費、聖別準備費と名を変え、マリエルの管理する口座へ流れております。
名目を三つに分ければ罪まで三つに薄まるとお考えだったのでしょうか。
残念ながら、足し算は薄まりません。
「偽物の奇跡で集めた寄進は、どの順位で返すのです?」
帳簿を覗き込んだハンナが尋ねました。眉間に刻まれた皺は、呆れというより、金貨一枚ずつを回収して積み上げたい方の顔です。
「王家の債務には含めません。奇跡を売ったのはマリエル本人ですもの。まず彼女の私有財産を保全し、被害を申し出た者へ返還します」
「宝石も衣装も、祈れば増えると思っていなければよいのですが」
「増えませんわ。差し押さえ目録なら増えるでしょうけれど」
十二席評議会は報告を受け、その日のうちにマリエルの口座を凍結しました。
すると、彼女に部屋を貸していた貴族たちは一斉に『聖女とは知らなかった』と申し立て、祝福を受けたと自慢していた商人たちは『ただの見舞いだった』と言い始めたそうです。
昨日まで彼女の杯に触れただけで商売が栄えたと吹聴していた方まで、今日は遠縁の知人に一室を貸しただけだと主張しているとか。
奇跡を信じる者が減ったのではありません。
奇跡の代金を返す者が、自分になりそうだと気づいただけでございます。
信仰とは、請求書が届くと急に慎ましくなるものなのですね。
なお、レナード殿下は銀板について問われ、マリエルへ王家の威光を示すために必要だったと証言しました。
王家の威光を示すため、王家の金で光る板を買い、その光をマリエルの奇跡として褒め称えた、と。
殿下は最後まで、ご自身の証言がどなたの罪を証明しているのか理解なさらなかったようです。
ここまで自力で崩れてくださると、清算人としては手間が省けます。元婚約者としては、遠い目をするほかございませんが。
もっとも、銀板そのものに罪はありません。
わたくしはヴェルデンの工房へ同種の器具を集め、魔力の量、持続時間、効果の範囲を測らせました。神聖だの万能だのという飾り文句を外し、実際にできることだけを札へ記します。
『桶一杯の水の沈殿を早める。飲用の安全は保証しない』
『淡い光を半刻放つ。治療効果はない』
『保温は一刻。火傷を避けるため布で包むこと』
夢のない説明でございます。
工房主は最初、その札では品が売れないと渋い顔をしました。そこで虚偽の効能で一度売る利益と、正しい用途で十年売り続ける利益を並べて差し上げると、たいへん素直に筆を取りました。
けれど、人を守るのは夢より使用法です。
大公府は新たに、魔力器具は効果と限界を検査してから販売する規則を公布しました。検査料は高くせず、虚偽表示には売価の三倍を返還させます。
最初の三日で四十七点が持ち込まれました。
九点は表示どおりの効果がなく販売中止。六点は修理すれば使えると判明し、捨てられずに済みました。残る器具のうち保温板八枚は北境第一協同宿場へ納入され、共同炊事場で夜明け前の粥を温めることになりました。
翌朝、宿場から届いた報告には、薪の使用量が二割減ったとあります。添えられた紙の端には、冷めた粥を嫌がっていた幼い旅人が、今日は一匙残さず食べたとも記されていました。
奇跡ではありません。
だからこそ、来月も同じ結果を期待できます。
「君は偽りを暴いた翌日に、その道具の働き口まで作るのだな」
執務机の向かいで報告書を読んでいたエルネスト様が仰いました。窓から差す冬の光が、伏せられた睫毛の先と、紙を押さえる長い指を白く縁取っています。
「使える物を、使った者の罪まで背負わせて捨てるのは不経済ですもの」
「マリエルを憎んではいないのか」
「好ましくは思っておりませんわ」
そこは正直に申し上げます。
奪われたものも、侮られた時間も、なかったことにはできません。ですが、彼女への憎しみに今後の時間まで支払うつもりはございませんでした。それでは損失が増えるばかりです。
「ですが、わたくしが彼女を憎むことと、器具で粥を温められることは別の勘定です。混ぜれば数字を誤ります」
エルネスト様はしばらく黙り、それからわたくしの右手へ視線を落としました。
銀板の検査に立ち会ったため、指先が冷えていたのです。暖炉の火は近いのに、爪の際にはまだ銀の冷たさが残っていました。
「今日は、週に一度の一刻をまだ使っていない」
「公務を話さないお約束の時間ですか?」
「ああ。ゆえに、保温板の話は禁止する」
「それでは、何をいたしましょう」
「君が決めてくれ」
簡単な依頼のはずでした。
ところが、役に立たず、利益を生まず、誰かを救う必要もない時間に、自分が何を望むのか。わたくしは答えを持っておりませんでした。
十年分の帳簿なら読めますのに、自分の望み一つが空欄とは、実に不便なことでございます。
「分からないか?」
「……はい」
叱責も失望も覚悟したわたくしへ、彼はただ穏やかに頷きました。
「ならば、分かるまで一緒に探そう」
急かさず、代わりに決めてもくださらない言葉でした。
わたくしの人生を、わたくしの手へ置いたまま、隣に立ってくださる。
胸の奥が、保温板よりよほど長く温まりました。
「では、中庭を歩きたいですわ」
「承知した」
「それから、焼きたての小さな菓子を一つ」
「二つでも構わない」
「欲張りと思われません?」
「君が自分のために望むなら、百でも喜ぶ」
「百は予算審査が必要です」
「公務は禁止だ」
先に立とうとしたエルネスト様の袖を、わたくしは指先でつかみました。
彼が振り返ります。
わたくしは一度手を離し、今度は袖ではなく、その手を自分から取りました。大きな手のひらは、驚くほど静かにわたくしの選択を待っています。
「これは、防寒のためではございません」
「では、理由を聞いても?」
「私用の一刻を、わたくしが望んだ形で使っているだけですわ」
エルネスト様の指が、確かめるようにゆっくりと重なりました。
「その規則なら、終日適用してほしい」
「まずは一刻の試用期間です」
「正式採用されるよう努めよう」
有能な大公様が何を努力なさるのかは存じませんが、少なくとも、つないだ手を離す必要は感じませんでした。
中庭の冷たい空気には、菓子を焼く甘い香りがかすかに混じっていました。石畳を踏む歩調は自然に揃い、手袋越しではない温度が、指先からじわりと移ってきます。
中庭を半周したところで、ハンナが封書を持って駆けてきました。
差出人の名を見て、足を止めます。
マリエル。
封蝋はなく、紙には泥が付いていました。王都から通常の早馬で届いたものではありません。彼女は口座の凍結直前に姿を消し、王国の捜索を逃れているとの報告も同時に届きました。
手紙は、わずか二行でした。
『銀板の残り十一枚は、わたくしが持っています。
返してほしければ、ヴェルデンへ亡命させてください』
(第25話へ続く)




