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第98話:苛立ち

「シリウス! ! 洞窟の入り口を守ってくれ」

 俺の号令に応え、前衛に陣取った漆黒のナイトメア・シリウスの全身から、猛烈な『蒼炎』が立ち昇った。彼だけが持つ、特異な青い炎。周囲の空気を青白く焼き焦がすほどの熱量が、彼の闘気を物語っている。

 その後ろに控える二十頭のナイトメアたちも一斉に赤き炎を纏い、『大地の竈』の広大な入り口に鉄壁の防衛線を敷いた。


 青と赤、二色の業火が入り口を塞ぐ光景は、この洞窟には一匹の魔物たりとも入れさせないという、強固な意思表示だ。


 俺は大鉈を構えてシリウスの隣へ並ぼうとしたが――不意に、シリウスが大きな頭をすり寄せるようにして、その額で俺の胸をそっと押し留めた。


『――エルは入り口で見ていて』


 脳内に響いたシリウスの声。その瞳には、俺を危険に晒すわけにはいかないという気持ち、そして共に並び立てないことへの深い悲哀が籠もっていた。


『マヂでエルヴァンは前に出ちゃダメっしょ! あんたはそこで、大事なセリアを守ってなさい。

……絶対、傷一つ付かないようにね』


 美しい九尾の尾を揺らしながら、ハクビが俺たちに向けて、念話を飛ばしてくる。彼女の言葉にも確かな優しさと気遣いが込められていた。


 そして彼女は、すぐ後ろで大剣を握りしめ、今にも飛び出しそうにしている主人――スオウへと振り返った。


 バフッ!

 ハクビは巨大でモフモフな九つの尾の一本を使い、スオウの胸を力強く押し返した。


「おわっ!?」

 たたらを踏むスオウの足元を前足でポンポンと叩き、鋭い狐の瞳で彼をキツく睨みつける。その目と、「そこでお座りしてなさいよね」と言わんばかりの有無を言わさぬ威圧感。

 スオウは悔しそうに唇を噛みながら、ギリッと大剣を下ろした。


「……ああ、わかってる。俺が行っても、足手まといなんだな……」


 一方、ニーナの足元では、漆黒の山猫ノワールが「ここから動かないで」とばかりに彼女のすねに甘えるように頭を擦り付けていた。


 そしてノワールは、なぜか後方のユリウスの元へとトテトテと歩み寄ると、彼を見上げて短く「ニャー」と鳴いた。


「……えっと、エルヴァン君? 彼女は私に何と?」


「『これが終わったら、死ぬほどモフらせてあげる。だから、必ずニーナを無傷でお願いね』……だそうです」


「……ッ!! 命に代えても!!」


 重度のモフモフ過激派であるユリウスの目に、聖戦へ赴く狂信者のようなヤバい光が宿る。


「ファル! お前たちも無理は……」

 俺が傍らの小さな古竜に声をかけようとした、その時だった。


『――間もなく到着しますわよ』

 上空で旋回するエターナの念話が響いた。


 直後、ファル、ジェイド、そしてゼノスの三柱の竜たちが凄まじい光に包まれ、本来の巨大な姿へと膨れ上がった。

 彼らは『大地の竈』の天井に空いた巨大な煙突穴から空へ向かって一直線に飛び出していく。

『塵も残さず焼き尽くしなさいな!』

 エターナの号令を皮切りに、上空から三属性の神話級ブレスが地平線の彼方へと放たれた。


 閃光。そして、大地をひっくり返したような轟音。


 荒野の遥か前方で、何万という魔物の群れが光の束に飲み込まれ、一瞬で消滅していく。圧倒的な先制攻撃だ。

 だが――。


「……嘘だろ。ブレスの跡を、後ろの群れがすぐに埋めていく……!」

 砂漠に水を撒くようなものだった。群れの数が多すぎる。


 上空の攻撃から漏れた数万の魔物たちが、血走った目をひん剥いて入り口へと殺到してくる。


『一匹も通さないで!!』

 シリウスの激しいいななきと共に、防衛戦が始まった。

 入り口を塞ぐ赤い炎のナイトメア部隊が鉄壁の陣を敷く中、シリウスは蒼炎の尾を引いて敵陣へ突撃し、遊撃手として強靭な蹄で魔物を次々と蹴り砕いていく。


 ハクビの九つの尾から放たれる幻炎が敵を惑わし、虚無の山猫ノワールは空間を跳躍しながら、魔物の急所を音もなく刈り取っていく。

 見事な連携だ。着実に敵の数は減っている。

 しかし、先が全く見えない。倒しても倒しても、濁流のように新たな魔物が湧いてくるのだ。


「……くそっ」

 俺は、大鉈を握りしめたまま入り口から動けない己の無力さに、ギリッと奥歯を噛み締めた。


 俺だけじゃない。隣ではニーナが祈るように両手を組み、スオウは血が滲むほど拳を握りしめ、前線で戦う自分たちの従魔をただ見守ることしかできずにいる。

 その時だった。


『キャアァァッ!!』


 ハクビの悲鳴が上がった。

 四方からの波状攻撃に一瞬の隙を突かれ、巨体のオークが放ったこん棒が、彼女の脇腹に直撃したのだ。


 大きく吹き飛ぶハクビ。魔物の群れが、隙を見せた彼女を喰い殺そうと一斉に飛びかかる。


「ハクビィィィィッ!!」


 俺が止める間もなく、スオウが弾かれたように飛び出した。

 迫り来る無数の魔物。だが、スオウは一切の防御を捨て、大声を上げ、大剣を使い力任せに敵の群れを強引に切り開き、倒れ伏すハクビの元へ到達する。

 その時、死角から巨大なミノタウロスの斧が、ハクビの脳天へと振り下ろされた。


「させねぇぇぇッ!!」


 スオウはハクビを庇うようにその巨体に覆い被さり――ズバァッ!! と、彼の背中を凶悪な斧が深く切り裂いた。


「ガハッ……!」


 鮮血が舞い、ハクビの美しい毛並みを赤く染める。

 それでもスオウは倒れず、火事場の馬鹿力でハクビの巨体をガバッと抱え上げると、魔物の爪牙を全身に浴びながら、ものすごい勢いで入り口まで駆け戻ってきた。


「ユリウス殿! 回復を!」

「治癒部隊、急げ!」


 ユリウスの指示で、王都軍の魔法使いたちが即座に治癒魔法をかける。

 血まみれのスオウは、自身の背中から流れる血も、激痛も意に介さず、ハクビの顔を覗き込んだ。


「ハクビ! 無事か!? 大丈夫か!!」

 ハクビは、自分を庇ってボロボロになった主人の姿に、大きく見開いた瞳を震わせていた。


 今まで、スオウとハクビの間には念話が繋がっていなかった。従魔として契約しつつも、心と言葉の壁があったのだ。

 だが――自らの命を盾にして自分を守った主人の熱い血と、その真っ直ぐな魂に触れた瞬間、何かが芽生えた。


 二人の間に、目には見えない何かが強く、太く結びつく音がした。


『……マヂ、バッカじゃないの!?』

「えっ……?」


 スオウの頭の中に、ハクビの声が直接響き渡った。震え、涙声の混じった怒声。


『ウチは魔物なんだし! あの程度の攻撃、致命傷になるわけないっしょ! なのにアンタ、生身で盾になるとか……アンタの身に何かあったら、ウチ、マジでどうしたらいいのよっ……!!』


 毛を逆立てて怒りながらも、ハクビの瞳は大粒の涙を浮かべている。


「ハクビ……お前、俺の言葉が……俺にお前の声が、聞こえるぞ……っ!!」


『ちょっと、なんであんたまで泣いてんのヨ!

 ヤバい、マヂで暑苦しいんだけど!』


 感動のあまりボロボロと大号泣するスオウを尻目に、治癒を終えたハクビはふいっと顔を逸らし、再び戦場へと飛び出していった。

 その後ろ姿は、照れ隠しのように、先程よりもずっと力強く美しい炎を纏い、尾を力強く振っていた。


 ズドォォォォォンッ!!


 戦場のど真ん中に、隕石のようにゼノスが降下した。

 強靭な黒竜の鱗に無数の魔物が群がり、爪を立てるが、ゼノスは意に介さず、圧倒的な質量と膂力で群れを蹂躙していく。上空からはエターナが舞い降り、灼熱の炎で戦場を分断するように焼き尽くす。


 それでも――敵は一向に減る気配がない。


 狂乱状態の魔物たちは死を恐れず、味方の死骸を乗り越えて突進してくる。

 前線に立つシリウスの漆黒の馬体が自らの血か、敵の鮮血か分からない程に汚れ、ハクビの息が上がり始め、ゼノスの分厚い鱗にすら無数の傷が刻まれていく。


「ノワールちゃん……っ!」

 ニーナが悲痛な声を上げた。


 跳躍からの着地を狙われ、ノワールの死角から巨大なカマキリの魔物が凶悪な鎌を振り下ろそうとしていたのだ。


 ニーナが短剣を抜いて飛び出そうするが、ユリウスがその腕を強く掴んで引き留めた。


「離して! ノワールちゃんが!」


「ダメだ! 我々人間がこの乱戦に入っていっても、彼女たちの足手まといになるだけだ! 信じてここで待つんだ!」


 ザシュッ!!


 カマキリの鎌が、ノワールの肩口を浅く切り裂いた。

 だがノワールは痛みなど感じていないかのように無表情のまま、空中で身体を捻り、カマキリの首を鋭い爪で刎ね飛ばす。

 血を流しながら、一切の淀みなく次々と敵を殺し続ける漆黒の暗殺者。


 従魔たちが傷つきながら戦っているのに、俺は守られているだけで、何もできない。

 ただ見ていることしかできない。


「……くそっ……!!」

 俺は、手のひらから血が滲むほど、強く大鉈の柄を握りしめた。


 圧倒的な数の暴力が、俺の愛すべき相棒たちを、徐々に、だが確実に削り殺そうとしていた。

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