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第95話:降臨

 夜が明け、俺たちはついに決戦の厨房――『大地のかまど』の内部へと足を踏み入れた。


「……信じられないな。本当に山一つ分くらい丸ごと空洞になってるのか」


「ええ。まるで、巨人が星の腹をくり抜いて作ったオーブンのようですわね」

 俺の呟きに、隣を歩くセリアが圧倒されたように息を呑む。


 洞窟の内部は、ひとつの巨大な都市がすっぽり収まるほどの途方もない広さを持つドーム状の空間だった。そして見上げれば、はるか上空の天井部分にぽっかりと巨大な穴が空いており、そこから朝の光が神々しく差し込んでいる。


 洞窟の底から見上げると、常に強烈な風が足元から天井の穴に向かって吹き抜けているのがわかった。


 ここで発生した熱や匂いは、強力な上昇気流に乗って一気に天井の穴から吸い上げられ、空高く、そして荒野全域へと拡散される仕組みになっている。


 原初の暴食をこの巨大な空間におびき寄せるため、俺たち全員は洞窟の中に陣取り、調理と迎撃の準備を整えていた。

 ただし、ただ一人《一羽》)を除いて。


『エルヴァン様、聞こえますかしら? わたくしは上空の待機位置につきましてよ』


「ああ、バッチリ聞こえるよ、エターナさん」


 俺の脳内に、空の上で黄金の不死鳥の姿となっているエターナからの念話が響く。

 彼女には唯一洞窟の外に出てもらい、はるか上空から『原初の暴食』の接近を監視する役を任せていた。


『上空から見下ろすと、この洞窟がいかに立派な煙突であるかがよくわかりますわ。

 さあ、いつでもよろしくてよ。あの子を、貴方の素晴らしいお料理で覚醒させてやりなさいな』


「了解。……よし、みんな! 調理開始だ!」


 俺の号令とともに、ギルドのメンバーたちが一斉に動き出す。

 すでに下ごしらえは昨夜のうちに終わらせてある。俺は空間収納リュックから、巨大な魔導寸胴鍋を取り出した。

 中には鍋の底が見えるほど透き通った琥珀色のスープが入っている。


  霊峰の雪解け水をベースに、ノワールのお腹で発酵させた果実と薬草を丁寧に煮出したクリアな薬膳スープ。

 素材の風味を極限まで引き出した滋味深い味わいで、胃腸にスッと染み渡る逸品だ。


 相手がメインディッシュの肉を平らげ、猛烈に喉が渇いたタイミングで提供する「本命の一杯」。これを火にかけ、いつでもアツアツを出せるようにスタンバイしておく。


「セリア、ニーナ! 前菜のサラダとデザートの仕上げを頼む!」


「はいっ! 【ルナ・クリスタル・レタス】の鮮度は氷魔法で完璧に保ってあります!」


「デザートの【虹色蜜のジュレ】も、キンキンに冷えてるにゃ!」

 女子チームが流れるような手際で、見た目も美しい前菜とデザートの盛り付けを完了させていく。


 そして残るは――奴の理性を強制的に引きずり出す、フルコースのメインディッシュだ。


「ゼノス、ジェイド、スオウ!  メインの準備を!」


「承知した!」

 ズドンッ!!

 巨大な岩のテーブルの上に、ゼノスたちが仕留めた『黄金角の魔牛』の極上霜降り肉が鎮座する。


 余計な小細工はしない。この極上の生肉が持つ暴力的なまでの旨味と香りを、エターナが削り取ってくれた純白の岩塩で完全に閉じ込めるんだ。


 俺とプルちゃんが岩塩に卵白とハーブを混ぜ合わせてペースト状にし、肉の表面に一切の隙間なく、分厚く塗りたくっていく。


「さあ、メインディッシュの塩釜焼きを火にかけるぞ。……作戦開始だ!!」

 俺が火の魔石を起動させると、魔導コンロから猛烈な炎が噴き上がり、岩塩で包まれた巨大な肉塊を包み込んだ。

 大地の竈の内部に、熱せられた岩塩がパチパチと小気味よく弾ける音が響き渡る。


 そして――数十分後。

 分厚い塩釜の表面に、熱でピキリと亀裂が走った瞬間、それは「爆発」した。


「……っ!! な、なんだこの香りは……!?」

 後方で待機していたユリウス率いる騎士たちから、どよめきが上がる。


 塩の亀裂から凄まじい勢いで噴き出したのは、常軌を逸した【匂いの暴力】だった。

 極上の霜降り肉が自身の脂で香ばしくローストされる、焦がしバターのように濃厚で甘い香り。そこに熱された岩塩のミネラルとハーブの香りが混ざり合い、暴力的なまでの食欲をそそる香りとなって洞窟内を暴れ回る。


 嗅いだだけで胃袋が鷲掴みにされ、理性が吹き飛びそうになるほどの強烈なシズル感。

 ジュワァァァァッ! と塩釜の中で肉汁が弾ける音が響くたび、腹の底から「今すぐあれに食らいつきたい」という野生の欲求が湧き上がってくる。


「すごい……! この匂い、全部上の穴に向かって吸い込まれていきますわ!」

 セリアの言う通りだった。洞窟内に充満した暴力的な匂いは、煙突効果によって発生した猛烈な上昇気流に乗って、ゴーッという轟音とともに天井の穴へと吸い込まれていく。


 まるで、大地が天に向かって美味しさの狼煙を上げているかのようだった。

「よし……! これなら絶対に届くはずだ」

 俺が天井の穴を見上げた、その時だった。


『――エルヴァン様』

 脳内に響いたエターナの声が、先ほどまでの余裕のあるものから、ピンと張り詰めた緊張感のある声に変わっていた。


『空気が……変わりましたわ』


「空気が? 原初の暴食が現れたんですか!?」


『……ええ。ご覧なさい。頭上の穴を』

 俺は目を凝らして、はるか上空、煙突のように空いた天井の穴を見上げた。

 円形に切り取られた青空が見えるはずのそこは――すでに、青色などどこにもなかった。


 ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!


 地鳴りのような低い音が響き渡る。

 空に向かってぽっかりと開いた巨大な穴を、何か途方もなく巨大な「質量」がゆっくりと覆い尽くしていくのだ。

 穴から差し込んでいた太陽の光が完全に遮断され、洞窟の底がまるで夜のように薄暗くなる。


 そして――。


 天井の穴のふちから、ぬるりと……

 空を飲み込むほどの巨大なあぎとの一部と、狂気に濁った巨大な瞳が、煙突の底にいる俺たちを覗き込んだ。


 ズズンッ!! と、洞窟全体が恐怖で震え上がるような振動が走る。


「……嘘だろ。あれが、原初の暴食……!?」

 スオウが震える声で呟いた。


 煙突の穴すらも塞いでしまうほどの規格外の巨体。

 狂乱の神が、究極のフルコースの匂いに惹かれ、ついに大地の竈へと降臨しようとしていた。

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