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第97話:星の守護者

 温かい紅茶が入ったカップを両手で包み込みながら、青年――原初の暴食は、ぽつりぽつりと語り始めた。


「ずっと、お腹の中が燃えるように痛かったんだ。……人間たちが作った『星を殺す猛毒』を、全部飲み込んじゃったから」


「星を殺す猛毒……まさか」


「うん。きみたちが『ガレリア』と呼んでいた場所だよ」

 その言葉に、俺は息を呑んだ。

 かつて難攻不落と謳われながら、一夜にして地図から消滅した城塞国家ガレリア。


 彼らは禁忌の魔法技術や魔力兵器を開発し、星そのものを滅ぼしかねないほどの「猛毒」を生み出していた。星の魔力サイクルを管理する始祖のドラゴンは、星を守るためにその国を丸ごと『捕食』して封印したのだ。


 だが、その毒は彼の許容量を遥かに超えていた。体内に溜め込んだ猛毒が激しい苦痛を生み、彼は正気を失ってしまった。


「ぼくは、お腹の痛みをどうにかしたくて、毒を中和できる何かを探して、ずっと彷徨っていたんだ。

 ……でも、きみの作ってくれたあのスープが、ぼくの中の悪いものを全部、きれいに洗い流してくれた」

 青年が優しく微笑む。


 世界樹の葉と、ノワールの体内で発酵させた完熟果実。俺たちが用意した『特効メシ』は、始祖のドラゴンを苦しめていた人間が作り出した猛毒を、完璧に中和し、浄化したのだ。


「始祖さま! お腹いたいの、ちゃんと治ってよかったのー!」

 短い手足をパタパタさせながら、幼児竜の姿のファルが嬉しそうに声を上げる。彼ら古竜にとって、目の前の青年は自分たちの起源となる絶対的な存在だ。


 ゼノスも漆黒の巨体を屈め、古竜として最上級の敬意を払って深く頭を下げていた。


「ありがとう、みんな。きみのおりょうりのおかげで、ぼくはまた、この星をきれいに保つお仕事に戻れるよ」


「……本当に、お疲れ様でした。これからもよろしくお願いします。」

 俺が深く頷くと、青年はふらりと立ち上がり、俺の額にそっと指先を触れた。

 じんわりと、温かく心地よい魔力が流れ込んでくる。


「これは、ぼくからのお礼。『始祖竜の加護』だよ。きみの作るご飯が、これからもたくさんの命を救えますように」


「ありがとうございます。」


「……あ、そうだ」

 光の粒子となって空へ還ろうとしていた青年が、ふと思い出したように振り返った。


「毒に汚染されたガレリアの人々も、いま、ぼくの中で浄化の途中なんだ。もう少ししたら元の姿で引き渡せるようになるから、あとはよろしくね」


「……えっ? ちょっと待って、国ごと飲み込まれた人たち、生きてるんですか!?」


「うん。ぼくの胃袋は特別だからね。じゃあ、またいつか、お腹が空いたらご飯を食べに来てもいいかな?」


「あ、ああ……!  いつでも待ってますよ、特大のお肉を用意して!!」


 途方もない爆弾発言を残し、青年は満足そうに微笑むと、完全に光となって天へと昇っていった。

 天井の巨大な穴を覆っていた淀んだ渦が晴れ、西方の荒野に、見渡す限りの美しく澄み切った青空が戻ってくる。


「……終わったな」


「やりましたわね、エルヴァン様!」


「マスター! 最高ですぅーっ!」


 後方で待機していたユリウス率いる王都軍からも割れんばかりの歓声が上がり、セリアやニーナたちが涙ぐんで抱き合っている。


 世界は救われた。誰も傷つくことなく、最高に美味いフルコースの力で。

 俺は深く安堵の息を吐き、撤収準備を始めた……その時だった。


 ズズズズズズズズ……ッ。


「……ん? なんだ、あの音。まだ地鳴りが……いや、違うな」


「エ、エル! あそこ!!

 洞窟の入り口の向こう、荒野の果てにすごい土煙が……!」


 セリアの指さす方角を見ると、遥か遠くの地平線が茶色く濁り、猛烈な勢いでこちらへ向かってきているのが見えた。


 ただ事ではない気配を察知したエターナが、再び夕日色のドレスから巨大な黄金の不死鳥へと姿を変え、上空へと舞い上がる。


『エ、エルヴァン様! 大変ですわ!』


「どうしたんですか、エターナさん!」

 上空から響くエターナの念話には、明らかな焦りが混じっていた。


『無数の、信じられないほど大量の魔物の群れが、四方八方からこの洞窟に向かって猛進してきていますわ!』


「はあ!? なんで魔物の大群がこんなところに!」


『……匂いですわ!』

 エターナの叫びに、俺たちは一斉にハッとして頭上を見上げた。


 『大地の竈』の天井に空いた巨大な煙突穴からは、先ほど割ったばかりの特大塩釜焼きから放たれる、暴力的なまでに香ばしい霜降り肉の匂いが、猛烈な上昇気流に乗って未だにドバドバと荒野全域へ拡散され続けている。


『今まで暴食の坊やという絶対的な強者の気配に怯え、息を潜めていた荒野の魔物たちが、あの子が天に帰ったことで一斉に動き出しましたの!

 恐怖というタガが外れた上に、この極上の匂いに理性を奪われて、完全に目を血走らせていますわ!』


「う、嘘だろ……。俺たち、とんでもない規模の『呼び餌』を作っちまったってことか!?」


 神の腹痛を癒やすための究極の匂いは、同時に、腹を空かせた魔物たちを超絶ハイテンションの狂乱状態に陥れる最強の劇薬でもあったのだ。

 圧倒的な天敵が去った今、彼らを押し留めるものは何もない。


 ズズズズズ……という地鳴りが、次第に耳をつんざくような轟音へと変わっていく。

 荒野の地平線を真っ黒に染め上げ、うねりながら迫りくるおぞましい数の魔物の大群。


 その文字通り「絶望的」な光景を前に、後方で待機していた王都軍の騎士たちは顔を真っ青に染め、武器を持つ手をカタカタと震わせた。


「ば、馬鹿な……あんな数、王都の全軍を率いて城壁に立て籠もっても止められないぞ……!」


「あれがこのまま東へ向かえば、迷宮都市はおろか、近隣の街や村もすべて喰い尽くされる……ッ」


 機動力と避難誘導に特化した小隊しか率いていないユリウスは、ギリッと血が滲むほど唇を噛み締めた。そして、悲壮な決意を込めて腰の剣を抜く。


「……エルヴァン君。君たちギルドのメンバーは、今すぐここから撤退したまえ。我々王都軍が盾となり、少しでも奴らの足止めをする。

 全滅は免れないだろうが……せめて王都の剣としての、最後の意地を見せよう……!」


 死を覚悟したユリウスと騎士たちの、張り詰めた悲壮な空気。

 しかし――。


「冗談言わないでくださいよ、ユリウスさん」

 俺は空間収納リュックから愛用の大鉈を引き抜くと、ユリウスの前に立ち塞がり、笑ってその肩を叩いた。


「皆さんは万が一の避難誘導のために来てくれたんでしょう?  捨て駒になんてさせませんよ。

 それに……あれを呼んだのは、俺たちの作った飯の匂いだ。だったら、後始末をつけるのも料理人の責任でしょうが」

 俺は振り向き、背後に控える頼れる相棒たちへと声を張り上げた。


「シリウス! ナイトメアたち! まだ腹に余裕はあるか!」


『ヒヒィーーーーンッ!!』

 俺の呼びかけに応え、漆黒のナイトメア・シリウスが荒野を震わせるほどの雄叫びを上げた。


 それに呼応し、二十体のナイトメアたちが一斉にたてがみひづめに赤い炎を纏わせ、地獄の番犬のような恐ろしい殺気を放って前衛の陣形を組む。


「スオウ、ハクビ! それに古竜たちも、食後の運動といきましょうか!」


「応ッ! 神を癒やした次は悪鬼羅刹の掃討か! 我が血潮、限界を超えて滾ってきたぞ!」


「はぁ……タダ飯食わされた挙句に労働とか、ブラックすぎないかしら? ま、やるけどネ」


「エルヴァン様、私の強さをお見せしますわ!!」

 エターナもやる気に満ちあふれている。

 魔物や仲間たちの目に恐れの色は一切ない。

 俺は大鉈を構え、眼前に迫る数十万の魔物の大群を見据えた。


「ユリウスさんたちは、後方の守りと撃ち漏らした奴らの掃討を頼みます! 前衛は俺たち『白竜の翼』が引き受ける!」


「エルヴァン君……ッ!  ああ、わかった!  君たちの背中は我々が必ず死守する!」

 澄み切った青空の下。


 世界を救ったばかりの英雄たちは、自らの料理が招いた「招かれざる腹ペコの客」を迎え撃つべく、誇り高き相棒たちと共に、再び死地へと足を踏み出したのだった。

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