第99話:命の繋がり
圧倒的な物量の前に、ついに従魔たちの防衛線が崩れかけていた。
どれだけ倒しても、魔物の濁流は止まらない。
入り口を死守するシリウスの青き炎は弱々しく明滅し、強靭な四肢は無数の傷から血を流して震えている。
遊撃に回っていたハクビも、美しい九つの尾を泥と血に汚し、肩で激しく息をしながら防戦一方になっていた。
ノワールの跳躍にも精彩はなく、群がる魔物たちの爪牙が、ついにその漆黒の毛並みを深く切り裂いた。
「ノワールちゃんッ!!」
ニーナの悲鳴が響く。
上空で奮戦していたゼノスやジェイド、ファルですら例外ではなかった。巨木に群がる白蟻のように何万という魔物に取り付かれ、強固な竜の鱗をガリガリと削り取られている。苦痛に満ちた竜の咆哮が大地の竈に響き渡った。
限界だった。
このままでは、俺の大事な家族たちが喰い殺されてしまう。
「……そんなの、あんまりじゃないか」
俺は手のひらから血が滴るほど、大鉈の柄を強く握りしめた。
自分は安全な場所から見ているだけなんて。
「こいつらを、死なせたくない……ッ」
ふと伝説の星詠みのテイマーの事を思い出した。俺は魂の底から強く願った。
俺の持っている魔力でも、体力でも、なんだっていい。俺の全てをくれてやるから、俺の家族を、理不尽な暴力から守り抜いてくれ――!
その強烈な願いが、俺の魂の深奥にある扉を力ずくでこじ開けた。
「……え?」
俺の身体から、眩いほどに輝く黄金の光の奔流が吹き出した。
それは無数の光の糸となり、目に見えるほどの太い命脈となって、戦場で傷つき倒れかけていたシリウス、ハクビ、ノワール、そして竜たちへと一斉に繋がっていった。
『――ッ!?』
魂の繋がりが結ばれた瞬間、シリウスが驚きに目を見開いた。
従魔たちの深い傷が、光に包まれた端から一瞬にして塞がっていく。それだけではない。消えかけていたシリウスの蒼炎が太陽のように爆発的に燃え上がり、ハクビやノワールからは、限界を遥かに突破したオーラが立ち昇り始めたのだ。
一変した戦況。圧倒的な力を得た従魔たちが、再び魔物の群れを押し返し始める。
だが、その光景を見ていた上空の巨大な白竜だけが、血相を変えて俺の元へと急降下してきた。
ズドォォォンッ!!
洞窟の入り口を揺るがし、巨大なファルが俺の目の前に降り立つ。その巨大な瞳からは、ボロボロと大粒の涙がとめどなく溢れ落ちていた。
『愚か者めがッ!! 今すぐその繋がりを絶て!』
古の空を統べる白竜が、かつてないほどの悲痛な声で怒鳴りつけた。
『エルヴァン、己が何をしておるのか分かっておらんのか!? それは単なる魔力の譲渡ではない! 己の「命そのもの」を燃やし、魔力に変えて流し込む禁忌の業ぞ!』
「……」
確かに、俺の身体の奥底から、「生きるための熱」のようなものが、ごっそりと引き抜かれていく強烈な脱力感がある。
『我らがどうにかする! お主が命を散らす必要などどこにある!
だから……どうか、命の糸を切ってくれ……ッ! もう二度と、我が目の前で友を失いたくないんじゃ!』
「……ごめんな、ファル」
大粒の涙を流して懇願する気高き竜に、俺は困ったように微笑んだ。
「家族がこんなに傷ついているのに、自分の命が惜しいから繋がりを切るなんて……そんなの無理だ。
俺がここで、手を引けるわけにはいかない!」
『エルヴァン……お主、本当にあの莫迦と同じような顔をして……っ』
ファルが言葉に詰まり、泣き崩れる。
俺は重い身体を引きずりながら、歩みを進めると、シリウスが悲しそうな目で俺を見つめていた。彼の首元を優しく撫でる。
「お願いだ、シリウス。お前の背中を貸してくれないか。……皆に、声を届けたいんだ」
『……分かったよ』
シリウスは俺の覚悟をすべて包み込むように、静かに嘶きを上げた。
限界突破した蒼炎のナイトメアの背に飛び乗る。シリウスは一足で魔物の群れの頭上を跳躍し、戦場の最前線――最も高くせり出した岩山の上へと着地した。
見渡す限りの荒野を埋め尽くす、数十万の魔物の大軍勢。殺気と空腹で狂乱し、目を血走らせて群がる彼らに向けて、俺は深く息を吸い込んだ。
「――もう、大丈夫だよ」
その声は、魂に直接染み渡るような優しい波長を持って、荒野を吹き抜けていく。
「お腹が空いて、苦しかったんだよな。……ごめんな、君たちが嗅ぎつけたのは、俺が作ったご飯の匂いなんだ」
血走っていた魔物たちの動きが、ピタリと止まる。
彼らは一様に、岩山の上に立つ小さな人間――を見つめていた。
「もう戦わなくていい。誰も傷つけなくていいんだ。……美味しいご飯が食べたいなら、俺がちゃんと作ってあげる。
だから、その怖い武器を下ろして、少しだけ待っていてくれないか、今は無理だけど君たちにも何か作ってあげるよ」
俺が投げかけたのは、武力による降伏勧告ではない。
空腹でパニックになっている迷子たちへの、食事の約束だった。
その声が荒野に響き渡った直後。
信じられないことが起きた。
カラン、と。
最前線でよだれを垂らし、狂乱していた巨大なオークが、こん棒を取り落としてその場にペタンと座り込んだ。
それを皮切りに、ミノタウロスが、キマイラが、ワイバーンが。
狂乱状態から正気を取り戻した数十万の魔物たちが、まるで「ご飯を待つ行儀の良い子ども」のように、次々と荒野に座り込み始めたのだ。
殺意の渦巻いていた戦場が、嘘のように静まり返る。
「……よかった。みんないい子だ」
それを確認して安堵した瞬間だった。
プツン、と。俺の中で張り詰めていた「命の糸」が、限界を迎えて音を立てて千切れた。
「え……?」
ぐらりと視界が傾く。指先から急速に熱が失われ、心臓の鼓動が恐ろしいほどにゆっくりと、弱くなっていくのがわかった。命の灯火が、今まさに風に吹かれて消えようとしている。
『エルッ!!!』
岩山から滑り落ちていく俺の身体に、ファルの絶叫が響く。
シリウスが慌てて俺を咥え止めようとするが、俺の意識はすでに暗闇の底へと沈みかけていた。
――ああ、ここまでか。でも、みんな無事なら、それでいいや。
俺が静かに目を閉じかけた、その時だった。
『――がんばったね、えらいぞ』
暗闇の中で、あの青年の声が聞こえた。
それは、先ほどまで俺の料理を食べていた原初の暴食の声だった。
『とっても美味しいご飯をごちそうになったから……今度は、ぼくが借りを返す番だ』
直後、俺の額に熱い何かが押し当てられる感覚がした。先程、彼から授かった『始祖竜の加護』だ。
ドクンッ!!
途絶えかけていた俺の心臓に、途方もないスケールの魔力と生命力が、一気に流れ込んできた。
さらに、その黄金の光は俺の身体を満たすだけにとどまらなかった。俺の額から無数の光の粒子が溢れ出し、荒野に座り込む数十万の魔物たちへと、まるで温かい雪のように優しく降り注いでいったのだ。
「……あ、れ?」
俺はパチリと目を開けた。
視界はすこぶる良好。身体は羽のように軽く、失われたはずの体力も、魔力も満ち溢れている。俺は崩れかけていた体勢を立て直し、シリウスの背の上にしっかりと座り直した。
そして眼下では、不思議な光の雪を浴びた魔物たちが「ふぅ……」と満足そうに息を吐き、ポッコリと膨らんだ自分のお腹を撫でていた。
『エ、エル……!? お主、今、確かに命が……それに、魔物どもの飢えまで……!』
「いや、なんか……俺がご飯を与える前に、あの腹痛の神様から貰った加護が、最高のタイミングで仕事してくれたみたいだ」
俺が苦笑交じりに額を撫でると、ファルが腰から砕け落ちるようにへたり込み、ボロボロと安堵の涙をこぼした。
原初の暴食が自身の満たされた力を分け与え、彼らの飢えを直接癒やしてくれたのだ。腹ペコだったはずの数十万の魔物たちは、すっかり満腹になって眠気すら覚えたのか、ゴロンと横になってスヤスヤと大人しく寝息を立て始めている。
――グゥゥゥゥゥルルルル……ッ。
その時、澄み切った青空の彼方から、控えめだが、確かに巨大な腹の鳴る音が響き渡った。
「あーあ。あいつ、せっかく腹一杯になったのに、力を分け与えたせいで、また腹を空かせちまったみたいだな」
『はた迷惑な神様だし……』
俺の隣で、ハクビが呆れたように笑う。
「……さてと」
俺は岩山から滑り降りると、泣き顔で飛びついてきたセリアやニーナ、そしてボロボロのスオウたちをしっかりと受け止めた。
「帰ろうか。大急ぎで買い出しをして、またあいつの胃袋を満たすための、最高のご飯を仕込まないと!」
「よし、帰ろうか。大急ぎで買い出しをして、またあいつの胃袋を満たすための、最高のご飯を仕込まないとな!」
『……いや、それはマヂでまた今度にしようよ。ウチ、もうガチでくたくただし』
ハクビが九つの尾をだらりと下げて、心底疲れたような念話を飛ばしてきた。
シリウスも同意するように深く首を垂れ、ノワールもニーナの足元でゴロンと仰向けになって「もう一歩も動けない」と全力でアピールしている。
上空の竜たちも、すっかり気が抜けたように力なく頷いていた。
「……ははっ、違いないな」
俺は彼らの様子を見て、たまらず声を上げて笑った。
「確かに、色々ありすぎて疲れたよな。あの腹ペコ神様には、悪いけど少しだけ待ってもらうか。
……まずは俺たち自身が、ゆっくり休まないとな」
俺の言葉に、仲間たちが安堵の笑顔で頷いた――その時。
――グゥゥゥゥゥルルルルルルゥゥッ!!
空の彼方から「早くして!」とばかりに再び響き渡ったあいつの盛大な腹の音に、俺たちは大地の竈に響き渡るほど笑いあったのだった。
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読んでいただきありがとうございます。
多分、次回最終回です。




