第94話:星空の下の約束
目指す西方、荒野の果てに口を開けていたのは、天に向かって巨大な縦穴を突き出す特殊な構造の洞窟――通称『大地の竈』だった。
内部の熱と匂いを猛烈な上昇気流に乗せ、空高く、そして遠くへと拡散させる天然の巨大オーブン。神の腹痛を癒やす究極の料理を作るには、ここ以上の厨房はない。
太陽が西の地平に沈みかけ、空が燃えるような茜色に染まる頃。俺たちは洞窟の入り口に到着し、早速ベースキャンプの設営に取り掛かった。
「よし、火を起こせ! 王都からユリウスさんたちやってくる! 最高の料理で出迎えるぞ!」
迷宮都市を出立する前、俺は王都にいる特務調査官のユリウスに通信魔導具で連絡を入れていた。彼もすでに王と協議し、この「食による浄化作戦」を承認させている。
ユリウスからは「万が一に備えて部隊を率いて合流する」と返信があったため、俺たちは彼らの分の食材もたっぷりと用意し、到着に合わせて肉が焼き上がるよう準備を進めていた。
大火力の魔導コンロと、エターナの魔法の炎によって、極上の肉や魚介が次々と香ばしい音を立て始める。
暴力的なまでに食欲をそそる匂いが荒野に広がり始めた頃、ユリウス率いる一団が姿を現した。
「やあ、エルヴァン君。最高のタイミングで到着できたようだね」
夕闇が迫る荒野を駆け抜けてきたのは、数十騎の馬と、王都の紋章を掲げた馬車だった。先頭で馬を降りたユリウスが、焼ける肉の匂いに鼻をひくつかせながら笑顔を見せる。
「お待ちしてましたよ、ユリウスさん。……軍を率いてくると聞いていましたが、ずいぶんと軽装ですね」
「ああ。相手が神話級の『原初の暴食』ともなれば、数千の大軍を率いたところで無力だからね。
被害を無駄に広げるだけだ。だから連れてきたのは、機動力と通信、そして万が一暴食が進路を変えた際の『避難誘導』に特化した精鋭の小隊だけだよ」
ユリウスの後ろに控える数十人の騎士たちは、無駄な重装甲を省き、洗練された動きを見せている。
確かに、彼らなら最悪の事態でも冷静に動いてくれそうだ。
「それに……君たちが作る最高の料理を是非とも見てみたい! 許されるなら味見をしてみたい!!」
「ははっ、わかりました。
取りあえず夕飯にしましょう。ユリウスさんたちの分の食事も、バッチリ用意してありますよ」
俺がそう言って焼き立ての分厚いステーキ肉を差し出すと、騎士たちの顔から緊張が解け、ゴクリと喉を鳴らす音が響いた。
「明日の作戦が上手くいくかどうかは、未知数だ。相手は理性を失った神に等しい存在で、危険もあるかもしれない。
……だが、俺たちが作る料理は絶対に美味い。それだけは保証する」
俺の言葉に、人と魔物と神話の存在たちが一斉に笑みをこぼす。
「腹が減っては戦はできない。明日の本番を前に、今日は俺たちが持てる最高の食材で英気を養おう。
……大バーベキュー大会の開催だ! 明日はみんな、よろしく頼む!」
「「「おおおおおっ!!」」」
歓声と共に、決戦前の宴が幕を開けた。
俺とセリア、スライムのプルちゃんが目にも留まらぬ速さで調理補佐に入り、次々と料理を仕上げていく。
頼れる相棒、蒼炎のナイトメア・シリウスの号令で、二十体のナイトメアたちが綺麗に整列して骨付き肉を順番に受け取っていく。
熱血漢のスオウはジョッキ片手に九尾の狐ハクビと大笑いしながら串焼きを頬張り、ニーナとその相棒ノワールは、俺が切り分けた極上ステーキを奪い合うように食べては幸せそうに喉を鳴らした。
そして今回、見事に三柱の古竜を束ねるリーダーとして君臨しているエターナは、夕日色のドレスを揺らしながら、お嬢様らしく小さく切り分けたお肉を優雅に口に運び、竜たちとお茶会の続きのように談笑している。
火の粉が舞い上がり、肉の脂が弾ける音と、仲間たちの笑い声が星空に吸い込まれていく。
誰もが明日への不安を忘れ、ただ「今」という時間を共有する、最高に温もりのある光景だった。
「ああああっ! たまらない! この漆黒の毛並み! そして野生の匂い!!」
「……フシャアーーッ!」
不意に、隣で奇声と威嚇の鳴き声が上がった。
見れば、王都から来たはずのクールで優秀な特務調査官ユリウスが、完全に酒に飲まれ、ノワールの背中に顔を埋めて顔中をスリスリと擦り付けていた。
「ユ、ユリウスさん!? 何やってんですか!」
「エルヴァン君、私はね、我が家の飼い猫をとても愛している……けれど!! このノワールちゃんの、大自然ののモフモフ感にはどうにも抗えないんだ! 重度のモフモフ過激派としての血が騒ぐ! ああっ、このぷにぷにの肉球! 素晴らしい!」
「ちょっとユリウスさん! ノワールちゃんが嫌がってるじゃないですか! 離れなさいよ!」
ニーナが必死に引っ張っても、ユリウスは全く離れようとしない。
ノワールは完全に虚無の目をしながら、俺に向かって『こいつ殺していい?』とでも言いたげに、指から爪をだし、今にもユリウスさんの首に……
「……す、すみませんユリウスさん。あんまりやると、本当にノワールの本気の暗殺術が発動して血の海に染まってしまうので、その辺で……」
後から聞いたらハクビが面白がってユリウスに強い酒を注いでいたという事実が発覚して、ノワールに説教されていた。
◇◇◇
宴もたけなわとなり、仲間たちがそれぞれの場所でくつろぎ始めた頃。
俺は火のそばを少し離れ、夜風に吹かれながら星空を見上げていた。
「エル。少し、冷え込んできましたね」
背後から温かい飲み物が入ったカップを差し出してくれたのは、セリアだった。
薪の爆ぜる音と、遠くで聞こえる仲間たちの笑い声。静かな時間が、二人の間に流れる。
「ありがとう、セリア。……君がいなかったら、俺はここまで来られなかったよ」
「急にどうされたんですか? わたくしはエルの秘書として、当然の仕事をしたまでです」
セリアは照れ隠しのように微笑んだが、俺は真っ直ぐに彼女の瞳を見つめ返した。
「セリア。明日の作戦が終わって、迷宮都市に平和が戻ったら……」
「はい……?」
「俺と、結婚しよう」
風が止まったかのように、静寂が落ちた。
セリアはパチクリと瞬きをした後、カップを持つ手を震わせ、一気に顔を真っ赤に染め上げた。
「けっ……け、結婚、ですか!? わたくしで、よろしいのですか……?」
「セリアじゃなきゃ、ダメだ。
三十五年ローンの家も、この騒がしいギルドも、これからの俺の人生も……全部セリアと一緒に味わっていきたい」
俺の言葉に、セリアの瞳から大粒の涙が溢れ出した。
彼女はカップを地面に置くと、俺の胸に飛び込み、顔を埋めて強く頷いた。
「はい……っ! 喜んで、お受けいたします……っ」
星空の下での、静かで確かな約束。俺は彼女の背中を優しく抱きしめた。
――ガサッ。
「「「「…………」」」」
不意に背後の岩陰から物音がして振り返ると、そこには見慣れた面々が鈴なりになって隠れていた。
ニーナは「素敵……」と言いながら瞳を潤ませ、ノワールはじっと俺たちを見つめながら祝福するように喉をゴロゴロと鳴らしている。
ハクビはニヤニヤと意地悪な笑みを浮かべ、プルちゃんに至っては感動のあまり、スライムの体がドバドバと滝のように溶け出し、足元に巨大な水溜まりを作りかけていた。
「お前ら……見てたのか」
「ふふっ、これだけ騒がしい家族がいれば、秘密の約束なんて無理ですわね」
セリアが涙を拭いながら、幸せそうに笑った。
俺もつられて笑い出し、気がつけば仲間たち全員が火の周りに集まり、夜遅くまで祝福と冷やかしの宴が続いた。




