第96話:食事
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
大地の竈を揺るがすほどの地鳴りが再び響き渡った。天井の穴を完全に塞ぎ、空からこちらを覗き込む規格外の眼球に、俺たちは息を呑む。
『――あら、鳴いてるわね』
張り詰めた空気を破るように、上空にいるエターナの暢気な念話が響いた。
「鳴いてる? あれが原初の暴食の鳴き声ですか!?」
『ええ。あの子の腹の音ね』
「……え?」
その直後、天井の穴を覆っていた巨大な影がスッと引いた。
急に晴れ間が覗き、朝の光が再び洞窟の底に差し込んでくる。
「……原初の暴食は、いなくなったのか!?」
俺が安堵しかけたのも束の間、エターナの声が凛と響く。
『違うわ。……来るわよ』
ペタ……ペタ……。
静まり返った洞窟の入り口。ユリウス率いる王都の騎士たちが固唾を飲んで見守る中、裸足で地面を歩く足音が聞こえてきた。
現れたのは、一人の青年だった。
ボロボロの衣服を纏い、ひどく顔色が悪い。ふらふらと頼りない足取りでこちらへ向かってくる。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
再び、洞窟全体を震わせる地鳴りが響いた。その音源は間違いなく――ふらつく青年の腹から鳴っていた。
洞窟の中心には、セリアが純白のテーブルクロスを敷いて準備したテーブルが一組だけ置かれていた。
青年はふらつく足でそこに近づき、まるでそこに自分の席があるとわかっているかのように、椅子に腰を下ろした。
俺は静かに、そして笑顔で前菜の皿を手に取った。
「お待たせいたしました」
青年の前にそっと置いたのは、『ルナ・クリスタル・レタスのサラダ』。
青年は驚く様子も見せず、無言でフォークを手に取り、透き通るような冷たいレタスを口に運んだ。
シャキッ。
口に入れた瞬間、青年の体がビクッと身震いした。極上の冷気が胃袋を目覚めさせ、高熱を帯びていた体内の魔力回路を心地よく冷やしていく。
青年があっという間にサラダを平らげると、俺は流れるような手際で次の皿を提供する。
先ほど割った『黄金角の魔牛の塩釜焼き』。分厚くカットされた極上の霜降り肉だ。
肉を置いた瞬間、ゴゴゴゴ! と三度目の地鳴りが響いた。しかし青年は落ち着き払い、どこか優雅な所作で肉を切り分け、夢中で貪り食っていく。
そして、メインディッシュの皿が空になるタイミングを見計らい、俺は本命の一杯をテーブルに置いた。
「『世界樹のスープ』です。熱いのでお気をつけてお召し上がりください」
真っ白なスープ皿に注がれているのは、鍋の底が見えるほど琥珀色に透き通った黄金のスープ。魔牛の骨から丁寧に取った雑味のない出汁に、世界樹の葉の清涼感と、ノワールの発酵果実の深い旨味だけが抽出されている。
肉の暴力的な旨味と塩気で極限まで渇ききった喉を清流のように潤し、荒れた胃を優しく癒やす究極のスープだ。
青年はスプーンを口に運び、一口すする。
――その瞬間だった。
青年の青白かった顔色が、みるみるうちに血色を取り戻していく。胃腸を荒らし回っていた痛みが、世界樹の浄化の力と優しい温もりによってスッと溶けて消えていったのだ。
「……もっと、お肉、たべたい」
青年が、ぽつりと呟いた。
「かしこまりました。皆様にも振る舞おうと、余分に用意してありますから」
俺はすぐさま、待機させていたもう一つの巨大な塩釜焼きに大鉈を振り下ろした。
パァンッ! と塩の殻が割れ、再び暴力的なまでに食欲をそそる香ばしい匂いが、辺り一面に充満する。
その時だった。
ギュルルルルルルルルルッ……!!
静まり返った洞窟内に、これまでの地鳴りとは違う、少し甲高い音が響き渡った。
一同の視線が、一斉に音の発生源へ向く。
そこには、小さなドラゴンの姿をした白竜ファルが、短い両手でお腹を押さえて顔を真っ赤にしていた。
「「「しーーーーっ!!」」」
セリアやスオウたちが慌てて人差し指を口に当てる。
「だ、だってぇ……あんな匂い嗅がされたら、ファルも食べたいのー……」
ファルが涙目で抗議した、その時。
バサァッ!
頭上の穴から黄金色の炎が舞い降り、俺たちのすぐ隣で美しい夕日色のドレスを纏ったエターナが人型となって着地した。
彼女は優雅な足取りで青年のテーブルに近づき、ふわりと微笑んだ。
「ご機嫌よう。お久しぶりね、暴食の坊や」
青年――原初の暴食は、口に肉を含んだまま、ゆっくりと「うん」と頷いた。
エターナは振り返り、小さなドラゴンのファルを手招きした。
「ファルおじい様。貴方も一緒に座りましょう? せっかくの素晴らしいお料理ですもの。お茶会は、人数が多い方が楽しくてよ」
「! わーい! エターナちゃん、ありがとうなの!」
ファルはパタパタと小さな翼を羽ばたかせて飛び上がり、嬉しそうに空いた椅子へちょこんと座った。
テーブルに着いた三人の前に、俺は切り分けたばかりのメインの塩釜焼きを次々と置いていく。
ファルの口からは滝のように涎が止まらず、お嬢様然としているエターナの喉も「ゴクリ」と大きく鳴った。
三人は目を輝かせ、あっという間に極上の肉とスープを完食してしまった。
食後のタイミングで、俺はキンキンに冷えたデザート『虹色蜜のジュレ』と、温かい紅茶を提供する。
青年はジュレの甘みで完全に心を落ち着かせると、紅茶のカップを両手で包み込みながら、ほうっと息を吐いた。
「……ごちそう、さま。おいしかった」
青年が、ゆっくりと口を開いた。長い間言葉を発していなかったのか、少し片言のような、たどたどしい口調だ。
「お腹も、みたされた。……でも、それだけじゃない。
なにか、心まで、あたたかく、みたされたような、きがする……」
その言葉に、エターナが優しく、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「ご飯は、みんなで食べると、とっても美味しくなりますのよ」
神の腹痛を癒やすためのクッキング・ハント。
それはいつしか、一人の孤独な神を囲む、ささやかで温かい晩餐会へと変わっていた。




